第086話 ファントム(1)
まず、青があった。少し下に目線を向けるとそこは黒だった。一面の黒。黒、黒黒黒黒。
「ミハイルさん指示を下さい」
小うるさい兵が声を掛けてきた。何を指示すればいいというのか、それよりも言うべき事があった。
「街に入るな……、入るのは私だけだ。いいな!?」
そう言って、念を押し、オリジンの将軍ミハイルは一人街に入る。街に入って数分歩いた所でミハイルは目を瞑った。
『安いよ安いよ~! 何でも手に入る雑貨屋はここしかないよ~』
『ダイワ防具といえば、なんといってもここ。安くて品質がいいって評判なんだから』
『美味い紅茶があるよ~! ここでしか手に入らないよ』
街の人々の声が聞えてきた。賑やかな声。その声は想像力をかきたてた。美味い紅茶。レモンとお茶の匂いが混じり合った絶妙な香り。カップのとってを持ち、一口含むと口から恐らく芳醇なまでのレモンの香りが漏れるのだろう。ダイワ防具は、以前、駆けだしの冒険者だった頃、買い物をした事があった。何を買ったっけ。そう、革の鎧だ。あの革の鎧と共に幾多の戦いをくぐりぬけ、今はこうしてオリジンでも重要な地位にいる。店主の顔が浮かんできた。ハゲあたまにチョビ髭を生やしたオッサンだった。それにアシスタントらしき元気な女の子が1人。2人で店を切り盛りしていた。客引きは……たしか女の子の役目だった。ミハイルは懐かしくなりフラっとダイワ防具の前まで足を運ぶ。
『安いよ安いよ~! なんでも良い防具が揃うダイワ防具だよ~! 安いよ~!』
耳に聞こえる声に不意に涙が流れてきた。キャッスルワールドの最初の数ヶ月、この街で傭兵をしていたのだ。この街はいわばミハイルの故郷だった。握りしめた手が震え始めた。怒りを抑えられなかった。真っ赤に染まった目を開いた。開いた。
そこにダイワ防具店はなかった。イスイ飲料店もなかったし、原田雑貨屋もなかった。街の憩いの場であったベンチもそこにはなく。あったのは黒だった。黒……消し炭のような黒。かつて、そこには街らしきモノがあったという跡しかなかった。恐らく火。街全体が炎に飲み込まれた。計画的な放火。いや、放火だけではない。放火は仕上げだろう。ミハイルはダイワ防具店跡から数mほど歩き、それを見つけた。輪切りになった死体。首、胸、腰の三か所で輪切りになった死体が転がっていた。2つの首吊り用の輪っかに死体が2つ。苦悶の表情を浮かべていた。憩いの場であった広場のベンチに行くと、ほとんど全ての住民がそこにいた。折り重なるように山積みにされた死体。死体にはそれぞれ傷があり最終的にここで焼かれたようだ。ミハイルは死体の山に近づいた。
「おおおおおい! 誰かぁ!! 誰かいないか!? 生存者はいないか!?」
返事などあるはずがない。殺されたのだ。皆ころされたのだ。奴等に……【ファントム】に!!
「おおおおおい! 誰かぁ!」
街の外に放置されたオリジンの兵隊が冷ややかな視線で隊長であるミハイルを眺めていた。その視線がミハイルの視界に入った。わかってるさ、生存者なんていないって言いたいんだろ? それが【ファントム】の手口なのだから。
【ファントム】が最初に現れたのは2ヶ月ほど前になる。行軍中だったオリジンの軍隊が何者かに襲われた。生存者はいなかった。皆殺し、それが【ファントム】の手口だった。二度目は街が被害にあった。二度目も同じ、皆殺し。奴等はどこからかやって来て全ての人々を殺し終わるとそこから去ってゆく。そうして、オリジンの支配するキサラギエリアの街々がどんどん被害にあった。人々は震えあがった。オリジンの対応は常に後手を踏んだ。その場に急行すると大抵奴等はもういなかった。幽霊のように消え去り痕跡を残さない。それが【ファントム】だった。
――今っ!
ミハイルはその切れ長の瞳を閉じ、全神経を耳に集中させた。今たしかにっ! 声が。かすれたような声が確かに!
ミハイルは街の北の方に駆けた。そして、消し炭になった建物を迷いなく掘り起こしてゆく。「おい! お前達手伝え! 街に入っていいから!」
隊長のミハイルの声を聞き、オリジンの兵士が街に入りミハイルと同じ建物の瓦礫をどかしてゆく、すると中から男が出てきた。ミハイルは男の顔から炭を手でほろいながら声をかけた。
「おい! 大丈夫か!? しっかりしろ!!」
男はゆっくりと目を開けた。そして、消え入りそうな声で一言だけ洩らした。
「ファ、ファントム……。金髪の……お、お、恐ろしほど冷たい目をした……男……」
それで終わった。
ミハイルは男を抱きあげた。ミハイルは眉間にしわを寄せ、震えた。自分からほとばしる感情が何であるか、ミハイルは知っていた。




