14話 故郷の村にはオークがいました
村は奇妙な様子だった。
村全体は静まり返っているのに、村人達が仕事帰りに集まる酒場の周りだけ、怒鳴り声や笑い声が響いていた。
「グルル……」
「うん、これ人間の声じゃないね」
時折聞こえる唸り声。
これはオーク達のものだ。
オークは猪のような顔付きの人型種族で、元々は大陸北部で魔王達の尖兵として人間と敵対していたが、長い年月で南部に住み着いオークもかなりいて、彼らはそれなりに折り合いを付けて暮らしている。
だがまぁ、やはりそこは人間とは価値観の違う種族であり、獰猛で残忍、殺人や略奪への禁忌感が非常に薄い。
傭兵となったオークが村に放火して略奪と虐殺の限りを尽くしたなどという話も少なくない。
だがソニアがいたころは、この村にオークは暮らしていなかったはずだ。
「キャアアアア!!!!」
女性の悲鳴が村の入口付近にいたソニアの耳にも届いた。
「行こう!」
「ワン!」
ソニアとシロはすぐに悲鳴のした酒場へと走った。
酒場までは500メートル以上の距離があったが、2人の足なら5秒もかからない。
ソニアが酒場の立て付けの悪い扉を蹴り開けた先で見たのは、店員の女の子を床に組み伏せるオークと、それを下卑た笑いを浮かべて囃し立てるオーク達だった。
「なんだてめぇ」
扉を蹴り開けたソニアに、オーク達の視線が集中する。
「そ、ソニアお嬢様!!」
床に組み伏せられている女の子がソニアを見て叫んだ。
助けを求めるような、ここから早く逃げろと言っているような、2つの感情が入り混じった複雑な叫び声だった。
「あん? ソニア? 誰だそれ」
「私はこの村の元領主の娘で元冒険者よ」
「全部元じゃねーか!」
「今はえっと、施設の管理人」
「なんだそりゃ」
ソニアに近い位置に座っていたオークの1人が面倒臭そうに立ち上がった。
「よく分からねぇがとにかく邪魔だ。お前みたいなちんちくりんには興味ないからどっかいけ」
たしか今大変な状況にある店員の女の子もソニアと同年齢の14歳だったはずだが……たしかに発育速度には差があるようだ。
ソニアはちょっとだけ落ち込んだ。
「武技:気絶打撃」
ソニアのアッパーが近づいてきたオークの顎先をかすめた。
「お?」
オークは間抜けな声を漏らすと、そのままバタンと背中から無防備に倒れる。
「お、おい」
仲間が揺すってもオークは目を醒まさなかった。
「テメェ!!」
オーク達は臨戦態勢に入った。
3人のオークが、腰に佩いた装飾のないサーベルを抜き、その怪力を最大限活かすために上段に振りかざす。
が。
「あ、あれ?」
振りかざしたサーベルの刃はすべて根本から両断されていた。
遅れて、トントントンと折れた3つの刃が床に落ちて突き刺さる。
目の前に大鎌を振り終えた姿勢のソニアを見て、オーク達はようやく状況を理解した。
オーク達がサーベルを抜いた瞬間、ソニアは背中の大鎌を一振りしてサーベルの刃をすべて両断したのだ。
「こ、この!」
ソニアの右斜め後方にいたオークが、酒瓶をソニアに投げつけた。
ソニアは振り向くことなく、左手で飛んできた酒瓶を掴んで、何事もなかったかのように近くのテーブルに置く。
呆然とするオーク達の脇をすり抜け、女の子の上に覆いかぶさったまま固まっているオークへ足を振り上げる。
「とりゃ」
「ひぎゃ!?」
気の抜けた掛け声と共に繰り出された蹴りが、オークの脇腹に命中し、オークの身体が壁まで吹き飛んだ。
「ひ、ひぃぃぃ」
蹴られたオークはうずくまって情けない悲鳴を漏らしている。
いい加減オーク達も理解した。
目の前の少女は、自分達より遥かに格上の存在だと。
「や、やべえよ」
オーク達はお互いに青くなった顔を見合わせている。
今すぐにでも逃げ出したいが、ソニアが入り口側に立っており、逃げるためにはソニアの方へ近づかなければならないという矛盾。
オーク達は怯えたままどうすることもできず立ちすくんでいた。
「なんだ、つまらねぇ仕事だと退屈していたが……なかなか面白いやつがいるじゃねぇか」
「ブラックドーンさん!」
一番奥で1人飲んでいた一際身体の大きなオークが立ち上がった。
