相談
私が開いているカウンセリングルームに、
彼女…田中麻子が、入って来た時…一見、普通の女の子に見えた。
女子大生だろうか、可愛らしい服に、肩くらいのボブヘアで…
が、次の瞬間、彼女は、その髪に手をやると、引っ張った
それはウィッグだったんだろう、その下は、まるで尼さんのような、青々とした丸坊主だった
受付の女の子も、私も、一瞬、声が出なかった。
「それで、どうしたんですか?」
私は泣いている麻子を落ち着かせようと、出来るだけ穏やかに、優しく聞いた。
カウンセリングルームの、リラックスチェアーに座り
麻子は、「どうしよう、どうしよう」と繰り返している。
「誰かに、されちゃったんですか?どうぞ落ち着いて話して下さい」
何かトラブルに巻き込まれたのだったら、対処の方法も変わってくる
まずは事情を、と聞いた私に、麻子は言った。
「違います、自分で言って、やってもらったんです」
その言葉をきっかけに、麻子は話し始めた。
最初は…恥ずかしいんですけど、下の毛をお手入れしてたんです。
新しい水着を買って着てみたら、はみ出ちゃうような気がして…
ドラッグストアで買った安全剃刀…女性用のですけど、
それで、端っこの方だけ、キレイにしようと、シェービングフォームを付けて
お風呂場の鏡を見ながら…剃り始めたんです。
今まで、脇のお手入れはした事があったんですけど
何だか、下の毛を剃っていて、その感触と言うか、音とか、
剃った後、つるつるになる感じとか、気持ちよくなっちゃって…
それで、本当は端っこの方だけで良かったのに
もう少し、もう少し、って、結局…全部剃ってしまいました。
でも、二日ぐらいすると、チクチク生えてきて、気になるし
それで、ほとんど毎日のように、剃っていました。
でも…最初に剃った時の、一気になくなる感じとかは、なくて
それからはしばらく我慢して、少し伸びたら、また…って。
そんな事を繰り返していました。
ただ…伸びるまで、我慢出来ないと言うか…
自分でも、私って、変なんじゃないかと、思ったりもしたんですけど。
次は…眉毛でした。
朝、お化粧をする時に、眉の形を整えようとしたのですが
少し、少しだけ、と形を整えていくうちに
一瞬、一気に剃ったら、どんな気持ちだろう、って…魔がさしたみたいに
気が付いたら「ゾリッ」と片方の眉を、剃り落としてしまったのです。
どうしよう、と思う気持ちよりも、その感触とか、音とか
今まで生えていた部分が、真っ白になってて
すごくドキドキしました。
夢中になって、迷わず、もう片方も剃ってしまいました。
眉が無くなった顔は、奇妙で不安になりましたが、描けば良いし、と
開き直ったような気持ちもありました。
前髪で隠れるし、今はキレイに描けるメイク用品もあるし…。
そこで満足していれば、良かったんです。
気持ち良かった、また伸びたら…って終わりにしていたら。
でも、なかなか伸びないんですよね、一気に、なんて…
剃りたい、って気持ちがどんどん溜まって来ちゃって
思い付いちゃったんです…髪を剃ったら、どんな気持ちなんだろう、って
生えている面積も、量も、下の毛や眉毛とは比べ物にならないし
と言う事は、それだけ長い時間掛けて、剃る事ができる
髪を剃っている時、どんな感触なんだろう、どんなに頭に響いてくるんだろう
考えただけで、ドキドキしていました。
でも…さすがにそれだけは出来ない、しちゃいけない、って思いました
そんな事をしてしまったら、隠せないし、外にも出られなくなる
第一、頭全体なんて、自分では上手く出来ないし
そこで、考えました…じゃあ、部分的にだったら?
見えない部分…襟足の隠れた部分だったら?前髪の生え際少しだったら?
止めよう、ダメ、と思いながら、私は剃刀を手にしていました。
少しだけ、ホンの少しだけ…
後ろの髪を左手で持ち上げて、襟足の髪を、少し湿らせました。
ダメ、しちゃダメ、と言う気持ちと、したい、剃りたい、って気持ちがあって
ドキドキしていました。
そぉっと、下から剃刀を当て、上に動かすと、「ゾリっ」と思いのほか大きな音がして
短い産毛や、少し長めの髪が落ちました。
触ると、そこだけ髪がなくなって、ちょっとチクチクした感じでした。
慌てて、もう一度、同じ場所に剃刀を当てました。
剃っては触り、結局、襟足の生え際2センチくらい…剃り上げた状態になっていました。
これくらいなら、見えないから、と私は何度もつるつるになった部分を触って、ドキドキしていました。
髪は…肩に付くくらいありましたから、下ろしておけば、
大学に行っても、誰も気が付く人はいませんでした。
3日くらいして、伸びたら、また剃る、それで充分楽しんでいたんです。
でも…同じ事が続くと、段々それじゃ満足出来なくなってくるんですよね…
電車の中や、街で、丸坊主やスキンヘッドの人を見る度に
羨ましい、あの人はどんなに気持ちよかったんだろう、と考えるようになっていました。
やりたい、私も、全部剃ってみたい…
頭の中が、そんな事でいっぱいになってしまいました。
デパートのショーウィンドーに飾ってあったウィッグを見て、思いました
「カツラがあるんだ!剃ってしまって、これを被ればいいんだ!」
そのまま、そのカツラを買いましたが…いざとなると自分でやる自信がありませんでした。
生え際の髪を剃っている時にも、見えないから手探りだし
もし地肌を切ってしまったら…と思うと、頭全体は、怖くて…
剃刀も、普通のじゃ、ダメになってしまうかもしれない。
でも、やりたい…それでお店でやってもらう事にしたんです。
