3. 初詣
柊は謎めいた二通りの歴史について、凪はキリスト教を中心に宗教全般の調査を進め、霧靄は笑顔の習得と共に次元間通信の開通を模索した。
この年の師走は文字通り瞬く間に駆け抜けていき、『特例モード』の2099年が顔をのぞかせた。
明けて1月3日、柊は秋葉原の名所にして江戸の総鎮守、神田川明神へと向かっていた。
大空光発案の『THE初詣・2099は電機羊と共に』に参加するためである。この企画には柊たちに加え、光の幼馴染である五月雨岬と『異次元』のキッチン担当、今泉敦も参加者に名を連ねていた。
「あらためまして皆さん、明けましておめでとうございます!」
祭囃子が鳴り響き、ひしめき合う参拝者の歓声、嬌声、奇声が飛び交う中、光はいつもより明るく大きな声で、新年のあいさつを企画の参加者に告げた。
「明けおめーっ!」
「ハッピーニューイヤー!」
「おめでとうございます!」
「おめでとう」
「謹賀新年」
「えー、2099年は羊さんの年です。お参りが終わりましたらジンギスカン鍋パを異次元で行いまーす! イェーイ!」
カフェ&バー『異次元』は書き入れ時の正月3が日を休業とし、その期間、福利厚生の一環として店舗をスタッフへ開放していた。食材、飲料、光熱費等々無償提供されるため、毎年エリア毎に激しい解放枠の争奪戦が繰り広げられていた。
大空光はヒストリーエリアを代表してこの戦いに臨み、結果1月3日昼の部を勝ち取った。
「いいね! 寒い日には鍋! 絶対おいしいよ! ジンギスカン初めてだし!」
柊の関心は専らジンギスカン鍋にあった。
「あれ、今泉さんってオカルト・ミステリーエリアですよね? いいんですか? こっちも参加しちゃって!」
寿司屋の次女、五月雨岬が年上の今泉を弄る。
「それ岬ちゃんが言う? 異次元のスタッフでもないのに」
「違いない! でもいいの。私はひかりんの親族みたいなものだから」
「俺はヘルプ結構入ってるし、こいつの面倒も見てるから権利があるのさ。な、柊クン!」
今泉は柊の肩に腕を回し、承認を迫る。
「え、ええ、もちろんです! 敦さんにはお世話になりっぱなしですし、大歓迎です!」
事実、柊は料理を知らない未来人であり、かつVRLクリアの経験がないために労働を知らず、仕事を覚えるのにことのほか苦戦を強いられた。今泉はそんな柊を先輩としてサポートしていた。
「さあさあ皆さん、そんな素敵な食事にありつくためにはまずこの初詣ミッションを完遂しなければなりません! ご覧ください! このゴミのような人たちを!」
神田川明神手前の坂道に集合していた一行が目指す御神殿への道のりは、多くの参拝客で埋め尽くされていた。
「これは中々ハードなミッションですね……」
柊は人海を見ながら嘆息を漏らした。
距離にして100メートルほどの優雅な参道が、今日に限っては険しい茨の道にしか映らなかった。
「そうです! このミッションは体力と精神力を大変消耗いたします! 6人全員が同時に辿り着くことはおそらく不可能。よってペアを組んで臨むことにいたします! お参りが済みましたら裏参道の階段下へ集合です!」
「合点! で、そのペアってのは?」
期待と不安が渦巻く中、今泉が尋ねた。
「それはですね……これで決めます! はい! 今メッセージでリンクを送りましたので開いてください!」
光から送信されたメッセージ内のリンクを開くと、2Dグラフィックの羊とシンプルな棒線がまばらに引かれた画面が表示された。
「そうです! あみだです! 私がプログラムしましたが、もちろんゴールはランダムです。答えは知りません! さ、皆さん好きな場所を選んでください。早い者勝ちです!」
「凄いねひかりん! いつの間にこんなの作れるようになったんだ。さすがゲームオタク。遂に自作ゲームに目覚めるのか!」
「いやいや岬ちゃん、こんなのゲームなんていえる代物じゃないよ!」
「そりゃまあ、違いない!」
「ちなみにこの羊さんは私が描いたのだ! そこは褒めてもいいんだぜい」
「……」
それはお世辞にもかわいい、とは言えない何とも形容のしがたい、どちらかといえばキモカワ系の羊であった。
