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episode.7

「いってらっしゃーい」

ジーニーは眠そうに手を振りながら、私の頭をわしゃわしゃと撫でた。



「ちょっと、ぼさぼさになるでしょ」

「ぼさぼさにしとかないと変な虫がつくでしょ」



金木犀の匂いがする通勤路を歩いた。半袖ではもう寒い。

ジーニーと暮らすようになってから淡い色を着るようになった。朝ご飯はパンよりもご飯が多くなった。



亮太とも相変わらずだ。

相変わらずなことが本当に驚きだけれど、私が働いているビルの6階に亮太の本を出した出版社が入っているからちょこちょこ会ってしまう。


最初にエレベーターで会ったときは心底動揺した。あれだけ4年も大恋愛をして5年も未練を引きずって、九死に一生で帰国したのち9年越しのプロポーズをしてくれたのに振って。なのにこうしてまた再会して。


そんな激動の私たちなのだから、ドラマだったら絶対最終回に向かって復縁するに決まっている。




だけれどそれは本当にドラマの中のことだけみたいだった。


“再会してみたらそうでもなかった”、という月並みな感想しか出てこない。出てこないけれど、そんなものだった。やっぱり亮太は美化されていた。この5年間はだるま落としのだるまだった。




「いらっしゃいませ~」

「何してんのこんなところで」

「バイト」

「はあ、なんで行きつけのカフェにまで進出するの?ストーカーなの?」

「人聞き悪いな、言っとくけど俺、普通にモテるから、振ってきた元カノにストーカーするほど困ってませんけど?」



カフェでエプロンをつけてぼけっと立っている亮太に思わず昔の面影を見た。


確実に年は取ったけれど、亮太は変わらない。結局、別れを決めた日の亮太と、何も変わっていないから、どう考えたって、ここが行き止まりだった。



でも。

そうだ、だるま落としのだるまを蹴散らして、亮太とまた友達として始められたことはものすごく大きな収穫だったと思う。4年間の交際で良い関係を作ってきた賜物だ。

未練なく、恨みもなく、こうしてどうでもよくなれるなんて、半年前の自分は想像さえもできなかった。



「はい、マンデリンね、乃梨子が好きそうなやや薄い感じにしといたから」

「またそうやって知った風のことを」

「だって俺が知ってるのはそんなことぐらいだもん」



振り返らないままの亮太の後ろ姿が少し寂しそうに見えた。


「乃梨子もこの5年色々あったんだろうなって思ってさ。俺勝手に、乃梨子はめそめそ時間止まってんだろうなって思ってたけど」



あながち間違えていないし、ものすごく失礼なことを言われているのだからすぐに反撃して笑い飛ばさないといけないのに、なんでだろう、私はうまくできなかった。

ふと、今日の晩ごはんは何にしようかな、という考えがふわっと浮かんでいった。



「そりゃあったよ、一緒にいた時間よりも離れてから経ったんだから」

「そっか」



亮太はサービスだからと言って、5年前まで私が大好きだった、固めでカラメルが苦いプリンを出してくれた。

ことん、と音を立てて、だるまは完全に私の心からいなくなっていった。



「亮太さ、アラジン読んだことある?」

「あの青い妖精のやつ?」

「そうそう、」

「願い事叶えてくれるやつね、いいよな~俺のところに出ないかな~魔法のポケットあるジーニー。」

「それたぶん違う作品混ざってるよ」

「冗談だって。あれってさ、最後ジーニー自由にしてあげて、めでたしめでたしってなってるじゃん?」

「違うの?」

「そう、ほんとは自由にしたら全部リセットなんだよ。ジーニーはとりあえず人間になれるから、それはそれでいいんだけど、一緒に過ごした時間も、記憶もまるごと魔法で消えて、次会ったらお互い他人。誰ですか状態なの。」




最近ジーニーがこっそり何か勉強しているのは知っている。私の部屋から簿記のテキストがなくなっていたし、この間は杢グレーのTシャツに消しゴムのカスがついていた。

妖精も勉強なんてするんだ。おかしくなって、いつもみたいにバカにしてやろうかと思ったけれど、なんだかそれは人としてやらないほうがいいような気がしてやめた。




「お!今日はロールキャベツでしょ?」


材料を見ただけでわかるようになったジーニーは、玄関で買い物袋を受け取って嬉しそうに冷蔵庫にしまった。



今年ももう終わる。

どさくさに紛れて28歳になってしまったし(誕生日はジーニーが、それはそれは盛大に祝ってくれて、小学生ぶりに折り紙輪っかの飾りを見たし、苺のショートケーキを食べたし、ずっと一人暮らしだったから、ピザの出前も久しぶりだった)、ジーニーと暮らすようになってから本当に時間が経つのが早かった。



