2話 私、冒険者を辞めました
「あー、スッキリした」
翌日、時刻はまだ午前10時。
ペガサスオーダーのリーダー、ヴァンスにクラン離脱を伝えた後、現在無職となったソニアは昨日過労で寝込んでいたことを感じさせない軽い足取りで、朝日に照らされた通りを歩いている。
あとは冒険者ギルドに報告してもう一枚の書類を提出すれば、晴れてペガサスオーダーから抜けて自由の身だ。
ソニアはニコニコと笑顔で時折くるりと回ってステップを踏む。
そして道をホウキで掃いていたおじさんに見られ、慌てて逃げ出した。
浮かれているところを見られるのは、やはり恥ずかしいようだ。
「とはいえこれからどうしようか」
ソニアは立ち止まり目をつぶった。
意識を自分の内側へ向けると、頭の中へ情報が流れ込んできた。
ソニア・カルヴァリ レベル11
クラス:百芸
スキル:武器熟練「鎌」レベル2、持久力レベル6、快速レベル1、逃げ足レベル2、防具修理レベル1、獣の嗅覚、運搬の巧み、攻防一体の構え、武技「足払い」、速筆術
魔法があることもそうだが、この世界とソニアの前世で暮らしていた地球との一番の違いはこのレベルとスキルの存在だろう。
生きとし生けるものはすべて、生まれたときに神様から魂に寄り添う力を与えられる。
それがレベルだ。
レベルはスキルという力を与え、魔法や武技、武器の操法から身体能力の向上、その他様々な超人的能力から物づくりや料理といった製作分野にいたるまで、スキルの影響を受ける。
レベルという名前の通り、レベルを成長させることでスキルに割り振れるスキルポイントが与えられ、スキルを習得することで力が得られる。
例えば剣を握ったこともない素人でも、“武器熟練「長剣」”にポイントを割り振っていくだけで、まるで自分の手足のように剣を自由自在に振り回せるようになるのだ。
ソニアは、若手なのに先輩のスケジュールを管理しなくてはならなかったという都合上、先輩が嫌がるような仕事をどうしても自分でやらなければならなかった。
それはレベルの低いモンスターを大量に倒さなければならなかったりするような、面倒で拘束時間の長い仕事だ。
小さな集落のゴブリン退治などもソニアの仕事だった。
報酬も情報も少なく、ゴブリンのねぐらに突入してみれば、人食い鬼オーガや四腕の巨人ガグなど、大物がゴブリンを従えていたなんていうオチもある。その場合は即座に逃げ出し、情報を持ち帰るのが仕事だ。
危険で、キツくて、汚くて、報酬も安く、強敵が出てきたら逃げるのでレベルも上がらない。
スキルは取り直すことはできないので、本来ならどんな自分になりたいのか目標を立て、それに向かってスキルを獲得していくべきなのだが、ソニアの場合はそんな「未来の自分」なんて考える余裕もなく、ただ今をどう乗り切るかだけを考えていた。
(私のスキル構成は、色んな仕事に対応できて、たくさんの弱い敵と長時間戦闘できて、やばい状況をいち早く察知し、すぐ逃げられる……あとは草刈りや荷物運びのためだったり、報告書を早く書くためだったり……こうして見ると無駄遣いしてるなぁ)
そしてクラスは百芸。
クラスは最初レベル1の時点では何もない庶民からスタートし、レベルが上がるにつれて戦士や魔法使いなどレベルや習得したスキルによって解放されたクラスから選ぶことできる。
クラスによって習得できるスキルが変わり、またレベルが上がった時に得られるスキルポイントも違う。
訓練所でまず教えられることは、戦士の上位クラスである魔法戦士は、得られるスキルポイントが半分になるから絶対になるなということだった。
それよりも戦士と魔法使いでコンビを組んだほうが遥かに強くなる。安易なクラスの変更はその後の狩りの効率を大きく下げ、取り返しのつかないことになると、教官は口を酸っぱくして言っていた。
では、ソニアの百芸とはどういうクラスかというと、スキルポイントが多い変わりに、習得できるスキルの種類が減るという特徴のあるクラスだ。
要するに器用貧乏。
日々をどう乗り切るかのみが問題だったソニアは、とにかく今日を乗り切るためのスキルポイントが必要だった。
未来で困ることが分かっていても、雑魚専になろうとも、今日を乗り切れなければということばかり考えていたのだ。
