10話 今日の業務は終了しました
「到着」
ソニアとガネットはレオポートへと戻ってきた。
戻ってきた理由はもちろん……定時だからだ。
「あっちで泊まっても良かったんですけど、冒険者ギルドに心配ないって連絡しておきたいですしね。あ、でもなんの仕事をしているかって聞かれたら困るなぁ」
「施設の管理ということでいいのではないでしょうか。こちらの屋敷もそのままにしておきますし」
「うーん、嘘を付くのは気が引けますけど……言っても信じてもらえないですよね」
「その可能性が高いと思います」
「分かりました。このお屋敷で草刈りとかしてるって言っておきます」
ソニアの大鎌は戦闘と農作業に両方対応している万能鎌なのだ。
戦闘が不得意なソニアの仕事が屋敷の管理という仕事なら筋は通るだろう。
「まぁでもいい顔はされないかもなぁ」
戦いの発生しない仕事ではレベルは上がらない。
冒険者のような戦闘訓練を受けた者を長時間戦わせずに拘束する仕事は、一般的に悪い仕事……ソニアの前世の言葉で言うのならブラックだということになっている。
ソニアが冒険者ギルドから心配されていたのは、もちろん激務と過労もあるのだが、レベルを上げるのに条件が悪い戦いばかりをさせていたという部分もあったのだ。
(世界が変われば価値観も変わるのは当然なんだろうけど……)
前世の記憶を思い出し、裏ボスとなってレベルを上げることができなくなったソニアは、この世界の常識や価値観から遠いところへといるんだなと改めて思っていた。
「それじゃあガネットさん。今日はありがとうございました。明日からまたよろしくお願いします」
ソニアはそう言ってガネットにペコリと頭を下げた。
ガネットは穏やかに笑う。
「私の方こそ、ソニア様のような素敵な方が主となっていただけてとても嬉しく思っています。それに魔王アンリ相手に完全勝利なさったのもソニア様だったからこそ、どうかこれからもよろしくお願い致しますね」
そう言って、ガネットは懐から袋を取り出しソニアに手渡した。
「支度金と言うのでしょうか? 人の賃金の契約にはあまり詳しくないのですが、新しく仕事を始めた時にはこういった臨時の給与があるとか」
「その仕事に必要な装備を整えたりするお金のことですよ」
「建前はなんでもいいのです。これは私達からソニア様への気持ちだと思ってください」
袋には10つくらいの小さな塊がある。
(大きさからすると人帝金貨10枚かな、こんなに貰えるなんて!)
人帝金貨1枚で、3食ベッド付きの宿に1日泊まることができる。
ペガサスオーダーでソニアが貰っていたのが月に人帝金貨80枚。
労働時間と比べると見合わない低すぎる額だが、駆け出し冒険者としては平均程度もらっていた。
それが1日、14時から17時の間の3時間働いただけで10枚なのだから、相当に割がいい。
これだけ貰えるのはハーラのようなBランク冒険者でようやくだ。
「ありがとうございます!!」
ソニアは満面の笑みで、その場を後にした。
ガネットの姿が見えなくなった後、ソニアは中身を確認したが……中にはいっていたのは人帝金貨などではなく、金貨と間違うほどの大粒の宝石だった。
どの宝石も1つで人帝金貨1000枚の価値はあるだろう。
☆☆
ソニアは冒険者ギルドでエルドとヴェルヌに良さげな仕事だと報告して、それから自分の家へと帰路についた。
魔法を使えば歩く必要もないのだが、ソニアは魔法を使えないはずなので周りからは不思議に思われるだろう。
別に隠すこともないとは思うが、どう説明するのがいいのか分からなかったのでソニアは歩いて帰っている。
帰る道はまだ明るい。
こんな時間に帰れるということで、なんだかソニアはテンションが上がりウキウキとした足取りで家へと向かった。
途中屋台で揚げパンを買う。中に炒めたひき肉の入ったやつだ。
「この時間のこの道って屋台が出てたんだ」
仕事帰りの者が客層なのだろうが、ソニアには全く縁のないお店だった。
