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episode.4

目が覚めると朝の4時だった。

ジーニーはソファですやすやと眠っている。イランイランの甘い香りがほんのりと部屋に立ち込めていた。




私の目じりの端っこには小さく涙が残っていた。





ジーニーは当然初めて会う相手だったのに、不思議と安心感があった。

もちろん会ったことはないから顔に見覚えはない。仮に妖精である説が嘘だったとしても、人間だったとしても、私は彼と会うのは初めてだと思った。



だけれど不思議と、なんだか安心感があった。それは本当に最初の最初の頃から。なんでだろうと思っていた。

夢なら覚めないでほしいなんてバカみたいなことを考えるのは、なんでなんだろうって考えていた。




亮太は大学生の時に4年間付き合った恋人だった。卒業した次の夏、ふっと遠くの海外の内戦地帯にカメラだけ持って行ってしまった亮太に、もう5年も連絡がつかないまま、きっと別れてしまった亮太に、ジーニーの声はよく似ていた。




アロマディフューザーから妖精が出てきて、私の願いを3つ叶えてくれるなんて荒唐無稽なことが起きるのならば…。



私はほとんど確信し始めていた。

5年間毎日思い出していたと言ったら嘘になる。たまには亮太を思い出さない日もあった。ほかの人を想う日もあった。

私の人生は既に亮太とは全然関係のないところを走っていて、もしも帰ってきたとしたって、ちゃんとした別れが待っているだけで、新しい日々が始まることが決してないのはわかりきっていた。



だけれど、私は、心の奥底で亮太と過ごした4年間以上の時間が自分に訪れることがないことも、もうわかっていた。

一つ新しい恋に取り組むたびに、亮太との毎日よりも鮮明で愛おしい日々が来ないから、亮太との日々がより鮮明で愛おしくなった。

手に負えないスピードで美化されていく。一つ失敗するたびに、どんどん色濃くなっていく。



亮太は。

きっと亮太は死んでしまったんだと思った。



別に私たちは仲が悪くなって別れたわけではなかった。

一緒に歩いていたけれど、私はこっちの道が良くて、亮太はそっちの道が良くて、そっかあ、じゃあまたねって、手を離しただけだったんだ。

だからふらっと私のところに“化けて出る”こと自体、何も不自然なことではなかった。



ふうっと息を吐く。ジーニーはどんな夢を見ているのだろう。

姿かたちは違っても、亮太がジーニーに姿を変えて、私に最後の挨拶に来たと悟った私は、5年前に亮太に叶えてほしかった願いはなんだったのか考えて、結婚とか将来とかバカげた言葉が頭に浮かんで思わず笑ってしまった。



私はもう一度亮太に会えたら、何を話したいんだろうか。



願い事が叶うなら、もう一度亮太に会ってみたい。そう思った。

またあの鮮明で愛おしい日々を送りたいんじゃない。

たった一度、会って、元気にしてた?私は元気にしているよと、楽しかったありがとう、じゃあねと、

たったそれだけ言いたいだけだった。


それを言わないとずっとずっと無限に亮太の美化が止まらくなって、だるま落としのだるまみたいに高く高く積み上げてしまう。


亮太との日々の上に座って、こないだジーニーと乗った観覧車みたいに、高いところからミニチュアみたいな自分の人生を見下ろすのはもう懲り懲りだ。



でも…と私は考えた。ジーニーは誰かを生き返らせるのはできないのだった。

うーんと窓の外を見たけれど、まだまだ真っ暗な中に遠くのほうで電車の音が聞こえた。

亮太のマンションから聞こえた電車の音を思い出して、私はうんと思いっきり、5年前に気持ちだけタイムスリップしてしまった。




「会いたい人?」

「そう、学生時代の友達なんだけど」

「物理的な奴はダメだってば、連絡取れるでしょ?」

「いやもう長く連絡とってないの。どうしてるかな?って急に思い出して。」

「なんで急に会いたくなったの?」



ジーニーは訝しんでいた。

妖精なんだから主人のプライベートにずかずかと入ってくるのは違うんじゃないかとちょっとイライラしたけれど、そもそもジーニーはきっと亮太の生まれ変わりか心残りか何かなんだから、土足で人の心に入ってくる、図々しい亮太の性格を引き継いでいるのも納得する。



「とりあえずこっちでも調べるからその人の名前とか生年月日とか、最後に連絡ついた時の電話番号とか、日にちとか、わかる範囲のこと教えて。」

「なんか普通に個人情報の照合みたいだね、業者の」

「そりゃそうでしょ、莫大なデータベースの中から探すんだからさ」



現代的なのかアナログなのかわからないジーニーのやり方がおかしくなって私は笑った。不服そうなジーニーはコーヒーをずずっと吸い込んだ。


「今日は肉じゃががいい」

「妖精がリクエストするの?」

「だって乃梨子さんの肉じゃがは美味しいから。」

「昨日も気になったけど、なんで知ってる風の言い方するの?」



あまりよく考えずに核心に触れてしまった。ハンバーグも肉じゃがも亮太が好きなメニューだった。

まずい。ジーニーが現れたことと亮太が死んだことがリンクしているのを私が知っているとわかったら、願い事が“生命の生き返り”にカウントされて拒否されてしまうかもしれない。



本当を言うと、拒否されてしまうのがひどく怖くって、できることならジーニーにあっさり探してもらいたかった。

ジーニーの口から、生き返らせるのはできないんだよって言われてしまったら…言われてしまったなら私は…受け入れることができるんだろうか。



本当に本当に、亮太がいない世界を生きている自分を、生きていく自分を、受け入れることができるんだろうか。



「あー、半年前に日本に戻ってきてるみたいだけど、住所がわからないな、なんでだろ」

「そうなんだ…そういえば海外に行くって言ってたな」

「乃梨子さんさ、」



不服そうな顔にもっと拍車をかけるように不貞腐れたジーニーは、トーストから垂れそうなバターをぬぐいもせずにむしゃむしゃと頬張った。



「何でもない」

「何よ、調子狂うじゃん」


うつむいた顔が言いたいことが何なのか、わかる気もしたけれど、聞きたくない気持ちが勝ってしまって、私は精一杯おどけて見せた。



「俺は妖精で乃梨子さんが主人だから、言うこと聞くしかないもんね。」



意味深な言い方をするジーニーにそれ以上聞く勇気はなかった。

会社に遅れるからという普遍的な理由で、私はアロマディフューザーのスイッチを切って家を出た。



日本に帰ってきたみたいだけど、どこにいるか、妖精でも探せない亮太。

もうそんなの…。本当におかしかった。5年間の間にだって、死んでたかもしれなかったじゃない、あんなに危ないところに行ったんだから。

それを見届けるのができないから、ついて行かなかったんじゃない。

待ってるって言わなかったんじゃない。

わかってる、わかってる。



わかっているけれど、いざ現実を突きつけられると私はひどく落ち込んだ。ひどく取り乱した。


目に映るすべての景色が色褪せて見えてしまうほどに、私はまだまだ亮太に未練があったのだった。

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