1. マジョリティの魔女
100,000,000 いいねで世界征服!
魔女はスマホを片手に、「よく聞きたまえ」と机の上に立った。
外では星空に三日月が笑っていて、開けっ放しの教室の窓際で冷たい風にカーテンが踊る、静かだが不思議と高揚感のある夜だった。
「“数” とは力だ」
と、魔女は言った。
僕は床にへたり込んで彼女を見上げていた。
もう少し頭を低くすればスカートの中身まで見えてしまいそうで、あらゆる意味でごくりと唾をのんだ。
「お前がちんちくりんの時、『道徳に正解は無い』なんて馬鹿な教師がほざいたかもしれないが、誠に残念ながら何事も、この世の正解は全て “数” によって定められてしまう。例えば、お前一人がある個人を悪と断じても、他多数がソイツを善とする限り、それは他多数が正解なのだ。他多数が常識なのだ。他多数がこの世の理なのだ」
「理不尽な世の中ですね」
よく分からないが、感じたままに相槌を打った。
「つまりは青年、”数” とは何よりも強大な力だ。空間も時間も道理もなにもかも、捻じ曲げてしまうほどの力だ。ではその力の根源はどこにあると思うかね?」
魔女は僕の回答を待たずに、コインローファーの底で机をダンッと踏み鳴らした。スカートの裾がひらりと揺れて、黒いタイツがぬらりと光った。
「…… “共感” だ。或いは “感動” かもしれない。とにかくそれらは “数” へと変わり、空想をも現実化する力となる」
彼女は猫のように静かに、優雅に机の上から飛び降りた。
彼女はスカートの下に体操着を履いていたから、パンツは見えなかった。僕の良心はほっと息を吐いたが、僕の悪心は小さく舌打ちした。
「私は、“数” を魔力に願いを叶える魔法の使い手、—— “大多数の魔女” だ」
こちらへ向けられたスマホには、SNSのホーム画面が映し出されている。
フォロー数ゼロ、フォロワー数ゼロ、卵型の顔なしアイコンが世界へ向けてつい先ほど発信した一文はこうだ。
〈100,000,000 いいねで世界征服します!〉
魔女は口角を吊り上げて、綺麗な顔を不気味に歪めた。勝ち誇ったように胸を逸らす彼女は、細めた両目で僕を見下している。
「どうだ、恐れ入ったか? 震え上がったろう? ——青年。条件が満たされれば即この世界は私の手に堕ちる」
「いや、無理だと思います」
僕は魔女にはっきりとそう言った。
「は? 何故だ。私がいまこれを書いたのは天下無双のSNSだぞ。書けば皆んながこれを見て、『面白い!』と共感の嵐に渦巻かれに巻かれ、世界中の人間どもがハートマークのボタンを押す。五分も経てば一億というトンデモ魔力——すなわち『いいね』が集まるだろう。そうなれば、ここに書かれている世界征服など容易く実現する」
「いやいや、だってフォロワー数ゼロでしょう? ならそもそもあなたのツブヤキを見てる人は世界中のどこにもいないようなもんですよ」
「え? けどツブヤキって、世界中の誰の目にも留まるわけだよな?」
魔女はスマホの画面を見ながらあからさまに狼狽し出した。眉を八の字に曲げて、首を傾げながら必死に画面を弄っている。上から下に画面をなぞっているから、多分、いいねの数がいつまで経ってもゼロから動かないことを不思議に思っているのだろう。
「そりゃあ、世界中の誰でもあなたのツブヤキを見ようと思えば見れますけど、問題は見ようと思うかどうかです。いくらでも情報が手に入るからって、誰もSNSの投稿を片端から全部なんて見ませんよ。自分の興味あることしか、人間は目を向けないんですから。だからまず、興味を持ってもらうことから始めないとだめです。アイコンを可愛くして、ヘッダーと自己紹介文も興味を惹くものに。自分から何人かフォローしに行ってみるのも、他人に自分を見てもらうとっかかりとしては有効で、……」
思わず偉そうに口を動かしてしまった、と反省ながら魔女を見遣れば、彼女は呆然と目を丸くして僕を見ていた。
「何者だお前」
「へ、一介の男子高校生ですけど」
「一介の男子高校生のくせに、なぜそんなにもSNSのことを熟知している? 魔術の媒介にする訳でもないのに」
「SNSを魔術の媒介にしてる人なんて、逆にはじめて聞きましたよ」
「ふふん、まぁな。私が編み出したから!」
誇らしげに鼻の下を掻く魔女に、「SNSはそもそも、魔術の媒介に使うものじゃないでしょ」と返し、僕は自分の制服についた埃を払いながら立ち上がり、彼女と対峙する。同じ床の上に並んでみると、僕の方が少しだけ背が高い。