「ジーニーそっち寒くない?」


暖かい毛布は買ってあげたけれど、ソファーで寝るのはどう考えたってこの時期は寒い。かといって、ベッドをもう一つ入れるにはこの部屋は狭すぎる。



「こっち来る?」

「…乃梨子さんいくら何でも警戒心なさすぎない?」

「だってジーニー妖精でしょ?」


ちくっちくっと時計の音が刺さるみたいに響いた。ジーニーは答えないまま眠ってしまった。まだアロマディフューザーはまだスリープモードじゃないのに、わざとらしく寝息を立てて。



唐揚げが大好きなジーニーなので、クリスマスはあえてチキンじゃなくて大量の唐揚げにした。あんなに嬉しそうな顔をしたのを見たのは初めてかもしれない。本当に、ジーニーは感情が若くて新芽のように初々しくてとっても眩しい。


白いふわふわとしたセーターが良く似合った。子犬みたいな目をしてテレビに流れる映画を見る真剣なジーニーの姿を見て、私は悩んでいた。



最後の1つの願い事。

“今みたいな毎日がずっと続いてほしい”



そう言いたかった。初めてジーニーに会った時とは全然違う意味だったけれど、私の願い事は、ジーニーに叶えてほしい願い事はそれだった。



「ねえ、ジーニー」

「乃梨子さんってさ」


同時に話すもんだからびっくりしてビールをこぼしてしまったジーニーはまだまだ子供だ。

(人間年齢では成人してるんだから飲んでみる!と少し前にお酒は解禁した。普通にビール2缶ぐらいで赤くなり、特段妖精感は感じない結果になった)



「乃梨子さん話していいよ」

「いいよ、何話そうとしたか忘れちゃった。」

「乃梨子さんって就職活動どんな感じで決めたの?」

「ヒモ妖精働くの?」

「いや、乃梨子さんは普段どんな風に働いてるのかなって、その、単に気になって、人間の生活が…」



頭をぼりぼりと掻きながら照れ笑いした。

そんなジーニーを見て、私はさっき言いかけた最後のお願い事を、そっと自分の心の中にだけしまった。


私のエゴで彼の未来を阻んではダメだ。


一緒にいたいと思うのは、ずっと一緒にいたいと思うのは、相手を自分の生活に馴染ませることじゃない。


亮太に教えてもらったはずだったのに。私はまたこうして、明るく前向きに進む道が変わってしまう大好きな人を、手離さないといけないんだろうか。



「ジーニー、もし人間として生まれていたら、どんな人生がよかった?」

「どうしたの?急に。」



ジーニーがしたい仕事、行ってみたい場所、見てみたい景色。話しても話しても止まらくって、ジーニーは本当に楽しそうだった。


私と過ごして、色んな世界を見た8か月で、彼とたくさんの思い出の時間を過ごしたと思っていたけれど、それは私が思っているだけで、ジーニーはその一つ一つを栄養にして、私の手の届かないところに進んでいこうとしているんだ。



「それからね、乃梨子さんにサプライズしたかったなあ。」

「サプライズ?」

「今は乃梨子さんから離れられないから、全部バレちゃうでしょ?だから」

「サプライズで何するのよ、怖いな」

「プロポーズ」



時間が止まったみたいだった。窓の外にちらちらと降る雪がジーニーの長いまつげに反射してキラキラと光っていった。



「ちゃんと働いて、自分の力で稼いで、自分の足で人生決めて、それで、こっそりサプライズでプロポーズするの、乃梨子さんに。離れられないから、主人だから一緒にいるんじゃなくて、ちゃんと、自分で…」

「どうして…?」

「乃梨子さん、」



ジーニーは意を決したようにまっすぐ私を見た。


「俺、全部願い事叶えられないダメ妖精でごめん。」




“妖精は主人に恋愛感情を持ってしまったらずっとその主人から離れられなくなってしまう。もしもその想いを主人に伝えて、主人がそれを受け入れたら、跡形もなく消えちゃうんだ。その代わり、想いは消えないから、心にはずっと、綺麗な記憶として残るんだ”




「待って、ジーニー、私最後の願い事、まだ言ってなかったよね?」


必死に遮る私は、もうジーニーの顔を見る余裕はなかった。


「ジーニーを、このアロマディフューザーから出して、自由にしてください。」



ごとんと大きな音を立てて、あたり一面に真っ白な霧が広がった。

イランイランの強い香りが私をふんわりと抱きしめ、頭をぽんぽんと撫でた。




“乃梨子さん、楽しかったよ、ありがとう。”


“さよなら、またね”




遠くでジーニーの声がしたような気がした。

イランイランの香りが薄くなっていくについて、私はうつらうつらと眠くなった。




温かい笑顔、いつも冗談ばかり言っていた減らず口も、はっきりした色づかいの感情も、長いまつげも透き通るような肌も、全部全部がくすぐったいほど楽しかった。



運動会の後にシャワーを浴びてかき氷を食べて、扇風機をつけて眠っているみたいに、気持ちよくて幸せで、満たされた気分の私は、うつらうつらと眠くなっていった。

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