5. 21世紀生存会議
未来人のテーブルから一波が去ると、凪が現実的な問いを発した。
「キリモヤさん、確かこの端末には10万円分しかお金がないのよね?」
「はい」
「お金ですか……当たり前ですが僕は使ったことがないですね」
『通常モード』であればこのような悩みが生じることはない。なぜならVRLでは未来の記憶とは無関係にその時代を生きるからだ。
「この3年間を10万円で生きるなんて無理よね?」
「無理です。このドリンクが1杯3000円です」
「じゃあこの先お金が必要ってことね」
「ボクは食事を摂取しなくても問題ありませんが、凪さんと柊さんは必要と言えます」
「それならまず仕事を探さないと」
「そういえば凪さんは21世紀シナリオを一度クリアしているんですよね? ということはその記憶があるということですよね」
「ええ。もうこんな状況だし話してもいいかしら? 初期設定も含めて」
「……そうですね。特例モードですから」
21世紀シナリオをクリアしたという初期設定に、柊が興味を持たないはずはなかった。
「私がクリアしたときの初期設定はね、情報統制された国の貧しい家に生まれること」
「え?」
敢えて不遇な環境を設定するプレイヤーはほとんどいない。
「私の解釈では自殺という行為に至らない環境とは何かを考えた。私は、それは真実から遠ざかること、つまり21世紀という時代を観測できる環境から遠ざかることだと仮定した」
「でも貧しい生活って、それだけで自殺リスクが高いんじゃ……」
「柊くん、それは勉強不足ね。貧しいほどその日を生きることに必死なのよ。だから基本的に自ら命は絶たない。そして表現の自由が認められている国であれば21世紀を知ることになる。私はこの21世紀の真実に触れてしまう環境にあると自殺を免れないのでは、と考えた。無論、全ては推測でしかないから、自殺とは関係のない理由でバッドエンドになっている可能性も否定できないけど」
「なるほど……」
天才の考えることは凡人には分からない。それを思い知らされた柊であった。
「つまり、私はクリアしたけど情報統制された国家で生き、そして死んだ。だから大空光や一波鋭が話したもう一つの歴史を知ることもなかった。何も知らない人生を送ったから、クリアできたのだと思う」
「……それは、確かにすっきりしない終わり方ですね」
「さ、まずは仕事を探しましょう。生きるためには労働をするしかない。私はVRLで多くの体験をしているからどうとでもできるけど、いきなり特例モードとやらに放り込まれた柊くんには少々敷居が高いかもしれないわね……」
「大丈夫ですよ、多分。そういった文化的な意味も含めて21世紀が好きなんだと思いますし」
やや自信のない回答であったが、好奇心が先立つ不安を抑え込んだ。
「凪さん、柊さん、住居はどうしましょう。ボクは入浴も睡眠も必要ありませんが」
ホムンクルスの面目躍如である。
「…………」
「…………」
インフィニット・ワールドにおいて人が生きるために必要な衣食住は、意識に上ることなく用意されている。それがいかに尊いことであるかを、凪も柊も改めて考えることとなった。
「とりあえずどこかホテルでも探すわよ。やっかいなのは私たちの知る歴史とはちょっと違うってとこね。しばらくは私が面倒みるから大丈夫よ、柊君」
VRLのクリア経験を持たず、『回想モード』初にして『特例モード』という難解な世界に放り込まれた柊に、百戦錬磨の凪は少なからず同情していた。
「住む場所を借りるとか、仕事を探すとか、普通に暮らす人のことなんてそんなに深く考えたことはなかったです。僕はこの時代の光の部分しか見ていなかったんですね……」
柊が嘆き節を口にすると、歴女の大空光が追加オーダーを聞きにやってきた。
「あれれ? 柊さん、今私のこと呼びました?」
「え? ……ああ、光さんだったっけ、君の名前」
「追加オーダーどうします? お腹とか空いてません?」
「ねえ、光ちゃん、このお店ってスタッフ募集なんてしてるかしら」
早速アシストを開始する凪。
「え? はい! 絶賛キッチン募集中です! もしかして凪さん、バイト希望なんですか?」
「いえ、私じゃなくて、柊君とかどうかなって?」
「え? 僕ですか?」
「いいじゃない、このお店、柊君にぴったりだと思うけど」
「いや、ちょ……だって僕料理なんて作ったことないですよ」
「あ、未経験者オーケーですから問題ないですよ! 面接します?」
「お願いするわ。あと、不動産屋さんってこの近くにあるかしら」
柊の意思などお構いなしに凪は事を進めていく。
「お部屋探しですか? それなら私の母が不動産をやっていますので是非利用してやってください! いい物件紹介できますよ!」
「本当? なんて偶然。ありがとう。そうしてくれると助かるわ」
「承知でーす! あ、追加オーダー、どうします?」
「そうね……じゃあ、この『日本刀スティック』と『戦艦大和の舟盛り』をお願い」
「渋いチョイスですね! 承知です! ありがとうございまーす!」
即断即決が信条の凪采配を、ただ呆然と見守るしかない初心者ライフ・ツーリストの柊周であった。