身近な道の新しい顔を見た気がして、ソニアはますます嬉しくなる。
「ふんふーん♪」
鼻歌交じりに、パンをかじりながらソニアはなんだか数年振りに帰ってきた感すらある自分の家の扉を開ける。
「ただいまー」
誰もいないとは分かっているが、いつもソニアはそう言って部屋に入っていた。
「おかえりなさいませ」
「ガ、ガネットさん!?」
部屋にはガネットがいた。
驚くソニアにガネットは上品な仕草で頭を下げる。
「今日のお仕事は終わっているのですが、約束されたものをお持ちしました」
ガネットは奥の居間へと案内する。
ソニアの住んでいる借家は、玄関と隣接する台所、居間、寝室、洗面所、トイレがついている小さな一軒家だ。
新人冒険者が良く使う、寝室以外を共有する宿泊所ではなく小さくとも一軒家を借りれたのは、ソニアが領地を奪われても貴族だったからだ。
家賃が滞ってもソニアの家名にはそれを取り返せる価値があると、この家を紹介した商人は考えているのだ。
「あ」
ソニアは居間に入った瞬間、キラキラとした輝きに気がついた。
上を見上げれば、3本のロウソクを灯された小さなシャンデリアが天井に備え付けられている。
デザインはガネットの屋敷にあった物に似ているが、構造が簡略化され手入れも難しくはなさそうだ。
小さくともガラスの配置はロウソクの輝きを部屋中に分散させ、散りばめられた宝石が見る角度によって虹のような輝きを作り出している。
壁にハンドルが取り付けられており、あれで天井のシャンデリアを下ろすことが出来るのだろう。
驚いたソニアは危うく、食べかけのパンを手から落としそうになった。
ソニアの部屋の黒ずんだ天井や、古びて歪んでデコボコしている板張りの床が申し訳なくなるほどの豪華さ。
だが、ガネットのシャンデリアの柔らかい光は、部屋の古さを悪いものではなく、不思議と調和のとれた風情のあるものとして照らしている。
「すごい……綺麗」
ソニアは率直な感想を口にした。
「そうですか?」
「うん! ありがとう! すっごく気に入りました!」
「それは良かったです」
ガネットは無表情を装っているが、口元が緩んでいる。
「それと勝手だとは思いましたが、お召し物もいくつか用意させていただきました。簡単な強化の魔法はかかっていますが、大したものではありませんので普段着としてご使用ください」
寝室の方にいけば、クローゼットが1つ増えていた。
中を開けると、ソニアが今着ている冒険者の服に似たワンピースや、シャツ、ブラウス、スカートなど高級感はないが上質な品々だ。
そして防御力強化レベル23。
「レオポートのBランク冒険者のレベルに合わせてあります」
「あはは……」
防御力強化の魔法を定着させる上限は、魔法をかけた本人のレベルとなる。
ガネットのレベルがいくつなのかソニアは知らないが、23という数字はガネットにとって本当に“簡単な強化”なのだろう。
だがこれはレオポートではまさしく一流の魔法の防具ということになる。
(でも……)
こうして色々な服が並んでいるのを見ているとそんな些細なことは気にならないほどテンションが上がる。
ソニアはさっそく一着取り出した。
「着てもいいですか!」
「もちろんです」
嬉しそう着替えるソニアを見つめながら、ガネットも嬉しそうだ。
「もしよろしければパジャマもご用意しましょうか?」
「いいんですか?」
「もちろん。ソニア様に喜んでいただけることは、私の喜びでもありますから」
建前ではなくガネットは本当に嬉しそうな表情だ。
ソニアはここまでしてもらって悪いかなという気持ちもあったが、ガネットと嬉しそうな顔を見たら遠慮する方が気が引けるように思えた。
「じゃあお願いします!」
「分かりました。では」
そしてガネットは右手を広げると、グネグネと変形させ、花柄の着いた上下のパジャマをあっという間に作り出した。
出来上がった服を左手でプチっと右手から切り離し、ガネットはソニアへパジャマを差し出した。
