4. 来訪者 前編
江戸の総鎮守、神田川明神初詣とジンギスカン鍋パーティによってスタートを切った2099年は、柊たちにとって学びの期間となった。そして『木佐貫黙示録』の解読のために必要と思われる知識を吸収し、叩き込んでいった。その知見は定例戦略会議で共有され、やがて考えるフェーズへと移行していった。
2099年12月1日、カフェ&バー『異次元』には柊、凪、霧靄が集い、一周年となる会議が行われていた。
「あれからもう1年ですね。色々ありましたけど、結構楽しかったです。どれも僕が知る21世紀ではなかったけれども……」
柊はここで過ごした日々を、感慨深く回想していた。
「それなりに収穫はあったと思うわ、この1年。でもまだ仮説を出すまでには至っていない」
凪が容赦なく現実へと引き戻す。
「はーい皆さんお疲れ様です! 何と岬ちゃんから一周年の差し入れでーす!」
大空光がバラエティに富んだ握り寿司50貫ほどを運んできた。
「わぉ! お寿司だ! ありがとう岬ちゃん! って伝えといてね!」
「おっけー!」
和食好きの柊にとっては嬉しいサプライズであった。気のせいか、この世界の食材や機知に富むレシピの数々は、未来のそれよりも旨味に磨きがかかっていると、料理見習いの柊は感じていた。
「お寿司か……」
凪は洋食派であった。
「らーめんは……」
驚くことに霧靄の味覚はこの1年で進化し、食の楽しみを少しずつ理解するようになっていた。目下の好物はあっさり醤油のラーメンである。
「日本人はやっぱり和食ですよ」
「いや、ハンバーグだ」
「しょうゆらーめん……」
「はいはい、いただき物で贅沢言わない! 岬ちゃんとこのお寿司はそりゃもう絶品ですからね!」
「違いない!」
本格江戸前寿司を提供する老舗、『五月雨寿司』は飲食店評価サイトでもハイスコアをたたき出している。
柊らインフィニットワールドの住人達は『異次元』のスタッフやその仲間ともすっかり打ち解け、雑談も交えて会議を行うようになっていた。
「さ、会議をしましょう。今日はまずこれまでの材料から仮説を――」
視界に入った来店客にいささか驚き、凪は言葉を止めた。
「いらっしゃ……い?」
光もまた、不思議な光景に目を奪われた。
柊は後ろを振り向き『次元の扉』に目を遣ると、入店した三人グループの中に霧靄霞の姿を確認した。エントランスに佇むその三人が、21世紀ライフツアー『回想モード』へ一足先に飛んだVRLプレイヤー、夜久昴と朝来野春であり、次元立会人の霧靄霞に違いない、と柊と凪、そしてカスミンの愛称を持つ霧靄霞は確信した。
「あー! いるいるあっち! すばちゃん、あっち」
朝来野春と思われる小柄な女性は、柊たちが集まるテーブルを指差した。
「……そのようだな」
クラシカルなブロータイプの眼鏡に長身の男性が夜久昴だろうか、彼は静かに相槌を打った。
「あの……ご来店は初めてでしょうか?」
仕事モードへ戻った光は来店履歴を訊ねた。
「ううん、大丈夫よ説明は。1年ちょっと前くらいかなー、一回あるんで。確かサイエンスエリアってとこに案内されたよ! あのね、はるさんたちはあそこのテーブルの人たちとお話ししたいんだけどいいかな?」
大きな瞳の女性は再びヒストリーエリアの一角を指差した。
「わ、わかりました。お連れ様ですね! それではヒストリーエリアへご案内いたします!」
霧靄霞に瓜二つの人物は親族であろうと推測し、光は彼らを席に案内したが、この特徴的な目をした女性もどこかで見たことがあるように感じていた。
「やあやあお待たせ! はるさんです! あ、朝来野春です! 君が初心者マークのアマネくんで、そちらはクール&ビューティーなぎちゃん……で、あら不思議、そちらがホムちゃんね。まあそっくりだこと」
朝来野春は一人ひとりに近づき、プレイヤーの確認を行った。
「俺が夜久昴だ。君たちがここにいることは知っていたがこっちも多忙でね。ようやく自由を手に入れたので会いに来た。とりあえずよろしく」
180センチを超える長身の夜久が前かがみで凪に手を差し出した。
「よろしく。あなたたちには聞きたいことがたくさんあるわ」
凪は立ち上がり、夜久を見上げながら握手をした。
「昴さん、春さん、よ、よろしくお願いします! なんか凄く嬉しいし、頼もしいです! やっぱり仲間って多いといいですね!」
柊も立ち上がり、会釈をした。
夜久と朝来野はインフィニット・ワールドの同志であり、また『特例モード』のプレイヤーでもあった。この世界に慣れたとはいえ、アウェー環境に身を置く柊にとって彼らの来訪は郷愁を誘い、自然と涙が頬を伝った。
「アマネくんは泣き虫さんですかな?」
春が早速弄る。
「い、いえ、何か本当に……ほっとしたというか、気が緩んでしまいました、すみません! もう大丈夫です!」
「なあ、この寿司は食っていいのか? もちろん金は出す。というかこれから先、金の心配はしなくていい」
春とは対照的に感情を表に出さない夜久昴の視線は五月雨寿司へ注がれていた。
「ええ、構わないわ。知人の差し入れだし。いいわよね、柊くん」
「もちろんです! ちなみにこの五月雨寿司のエンガワは激ウマです!」
「ほう、それはそれは……ではありがたく頂戴しよう」
夜久は勧められたエンガワを口へ運んだ。
