無意味
指輪を外すのを見ても、
キスしてもわたしの心は揺れ動かない。
彼に奥さんがいるのを知ったのは、
出会って3度目の夜だった。
「いつ、結婚したの」
ぼーっと彼がスマホを見ているのを眺めながら尋ねた。
スマホから顔を上げた彼がこちらをチラリと見た。
「3年前」
黒いTシャツから覗く鎖骨は骨張っていて、肩幅が広く、しっかりとした筋肉がついている。
長めに伸ばした前髪をサイドに分けて、覗く切長の目は、まるで野性のコヨーテ。
深い深い闇の色をした声に、惑わされてばかりだ。
「へー、奥さんに気づかれないの」
こんなことして、て。
節の目立つ指で頬を撫でながら呟いた。
コヨーテは目を半月型に歪める。
「気づいてないよ」
自信に満ちている。
こんな遊びには慣れているんだな、とぼんやりと思う。
わたしの肩まで緩く伸びた髪が、そっとマットレスにつく。
押し倒されたのだとまたぼーっと考える。
これから始まる行為の意味を考えたって無意味だ。
「気づかないといいね」
誰のために?
自分のため、彼のため、彼の奥さんのため。
頭の中でぐるぐるとどうでもいい選択肢が流れる。
生暖かい息が首元にかかる。
ばかみたいな行為が始まる。
わたしがわたしを失うための、彼が何かを得るための、無意味な罪を作る行為。
こんなことしたって何にもならないのはよくわかっていた。
彼の心が手に入るわけでも、未来が見えるわけでも、何もそこにはない。
それでもわたしがこの関係を切れないのは、彼のことを愛しているからでもなんでもないのだ。
知りたいんだ、無意味だって。
いくらこんな行為を繰り返しても、
わたしは消費されないって。
何の思いも消えないって。
画面を下にして置かれたピンクゴールドのスマホの通知画面にはきっとなにも表示されない。
わたしがこの夜を終えた時にはじめて、寝てたって文字が現れるのだ。
ばかみたい。
ばかみたい。
本当にただの道化でしかない。
自分のものでない男を思いながら、
誰かのものである男に抱かれるんだ。
冷たかったシーツが、熱を帯びてきて、わたしの背中に張り付く。
ふしばった指は、意思を持って、わたしの肌の上を動き始めた。
白い天井を、視界から消すために瞼をゆっくりと下げる。
わたしの脳裏に写った、短い前髪の男をまた消すために強く強く瞼に力を入れた。
既読のつかないLINEも、
彼が休みの日の夜に誰と会ってるのかも、
何をしてるのかも、
なんでかなんて、全部聞く権利なんてない立場にしかわたしはいない。
無意味だと知りたいんだ。
どうでもいい男に抱かれるなんて、
息をするのとかわらないって。
だからねぇ、どうでもいい女を一度でも抱いてよ。
他の女を抱くのと同じように。
あの優しい声が何度も脳裏で反響する。
そのたび、今目の前にいる男の荒い息を耳から吸収していく。
全部無意味だとわたしが、
わたし自身で証明してみせるから。
せめてあなたにとって、意味のあるわたしでいたかった。