第079話 策士(9)
僧侶ナナの視点からはじまります。
数分前に時間は遡る。
白いフードを被った僧侶ナナは大広間の階段で寝ていた。
夢を見ていた。
過去の夢を見ていた。遠い日の夢。自宅の食卓でお気に入りの絵柄の入ったマグカップを片手に自分を最も愛する人と話す夢。
『ねぇパパ?』
『ん? なんだい奈々』
『私……ちゃんとお嫁にいけるのかなぁ……』
『え?』
『だって、クラスの子の半分以上が一度は告白されたことがあるんだよ。なのに、奈々はまだ一度だって告白された事ないし。アキちゃんなんてほぼ毎月誰かしらに告白とかされてるんだよ。この不公平感はなんなのかなぁって時々思うの。そんなに魅力がないのかなぁ。何がそんなに違うんだろう……。確かに奈々はアキちゃんほど美人じゃないし、こう……特にスタイルがいいわけでもないけど……』
『ははは、奈々はアキちゃんが羨ましいのかい?』
『そりゃあ……ね』
『奈々は好きな人はいるのかい?』
『え? いないよ』
『なら告白されても苦しくなるだけだよ?』
『そうなのかなぁ……。告白されたことないから分からないや』
『断るって辛いものなんだよ。例えば奈々にとても好きな人ができたのに、勇気をだして告白してみて……、それで断られたら奈々はどう思う?』
『辛すぎて泣くと思う……』
『そうだね。そうだろうね。告白を断るということはそれだけの想いを否定することなんだ。自分に正直になって相手を否定することなんだ。これはね、本当に辛い事なんだ。その子の気持ちが辛いだけじゃなく、少しだけ、何か価値感が変わって来ちゃうんだよ。それに何度もやっているとなると、知らず知らずのうちに心が傷ついて、そこにカサブタみたなものが出来てきて、いつの間にか色んな事を感じれないように出来てくるんだ。告白される子には何の罪もないのに。その傷を負わなきゃいけないんだ。僕はね、それはとても不幸な事なんじゃないかって思うんだ。だからね、奈々はそんなことを気にするべきではないんだよ』
『でも……、もしもお嫁にいけなかったら……』
『いいかい? 奈々はねとってもいい子なんだよ。これだけの子をほっとく男の子がいるわけがないよ。それに結婚しようがしまいがパパは奈々にいつも笑顔でいてほしいんだ。それに奈々はもっと自信を持っていいんだよ。奈々は世界中の人と比べても最高に可愛くて、最高に美しいんだよ。それに美しい心を持ってる』
『そ、それは……パパが奈々の親だからそう思うの!!』
『え? 全然違うよ。こんなに綺麗な子は世界中探したっていやしないよ、パパが保証する。それにね、もしも本当に誰も奈々と結婚したくないというのならそれでもいいんだ。その時はパパが生涯奈々を守っていくから。何があってもどんな事があっても、パパが絶対にいろんな不幸から奈々を守ってみせる。だから何も心配しないで……僕の可愛い娘……』
「…………パパ」
ナナの意識は覚醒した、パプアのバイオリンを演奏する音が聞こえてきた。一度体を起こし、そちらを見た。酒宴は続いていた。椅子に抱きつき眠るルカと踊るライオネルの姿がナナのこぼれ落ちそうな瞳に映った。
ナナは溜息をついた。今見た夢をハッキリと覚えている、どっしりとしたパパの体型も、優しい笑顔も……。ナナは急に寂しくなった。ママにも会いたい……せめて夢の中でも。早くここから抜け出したい……こんな死の世界から……。
ふと、何気なく窓から空を見た。ナナの座る大広間の階段からはちょうど正面に大きな窓がある作りになっていた。外はまだ暗いままだった。だが、今……一瞬何か窓を横切った気がした。アレは……大鷲? 大鷲は確かモトヤさんが恐山で手に入れたモンスターだったハズ。でもモトヤさんは指導者という職業についてもうモンスターは扱えないんじゃなかったかしら?
