1話 冒険者はブラックでした
最初の勇者が最初の魔王を滅ぼしてから幾星霜。
最初の勇者の名も忘れられるほどの長い間、数えきれないほどの勇者と、数えきれないほどの魔王が世界を2つに分け戦い続けていた。
そんな世界の片隅にある港町レオポート。
その町のやや南側にある白い2階建ての建物。
建物の入り口には翼をはためかせるペガサスが描かれている。
ここは冒険者ギルドに所属する冒険者クラン“ペガサスオーダー”の事務所。
冒険者クランとは、数十年前に魔王軍が王都まで迫った時に、複数の冒険者パーティーが血盟を組んで活動したことに由来する10人以上の冒険者達が所属する組織のことだ。
「お前はクビだ! 二度とそのツラ見せるな!!」
ビリビリと窓を震わせるような怒鳴り声がした。
声の主はヴァンスという名の大きな目をした男だ。
腰に佩いた段平は金細工でゴテゴテに装飾されている。
彼は勇者と共に魔王軍と戦ったこともあると自称する冒険者にしてこのクランのリーダーだ。
そして怒鳴られているのは、先月14歳になったばかりの少女。
ソニア・カルヴァリは小さく溜め息を漏らすと、顔を真赤にしているヴァンスに言葉を返す。
「いえ、だから私はここを辞めると言っているんです」
自分から辞めると言ってるのにクビとか言われても困る。
だがヴァンスはソニアの言葉が理解できない様子で怒鳴り声を上げ続けた。
「お前のような雑魚専冒険者が他所でやっていけると思っているのか! うちでも散々迷惑かけやがってよ! それでも雇ってやっていたというのに!」
ソニアはペガサスオーダーに在籍して1年ほど。
たしかにソニアは誰でも解決できるような、いわゆる一般的冒険者からみて雑魚モンスターを討伐する依頼ばかりをやってきた。
ついた二つ名は“雑魚専”のソニア。
「雑魚専って、そんな状況にしたのはヴァンスさんじゃないですか」
「口答えするな! 俺はドラゴンも倒したことがある一流冒険者だぞ! お前にドラゴンが倒せるのか? お前の雑魚専特化のスキルじゃ痩せっぽちのゴブリンが精一杯だろうが! そんなお前に仕事を与えてやってきたのに……!」
「クラン離脱の書類は確かに渡しましたからね、今日までお世話になりました」
ソニアは、まだ怒鳴り足りなさそうなヴァンスに付き合いきれないと、踵を返して事務所を出ていった。背中から怒鳴り声が追いかけてくるが振り返るつもりはない。
事務所に残っていた数名の冒険者達は、これまでヴァンスに怒鳴られビクビクしていたはずのソニアからは考えられない毅然とした態度に驚いていた。
まるで人が変わったようだと。
だが同時に、「まぁあれだけ酷い目にあっていればそりゃ辞めるよな」とも思っている。
ヴァンスは怒りに任せ、机を蹴り飛ばして騒音を立てていた。
☆☆
2日前。
レオポートは、大陸北部を支配する魔王軍との戦線に物資を送る為の中継地となっており、多くの交易船が行き交う栄えた港町だ。
気候は温暖。近海は穏やかに微風。遠洋は一年を通して北へと吹く風が交易船を力強く運ぶ。
陸に目を向ければ穀物を育てるのに適した肥沃な大地の中を、魔王軍占領時代に作られた石畳の道路が王都へと続く街道へ接続されている。
都市として完璧に近い条件に恵まれた町だ。
だが人が行き交い集まれば揉め事も起こる。戦争続きで治安を守る兵士がどこも不足しているとなればなおさらだ。
人帝金貨6000枚の賞金首であるゴブリンの海賊“一本牙”ビーゴ率いる海賊団討伐のため、冒険者ギルドの招集に応じて集まった100名余りの冒険者。
冒険者達は船に乗り込むと、旗を振るレオポートの住民達に見送られ、町を脅かす海賊の隠れ家を目指して旅立っていった。
夜、時刻は3時。すでに日は変わっていた。
