1. 古色蒼然のパラダイム
不動産業を営む大空光の母親は柊たちに一軒のシェアハウスを無償で紹介した。
柊は異性との共同生活に難を示したが、連帯を重視する凪の戦略的選択によって一蹴された。それが天才ライフ・ツーリスト、凪雫にとってのサバイブ・エートスなのだ。
柊はカフェ&バー『異次元』のキッチン見習いとして入社し、週休2日のフルタイム労働が決まった。そして2週間の試用期間の後、晴れて『異次元』の正社員へ昇格した。
霧靄霞は電波環境がいいという理由で『異次元』の一席を借り受け、常時使用することを希望した。『異次元』の店長は雑用をこなすことを条件にそれを容認し、席の使用料を差し引いた残額を給与として手渡した。
一方、VRLでいくつもの人生を経験している凪は効率を考慮し、政界、財界の大物が出入りする料亭『真誠庵』の給仕として情報収集に当たった。
『木佐貫黙示録』の解読に関しては月に一度定例会議を開催し、意見交換を行いながら進めることに決まった。まず何よりも各々がこの環境に慣れ、生きなければならなかった。
「あまねっち明日休みだよね? ちょっとお願いがあるんだけど……」
『異次元』の休憩室でポータブルゲーム機のボタンをカチカチと鳴らしながら、光は料理のレシピ表を確認する柊に話しかけた。
「明日? 僕なんかでよければもちろん!」
「やった! 明日はね、新作ゲームの発売ラッシュなんですよ! 何といってもクリスマスシーズンですからね! それでどうしても手に入れたい特典があってですね……それがまあ、時間帯特典というもので……つまりひとりでは回り切れないのです」
「そういえばひかりんゲーム好きだよね。オッケー。手伝うよ」
「わーい、ありがとうです! ついでにアキバの街を案内しちゃいます。ちょっとアングラなアキバをね!」
「それは楽しみ! もうすぐ22世紀だっていうのこのレトロな世界観、こんなアキバもいいね」
インフィニット・ワールドの歴史書に記された21世紀後半とは大きく異なる『特例モード』の世界は、むしろ20世紀後半から21世紀前半に近いと柊は感じていた。それはある意味で興味深い対象であり、純粋な好奇心が彼の心に芽生えていた。
木佐貫一によって与えられた3年という期間が長いのか短いのか、それはこの『特例モード』が終わってみなければ分からない。
生きることのリアリティに直面した柊は、今それについて考える余裕はなかった。しかし、インフィニット・ワールドでは決して得られない体験は新鮮であり、それなりに充足した日々を送っていた。
イチョウ並木が色づく晩秋の秋葉原駅前で、柊は光の到着を待った。
街の幹線道路に沿ってひしめく個性的なショップ群は、クリスマス商戦の追い風に乗っていつもより輝きを増していた。そのメインストリートから一筋、二筋と遠ざかるにつれ、ある種の濃密度が上昇するのは21世紀初頭と変わることはない。この街はいくつもの世界が混在するような、そんな錯覚をいつの時代も抱かせる稀有なスポットであった。
「お待たせあまねっち!」
いつもの元気な声で駅前に現れた光は、ファーの付いた赤いダッフルコートに赤いベレー帽というクリスマスカラーで身を包んでいた。
「わぉ! サンタさんだ!」
「へへー、かわいいでしょ!」
「う、うん、ちょっと派手な気もするけど……いや、何でもないです……」
周囲を見渡した柊は、光のファッションがこの街ではむしろ控えめな方だと気づいた。
「今日は新作ゲーム4本をゲットします! あ、これ分担表です」
光の作成した表には場所と時間、特典内容や注意点の他、作品の魅力が所狭しとびっしり書き込まれていた。
『異次元』における『モノ語り』や、歴史やゲームに対する光の特異な熱量に接した柊は、21世紀と木佐貫一について語る自分を重ね、彼女に親近感を覚えていた。
「――僕のミッションは『戦国将棋Ⅶ―室町幕府の逆襲―』の足利義昭ポスターとボイスドラマDL券、それと『21世紀のチューリングテスト』のアラン・チューリング5世の専用電卓をゲットすることだね」
「そうです! 無事にゲットできたらここに集合です!」
「OKキサヌキ!」
「頼むぞ同志! 健闘を祈る!」
ふたりは各々の目標に向かって出発した。
