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恋花

セーターの足跡

作者: 第六感


竹田は自室でセーターを眺めていた。クーラーの効いた涼しい部屋で頭と手足をいたずらに冷やしていた。編み目が縦に入ったセンスのいい衣服で、竹田の好みにちょうど合致する。しかし彼はこれを自ら着用するのではない。そもそもこれは女性用である。正しくはユニセックスの製品だったが少なくとも彼はこれを美しい女性が着こなすべきものと信じ疑わなかったために、やはり竹田がこれを着ることはない。タオルを巻きつけたハンガーに掛け保管している。


これは忘れ物であった。健康\スポーツの授業後に体育館にポツリと落ちたセーターを拾い上げたのだ。時間割上ほぼ構内に人のいない時間の更に後片付け当番の後のことであった。持ち主が帰宅してしまったことはまず間違いない時間だ。持ち主の特定は容易であった。 なぜなら舘さんは今日そのセーターを着て授業を受けていたからだ。これを竹田も知っていた。


衣服にはタグが付いている物だが、ここに『舘 2019/5/14~』と書かれてもいた。低温手洗いと乾燥機不使用を要求する文を覆い隠す大きさである。これを見れば一発で同じクラスのあの子のものだ、と理解できる。しかし彼はこれを発見せずそのままカーテンレールにハンガーを吊るした。


竹田がこの衣類を観測した始めは少し以前のことである。おろしたての日を見た訳ではないが、その近辺であっただろう。女子は新品の服を人前で着ない。一度袖を通して慣らすのだ。このセーターも世の新品の服と同じ運命を辿っている。


竹田はその服に目を奪われていた。美人に縦セーターは鬼に金棒である、と。


「女っぽくて最高だったんだ。その日はついチラチラ見ちゃったよ」


彼は女癖の悪い友人にそんなことを語ったことがある。


「イロイロいたろ? そういう美少女! マジであんな感じ」


サッカー好きの友人にもそう言った。


しかし二人きりで頻繁に出かける親友にこれを語ったことはない。また日頃学内でつるむ十人の仲間にも言ったこともない。ただし、


「舘さんって美人かな?」


と呟いたことをホスト風の友人は記憶していた。外見とは裏腹の真面目な性格の彼にはそれを深追いしない道徳が備わっている。そのうち十人グループの童貞が最後の一人を残すだけになることを予感し痛快に笑っただけである。こう答えた。


「そんなでもなくない?」


あっさりと。友への憐憫は何よりも硬い殻の下に隠せ。噛み締めれば味の深い殻の下に。彼は友人の卑屈さを知っている。片隅の恋を希望するならば与えるべきだと考えた。


もっとも、竹田の受け止め方が異なるのは人間のコミュニケーション上しょうがないことだろう。


「意外に見る目がないヤツらだ」


と、こう捉えた。何はともあれ、竹田はそのセーターに一度目を奪われていた。


よって見まごうはずもなくカーテンレールの上でクーラーの冷気に時折揺れる衣服は舘さんのもので間違いないと、彼は確信している。寝床にて彼は設定温度を上げ横になった。風量もリモコンの『ひかえめ』を押し込みハンガーが揺れるカタンカタンという音をやめさせた。


規則正しい音は眠りを誘うことがある。少し日頃より早い就寝に至った理由はその音が原因かもしれない。今竹田が消したその音が、余計にキーンとしたうるさい静かさを際立たせた。目を閉じると落し主の顔を思い描いてしまったに違いない。グッと顔をしかめ鼻にシワを寄せた。


彼は容姿に惹かれる恋愛を好まなかった。それを肉欲と断じるのが常であった。性格を真剣に吟味することを好む。舘の内面を知る機会はかつて一度だけあった。一月前バレーボールのチーム組みが偶然彼と同じになったのである。本人は何を話し何を聞いたか覚えていない。それほど強烈な偶然であったのだ。ハイテンションで、早口で、好意は押し殺して会話を交わした。それはどれほど甘美かしれぬ。恋に落ちるべきタイミングを設定されたようなものだ。我々は容姿に惹かれた時点ですでに罹患していると認識しているが本人は内面が全ての筈だった。この手の拘束力は強いもので記憶の改竄などお手の物だ。


ゴンッ。


リモコンが床に落ちた。竹田が伸びをした拍子に落とした。左手が、さっきまで置いていた場所の直下を探り、空を切る。のそのそと起き上がった彼は緩慢にリモコンを捕まえ上げ 元の位置に寝かしつけたから。


その時体育館に落ちていたセーターはちょっぴりホコリや髪の毛に汚れていた。一度踏まれている。一度乱暴に表面をはたかれてもいた。しかしそれで取れる汚ればかりではない。ぐしゃぐしゃの布をちゃんと払おうと手を伸ばして、気づいた。


「綺麗なんだよなあ」


持ち上げて首元を持って広げて布の後ろに手を当てて縫い目の方向に汚れを払おう。とても具体的にイメージを固めていたはずの彼は、別の事実に心を奪われた。

竹田は母の洗濯を手伝うことなどしなかった。ましてや、女性物の衣類がどう形状を保つのか知らない。だが今その理解は不要だった。衣服がきっちり畳まれていたことに気づいて、


(綺麗なんだよなあ)


とだけ思った。気づけば彼はそれを胸の中に搔き抱いていた。埃も構わず、いっそその汚れを自分が引き受けられればいいとさえ祈っていた、暗い体育館の中で。




セーターは彼を二度魅了した。






竹田は返す前に一度だけ、セーターをもう一度だけ見た。それは翌朝のことになった。返すにあたって清潔めの紙袋に入れていつも水曜日の一限に舘が座る席に置いておこうと考えた。畳み方を再現しようと試みもせず彼の母に頼んで畳み方を教わっていた。竹田がこれを自ら手渡しすることはない。


一週間前、舘はこのセーターで花火大会の夜を歩いていた。竹田はバイト帰りの夜を歩く最中、舘に気づいた。舘と、その隣に見覚えのない男を見た。


「やっぱり俺は合ってたな」


と呟いて少し遠回りをして帰った。母に帰りを心配させてしまう少し遠い少し塩辛い遠回りだった。


セーターは石鹸が入っていた紙袋に入れられた。女性率が高い彼らのクラスでは竹田が置いたと悟られにくい。開門時間登校の末に予定通りの場所に紙袋は据えられた。いつもどおりの竹田登校時間まで時間は四十分あった。竹田は構内を一旦出て、二十分もしないうちに戻ってきた。友人と定番の席を陣取る。クラスメートはそこそこ揃いつつありいつもより早い竹田の登校など気にするはずもない。


舘のセーターは持ち主の元に戻っていた。彼女はいつもより早く登校し、教室・更衣室・体育館でそれを探す予定であった。しかしそれは教室の机の上にポツンと載っていて。彼女は友人が昨日のうちに今日使うこの教室に置いておいてくれた、と解釈した。


「見つかった〜」


無くしたーと声をかけた三人に連絡を取っているうちに始業時間が迫る。紙袋からセーターを取り出す。ばさり、と広げた。


彼女はセーターを、いつもの形に、畳んだ。


Fin

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