「まあ、いわゆる画伯ってやつ?」
「ひっどーい!」
「よっしゃ、選んだぜひかりん」
「僕も選びましたよ! あ、羊の絵、とても個性的でかわいいですよ!」
「あまねっちありがとー! さ、皆さんも終わったようですね。では残りは私で……っと。はい! じゃあスタートです!」
光がプログラムの実行ボタンを押すと、参加者の名前が入ったタスキをかけた全ての羊が点滅を始めて動き出した。各々の電機羊が他の電機羊と鉢合わせることでペアが誕生する、というあみだというよりは、ペアリングのプログラムであった。
「へぇ……この羊、動いてるとなんかかわいいね。光ってるし。光だけに」
コミカルなアニメーションを伴って移動する点滅電機羊の感想を述べる岬。
「なるほど……違いない」
今泉が岬風の相槌を打つ。
「はい! 決定しました! それでは無事に初詣ミッションを完遂し、裏参道下で落ち合おう! いざ、出陣じゃー!」
「おー!」
光の号令に呼応したのは言うまでもなく岬に今泉、そして柊であった。
ペアリングの結果、柊は霧靄と、凪は光と、そして岬が今泉と組むことになった。
各ペアは御神殿を目指し、茨の道へと足を踏み入れた。
「カスミン、正月の神社ってのは想像以上だね……これが本当の祭りなんだろうか。義務教育で学んだ『教養としての祭り』なんてこれに比べれば子供の遊びだね」
柊は身動きするのも難儀な人の群れに辟易しているかと思えば、本物の祭りの空気に触れ、場が醸し出す得も言われぬ躍動感にむしろ感動すら覚えていた。
「人混みはストレス発症の重大因子です。AIはその状態を発生させないよう世界を設計しています」
「そうだね。だから僕はこんな光景を見るのは初めてだ。まあ、そんなこともVRLで補完していくんだろうけど、あいにく僕には一度も過去の記憶がない。こんなことになるなら1回でもいいから他の時代をクリアしておけばよかったかな……」
剥き出しの未来人として『特例モード』に入った柊は、21世紀に拘り過ぎた自分をほんの少しだけ後悔した。
「そういえばカスミンって過去の時代の記憶というか、経験的記憶はあるの? それよりVRLってアンドロイドもプレイできるんだっけ?」
「アンドロイドは特殊な事例を除いてVRLのプレイヤーにはなれません。霧靄霞としては、システム上あらかじめインプットされた情報以外については、経験により知見が得られるようになっています。つまり、ボクも今学んでいるということになります。ここにいる参拝者は皆楽しそうで、ストレスを溜めるどころか解放しているとすら感じます」
「わぉ! じゃあ、僕が感じていることとあまり変わらないじゃない! そう、僕が学んだ21世紀とはちょっとどころか結構違うし、面倒なことが多いのは確かだけどこの21世紀も楽しいと感じるな」
「楽しい……ですか……」
「そういえばカスミン、回想モードへ飛ぶ前日、僕と凪さんに事前説明をするために異空間へ来てくれたよね。その時点でカスミンは成長していたと思う。君はおそらく、これからもっと人間的になっていくんじゃないかと僕は考えているよ、というかそうなって欲しいな」
「……」
「でもそれによってアンドロイドとしての機能は失われてしまうのかな? それとも単に追加されていくのだろうか。相反する性格のものだからね。ただまあ、僕個人としてはカスミンが人間的に成長できるのだとしたら、とても嬉しいなって思う」
「…………」
霧靄が柊の話す意味を精査していると、波に揉まれて制御を失った参拝客がなだれ込み、ふたりの間にもたれ掛かってきた。
「カスミン!」
柊は咄嗟に霧靄の手を取って引き寄せると、ふたりは勢い余って互いの身体が触れあう距離まで接近した。
「ご、ごめん、つい力が入りすぎちゃった……大丈夫?」
「……大丈夫です。ありがとうございます」
不可抗力により眼前に迫った霧靄霞に対し、柊は少なからず動揺した。透き通るような肌と華奢な身体、必要に応じて色彩が変化する不思議なオッドアイを持つ霧靄には、アンドロジナス(両性具有)特有の儚さとAAIの聡明さが絡みあう妖しき色香があった。