「むむむ」
前世では、「若い時の苦労は買ってでもしろ」と、課長が自分だけ先に帰る時によく言っていたが、少なくともこの世界で苦労を買った代償は大きかったようだ。
クラスもスキルも取り直しはできないのだ。
まぁ前世でも苦労した結果彼女は死んでしまったわけだが。
「百芸のレベルを上げるとまた新しい上級クラスが解放されることに期待するしか無いかな」
結局の所、この世界で道を切り開くには地道にレベルを上げるしか無い。
(生まれた時から前世の記憶を思い出さなくて良かったかもね)
そうなれば、平和な日本で育った千佳のまま、武器を持っての戦いを経験しなくてはならなかっただろう。
戦うのが当たり前の世界で育ったソニアとして最初の戦いを経験できたことは幸運だったと、今更ソニアは思っていた。
「おーい、ソニアー!」
今後のことを考え、時折ブツブツを呟く怪しい人だったソニアを呼ぶ声がする。
振り向けば、道沿いにあるカフェのテラスでハーラが手を振っていた。
依頼を終えてきたところなのか、腰には愛用しているシミターという曲刀を佩いたままだ。
「ハーラ!」
「一緒にコーヒーでもどう?」
「うん!」
ソニアは小走りでハーラの元へ行くと隣に座る。
ハーラは店員を呼び、コーヒーとサンドイッチを追加で頼んだ。
財布を出そうとするソニアを、ハーラが手で制して、自分の財布から払う。
「辞めてきたの?」
ハーラの言葉に、ソニアはこくりとうなずいた。
「残念だけど……でもソニアの人生を考えたらそれが正解よね」
ハーラはそう言って、ソニアに笑いかける。
「私も謝らないと、ソニアがあんまり出来るものだからついつい甘えちゃって。本当なら、私がやりますって手を挙げなくちゃいけなかったのに」
「でもハーラもすごい仕事量でしたよね?」
過労で倒れてしまうほどソニアは忙しかったわけだが、だからといってハーラが楽をしていたのかというとそうでもない。
ハーラはハーラで、レベル20を超える冒険者として、ハーラでなければならない依頼を大量に割り振られていた。
クランに所属する冒険者には、週に最低1日の休暇を設けることと冒険者ギルドでは決まっているが、ヴァンスはそれを守るつもりは無かった。
稼ぎ頭のハーラは飛び回るようにして難しい依頼をこなしていた。
ハーラが休暇を取っているのをソニアが最後に見たのは、もう三ヶ月も前だ。
「何にせよ、ソニアが無事で良かったわ。倒れたって聞いた時は心配したけど、もう元気そうね」
「うん、今日は朝までぐっすり寝ました」
「羨ましい!」
ソニアの前にコーヒーとサンドイッチが運ばれてきた。
褐色のライ麦パンに、ツナとトマトとレタスを挟んだサンドイッチだった。
レタスが少しパンの外にはみ出しているが、シャキッとした緑色のレタスはとても新鮮で美味しそうだ。
ソニアは目を輝かせてサンドイッチを手に取った。
見た目通り、シャキシャキした食感とツナの風味がとても美味しい。
コーヒーは少し薄めで量が多い。だがコーヒーの風味はしっかりとあり、食事の合間に飲むにはちょうどいい味だった。
美味しそうに食べるソニアを、ハーラは穏やかな目で眺めていた。
見られていることに気がついたソニアは少し顔を赤くする。
ソニアは口の中のものを飲み込むと、少し俯いた。
「あ、あの、ハーラは大丈夫ですか?」
「大丈夫って?」
「私辞めちゃいますけど、ハーラも仕事ブラックですし」
「ブラック?」
「あ、ええっと、すごくキツイ仕事って意味で」
思わず前世の単語が出てしまった。ソニアは慌てて訂正する。
ハーラは首を少し傾げただけで、気にしていないようだ。
「確かにキツイし、そんなに報酬がいいわけでもない。ヴァンスはいつも怒鳴って雰囲気は最悪。続ける意味があるかっていうと多分ないんだろうけど……いまさら別のクランにいくのも大変そうだものねぇ」
「でも……」
「私のことなら大丈夫。ソニアはまず自分のことを考えて。何かあったら相談にのるから……まぁ深夜になるかもしれないけどね」
「はは、確かに……」
自分がどれだけ異常な状況だったかを再確認するようで……ソニアの口から乾いた笑いが漏れた。