ユラユラ
初めて投稿させていただきます。
都市伝説である『クネクネ』から発想し、書いてみました。
みなさんは、『クネクネ』という都市伝説を知っているだろうか。
インターネットの掲示板から広まった怪奇現象で、クネクネと踊るような動きの白い物体を見ると、気が狂ってしまうというお話だ。
この話は有名なので、知っている人もいるかと思う。これから私が話すのは、有名ではないし、クネクネみたいに害のあるものでもない。おそらく。
ただ、思い返して考えると、気分が悪くなる。そんな不思議な話だ。
それは、『ユラユラ』と呼ばれていた。
***
十数年ほど前の小学生の時、私は親の仕事の都合で、1年ほど田舎の農村で過ごしたことがあった。近隣の町から車で一時間もかかるような、山と畑に囲まれた村だった。まるで時代に取り残されたような、今思い返しても不思議な雰囲気の漂う場所だった。
幸い私は友達もでき、平穏な毎日を過ごすことができたが、一つ不思議な言いつけを村の大人から伝えられていた。
「『ユラユラ』を見かけても、絶対に近づいてはいけないよ」
ユラユラは、その村の古くからの伝承で、煙のような、しかし煙ではない、白いユラユラと揺れるものである。大きさは一定ではないが人間くらいで、一箇所から動かず、ただ揺れているだけ。見ても発狂するようなこともなければ、近づいてきて襲い掛かってくるようなこともない。ただその場で、ユラユラと揺れているだけの無害な何かなのだ。
では、何故近づいてはいけないのか。
「ユラユラは守り神みたいなもので、決まって危険な場所に現れる。だから、ユラユラが出ている場所自体が危ないから、絶対に近づいてはいけないんだ」
過去には実際に事件や事故があったらしく、例えば川辺にユラユラが現れた時は、数日後にその場所を確認すると、足場が崩れ滑りやすくなっており、近くに水死体が浮かんでいたという。
またある時は、納屋の屋根にユラユラが現れ、消えた後にその納屋を調べると、崩れた農具の下敷きになった、家主の遺体が発見されたという。調べると、農具を固定していた金具が壊れていたそうだ。
いずれの場合も、ユラユラに興味本位だったり、もしくは気にせずに近づいた者たちが、危険に巻き込まれ犠牲になったのだという。このような話を、躾のためかいくつも聞かされた。
まだ幼い私は怖くなり、最初は外を出歩くときは俯いて、周りの景色を見ないように気をつけていた。万が一でも、ユラユラが見えてしまわないように。
しかし、日に日に恐怖も薄れ、気づけば友達と遊び歩くことも増えていったのだった。
そんな田舎での生活も残り半月となったあの秋の日、それは起きたのだった。
***
学校からの帰り道、当時の友達のユカちゃんと、収穫を待つ作物で染まった畑のあぜ道をブラブラと歩いていた。
「再来週に引っ越すんしょ? 寂しくなるなぁ」
「お手紙書くし、夏休みになったら遊びにも来れると思うよ」
他愛もない話をしながらの、いつもの帰り道。そんな日常を、私の視界に入ったあるものが崩していった。
「次来るときは川釣りもっと……あれ?」
「シオちゃんどしたん?」
「ユカちゃん、あれ……」
私は、畑の中に見えるそれを指差した。
白く細長い、だが存在感を放つ、静かに揺れるそれを。
「え、あれ、ユラユラかな……初めて見た……」
「本当にいるんだ……」
私の目に映るそれは、何度も言い聞かされた、まさにユラユラそのものであった。
初めて目にする異質なそれに、私とユカちゃんは恐怖と、妙な高揚感を感じつつ、釘付けになっていた。
「でもあっこ、畑のど真ん中よね? 危ないものなんてあるんかな?」
「確かに、何もなさそうなところよね」
ユラユラが漂うその場所は、広大な畑の中であった。伸びた作物に隠れてユラユラの足元、と言っていいのかわからないが、そこはちょうど見えなくなっていた。
「ユラユラは危ない場所に出るって言うけど、あんな場所だとなんだろね? 見に行ってみる?」
「……いや、やめておこう? 気味悪いし、本当に危ない場所に出るなら、誰かに言ったほうがいいかも」
「それもそっかー、でもなー……うわ!? シオちゃん!?」
好奇心が湧き始めたユカちゃんの手を引っ張り、私はその場から早足で立ち去った。悪寒というのだろうか、妙に嫌な感覚が身体を駆け巡ったのだ。
その場を立ち去ってからしばらくして、偶然すれ違った村のおじさんに、ユラユラのことを話した。すると、おじさんは少し青ざめた顔をした。
「わかった、おじさんも見てくるから、君たちは早く家に帰りなね。ただし、この事は誰にも言わんでな?」
慌てて走り去るおじさんを見送り、その様子を不思議に思いつつも、私とユカちゃんはそれぞれ早足で家に向かったのだった。
その次の日の朝だった。私よりも一つ下の男の子が、熊に襲われて亡くなった、というニュースを聞いたのは。
熊自体は前日の内に、村の人達によって駆除されていた。男の子が見つかった場所は林の中だが、襲われた場所自体は畑の中だったという。
そう、まさに前日、私とユカちゃんがユラユラを見かけた場所だ。
「あのとき、ユラユラのところにまだ熊がいたんだろね……シオちゃんが連れてってくれなかったら、もしかしたら私も……」
葬儀の後、泣きじゃくるユカちゃんをなだめながらも、ユラユラの言い伝えが本当だったこと、おじさんの様子に違和感を覚えたこと、色々な考えが頭の中をかき回し、私自身強い疲れを感じていた。