21世紀シナリオのために誕生したという霧靄霞は、やはりその一事を以てしても未知の存在であることに変わりはなかった。
一方、凪と光ペアの戦況はといえば、天才プレイヤー凪雫を以てしても21世紀末の初詣参拝客は手強い相手のようだった。
「やっぱり凄いですね! この国の初詣というやつは! そしてこんな中でも雫氏はクールビューティー! そこに痺れる憧れます!」
VRLプレイヤー人気投票、クール&ビューティー部門トップの実力はこの世界でも健在のようだ。
「ねえ、光ちゃん、あなたは事情を知りながら私たちの素性に深入りしてこないわね。どうして?」
凪が光と話すことはほとんどなかったが、この機会にかねてより感じていた疑問をぶつけた。
「あまねっちも同じこと聞いてきましたけど、そんなの決まってるじゃないですか。例えば本当に未来から来たとしてですよ、それをどうやって証明できるんですか? それこそタイムマシンで過去や未来へ連れていってくれるならば信じます。でもそれはできないんですよね。少なくともあと3年はこの世界で生きるしかないんですよね。それが真実だと思うから、私はあまねっち達をこの世界の住人として普通に接したいと思うんです。鋭ちゃんには怒られそうだけど……」
「……そう……ごめんね。つまらないこと聞いちゃったみたい。あなたは心がとてもきれいな子だわ。さぞかし男の子にも人気なんでしょうね」
「はい? いえいえそんなことないですよ! 歴女のゲームヲタですからね、へへ……。そんな雫氏こそモテモテなんじゃないですか? あっちでもこっちでも」
「そうね、否定はしないわ。事実だから」
「違いない!」
「それこっちで流行ってるの?」
「いいえ、多分、内輪ネタです」
とりとめのない会話を続けつつもゴールへの最短距離を探るふたりは、正真正銘、生粋のゲーマーであった。
進軍開始から20分ほどが経過したころ、御神殿へ一番乗りを果たしたのはやはり凪と光のゲーマーペアであった。
ふたりは無事に参拝をすませ、本殿脇を抜けて裏参道へ向かった。その道すがら、ある石碑の前で凪は歩みを止めた。
「どうしたんです? 雫氏」
「……獅子山再建……石獅子……」
石獅子と呼ばれる由緒ある石像が、積み上げられた石塚の頂点に君臨していた。
「ああ、これですね。江戸庶民が信仰のために塚を築くことはよくありまして、その名残ですかね。江戸時代は何かにつけてご利益と絡めて信仰していました。結構暇だったんですよ。何といっても平和でしたから」
「……私も江戸時代のシナリオをいくつかプレイしたけど、確かにそうだったわ。何か懐かしくなって止まってしまったみたい。さ、追いつかれないうちにゴールへ向かいましょう」
凪は些細な競技であっても勝ちに拘りをみせる。
「ふむふむ……江戸時代のゲームをやったんですね……何だろ。そんなのあったかな……もしかして、ふぁみこん、とか……いかんいかん、深入りしないんだった……」
「何ブツブツ言ってるのよ、早く行かないと追いつかれてしまうわ」
「あ、はい! ただいま!」
ふたりは裏参道の急勾配を慎重に下り、最終目的地へ一番乗りを果たした。
凪と光ペアから遅れること5分、岬と今泉ペアが到着し、さらにその5分後、柊と霧靄がゴールした。
「皆さん、お疲れ様でしたー! 神田川明神参拝のミッション、コンプリート!」
「いやほんとに疲れたよ。これが21世紀末のお正月なのだろうか……」
未来人同志のペアとなった柊と霧靄はことのほか手間取ったようだ。
「もしかして柊クンは初めて? こんな初詣。有名な神社は毎年こんなもんだよ。まあ、神田川明神はその中でも特別なのは確かだがな。それより早く異次元行こうぜ! 冷え切った俺たちの体は激しく鍋を欲している!」
「違いない!」
ここぞとばかりに岬が決め台詞を添える。
「それではでは! お待ちかねの異次元特製ジンギスカン鍋パへレッツらゴー!」
一行が意気揚々と『異次元』へ向かう中、凪は「おみくじを引き忘れた」と言って神田川明神へひとり引き返した。柊は凪にもそんな信仰心があるのかと不思議に思ったが、彼女を追うことはせず、ジンギスカンの準備を優先した。