4. 来訪者 後編
「柊君、歴史担当として他に入れておくべき事象はありそう?」
宗教担当の凪が問う。
「……そうですね、僕としては2051年12月26日に発表された『太陽の黒点出現予測モデルの完成』ですかね。量子コンピュータの実用化によって明らかになることはこの後たくさんありますが、その先駆けとなる研究論文だと思います」
「なるほど。ではそれを追加しておこう」
夜久はその場でファイルを更新し、淀みない低い声で凪に意見を請う。
「凪くんは何かあるかい?」
「いえ、特にないわ。私は宗教関係を中心に調査しているけれど、それに関する大きな出来事となると2057年以降が中心だから」
「なるほど、確かにアブダプに起因する事件はそれ以降だな。オッケー、ありがとう。……お、来たね、お新香」
春がオーダーしたフードが届き、夜久の表情が緩んだ。
「はーい! お待たせしました! セロリスティックとなすの一本漬けです! おふたりはベジタリアンさんですか?」
「いや、俺は漬物が好きでね。丁度寿司もあったし欲しくなったんだよ。春は肉嫌いでね。セロリばっか食ってるよ。変な女だ」
「はい? すばちゃんには言われたくないセリフですな。偏食の塊はすばちゃんでしょ! ラーメンと漬物ばっか食べてるし」
元ネットアイドルと陰険ハッカーが偏食王の玉座を争っている。
「らーめん……」
不意に柊サイドの霧靄霞がつぶやいた。
「ん? なんだこのホムンクルスは、まさかラーメンを食うとか言わないよな?」
「それが……食べるんです」
柊はなぜか申し訳なさそうに、霧靄霞というコードネームがあることと、『カスミン』が味覚を得るに至った経緯を、想像を交えて説明した。
「ほう……そいつはまたイレギュラー案件だな。生存に無関係の事象に関心を示し、なおかつ欲するとは……うちのも鍛えればそうなるのだろうか」
夜久が訝りながらも目の前の現実を直視し、可能性を計算した。
「何々、ホムちゃんって育つのもしかして!」
春がときめく。
「しかし見た目もコードネームも同じでは紛らわしい。柊くんの方はカスミくんと呼ぶよ。俺の方はまあ、春が呼んでいるホムちゃんでいいだろう」
「分かりました。特に問題はないと思います」
夜久サイドの霧靄霞、『ホムちゃん』は押し黙ったまま反応はなかったが、『カスミくん』ことカスミンは、オッドアイの色相が適度に変化し、活動状態であることを示唆した。
「では次の議題、7人とは何か、であるが文字通り7人なのか、7人とカウントできる何かであるのか、それ自体調査が必要だが、そのためには木佐貫が提示した7つの年とリンクさせる必要があるだろう。結果的に12使徒を想起させる7人、になればいいと思うがどうだい? 凪くん」
「いいと思うわ。かなり大雑把ではあるけど、限定しすぎない方がいい」
「柊くんはどうだい? 何かあれば遠慮しなくていい。とりあえずそちらの代表として凪くんに聞いているだけなので」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「さて、その7人だが、まず俺たち4人はそこにカウントされていると仮定しよう。すると残りは3人となるが、もちろんそのまま3人を意味するとは限らない。つまり、これから行う調査対象は膨大だということだ」
「そうね……私たちは1年間、この世界に順応することを第一の目標とし、その傍らで可能な調査をしていた。本格的に動いてはいない。だから仮説を導き出すに至る有益な情報をまだ持っていない」
「そう。俺たちもこの1年は専ら金稼ぎに時間を費やしていた。君たち同様、大した調査はできていない。まあ、お互いこれからってことだ」
「ええ」
「そこで提案する。資金は俺たちが稼いだ。よってこれからは不毛な労働などする必要はない。君たちは俺たちに合流し、今後はチームとして調査をして欲しい」
「……どんなプランがあるのかしら。それによるわ」
「ま、待ってください!」
柊がこの流れに異議を申し立てた。
「今後腰を据えて調査に専念すること、未来人でチームを組むことには同意します。しかし、僕はこの世界の労働が不毛であるとは思っていません。労働は21世紀にとって必要な営みです。この命題を解く手掛かりが労働にも隠れているような気がするんです……根拠はありません。直感です」
「……柊くん、君は面白いね。そうか、君はVRL初心者だったね。俺たちはVRLによって労働という行為を幾度も経験している。それも世界と時代をまたいでね。だが今の俺たちは特殊な回想モードである特例モードの世界にいる。通常モードのようにのんびり楽しんでいる暇はないと考えるがな」