ショップの前は既に特典待ちの人々で溢れ、時計を気にしながら開店を待っていた。
室町幕府最後の将軍、足利義昭が凛々しく将棋の駒を打つ巨大なポスターを眺めつつ、順番待ちの列に並んだ柊は、自分の番が来るまで並列世界の相違について思考した。
柊がインフィニット・ワールドで学んだ歴史によれば、2057年から2080年は『ネオ・グローバリズム』の時代と呼ばれていた。
2019年、COVIMS-19のパンデミック以降、脱グローバリズムに舵を切ったEUに対し、日本はアメリカと共に資本主義のアップデートを模索した。その新たな価値体系は『新資本主義』と呼ばれ、やがて日本がアメリカを抜いてこの陣営を導いていくことになる。
2057年、木佐貫一が誕生したこの年に世界は深刻な食糧危機に陥ったが、新資本主義陣営は実用化を目前に控えた人工光合成の成果により、この難局を最小限の被害で抑えることに成功した。
これに対し脱グローバリズム陣営は人命最優先の選択をした結果、逆に多くの死者を出し、経済も危機に陥った。彼らは必然的に新資本主義陣営の傘下に下り、そして呑み込まれていった。事実上の敗北であった。
こうして世界は一つの社会システムへ統合され、日本がけん引する『ネオ・グローバリズム』の時代が到来する。
それが柊の知る21世紀の歴史の一端であった。
ところが『特例モード』におけるこの期間は『ネオ・ルネッサンス』と呼ばれ、日本は全体主義化して世界の潮流から脱落していくという。
華々しい舞台の第一線で活躍し、シンギュラリティ到達を宣言した偉大なる科学者、木佐貫一がこの世界ではテロリストとして指名手配されている。
「お待たせしました。こちらが特典のポスターとDL券です」
並んでいたのは30分ほどであっただろうか。特典を受け取った柊は思考を続けながら、アラン・チューリング5世を捜索した。
この世界の木佐貫一はサイバーテロとバイオテロを起こしているが、それが原因となる死者はただの一人もカウントされていない。彼が目指したのは破壊活動ではなく、一種の抵抗運動ではなかったか。その行為だけを以てすれば彼はマッドサイエンティストに違いないが、決して悪である、とは言い切れない。『特例モード』のプレイヤーに提示されたメッセージ、『木佐貫黙示録』の言葉一つひとつに何かしらの意味があるのではないか。
柊は無意識的にこの時代の木佐貫一を肯定する理由を探していた。
思考がひと段落すると、目の前に大戦の功労者、アラン・チューリングの末裔が現れた。
「今回のアラチュー、最新のAI搭載とか言っちゃてるけどさ、公開情報少なすぎでイミフじゃね?」
「最新AIとか息巻いたところで開発はスコットランド。やっぱ日本にはハジメ博士が必要だよな」
特典を待つゲームファンの会話から察するに、この世界における日本の科学技術レベルはあまり芳しくなく、一部マニアの間では木佐貫待望論が囁かれているように柊には思えた。木佐貫一は過去の人間として消えたのではなく、救世主として復活するのだ、と。
『特例モード』を前向きに遂行するための、ポジティブな発想であることを理解しつつも、柊自身にとってのハッピーエンドを考えずにはいられなかった。
アラン・チューリング5世の専用電卓を入手するのに思いの外時間を要した柊は、急ぎ光との待ち合わせ場所へと向かった。
コンクリート塀に寄りかかりながら、購入したゲームソフト『21世紀のチューリングテスト』のパッケージデザインを眺めていた柊の前に、別ルートのミッションを終えたサンタクロースが帰還した。
「あまねっち乙です!」
「お疲れひかりん。はい、ふたつとも無事にゲットできたよ」
柊はかの世界大戦でドイツ軍の暗号解読に成功した天才数学者、アラン・チューリングに木佐貫一を重ねていた。その木佐貫は暗号のような命題をVRLプレイヤーに与えた。
柊は名残惜しそうに『アラン・チューリング5世の専用電卓』を光に手渡した。
「わーい! どうもです!」
「それにしても……この街は何だか不思議だね。シンギュラリティが目の前に迫っている、という感じがしない。なんだろ、このアナログ感。これって秋葉原だけなの?」