「誰かに認めてもらいたいって承認欲求を満たすための場所ですよ、あれは」
「お前、随分とSNSに詳しいな。使っているのか?」
「そりゃあ、まぁ」
「何に使ってるんだ? お前は『承認欲求を満たすための場所』と言ったが、なぜわざわざSNSを使う? 他にいくらでも方法はあるだろう」
「……手っ取り早いし、認められてるって分かりやすいじゃないですか」
「『いいね』がもらえるのと認められるのとは、同義なのか?」
「……僕にとっては、同じようなもんです」
魔女はしばらく僕の言葉について黙って考えていたが、やがて「もう一ついいか?」と尋ねてきた。
僕はもうこの教室でやりたいことはやったし、警備の人に見つかる前にとっとと去りたいのだけれど、今日ここで見たことを口外するなと彼女に念押しする必要もあったから、ひとまず彼女に「どうぞ」と返し、質問に応じてやることにした。
「お前、一介の男子高校生のくせに、どうしてツインテールで女子用のセーラー服を身につけているんだ?」
僕は怪訝な顔をする彼女に対してため息を吐き、それから彼女のスマホを指差した。
「SNSの使い方、とりあえずフォロワーがある程度増えるまで教えてあげますから……今日ここで僕と会ったことと、僕がやっていたことは忘れてください」
「……ふん、魔女相手に取引とは、良い度胸だ。良いだろう」
魔女はスマホの画面をまた弄って、新しいツブヤキを僕に突き付けた。
〈1いいね & フォロワー5人達成で30分前から現時刻までの記憶消去!〉
重々しく取引なんて言った割には、随分と軽々しく、加えて馬鹿馬鹿しい文字が並んでいる。
「ほれ、ハートのボタンを押せ」
「自分で押せばいいじゃないですか」
「押す人物が重要なのだ。お前がお前の意思で押さねば魔力にならん」
「アカウントはあなたのですけど」
「それはそれ、これはこれ。良いから押せ。ここに書かれている条件が達成されれば魔力が十分に溜まり、お前の結構可愛らしい女装姿はバッチリ私の頭の中から消え去る」
「……ほんとに?」
「本当だ。私は嘘をつかない」
やけに真っ直ぐに僕を見つける魔女に怪訝な目を向けつつも、僕は彼女のスマホに表示されたツブヤキのハートマークをタップした。
白い空っぽのハートが真っ赤に満たされて、『1いいね』の表示がツブヤキに付加される。
魔女は世界征服への第一歩を、まさに僕の手によって始めたのだった。
「さて、では早速だが、青年、フォロワーというのは察するに、私のツブヤキを常時監視している人間ということだな?」
「そうですね」
「つまりフォロワー数が多ければ、いいねの数も集まりやすい訳だな。このフォロワーを増やすには、どうすれば良い?」
「とりあえずここ、出ませんか。そろそろ警備員来ちゃうんで」
「逃げる気か?」
「逃げますよ。立ち入り禁止の夜の学校で男女二人きり、なんて姿見られたら、あらぬ誤解を生みそうじゃないですか」
「お前は女性との格好をしているのだから、問題無いだろう」
「むしろありますよ。立ち入り禁止の夜の学校で女装男と女子二人きり、なんて姿見られたら、どんな手の込んだプレイかと思われそうじゃないですか」
「そういうもんか」
「そういうもんです」
僕は教室の人影と足音がないことを確認し、魔女を連れて廊下へ出た。
「懐中電灯を持ってないのか」
「一応小型のがありますけど、点けたら見つかりやすいでしょ」
「やけに慣れているな。お前は良くこうして学校に忍び込んでいるのか?」
「まぁ」
「ふぅん、なぜだ」
「教えません」
「夜な夜な呪いの儀式でもやっているのか?」
「そういうことにしときます」
階段を降りて、昇降口を内側から開いて出る。
行く先に警備員が回ってきていないか確認し、僕と魔女は裏門から学校を脱出した。思わず安堵の息がこぼれる。
今回は予定外の乱入があって驚いたものの、なんとかミッション達成だ。あとは帰ってブツを加工し、SNSに流すのみ。
さて、問題は魔女だ。
彼女との取引を、とっとと済ませてしまおう。
魔法なんて信じちゃいないが、今日のことを見なかったことにするという約束は守ってくれそうだ。
「じゃあそれ、やりましょう」
僕は彼女のスマホを指差した。
「とりあえずアイコンの写真を変えましょうか」
「ふむ、どんな写真にすればフォロワーは集まる?」
「大抵スカートから除く太腿とか胸元とか見せとけば馬鹿な男が食いついてフォローしにきますよ」