本当は自分で剃って、手に伝わる感触も楽しみたかったのですが
必死になってて、楽しめなかったら勿体ないし
じゃあ、剃られる感触や音を、じっくり味わおうと…
丁寧にやってくれそうな『職人さん』がいるような店を探しました。
裏通りに、古くからあるような店を見つけ、そこに決めました。
勿論、入るまでは、ドキドキしたし、止めようかと何度も思いました。
でも、店に入って、お店の人に「今日はどうしますか?」と聞かれて…
「剃って下さい…髪を、全部剃って欲しいんです」と思い切って言いました。
他にお客さんはいませんでした。
店のオジサンは、最初、顔剃りかと思ったらしく、でも、私が
顔じゃなくて、髪を剃って下さい、と言ったら、とても驚いて
ダメだよ、そんな事出来ないよ、と言いました。
私は、どうしてもしたいんです、『しなくちゃいけないんです』と必死に頼みました。
自分でも…必死になっているのがわかりました…
その時には、もう、何が何でも、そうしなくちゃ、と、それしかありませんでした。
オジサンは、じゃあ、仕方ない、泣いたりしないでよ、と言い
私はイスに案内されました。
白いカットクロスを付ける時に、髪を持ち上げて…
きっと襟足の、剃ってある部分は見えたと思うんですけど、何も言われませんでした。
「本当に良いんだね?全部剃っちゃって…後悔しないでよ」
オジサンは、髪を湿らせながら、何度もそう聞き、私はその度に頷きました。
いきなり剃刀で剃って欲しかったのですが、さすがにそれは無理だったらしく
まずはバリカンで刈るから、と言われました。
残念でしたが、仕方ありませんでしたし、バリカンにも興味が出てきました。
コンセントを繋ぎ、オジサンは、目の前にバリカンを突き出して
「じゃあ、やるよ」と言いました。胸が締め付けられるように、ドキドキしていました。
前髪を左手で持ち上げると、そこにバリカンが迫ってきて、ピタッと当たりました。
「ジジジ…ジジジ…」
髪を刈る音がして、目の前を落ちていく髪が見えました。
そのまま額の真ん中から、頭頂部を通り、つむじの方までいくと
一旦離れて、また額に戻りました。
刈った部分は、髪が1センチ以下になっていて、地肌が見えそうでした。
最初に刈った部分の、その横、そしてまた隣…
あっと言う間に、トップの髪が刈られて、次は横でした。
バリカンの振動が、頭全体に伝わってきて、とても心地良い感じでした。
長い髪が、どんどん刈られてしまうのは、少し悲しかったけど
『刈られている』って言うドキドキの方が強かったし
全部刈ったら、次は『全部剃られるんだ』と思うと、楽しみで…。
横を刈ると、今度は後ろからでした。
恐る恐る剃っていた襟足の部分に、バリカンが当たると、一気に上に向かっていき
後頭部も、あっと言う間に刈られてしまいました。
10分もしないうちに、高校野球の男の子みたいな、丸刈り頭にされました。
オジサンは「どうする?これでやめておく?本当に剃って良いの?」と聞いてきましたが
その為に来たんですから、お願いします、と言い、剃って貰いました。
蒸しタオルで蒸されて、泡立てたシェービングクリームを塗られて
額の方から剃られていきました。もうその音や、感触は、衝撃でした…
下の毛や、眉毛、襟足も、ドキドキしましたけど、それ以上…
何倍も、何十倍も…気持ちよかったんです。
耳の回りとか、後頭部とか…すごい時間を掛けて、丁寧に丁寧に剃られました。
耳の上を剃る時には、『ゾリ、ゾリ…』って言う音が、耳から入ってくるのと
直接頭に響いてくるのと、本当にドキドキしました。
長い時間でしたけど、終わった時には、やっぱりあっと言う間だったような気がします…
それで、流して貰って、改めて鏡を見たら…やっぱりショックでした。
剃りたい願望だけで、剃ってしまったけど、本当に青々として、
髪なんて、もうどこにもなくて…
オジサンが「ここまでしちゃったから、伸びるのは時間掛かるけど、
でも、いつかは伸びてくるし…」って言ったんです。
麻子は、そこまで一気に話すと、またシクシクと泣いた。
「先生、私、どうしたら良いんですか?これから、どうしたら…」
「髪を剃りたい」と言う気持ちだけで、後先考えずにしてしまったけれど
やはり今になって後悔しているんだろうなあ…
私は、そう思い、何と言って良いのか、少しの間考えていた。
「確かに、そこまでやってしまったら、元の長さになるには、何年も掛かるけど
髪は1ヶ月で1センチ伸びるわけだから…」とか
「キレイさっぱり無くなって、今日から新たな気持ちで…」とか
とりあえず、慰めのような、励ましのような事を言うしかなかった。
「髪がなくなって、女性としては悲しいだろうけど…」
「違うんです、先生、そうじゃないんです!」
私の言葉を遮って、麻子が言った。
「髪がなくなって悲しいのは…また伸びるまで剃れないから、悲しいんです」
は???
「元の長さにならないまでも、剃って気持ち良い~と思える長さになるまでは半月以上?
でも、剃刀だけじゃなく、バリカンも気持ち良かったんです~
だけど、バリカンでばっさり刈れるようになるまでは、数ヶ月?
あんなに気持ち良い事を知ってしまって、私はどうやって伸びるまで我慢したら良いんですか?」
は?????
カウンセラー歴も10年を超え、いろいろな人と接してきたけど、
こんなに頭の中がハテナマークでいっぱいになったのは、初めてだった…
何か言わなければ…何か答えを出さなければ…そう思いつつ
心の中で「そんなん 知るかっ!」とつぶやいたのだった。
おわり