身長は2メートル以上、両腕は丸太のように太く、盛り上がった筋肉は岩のようだった。
オークは壁に立てかけてあった鉄の槍を手にし、構えた。
「俺ぁブラックドーンっていう名の人殺しで飯食ってる傭兵だ。嬢ちゃん、ちいと手合わせ願おうか」
ブラックドーンと名乗ったオークは、腰を落としてどっしりと構える。
手にした槍は使い込まれており、彼が歴戦の傭兵だということを裏付けていた。
「長年戦場で槍振り回してると、どうも殺す相手が格下ばかりになってな。俺ぁ酒も女もたいして興味ねぇし、唯一の楽しみは嬢ちゃんみたいな化物とやり合うことだけだ。それに嬢ちゃんみたいなのを力づくで組み伏せてヤルってんなら悪くねぇ」
ブラックドーンは唇をぺろりと舐めた。
「うげ」
ソニアはその仕草を見て嫌悪感を顔ににじませる。
その意識の揺れを隙と見たか、ブラックドーンは大きく右足を踏み込み、槍のリーチを活かしてソニアを突いた。
次の瞬間、白い影が酒場へ飛び込みブラックドーンが防御する間もなく、ブラックドーンの首に噛みつき、床に叩きつけた。
「ぐはっ!?」
「ぶ、ブラックドーンさん!!」
シロは何度かブラックドーンを振り回し、ビッタンビッタン床や壁に叩きつけた。
あっという間にブラックドーンは失神して伸びてしまう。
「な、な……」
もはや完全にオーク達の理解を越える状況だった。
「う、嘘だろ……あれはフロストウルフだ!!」
「か、勘違いだろ! 国を滅ぼすって言う最悪の魔獣だぞ!?」
「で、でもあんな魔力をしている狼なんて他にいない……」
オーク達は一斉に2階へと駆け上がった。
何をするかとソニアは様子を見ていると、ドタドタと壁の向こうから音がする。
どうやら2階の窓から飛び降りて逃げたようだ。
「ちょっと待ってよ、こいつどうするの」
オーク達はほぼ全員逃げ出したが、シロが「ソニア様ばっかりずるい」とちょっとじゃれたことで気絶してしまったブラックドーンは置いていかれてしまった。
とはいえオーク達も、いくら仲間とはいえシロにくわえられているブラックドーンを助け出すなんてとても無理だっただろうが。
「まぁ気がついたら逃げてくかな」
「ワン!」
シロは物足りなさそうにブラックドーンを口から離すと、ソニアの元へ戻ってきた。
それから青い瞳でソニアをじっと見つめる。
「シロは偉いね」
ソニアがシロの首を撫で回すと、シロは嬉しそうに唸ってソニアに身体を擦り寄せてきた。
シロの毛並みはふかふかで、ソニアはますますシロの体を撫で回す。
ソニアもシロも完全に終わりどころを失って、延々じゃれ合っていた。
「あ、あの」
なので我に返ったのは店員の女の子の方が先だった。
彼女はシロと戯れているソニアに声を掛け、ソニアとシロはようやく我に返った。
「そ、ソニアお嬢様ですよね」
「うん、久しぶり……」
ソニアはちょっと顔を赤くしながら答えた。
挨拶をしたことくらいはあったけれど、その子の名前までは知らなかったのだ。
ちょっと気まずい。
「私、マリーと申します。危ないところ助けていただきありがとうございました」
「たまたま通りかかったから。それで、あのオーク達は一体?」
「新しい領主様が雇われた傭兵です」
「領主が? なんでまたオークの傭兵を?」
「昔いた兵士さん達はみな解雇されてしまって。その代わりに傭兵を雇ったみたいなんです」
ソニアは首を傾げた。
訓練された兵士を解雇して、わざわざオークの傭兵を外から呼んでくる必要があるのだろうか?
戦ったソニアの感覚からすると、あのオーク達は場馴れはしていたが精鋭というほどではなかった。
(お金のことはわからないけど……)
傭兵の相場までソニアは分からなかったが、レオポート近隣の領主達がオークの傭兵を雇っているという話は聞いたことがない。
費用が理由なら他の領主も雇いそうなものだが……ソニアはそんなことを考えながら、シロの頭をなでる。
「クゥワァ……」
シロは心地よさそうに目を細め、口を大きく開けて欠伸をしていた。
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