特に、私の頭の中を巡っていたのは、亡くなった男の子についてだった。
何故、男の子は熊に襲われたのだろうか。ユラユラの話は、村の人なら全員知っている話だというのに。
亡くなった男の子は、ユラユラが現れていたから興味本位で近づき、熊に襲われたのか。それとも、イタズラか何かで畑に入り込んだところを熊に襲われ、その熊の存在を知らせるためにユラユラが現れたのか。数日考えてしまったが、結局答えが出ることはなかった。
幼い子供が命を落とす。そんな事件で村中から悲しみが消え去らない中、私達一家は他所へと引っ越していった。この事件のこともあり、その後村に近づくことは一度としてなかった。
ユカちゃんとは、二年くらいは手紙の交流が続いたが、気づけば連絡が途絶え、それきり消息はわからない。
***
あの事件から十数年。あの一件がきっかけになったのか、私はオカルト系の話に興味を持ち、調べるようになっていた。不思議なもので、あの時のユカちゃんの好奇心と、私の恐怖心を交換したように、村を離れてから私の中で、そういった不可解なものへの興味が大きくなっていったのだ。
特に、特定の地域のみに伝わるような、マイナーな怪談話を中心に知識欲が湧き、書籍やネット上の情報をかき集めた。といっても、専門的な研究をするわけでもなく、あくまで素人が片手間に調べられるような情報を集めて、一人満足する程度の趣味であるが。
その中でユラユラについても、何度か調査に挑戦した。しかし、ネット上にも、近場の図書館で読めるような文書にも、ユラユラのことを書いているものを見つけることはできなかった。今思えば、あの村に近い町の図書館なら話は違ったのかもしれないが、その時はそこまで考えが至らなかったのだろう。
親に当時のことを聞いてみても、私が知っている以上のことは知らず、あまり思い出したくないといった感じで顔をしかめた。一年だけとはいえ、暮らしていた場所で起きた事件に関わることだ。気持ちの良いものではないのだろう。
ユカちゃんに聞く、というのも考えたが、手紙でも一切あの事件のことには触れていなかったので、思い出したくなかったのだと思う。久しぶりの連絡がそれなのも嫌がらせにしかならないだろうと考え、それはやめておいた。
***
大人になり、働き始め、仕事もすっかり板についてきたある年の夏。未だオカルト関係への興味が尽きなかった私は、夏季休暇を利用し、思い切ってあの村に旅行してみることにした。
思い出に浸りたい気持ちもあったが、ユラユラについて現地で調べることができればよい、そう目論んでいたのだ。
レンタカーを走らせつつ、私は自分が持っている情報を頭の中で整理していた。
『ユラユラ』は、あの農村だけに伝わる守り神のようなものである。危険な場所に現れ、それを知らせるようにユラユラと揺れる。ユラユラが現れた場所を後で調べると、愚かにも危険な場所に近づいた犠牲者が発見される。ある時は川辺に、ある時は納屋に、ある時は熊が潜む場所に、またある時は。
ふと、気づいた。ユラユラは、あの村の人が全員知っているもので、ユラユラが現れる場所の意味も知っているはずだ。
なのに、何故必ず、犠牲者が見つかっている?
私が知っている話は、私が当事者になった熊の事件も含め、全て死人が出ている。しかし、ユラユラが現れたから危険を回避できた、そういった守られた類の話は、一切聞いたことがなかったのだ。守り神のような存在ならば、むしろそういった話のほうが多くなりそうなものであるが。
子供への言い聞かせのために、あえて犠牲者が出た話だけを聞かせたのか。それなら納得できそうだが、大人であるうちの両親が、同じ話しか聞かされていないのはおかしい。
ふと、ユラユラのことを報告した、あのおじさんの顔を思い出した。何故おじさんは、青ざめていたのだろうか。何故慌てて、現場の方へ向かっていったのだろうか。
様々な考えが渦巻く私の中に、ある仮説が固まってきた。
「もしかして、ユラユラは、危険を知らせるものじゃなくて……」
つい出た独り言を堺に、私は行き先を変更した。あの村に直接足を踏み入れることが、とてつもなく恐ろしく感じたのだ。
あの秋の日、ユラユラを見た時と似た懐かしい悪寒が、全身に走っていた。
***
「ここも懐かしいなぁ」
車から降りた私は、緑の匂いが交じる風を全身に受けた。
変更後の目的地は、村から少し離れた山にある、小さな展望台である。ここからだと小さくだが、村一帯を見渡すことができるのだ。引っ越してきた初日に父に連れられて、ここが今日から暮らすところだよ、と教えてもらったものだ。
村に直接行くのは怖いが、せめて遠目で風景だけでも、とこちらに切り替えたのである。
村のある方へ向かい、木製の柵に手をかけ、前方に広がる景色を眺める。が、すぐに目を逸らし、車の方へと足を早めた。
やはり、村に直接向かわなくてよかった。いや、それでもここに来てしまったことは失敗だった。後悔の念しか浮かんでこなかった。
私は車に乗り込むと、一つ大きな深呼吸をし、エンジンをかけた。もう二度と、あの村には近づかないと決意を固め。
展望台から見渡した、小さい頃の思い出の村。その光景を、私は未だに忘れることができない。いつか忘れることができるだろうか。
村のあちらこちらで、たくさんのユラユラが静かに揺れている、あの光景を。