「どうぞ」
ソニアはパジャマを受け取る。
間違いなくシルクの手触りですべすべだ。軽く、寝汗をよく吸い取り、きっとこれを着て寝たら気持ちよく眠れるだろう。
だがこれは絹ではない。
ガネットが今見せたパジャマを作る能力は、人間のレベルがもたらすスキルによるものではない。魔法でもない。
それは明らかな異形の能力で、特殊なモンスターだけが可能な力だった。
「あの、ガネットさんの種族って」
「はい……人間ではなくスライムロードです」
ガネットは身体をぷるんと震わせると、形を失い青いスライムへと姿を変えた。
「この通りです」
スライム形態に戻ったガネットは体を震わせて発声する。
「あわわ」
ソニアは驚いて、ガネットと手にしたシルクのパジャマを見比べる。
ガネットはまた震えると、元のメイド姿へと戻った。
「スライムの姿ではなにかとコミュニケーションに不都合がありますので、普段はこのような姿でソニア様にお仕えさせて頂いております」
「そうだったんだ」
剣と魔法の世界で14年間生きてきたソニアだったが、モンスターと会話したのはこれが初めてだった。
オーガや巨人など人と会話できる知能を持つモンスターというのは珍しくはない。だが、人に友好的なモンスターとは稀だ。
ソニアもオーガを見たことはあったが、すぐに逃げ出していたし、ハーラ達先輩の冒険者も叫び声か、精々「ぶっ殺せ!」くらいしか聞いたことはないと言っていた。
そう考えると、ソニアの固まっていた思考が動き出し眼の前にいるガネットへの興味へと変わっていった。
そうした思考が口から漏れて。
「触っていいですか?」
と、ソニアは言ってしまった。
「はい?」
この反応はガネットにも予想外だったようだ。
怪訝な顔をして首を傾げた。
だがすぐに表情をもとに戻し、ニコリと笑う。
「ええ構いませんよ」
ガネットはどこでも触っていいですよ、と両手を広げる。
ソニアは右手でガネットの左手に触れた。
モンスターの身体をこうしてしっかり触るのは初めだ。
異種交流するのが、なんだかファンタジーっぽいとソニアは少しワクワクしている。
(すべすべしている)
肌はきめ細やかでハリがある。
思わず頬擦りしたくなるような手だ。
ソニアはスリスリスリスリとガネットの手をなで回した。
「あの」
「はっ、つい……」
ガネットの手をなで続けているソニアに、さすがのガネットもどう対応していいのか分からない様子で困惑していた。
「ガネットさんの肌触りが気持ちよかったもので……」
「そ、そうですか」
ソニアはこんどはガネットのメイド服に触れた。
手触りは完全に布なのだが、さっきの変身から考えればこれもガネットの身体なのだろう。
(ということは、ガネットさんは……裸!)
とソニアは思ったが、見た目は服を着ているので特に問題があるわけでもないだろう。
そもそもスライムなどモンスターの大半は服を着ないのだ。
ソニアもスライムや大ネズミなどと戦うが、あれを見て恥ずかしいとか思ったりはしない。
それからソニアは左手に持ったパジャマに視線を落とす。
(このパジャマも、それに今着ている服もガネットさんの身体の一部なんだ)
ソニアの頭の中でこれを着るのはアリかナシか、思考が渦を巻く。
(でもウールは羊の毛だし、シルクは蚕の糸だよね? それと同じことなんじゃないかな)
渦巻いた思考は0.1秒の即決で解決した。
(これはガネットさんの羊毛なんだ)
若干、明後日の方向の理解だが、手に持った着心地良さそうなパジャマの肌触りを考えれば、ソニアにとっては些細な問題だ。
このパジャマは他のことより優先するべきものだった。
「やっぱりガネットさんはすごいですね! さっそくこれ着てみますね!」
嬉しそうにパジャマに着替えようとするソニアを手伝いながら、ガネットを独り言のように小さな声で呟いた。
「ソニア様は本当に変わったお方です」
ガネットの表情は柔らかく、穏やかだった。