「うーん、確かにアキバは特殊だけど、まあ10年前まではファッショだったわけですから、この国。ちなみに日本のサブカルはガラパゴス・カルチャー、略してガラカルって言われてます」
「ガ、ガラカル……」
「アキバは世界でも人気のスポットだからね。ファッショ時代の渡航制限下でも世界から密かに訪れる強者がいた、という都市伝説もあるくらい唯一無二の街。いまだにCDも売ってるんだよ、中古だけど」
「CDって……あの伝説のコンパクト・ディスクってやつ!」
「さあ、ミッションは無事コンプリートされたので行きますよ! ディープなアキバへ!」
「わぉ! 待ってました! よろしく頼むよ!」
歴女であり、ゲーマーでもある大空光はこの世界をどう認識しているのだろうか。リアルとアンリアルの境目をどう捉えているのだろうか、彼女にとって歴史とは何なのか、柊は掴みどころのない浮遊感を持つ光の、その明るさの奥に潜む本質にも触れてみたい、そう思うようになっていた。
秋葉原のメインストリートのほぼ真下に存在するもう一つの秋葉原、それがUDAと呼ばれる『アンダーグラウンド・ダウンタウン・アキバ』であり、地上の一般商業施設とは対照的なディープスポットが点在する地下街であった。
UDAはネオ・ルネッサンス期の2064年、東京オリンピック開催に合わせた再開発の一環として誕生した。柊は今日までの間に一度だけこの怪しげな地下街に足を踏み入れたことがあったが、あまりに独特な空気に圧倒され、早々に地上へ退避してしまった。
「やっぱり、ここなんだね……」
「もちのろんですよ! UDAを知らずしてアキバを語るなかれ、ですからね!」
UDAは地上の区割りを模して造営され、通りや地名も元の名称にアンダーグラウンドのUを頭に冠し、対称性を保っていた。そして地上と地下のショップが対称的に描かれた立体地図は観光アイテムとして人気を博していた。
「さて、腹が減っては何とやら。まずは活動エネルギーを補充しましょう! じゃじゃーん、ここです!」
怪しさひしめく地下アキバ、UDAに軒を連ねる飲食店はどれも独特の個性を持ち、好奇心を刺激する。
「カフェ&バー『罪と罰』か。ここって地上の1階部分だと警察署になっているコンカフェだよね?」
「その通り! このビルは地上と地下が繋がってるんだけど、2階、3階って何があるか知ってる?」
「え、そうなの? 店の前を通っただけだからな……あ、でも何かお堅い感じの看板があったような……」
「この『罪と罰』さんは、1階が警察署、2階が弁護士事務所、3階が裁判所をモチーフにした飲食店。で、お客さんは何と容疑者!」
「やばいね。で、地下は?」
「ふふふ……それは入ってのお楽しみ!」
無機質な鉄扉のエントランスをくぐると、そこはまさに拘置所であり、取調室であった。
「止まれ! そこのお前カードは持っているか? あるなら出してもらおう」
店員のコスプレ警察官がカードの提示を要求する。
「はい! 今日は容疑者を連れてきたので取り調べをしてください!」
光は会員カードを提示し、複数あるサービスの中から一つを選択したようだ。
「ふむ。分かった。ではこちらへ参れ」
コスプレ警官はふたりを取調室風の席へ案内した後は奥へと立ち去り、入れ替わりでスーツにネクタイの店員が現れた。
「腹が減ってるだろ、好きなものを頼め。先は長いからな」
そう言ってメニューを差し出した。
「カツ丼牛乳セットをふたつお願いします! あ、いいよね? あまねっち」
光は嬉しそうにオーダーをした。
「あ、うん。お任せするよ」
手が込んだ内装と接客に感心していた柊は、ふと自分の職場である『異次元』を思い出し、そこがなぜ地上にあるのかを理解した。
「ね、面白いでしょう? ここは入店するときにカードを見せてどのサービスを受けたいか伝えるの。初めての人には簡単な説明があって、選択フロアに案内してくれる」
「へぇ……つまり、僕は何かしらの嫌疑をかけられた存在で、警察で話をするなら1階、逮捕後は拘置所の地下1階、起訴されたら2階の弁護士に相談して、3階で裁判が行われる、と」
「正解! さすがあまねっち。それぞれメニューも接客対応が違うから、好きな環境を楽しめるんだよね」
「……よく考えるもんだね」