酔っ払ったままの頭で少し考えるが、よく分からなかったので、もう一度寝ようかと思った。
――でも階段で寝るのもなぁ……。
ナナはもう一度、演奏するパプアの方を見た。パプアは既に何時間も演奏しているハズなのによほど楽しいのか、曲を変え、またニヤつきながら演奏を始める。ナナのパプアの印象と言えば“乞食みたいな恰好をした皮肉屋”……という印象しかなかった為に、こんな楽しそうに演奏する姿を見るのは新鮮だった。そういえば……もう何時間も飲んで歌って踊った気がする。すると踊っていたライオネルが何やら不思議な顔つきでこちらに向かって来た。
「ねぇナナちゃん……ソレ……なに?」
ライオネルはナナの下のあたりを指さした。
――ん?
ナナは下を見た。自分のお腹がどんどん膨らんできていた。それと同時にお腹からは光が漏れていた。
――ん? え? え!?
パプアは立ち尽くすライオネルの顔を見て演奏を止めた。そして立ち上がりフラフラ歩いてくると、ナナのお腹を見て、バイオリンを投げ捨て走っていった。
ナナは意味が分からなかった。パプアは酷い顔をしていた。大きく動揺した様な……、いや……違う……。絶望を感じた様な……そんな表情。
青くなったライオネルが歯を振るわせながら言った。
「ナ……ナナちゃん……確かマオが言ってたよな……」
ナナはトールマンのスキルについてマオのした話を思い出していた。
『まず、お腹が膨らみ始めるわ、次にそこから光が漏れる。お腹は更に膨張し、肉体は耐えきれなくなり、やがて四方に飛び散るわ。そして、そこから光が飛び出し半径200mの範囲にいるプレイヤーは全て死ぬわ……、溶けてね』
…………。
全身が震え始めた。全ての時間がゆっくり流れてゆく。確かにこれはあのときマオに聞いたことと酷似している。だが、だからと言って全く同じ現象とは限らない筈だ。ナナは目の前にいるライオネルに訊いた。
「え? え? 嘘だよね? 嘘だよね!?」
ライオネルは強張った顔で息をしていた。ただ息をしていた。そんな顔をしないほしかった。笑ってほしかった。他の何かだと言ってほしかった。これは何かの間違いだと。ナナはほとんど泣きそうになりながら声を絞り出した。
「ねぇ嘘って言って!! ねぇ!!!! 何で私なの!? ねぇ何で!???」
ライオネルは何も答えなかった。ライオネルは顔面蒼白になり、大広間の絨毯の上にへたり込んでしまった。いや腰を抜かしたとでも言えばいいのだろうか。そして、這いつくばるようにして城の外を目指しはじめた。その姿は重い甲羅を背負った亀が歩く様に似ていた。このライオネルの行動が全てを現わしていた。
ナナはもう確信せざる得なかった。
死ぬのだ……今から数分後、いや数秒後にでも死ぬのだ。確実に死ぬのだ。逃げられない死が訪れたのだ。死は巡り巡って自分の所にやってきたのだ。死……。死!?
