禁断の箱
街角の公衆トイレの前に薄汚れた男性が座り込んでいる。
この世からはじき出されてそこにいるように、ボロ布を纏って黄ばみがかった白いタイルの上に体を置いている。
70ぐらいのおじいさんのようにも、実はもっと若いようにも見える。古いタオルも新しいタオルも雑巾におろしたら同じに見えるように年齢がさっぱりわからない。
誰も見て見ぬふりをして通り過ぎたが、やがて通りかかった1人の若い女性が足を止めた。
女性は膝に両手をついて、男性をまじまじと見つめる。
相手が小綺麗なひとだったら失礼なくらいに。
男性はモゴモゴと小さな声で、同じ言葉を繰り返していた。
「めぐみ……」
「めぐみ……」
「めぐみ……」
「めぐみ……」と。
「かわいそう」
女性は言った。
「めぐみさんって、娘さんの名前ですか?」
すると男性は言った。
「めぐみ……」
「それとも奥さん?」
女性は深い同情の色を顔に浮かべる。
「死に別れたんですか? それとも……」
「うるせーよ!」
男性が元気な声を発した。
「おめぐみくださいっつってんだよ! 金だよ、金! お情けなんかいらねーんだよ! さっさと金をめぐみやがれ!」
「あ、そうだったんだ?」
女性はにっこり笑った。
「じゃ、今、手持ちのお金がないので、この禁断の箱を開けましょう」
女性の手にはいつの間にか、白と金で飾られた小さな木製の箱があった。
「き、禁断だと……?」
男性はそのいかにもやばそうな言葉を聞いてたじろいだ。
「それを開けたらどうなるの?」
「この世からお金が消えてなくなります」
「やめろ!」
男性は慌てて叫んだ。
「金は俺の生き甲斐なんだ! 消さないでくれ!」
「正確には世界中の人の頭の中からお金がなくなります」
「え?」
「みんなお金とは何だったのかを忘れてしまって、なんでこんな丸い金属や紙きれがカバンに入ってるんだろう? と不思議がり、みんながそれをゴミ箱に捨てるでしょう」
「ぜひ開けてくれ!」
男性は笑顔になり、叫んだ。
「ゴミ箱の中のものは俺のもんだ! 全部俺のもんだ! 早くその箱を開けてくれ!」
「では、開けましょう」
女性は禁断の箱を開けた。
オルゴールの音楽が小さく流れ出した。
それ以外は何も起こらなかった。
「か、金がこの世から消えてなくなったのか? これで」
男性は辺りをきょろきょろと見回した。
向かいのコンビニから買い物袋を下げたカップルが出て来た。その会話が聞こえて来る。
「今月、お金、ピンチだねー」
「大切に使わないとなー」
財布を大事そうにポケットにしまった。
「なくなってねーじゃねーか!」
そう言いながら男性が振り返ると、女性はベロベロバーをしながら逃げていくところだった。
「騙された!」
男性は周囲の人たちに向かって声を上げた。
「あの女に騙された! 詐欺だ! あの女、詐欺師だ! 誰か捕まえてくれ!」
しかし誰も男性の言葉に耳を貸すものはいなかった。まるで本当に聞こえていないかのようだ。
禁断の箱を開けたことで、彼の存在がみんなの頭の中から消えてしまったのかもしれなかった。
問1)
この話の教訓は何か。15文字以内で答えよ。
【答え】 (注目点)男性がみんなの頭の中から消えるまでもなく元々誰もからスルーされていたこと、
お金の概念がなくなったら男性にとってもお金は無価値なものになってしまうこと、
女性が禁断の箱を使う神様みたいな存在だと男性がなぜあっさりと信じたのか、
大体にして作者は元々何かの教訓を込めてこれを書いたのか、
もしかしたら単にかまってほしくて問題として提出しただけなのではないか……
以上のことを踏まえて考えると、正解はつまり、
「なんでもいい」ということになる。何と答えても作者は「正解!^_^」と答えていたのである。
強いて教訓があるとすれば「正解など人それぞれ」「っていうかお話に必ずしも教訓なんてない」ということであろうか。
ちゃんちゃん