episode.6
5年前と全然変わらないけれど、日に焼けて元気そうに笑う、亮太がいた。
「なんで…生きてるの?」
「何てこと言うんだよ、お前」
亮太は大きな声で笑った。
時間が、止まったみたい、ではなくって、止まってた時間が動き出したみたいだった。
「俺が帰って来たのがそんなに嫌なの?」
「むしろなんでそんなにナチュラルなの?」
「いやあ俺だってさ、乃梨子に久しぶりに会ったらって妄想何回もして、なんて言おうかな、どんな顔しよっかなって考えたりもしたけど…」
押していた自転車をぴたりと止めて、亮太は私の目をまっすぐ見て言った。
「乃梨子の顔見たら全部吹っ飛んだ。嬉しくて。」
「おかえり、早かったね」
スイッチを入れるといつもより心もち早く、ジーニーが出てきたような気がした。平静を装いつつもなんだかとってもぎこちない顔をして。
亮太は今年の初めに日本に戻ってきていた。5年間で撮り溜めた写真は膨大で、今は個展を開いたり、講演をしたり、時にはちょっと執筆をしたりして暮らしているらしかった。
懐かしい亮太の匂いがした。懐かしい笑顔だった。
本当に会っていなかった5年間が嘘だったみたいにナチュラルに、私は亮太と笑うことができた。点線だった時間がぎゅぎゅっと縮まるみたいに。
「今日はすごく豪華だね!」
ジーニーは嬉しそうな顔をした。
好物ばかりが並んだ食卓。薄いパープルのカーディガンを、白いTシャツの上に羽織ったジーニーは架空の23歳の誕生日を迎えた。
私たちはもう半年も一緒に暮らしていた。
「乃梨子さん、今日はいいことあった?」
ぎくりとした。
亮太と会ったのは偶然なんだろうか?
それともジーニーが探してくれたんだろうか。
学生の頃に亮太と過ごしていた街はここから二駅だし、偶然でも全然おかしくはない。第一、探してくれたなら何か言うはずだろうと思った。
ジーニーが何も知らないならば。何も知らないほうがいい、そんなことを思っていた。
「何もないよ。今日は普通の一日だった。」
「普通が一番だね。」
「乃梨子、また会ってくれる?」
亮太と話しているときに、ジーニーの声がしたような気がしたから、ちょっぴりジーニーを気にしていたのは本当だ。
けれど、主人が妖精のことを気にしてどうする、と一喝する自分もまた居て、昔の友達なんだから普通に会ってみることにした。
気にしているほうが未練があるみたいでバカみたいだ。
ここのブックカフェは5年前もあって、いや正確には9年前にはもう既にあって、当時の私たちの隠れ家だった。亮太はずるい。
「ここのコーヒーは変わらないな」
雨が降っていた。
亮太と付き合った日も、こんな風に雨が降っていた。雨が降っているのに傘もささずに大笑いして自転車を漕いで、そうしてここの軒先に流れ着いたんだっけ?
「乃梨子、」
亮太は真剣な顔をした。
やめてよ。亮太が真剣な顔なんてしたのは、付き合った日と、別れた日の、たった2回だけじゃない。
「あんな風に急に乃梨子を置いて、どこかへ行ったくせに今更って思うかもしれないけど」
どんなにふざけても、話をそらしても、亮太は私をじっと見るのをやめてはくれなかった。
「俺は一度だって、乃梨子を忘れたことはなかったよ」
一番聞きたくなかった言葉だった。
一番聞きたかったはずだったけれど、もう手遅れだった。
「乃梨子に見せたい景色も、一緒に見たい景色もたくさんある。5年も会っていなかったけど、顔見た瞬間、やっぱり乃梨子しかいないって思ったんだ。」
雨はいつまでも降り止まなかった。
まるで、5年間心に貯めて溢れないように我慢していた涙が、一気にあふれ出てしまったみたいに、どばどばと降り注いで窓を濡らしていった。
「もうどこにも行かない。だから俺と結婚してください。」
帰宅してもすぐにはアロマディフューザーのスイッチを入れられなかった。
涙が渇かないと、私はジーニーに合わせていい顔がどんな顔なのかわかりそうもなかった。
「おかえり、げ、もうこんな時間?!」
ビーフシチューをことことと煮始めたときに、ようやっと涙が全部枯れて出て行ったので、スイッチを入れた。
イランイランの愛おしい香りがふんわりと鼻先を撫でる。
「乃梨子さん、さては泣いたな?」
完全に涙は乾いたはずなのに、目の赤いのも頑張って冷やして治したのに。
ジーニーは私の顔を覗き込んで寂しそうに笑った。