ハンマーで全身を殴られた気がした。細胞の一つ一つが悲鳴をあげている気がした。この世界に来てから、どこか現実じゃない気がしていた。
違った。
ここは限られた生を競う場で……、
――私は……、負けたんだ。
全てに実感が伴った時ナナの意識は恐怖の渦に飲み込まれた。
「いやぁああああああああああああああああああああああああああああ」
ナナは半狂乱になり、走りだした。どこをどう走ったか、そんなことは覚えていない。遠くの方でパプアの「跳ね橋が下りねぇ!! 畜生!! あああああ!! 畜生!!」という声が聞こえてきた。最早どうでも良かった。分からなかった。どうして自分がこんな目にあっているか。何で? 何で!? 何で自分が!? 息が吸えない気がした。目からは涙が止まらなかった。気づけばナナはバルダー城の王の間にいた。王の間の外にはバルコニーがあり、ナナはそこに飛びだすと手すりにつかまり、泣いた。大声を張り上げ泣いた。
不意にパパの顔がよぎった。言葉も。
『その時はパパが生涯奈々を守っていくから』
嘘つきと思った。
助けてほしいと思った。
せめて最後に……もう一度だけ会いたいと思った。
「パパァアアアアアア!!!!!!!! パパァアアアアアアアアアアアアアア!!!!! ママァアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」
天は無情だった。
ナナの肉体は一気に膨らみ四方に飛び散った。
衝撃波と共にバルダー城のバルコニーに悪魔の光が誕生した。
光はバルダー城に残る全プレイヤーを溶かしていった。
パプアは10人程の人々と跳ね橋を押していた。開閉装置が壊され、人力で開けるしかなかったのだ。ビクとも動かない跳ね橋に向かって必死に押し続けた。
「諦めるなぁああああああ!! いくぞー!! せーの!!」
次の瞬間、10人程の仲間たちと一緒にパプアは溶けた。
ルカは椅子に抱きついたまま溶け、出っ歯の男は地下牢で溶け、ライオネルは大広間で這いつくばったまま溶けた。
バルダー城を占領したM&Jのプレイヤーは運よく城外で放尿していたモトヤとアリスを除き、全てが溶けて……死んだ。
この光こそが、モトヤが見た二つ目の満月の正体だった。
「あ……あ……」
モトヤは小高い丘の上で膝から崩れ落ちた。
それと同時に、心に被ったリーダーの仮面が剥がれ落ちた。
自信に溢れたモトヤは消え……モトヤは……ただのモトヤに戻った……。
息が出来なかった。
何でこんなことになったのか誰かに説明してほしいと思った。意味が分からなかった。本当に意味が分からなかった。
自分は夢でも見ているのではないかと思った。
悪夢を……。
「ば、爆弾は……トールマンの中にあったハズじゃ……こんなハズじゃなかったんだぁ……。なぁアリス……アリスぅ」
ようやく絞り出した声はうわずり、震えていた。その声のあまりの情けなさにモトヤは自分自身の耳を塞ぎたかった。
モトヤは無意識のうちにアリスの足にしがみつき、アリスを見上げた。アリスは恐ろしい顔をして、空中のある一点を凝視していた。アリスに導かれるようにモトヤもゆっくりと首を回しアリスの見つめる視線の先を見つめた。遥か上空を……。
そこには翼を動かす大鷲にまたがり、こちらを向いて微笑するマオの姿があった。米粒くらいにしか見えないが、それでもハッキリと分かった。それぐらいマオの微笑みは不気味だった。暗闇の独房の中に居た頃のように妖しい雰囲気が戻り、遠くにいるにも関わらず近くから息遣いが聞こえるような……そんな気持ちにさせられた。
マオと……目が合った。
マオの視界に捉えられてしまった……という恐怖は言葉につくし難いものがある。蛇に睨まれた蛙の気持ちが分かる気がした。食物連鎖の絶対的な上位生物から睨まれた……そんな気にさせる悪寒が全身を走り抜けた。
――あ、悪魔だ……。
今すぐこの場から逃げ出したかった。
何をどうやったかは分からない。しかし、分かったことが一つだけある。マオなのだ……この現象を引き起こし、仲間を皆殺しにしたのはマオなのだ……。あの女以外ありえないのだ。
すると突然近くからマオの声が聞こえてきた。
「ふふふ、計算外だったわ。まさか一番殺さなければならない二人が残っちゃうだなんてね……。なかなか上手くいかないものね」
モトヤとアリスの心拍数が一気に跳ね上がった。モトヤは掴んでいたアリスの足を離し四つん這いになりながら必死に後ずさりし、アリスは人差し指を口に当て、何かの呪文を唱えようとしていた。
マオは依然200mほど上空で大鷲の背中に乗り優雅に佇んでいた。
二人は意味が分からず顔を見合わせた。すると、またマオの声が聞こえてきた。自分のすぐ傍から聞こえるみたいに。
「この人生スキルは【船場吉兆】と言って、選んだ対象と300m以内であればまるで囁くようにリアルタイムで話ができるというスキルよ。ふふふ、なかなか便利なスキルよね」