怪しいアカウントまっしぐらだが、僕は彼女のフォロワーを五人にすれば良いのだから、手段は選ばない。
「胸元かぁ」
と彼女が見下ろす先にはささやかな膨らみしかなかった。
「……別に、怖くないなら自分の顔でも良いし、とにかく初期アイコンから変えればそれで良いです」
「では、人が集まりやすいよう魔法陣にしておこう」
魔女はポケットから小さなチョークを取り出して、コンクリートにそれっぽい図形を描いた。それをカメラで撮影し、アイコンではなくヘッダーに設定。厨二アカウントの人がフォローしてくれるかもしれないし、まぁ良しとしよう。
「じゃあプロフィールを書きましょう」
「プロフィール……〈大多数の魔女です〉とかで良いのか?」
うーん、もうこれはイタいアカウントとして名を馳せていくしかあるまい。
「貸してください」
僕は彼女の手からスマホを奪い取って、できるだけ多くの人が食いつきそうな文面を考えた。このアイコンで魔女だと名乗るなら、もう魔女をテーマにアカウントを作り上げてしまおう。
プロフィールに重要なのは、ツブヤキのテーマとそれを見るメリットを相手に伝えることだ。この魔女が供給できるものを晒して、需要と結びつける。厨二心をくすぐる内容にしておけばそれこそ中学生とか食いつくんじゃないか? 女子高生というだけで釣れるやつもいるだろうし。
〈みんなの魔女JK / いいねとRTが魔力です/ フォロワーの願いも叶えちゃいます〉
ひとまずこれだけでも、面白半分でフォローしてくるやつはいるだろう。
僕は徐に魔女にカメラを向けてフラッシュを焚いた。彼女は咄嗟に目を閉じ腕で顔を覆ったが、写っている鼻と口元だけでも顔が整っているのはわかるので良しとして、その写真をアイコンに設定した。
「あとは、魔術だの魔女だのオカルトだので検索かけて、趣味が合いそうな人を出来るだけたくさんフォローするだけです」
「そうすればフォロワーは5人になるのか?」
「まぁ、5人ならすぐだと思いますよ」
「なるほどな」
魔女にスマホを渡すと、彼女は早速検索とフォローを繰り返して、フォロー数を増やしていた。
「青年、お前のアカウントは無いのか?」
「…………あっても教えないです」
「なぜだ。承認欲求を満たす手伝いをしてやろうというのに」
「正体知ってる人にフォローされるとか羞恥の極みなんでやめてください」
「そういうもんか」
「そういうもんです」
彼女が熱心にスマホを弄っていて、手持ち無沙汰になってしまったので、僕はひとまず自分のを取り出してSNSを確認した。
最近伸び悩んでいるフォロワー数、今日撮ったやつで挽回できると良いけど、なんて考えていたら、フォロワーが昨日より数人増えていた。
ほくそ笑みつつ誰にフォローされたのか確認したら、見たことのあるアカウントがそこにいた。
たった今、僕が作った彼女のアカウントだった。
特定早すぎだろ! と焦っていたが、どうやら『魔女』と検索した時に僕のハロウィンの魔女コスプレの画像が引っかかり、そこからフォローにきたようだった。
本人はギリギリ、それが僕だと気づいてはいないようだ。
バレる前にとっとと退散しよう。
「じゃあ、僕は帰るんで。約束破ってこのこと口外したら許しませんからね」
「問題ないと言っとるだろう。フォロワーが五人に達すれば、お前と教室にいた時の記憶は綺麗さっぱり消える」
この人、本気で自分は魔女だと思い込んでいるのだろうか。
まぁ、約束を破るような人には見えないし、信用して問題ないだろう。
そう考えて歩き出したところで、「はて?」と背後から首を捻るような声が聞こえた。
「なぜ私はお前にSNSのレクチャーを受けているのだったか?」
「…………世界征服のためでは?」
後ろに向けて声を投げたら、「おお、そうかもしれん」と彼女は手を打った。
「また頼むぞ」
と、続けて魔女は僕の背にそう言った。
女子高生なのにもうボケてるのか?
呆れながら、何気なく彼女のアカウントを確認してみると、フォロワーは既に六人になっていた。
ごっこ遊びが得意なんだな、なんて馬鹿馬鹿しくなりながら、僕はぼんやりと彼女のアカウントページを眺めながら、電灯の下をいくつもくぐって帰路を辿った。
今日起きたことになんとなく現実味がなくて、ふわふわと不思議な心地のまま、僕の指は彼女のヘッダーの魔法陣に惹かれでもするように、魔女のアカウントをフォローした。
彼女が世界征服を終えるまで、果たしてあと何年かかるだろう。