誰もいない路地を、先月14歳になったばかりの少女がフラフラと歩いている。
綺麗な麦の穂のような色の髪を、赤いガラス玉のついたヘアバンドでまとめてサイドテールにしている。
背中には戦闘用に改良された大鎌が、携帯しやすいよう3つに折り畳まれ背負われていた。
「疲れた……頭痛い……」
100名以上の冒険者が町を出ているということは、その100名がやるはずだった仕事を残っている人にどうにかして回さないといけないということだ。
彼女……ソニア・カルヴァリは、41名の冒険者が在籍するクラン“ペガサスオーダー”に所属する冒険者。
今日一日で、ジャイアンビーの巣の処理、町の郊外にある森の監視員の代行、下水道に発生したブルースライムの駆除という3件の依頼をこなした。
その後は事務所に戻ると、海賊討伐で抜けた15名がいなくても依頼が滞らないよう在籍する冒険者達の明日以降のパーティー編成の調整と連絡。
並行して、通常業務である自分の分の報告書などの書類の作成や、担当しているパーティーの報告書をチェックして、経費と報酬の会計処理。
仕事が終わる頃にはとっくに日付が変わっていて、こうしてソニアは14歳の少女が歩くべきではない時間に歩く羽目になっているのだった。
ソニアは他の冒険者がやりたがらない依頼、モンスターが弱いが数が多く、報酬は安いが面倒で、レベルを上げるのに適していないような……そんな依頼ばかりをこなしている。
新人のソニアが先輩冒険者達のスケジュールを組む以上、下手な依頼を割り振ると文句を言われるのだ。
なのでソニアは嫌われる仕事はとりあえず自分に割り振るという癖がついていた。
そんな仕事ばかりこなしていたら、ついた二つ名は“雑魚専”。
同じ新人の冒険者にはソニアのことを軽く見ている者も少なくない。
「明日は5時には起きないと……ジャイアントラット駆除の依頼は町の外の農家に現地集合で、その後は仲間と別れて私とアーサーさんだけ港の荷運びの手伝い……やだなぁ、また依頼人から、こんな小さいのに力仕事なんてできるかって怒られるだろうなぁ……」
虚ろな目でブツブツとソニアは明日の予定を呟いている。
次の瞬間、頭の中で何かがプツンと切れる感じがして、ソニアの膝から力が抜けた。
迫る地面に受け身を取ろうとするが、身体はソニアの意思に反して動かない。
ゴチンと地面に鼻から倒れ込み、痛みでソニアは目を回した。
「あ、あれ?」
クルクルと視界が回ったまま、ソニアの意識が薄れていく。
(これ……もしかしてヤバくない?)
ソニアは身体が訴えてきた非常事態にようやく気が付き慌てだす。
だが、身体は動かず泥のように不快な重さがソニアの意識をどこか暗いところへと沈めていく。
そんな状態にありながら、意識が途切れる寸前までソニアが考えていたのは……。
(明日の仕事どうしよう)
ということだった。
だが、意識が途切れる寸前、これまでとは違う思考がソニアの意識に紛れ込んだ。
(これで二度目だよ?)
曇っていく意識と、晴れていく記憶に困惑しながらソニアは意識を手放した。
☆☆
ソニアが目を開けると見慣れた黒ずむ板張りの天上が見えた。
体を包むのはゴワゴワした毛布。どうやら自分のベッドに眠っていたようだ。
「いたた……」
まだ頭には鈍い頭痛が残り、身体は錆びついた鉛のように重くぎこちない。
「ソニア?」
名前を呼ぶ声がした。ソニアが視線を向けると背の高い女性が立っていた。
緑の髪を持つゆったりとした雰囲気の女性だ。
「大丈夫? あなた道端で倒れていたのよ?」
女性は心配そうにソニアの顔を覗き込む。
(この人は知っている人……ええっと)
よく知っている人のはずなのに、頭の中でパチパチと何か切れたり繋がったりするような変な感じがしてよく思い出せない。
(あれ? なんだか私ヤバくない?)