インフィニット・ワールドでは犯罪が未然に防がれるため裁判も存在しない。柊らは義務教育によって人類史を学び、かつて存在した司法システムは歴史の1ページとして認識しているに過ぎない。
「ところで裁判で有罪になったらどうなっちゃうの?」
「へへへ……それはね……」
光が回答を述べようとすると料理が到着した。
「ほら、カツ丼と牛乳だ。それを食ったら洗いざらい話してもらう。あんまり親を泣かせるんじゃないぞ」
取り調べ担当の刑事はお決まりのセリフを残して去っていった。
「実はね、ここには地下2階があるのです!」
「わぉ! 秘密の地下室ってやつ? それもしかして刑務所とか……」
「ピンポーン! 正解! そこでは囚人のお食事が楽しめます」
カツ丼を頬張りながら、ふたりは仮想現実の遊戯について語り合った。
「どうだ、話す気になったか?」
コスプレ刑事が会計時に自白を促す。
「我々は無実です。やっていません!」
「そうか……では仕方がない、今日のところは釈放してやろう。次は吐かせてみせるからな!」
「へへへ、やれるものならな……」
光はうまく逃れることができた罪人のように演じていたが、どこから見ても善意の塊にしか見えないサンタクロースであった。柊が罪を認めた場合はどうなるのかと尋ねると、2階の弁護士事務所エリアを紹介されるのだと、光は嬉しそうに答えた。
ふたりはその後もUDAを散策し、20世紀を忠実に再現したゲームセンターやコスプレショップ、そしてアナログレコードやCDおよびその再生オーディオ機器を販売する専門店、旧時代の無線部品店、最新式のホログラムシステムを採用したライブハウスなどに足を運んだ。
その中で特に柊の興味を引いたのは、バーチャル・タイムトラベル・ランド、通称VTLと呼ばれるエリアであった。そこはVRの最先端技術を駆使したゲームセンターの一種である。
VTLには人型サイズの筐体がずらりと設置され、その中で仮想の時間遡行を楽しむことが可能であった。日本を始め世界を対象とした様々な時代のシナリオが用意されている。
インフィニット・ワールドのVRLといくつか類似点があるが、VTLは予め用意された項目から好きな年代と時間を指定し、ある一定の時間をリアルタイムに体験するという限定的なシステムであった。
例えば、桶狭間の合戦における織田軍勢の兵士の経験がしたい、というような、歴史のある瞬間に立ち会うことができる。当然、現時点での記憶を保持したままのプレイであり、身体は筐体の中にあるためゲーム内の時間と実時間は等しい。
このゲームは一般的な娯楽装置であるが、VRLの原型ともいえる発想があり、柊にとっては思わぬ収穫となった。
なお、行動の記録はセーブされ、継続プレイが可能となっている。
時刻は既に夜の8時に迫ろうとしていた。
「もうこんな時間か……」
「早いね……あ、今日はあれでしょ、未来の会議!」
「そう。今日が初会議。ところでひかりんはさ、本当のところ、僕たちのことをどう思ってるの?」
「え? どうって……未来人設定のこと?」
「そう、うーん、やっぱ設定……だよね……」
柊は苦笑した。
「私はですね、こんな風に見えても一応オトナですからね、えーっと、タイムマシンが現実にあるとは考えないよ。でも無いという証拠もない。何ていうんだろう、私的にあまねっちたちは一種のサバゲ―をしているんだと考えているのです」
「さばげー?」
「サバイバル・ゲーム。ふつうはモデルガンで打ち合う戦闘ごっこだけど、その新しい遊び方を模索しているのがあまねっち達なんじゃないかな、と」
「……なるほど、それは面白い考え方だね」
「だから私はそれについて聞かれなければ話さないし、普通にその設定を受け入れるし、あまねっち達がこのゲームに勝利できるよう応援するつもり。その遊び方が完成したら私も仲間に入れて欲しいかな」
「……分かった。ありがとう。勝利というかクリアしないとね。でないと死んじゃうみたいだし!」
「違いない!」
正体不明の自称未来人に対し、光はどうしたら肯定的に接することができるのかを考え、導き出した答えが『サバイバル・ゲーム』という設定であった。
柊は光の純粋な優しさに感謝した。
彼は光と別れた後、会議へ出席するために『異次元』へと向かった。