「あ、店員さん! オーダーお願いしまーす」
春はウェイターをつかまえてカクテル『アブダプスピリット』二つと、セロリスティック、なすの一本漬けを注文した。
「ところで夜久さん、さっきお金の心配はしなくていい、とおっしゃったけど、どういう意味?」
「ああ、それも含めて俺たちのことを話そう」
夜久は五月雨寿司4貫を流し込むと、おもむろに話し始めた。
「まず確認だが、木佐貫からのメッセージとやらはこの文面で間違いないだろうか?」
夜久が凪に端末の画面を見せ、確認する。
「ええ、まったく同じね」
「よし。これは確定。それでだが、まず俺たちはこの3年をどう使うか決めた。1年目は資金調達、2年目は調査、3年目は熟考だ」
「……ということはこの1年で残り2年分の活動資金を集めたってこと?」
「まあな、この朝来野……」
「あー! 思い出した!」
夜久が金策話を始めようとしたとき、ドリンクを運んできた大空光が大きな声をあげた。
「あなた、桜野桜ちゃんですよね! 髪下ろしてるし、メイクも違うんで気づきませんでした!」
光は朝来野春を『桜野桜』と呼び、そわそわしながらも嬉しそうであった。
「へー、知ってるんだ桜ちゃん。そう、あれ、はるさんです。あ、私には朝来野春という本名がありますです」
「あ、私は大空光です! よろしくです! 桜ちゃん、人気あったのに活動1年であっさり消えちゃったからビックリしましたよ! だからあの界隈で色々な憶測が飛び交っていますよ」
「もう充分稼いだんでね、へへ」
「……そう、そういうことね」
凪は一通り理解した。
「え? 何? 春さんにはサクラという別名があるんですか?」
柊はまだ気づいていないようだった。
「あまねっち知らないの? 桜野桜ちゃん。ネットアイドルで大ブレイクしたのについ最近活動休止しちゃったんだよ」
「あ……僕はアイドルに疎いもので……」
「まあ、ネットアイドルなんて知る人ぞ知る存在だからな。もうみんな気づいている通り、つまりそういうことだ。俺が朝来野春を『桜野桜』としてプロデュースし、この1年で必要充分な金を稼いだ」
「すばちゃんはね、あっちでは打倒AIに燃えるハッカーさんだからね。そういうのはお手のモノって感じで。あ、はるさんはこう見えてもう22歳です! ネットアイドルなんでその辺はちょいちょいっとね! ちなみにすばちゃんはいっこ上。もっと上に見えるけど!」
「へえ……春さん、見方によっては中学生でもいけそうですね……」
柊は幼さが残る春の容姿に感嘆した。
「話を続けよう。俺たちはこの2年目を調査期間としたわけだが、まずお互いが持っている情報を共有し、それから今後の展開を考えたいと思うがどうだろう」
「ええ、そうしましょう」
「僕もそれがいいと思います」
「ではまず7つの年についての見解だが、これは未来に与えるインパクトが大きい事件、事故、現象などを指していると、君たちも考えているはずだ」
「そうね」
「俺たちがピックアップした出来事を共有したいので端末を出してくれ」
夜久は特殊なコードを示し、読み込むように指示した。
「これは特殊な暗号化を施した『スバルコード』だ。あ、つまり俺が考えたコードね。読み込んだ先は保存しておいてくれ。これから情報共有はこの『ヤドメクラウド』上で行う」
「了解した」
凪が『スバルコード』を読み込むと、3D仕様のファイル管理システム画面が表示された。
「木佐貫に提示された年ごとにフォルダがある。それぞれ三つの出来事をピックアップした。無論、インフィニット・ワールドではなくこの世界における歴史からだ。追加した方がよいと思うイベントがあれば言ってくれ」
2011年のフォルダ
3月11日、東日本大震災発生
5月2日、世界同時多発テロの首謀者殺害
12月17日、北朝鮮指導者死去
2031年のフォルダ
2月2日、EU、ベーシックインカムの導入決定
12月11日、COVIMS-31発生
12月17日、日本の衆議院議員選挙において自民党が諸派連合に勝利し、全体主義化が加速
2032年のフォルダ
1月16日、F一種汚染により世界食糧危機が発生
3月10日、ジャカルタオリンピック中止。今後開催予定のオリンピックは無期限停止となり、IOCは解散
5月11日、世界緊急対策会議(World Emergency Response Council)発足 通称世界会議
2036年のフォルダ
3月21日、世界会議、世界治安維持法を採択。グローバル監視社会の到来
6月11日、首都圏大震災発生
9月7日、日本国憲法改正の国民投票実施
2040年のフォルダ
4月11日、世界大恐慌発生 金融システムの崩壊 株式会社終焉の発端となる
11月18日、COVIMS-31の特殊変異体が発見され、その後猛威を振るう
11月26日、世界一斉ロックダウンの開始
2051年のフォルダ
1月11日、量子コンピュータの実用化宣言
6月6日、アメリカ大統領 暗殺未遂事件
10月3日、AI搭載人型汎用ロボットのプロトタイプが完成
2057年のフォルダ
2月5日、人工光合成による食糧自給装置『フードサプライヤー』誕生
11月10日、世界会議 散会
12月25日、オリンピック復活宣言 2064年東京開催が決定
……後編へ続く