モトヤは一瞬、聞き違いか? と思った。
人生スキルは1人に1つだけのものであるハズだし、例外なんて聞いた事がなかった。
「リーダー……あなたの考えていることは分かるわ。人生スキルは1人につき1つ。その1つは嘘発見器で証明した“人から人へあらゆるものを移動させる人生スキル”の【受け継がれる者】である。そう思っているでしょう?」
違うのか? モトヤはそう思った。嘘発見器で確認したし、何よりそのスキルのおかげで魔物使いから指導者になれたのだ。この人生スキルの効果に嘘はないはずだ……。そう思った所にマオが言葉を洩らした。
「プレイヤーって……死んでHPが全部なくなったとしても死体としてそこに物体だけが残る場合が多々あるの。私がしていた実験。それは、【受け継がれる者】を使い“死体から私に人生スキルを移動する実験”よ。そして何十何百の実験の末にようやくその方法が見つかったの、人生スキルを死体から奪いとる方法をね。つまり、今の私はキャッスルワールドで唯一の例外。複数の人生スキルを保有する女なのよ。……だからこんなこともできるわけ」
マオはこちらの攻撃が届かない上空で両手を前にだし、何かを呟いた。
するとモトヤの近くに円形の空間が現れ、そこからサイに似たモンスターが飛び出した。アリスが素早く魔法を唱え、サイを燃やすと、笑ったマオの声が近くから聞こえてきた。
「あはははははははは、ほんのデモンストレーションでそこまで驚かないでよ。これはA地点からB地点までモンスターを移動させる人生スキルなの。空間に異次元の穴を開けてモンスターを移動させる……ってオプションの説明には書いてあるわ。使用方法は簡単で人生スキルを唱えると視界にA地点とB地点の座標を入力する画面が現れるの、ここにポチっと座標を入力するだけ、今このスキルを使ってリーダーの真横のあたりにモンスターを出現させたの」
――な、な……。
モトヤはこのモンスター専用ワープ能力のあまりの凄まじさに言葉を失った。
「ただしね……このスキルには1つ大きな欠点があるのよ。とても残念な欠点がね。A地点とB地点の座標を入力すればいいだけと先ほど言ったけど、実際に私が行った事のある場所(座標)じゃないと、そもそも座標を入力できないような仕組みになっているのよ。不便よね。私が行ったことのある場所じゃないといけないなんて……。ふふふ、そこでリーダーにクイズよ」
人生スキル「船場吉兆」の影響で近くから聞こえるマオの声が弾むのがモトヤにも分かった。
「リーダーには次に私が攻撃しようと思っている目的地がどこになるかを当ててほしいの。つまりB地点の場所をね。A地点に入力する座標は既に決まっているわ。リーダーのくれたこの白老からの手紙……ここに書いてあるモンスター牧場の座標……これを入力するの。バルダー、キサラギ、ライナル……すべての牧場の座標よ。えっと、これでよしと。これでA地点の座標の入力は完成…………10秒待つわ……B地点を当てて御覧なさい。もしも当てたら攻撃を中止してあげても良いわ」
「あ……あ……」
モトヤは地べたに座りながらマオの口から漏れる言葉を聞き、必死に頭を働かせていた。泣きだし、鼻水をたらし、恐怖におびえたモトヤは頭をフル回転させることで何とが自我を保とうとしていた。これは一種の逃避に近かった。
「ふふふ、10、9、8、7」
分からない、分からない、分からない、分からない。
座標は一度マオが訪れた場所じゃないと入力することができない。マオがどこに訪れたかなんて俺には分からない!!
「5、4、3」
マオが訪れた場所……。
マオが居た空間。
マオの居た深い闇の空間。
「1、……」
これに気付いた時、モトヤは叫ばずにいられなかった。
例え間に合わなかったとしても、その衝動がモトヤの声帯を振るわせた。だが無情にもその一瞬前にマオは最後のカウントを告げた。
「ゼロ」
「逃げろオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ阿南ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!! ミシャラク城を捨てろおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!! 捨てるんだぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
マオはそのモトヤの声を聞き満足そうに笑うと、モンスターをA地点からB地点へ移動させる人生スキル【異なる道】発動した。
「ふふふ、一歩遅かったわねリーダー。そして、これでチェックメイトよ」
同時刻、ミシャラク城のマオが居た地下牢に円形の亜空間が現れた。