「アマネくん、労働はこの特例モードをクリアすればこの先いくらでも楽しめるんですよ! はるさんはね、やはりまだ死にたくないのでこの世界を確実に脱出したいのですよ」
「……それは……分かっています……」
理屈で分かっていても心が追いつかない。柊の表情はひどく険しかった。
「まあ、とりあえず俺のプランを聞いてくれ。決めるのはそれからでも遅くはない」
柊周という初心者プレイヤーが選ばれし4人の中に存在することを、夜久は当初から注目していた。21世紀試験は形式的に行われたに過ぎず、この4人が合格することは予め決められていたのではないか。夜久は推測した。その4人にはそれぞれ選ばれた意味があり、中でも汚れなき無垢なプレイヤー、VRLクリア未経験の柊周には、何か特別な大きな役割がある、と。
無論、そのような半ば陰謀めいた推測を、未来のハッカーが口にすることはなかった。
「さて、今後のプランだが、まず俺と春はアメリカ、ヨーロッパへ行く。日本で得られる情報には限りがあり、ネットワークもまだ脆弱だ。現地でなければ分からないことがある。そもそも木佐貫の命題はキリスト教をモチーフにしており、文化的発展を考えれば重要なエリアだ」
「そうね。私も一度行かなくてはと思っていたわ」
凪も海外調査の必要性を感じていた。
「すまないが凪くんと柊くんには、聖地エルサレムを含む中東諸国の調査をお願いしたい。ユダヤ教、イスラム教はキリスト教にとっても切り離せない関係にあるのは知っていよう。君たちには宗教視点からの歴史調査を任せたい」
「ロシアはどうする?」
「ロシアは既に競争力を失っている。優先順位からいえば後回しでいいだろう。必要を感じたらヨーロッパ調査のついでに俺たちが行ってもいい」
「そう……分かったわ。で、夜久さんは欧米でどんな調査を?」
「この世界におけるテクノロジーの中心はアメリカだ。もちろんインフィニット・ワールドのハッカーである俺にとってそんな技術は子供の遊びに過ぎん。しかし、春をプロデュースする過程で気づいたことがある。無邪気に遊ぶ子供の中に策士が紛れ込んでいる。一つはその不可解なテクノロジーの正体を突き止めること」
「それは意外ね。まあ、未来では淘汰されてしまった技術があっても不思議ではないけれど」
「もう一つは、木佐貫メッセージの署名だ。『木佐貫一 with 2 dear friends』とあったが友達って誰だ? 木佐貫に友達なんていたか? 同じ研究者のことを指しているとしたら欧米人の可能性がある。そいつらを探したい。奴がやらかしたことから察すれば、お仲間の正体を炙り出すにも骨が折れるだろう」
「……いいわ。私自身、エルサレムの調査は必須であると考えていたから」
凪は自分の方向性とも合致する夜久のプランに、大筋で合意した。
「柊くんはどうする?」
「…………」
「もしかして柊君、私をひとりで行かせることを気にしている? それなら心配ないわ。言語も格闘術もVRLでそれなりに習得しているから」
「えっとなぎちゃん、格闘術は記録のペーストじゃ使えないんじゃない?」
春は至極まっとうな疑問を呈した。
「ああ、えーと、私の家は義務教育期間に空手と合気道を習わせるのが慣習だったので、武道の基礎は身についてるの。VRLは知識の補完ね。精神論的な」
「ほうほう、なるほど! それはとても頼もしいですね! アマネくん、最強戦士と聖地巡礼なんて胸熱じゃない?」
「……ええ。それはとても贅沢な環境です」
柊はしばしの沈黙の後、決断した。
「凪さん、お気遣いありがとうございます。そして昴さん、春さん、方向性を示してくれて感謝です。どれも重要なミッションだと思いますし異論はありません。ただ僕はやっぱり、日本に残ります。労働も続けます。ここでやるべきことが、まだあるような気がします」
「……そうか。まあ、いいだろう。日本でやることがなくなったと判断したら凪くんに合流すればいい。俺のプランが最善である確証もないのだからな」
21世紀シナリオの特別因子、柊周を自由に泳がせ、それによって炙り出される真意に夜久は期待した。
「昴さん、ありがとうございます。ところで、カスミンはどうします?」
「かすみん? ああ、カスミくんね。ホムちゃんの方は俺が連れていくが……」
「ボクは柊さんが留まる日本に残ります。ここでしかできないことがあります」
柊方の霧靄霞は自ら意思を示した。
「すばちゃん、このカスミくん、面白いね! ホムちゃんも鍛えてみようよ!」