ソニアは混乱する頭で必死に目の前の女性の名を思い出そうとする。
「は……」
そうだ。
「ハラさん」
「ハラ? なんだか発音が変ね。私の名前はハーラでしょ?」
ハーラは眉をしかめて、心配そうにソニアを見ている。
だがソニアはそれどころではなかった。
(私はソニア・カルヴァリ。先月14歳になったばかりで……そして五十鈴千佳、でもある。多分享年21歳)
蘇ってくる記憶に圧倒されソニアは再び意識を失った。
☆☆
時は深夜0時。場所は現代日本。
社会人2年目だった千佳はぼんやり光る液晶ディスプレイを前に必死に仕事をしていた。
「ちかー、もうあがりなよ。私あがるよ」
そう言ってパソコンをスリープモードにしながら、先輩の原が立ち上がる。
原はハーラと同じく長身だが、顔は余り似ていない。髪も短く揃えられて中性的な印象を受ける女性だった。
もちろん髪の色は緑ではなく、少し茶色気味だが黒髪だ。
彼女は入社7年目で、人が次々に入れ替わるこのの職場ではかなりのベテランということになってしまう。
「もうちょっとだけ……今日中にここやらないと明日課長から怒鳴られるんで」
「怒鳴られちゃえばいいんだよ。あいつ仕事のこと何も分かってないんだから。テキトーに組まれたスケジュールなんか守ってられないって」
それは千佳も分かっているが、怒鳴られるのは嫌だ。課長はわざわざみんなの前で怒鳴って罵倒するので心が落ち込む。
原は心配そうに千佳にもう一度帰るように促すが、いつものように諦め帰っていった。
それから3時まで働き、このまま会社で泊まろうかという想いをトイレの鏡に映ったボロボロの自分の顔を見て断ち切り、千佳は会社を後にした。
それが不運だった。
千佳の記憶の最後にあるのはヘッドライトの猛烈な眩しさだった。
その日の帰り道に深夜の道を誰もいないと思い込んで暴走する車が、横断歩道を渡る千佳を跳ね飛ばしたのだ。
普段なら暴走する車のエンジン音に注意したのだろうが、疲れ切った肉体と精神を抱えて一刻も早くアパートに戻ってシャワーを浴びるということだけを考えていた千佳は、近づく騒音ですら遠い世界のことのようにしか感じられなかった。
そのため反応が遅れてしまった。
(あー……やっぱり死んじゃったか)
痛みの記憶が無いのが不幸中の幸いだと千佳は心の中で苦笑いを浮かべる。
そして同時に千佳にはレオポートの冒険者ソニア・カルヴァリとしての14年間の記憶もあった。
(やっぱりここ異世界だよね?)
この世界は千佳の住んでいた地球で言うところの「剣と魔法」の世界のようだ。それも、勇者と魔王が戦いを続けるヒロイックなファンタジー。
そんな世界でソニアは町の近くにある小さな領地を治める領主の一人娘として生まれた。
貴族は勝ち組かと思えばそんなことはなく、戦争を名分に王から様々な臨時税が徴収され、払えなければ代わりに兵を要求される。
税金が払えないくらいの財政事情なのだから、兵を集めるのも一苦労だ。最終的には領主を始めとする一族が自ら兵士として戦争に行くことになる。
ソニアの両親もソニアを残して王軍に参加し、そしてバトー砦というソニアもよく知らない場所でみんな戦死してしまったという紙切れだけが帰ってきた。
それからまたソニアの知らない場所で物事が決まり、隣の領主であるクルトという男がソニアが住んでいた領地を管理することになり、ソニアは自分の家から追い出されてしまう。
途方に暮れていたところにやってきたのが、“ペガサスオーダー”のリーダーでソニアの両親に雇われ従軍していたというヴァンスという冒険者だった。
ソニアの両親には恩があると自称するヴァンスを胡散臭く思いつつも、他に頼る人もなくソニアはヴァンスを頼ることにする。
ヴァンスはソニアを冒険者訓練所に入学させ、1年間の訓練期間の後に自分のクラン“ペガサスオーダー”へ加入させた。
ソニアにも多少は冒険者としての才能があったようで、すぐにある程度の仕事ができるようになる。
だが、最初はニコニコしていたヴァンスだったがすぐに本性を表し、ソニアを使い潰すように次々と仕事を与え続けた。
ソニアも拾ってもらった恩という負い目があるため、不満を抱えつつもヴァンスからの無茶振りをできる限り応えていく。
何度も怒鳴られ、はじめから達成しようがない目標を与えられ、無報酬の雑務を押し付けられ……そして過労から倒れるという状況に至ったわけだ。
(なんで私、ファンタジー世界でもブラック企業勤めしてるんだろう)
ソニアは自分の境遇の悲惨さに、意識の中で乾いた笑いを浮かべた。
前世でどんな悪行をすればこんな人生を二度も与えられるのか。
(よし辞めよう)
死んだ自分に何が起こったのかは分からないが前世の記憶を取り戻した以上、今の冒険者としての仕事が、命を削る異常な状況だと理解できる。
前世の失敗をここでも繰り返すわけにはいかない。
ソニアは決意を胸に記憶の海から浮かび上がっていた。
☆☆
うなされていたと思ったら、いきなりカッと目を見開いたソニアに、ハーラは驚いて思わず飛び退いた。
「だ、大丈夫?」
「ハーラ! ごめんなさい私冒険者辞めます!!」
「へ?」
過労で倒れ、ベッドで寝込み、目覚めたと思ったらまた倒れ、ブツブツなうなされていて、これはいよいよかと、ハーラは青い顔をしていたのだが、急に目を覚まし元気よく冒険者を辞める宣言。
ハーラが思考停止状態に陥るのに十分な状況だった。
「……お腹空いてるよね、スープ飲む?」
ハーラは止まった思考から、とりあえず目を覚ましたら言おうと思っていた言葉を伝えたのだった。
新作を書いてみました。
しばらくは書き溜め分があるので毎日更新になります。
よろしくお願いします!