「……確かに、このホムンクルスの成長には驚くことばかりだ。何かしら隠しコードが仕組まれているかもしれない。春の言う通り、鍛えてみるか……」
「昴さん、春さん、僕はカスミンを人間と区別したりしません。人間と同じように接してきただけです。その方が楽しいし、そうじゃないと悲しくなってしまうから……」
「ピグマリオン……」
凪が唐突に、聞きなれない言葉を口にした。
「ぴぐ…まりん?」
春が聞き返す。
「ギリシャ神話に登場するキプロス王の名前よ」
「あ、それ聞いたことがあるな……確か……自分の理想に叶う女がいないからってそれを彫刻で作り、完成したお人形に恋しちゃうって話だよな」
夜久には漠然とした記憶があるようだった。
「ええ。ピグマリオンはその人形に本気で恋をし、人間になってくれたらと願った。その思いは日に日に強くなり、人形の傍から離れられなくなってしまった。衰弱していくピグマリオンを見かねた美の女神アフロディーテは、人形に魂を吹き込んで人間に変えた。そしてピグマリオンは彼女を妻とした……」
「何それ! 超素敵ロマンチックストーリー! はるさんも作るかイケメン人形!」
「……キリモヤさんはこの逸話のように、人間になる可能性があるのかしら」
「身を滅ぼすほどの狂信的な願望は科学を超越して現実化する……まあ、ロマンだね。間違いなく」
夜久は冷めた口調で言い放った。
「素敵なお話ですね、凪さん。ただ僕にとってカスミンはもう人間なんですけどね」
「それはそれで危ない人だよ、アマネくん!」
元ネットアイドル、桜野桜の鋭い突っ込みに、ヒストリーエリアの一角は笑いに包まれた。
かくして選ばれし4人のVRLプレイヤーはここに集い、各々が新たな目標を定めて旅立つこととなった。
「僕たちはいずれ集う運命でしたが、その日がこのように唐突に訪れるとは思いませんでした。今後の指針を示していただき、ありがとうございました。何とか先に進めそうです」
柊はインフィニット・ワールドの頼れる同志に感謝した。
「礼はハッピーエンドを迎えたときに受け取ろう。あと2年だ。生きて未来へ戻ろう」
「……もちろんです」
命題が解けなかった場合、本当に自分たちは消えてしまうのか。柊はまだ半信半疑であった。
「あ、それと凪くん、自分に自信があるのは悪いことじゃない。しかし過剰な自信は命を落としかねない。くれぐれも注意を怠らないように」
「それはご丁寧に。じゃあ私からもひとつ忠告しておくわ。この世界はいわば21世紀の皮を被った別次元。あなたの言う一つ目の調査対象、未知のテクノロジーに気を付けることね」
「……そうだな。俺の理解を超える技術がこの世界に存在するとしたら脅威だ。ありがとう、肝に銘じておくよ」
夜久は凪が天才と呼ばれる真意に触れた。
「今後の調査報告や連絡はヤドメクラウドにアップしてくれ。そこにアクセスできるのは君たちの端末だけだ。ちなみにその端末のセキュリティは遠隔操作で完璧にしておいた。たとえ盗難にあっても情報が漏洩することはないから安心したまえ」
間違いを起こさない人間など存在しない、というごくありふれた真理が、この時夜久に一抹の不安を抱かせた。
「じゃあねみんな! また1年後に会いましょー! ところですばちゃん! はるさんは欧米で何の役に立てるのだろうか? 桜野桜は引退してしまったぞ」
「何を言っている、春は語学が堪能だろう。通訳だ。ヨーロッパなんていくつ言語があると思っているんだ。確か春はヘブライ語もギリシャ語も、それにアラム語まで読めたよな。キリスト教的に重要すぎるだろう。というか、こっちの木佐貫はサイレントテロで翻訳アルゴリズムも破壊しやがったからな。不便極まりない!」
「まあ、そのお陰ではるさんの語学力が生きるということで……」
「ギリシャ語は読めるが、ピグマリオンの神話は知らないと」
「……はっ!」
ヒストリーエリアの一角は再び笑いが巻き起こった。
インフィニット・ワールドの同志、夜久昴と朝来野春は『異次元』を後にし、各々帰路についた。
自宅マンションへ向かうハイヤーの中で、夜久は1通の個人メッセージを受信した。それは自身が『カスミくん』と名付けたホムンクルスからであった。
『夜久さん、あなたが識別できないと感じているテクノロジーは、おそらく次元間通信と関係しています。ボクも調査中ですが、解読出来次第報告します』
「……面白いじゃないか、カスミくん……」
夜久は隣に鎮座するもうひとりの霧靄霞に視線を移し、ある可能性について思いを巡らせた。