第072話 4人の話
ミシャラク城には部屋が無数にあり、幹部クラスは個室を持っていた。その中の1つに阿南の個室があった。
穏やかな光が目蓋を刺激する。光は朝を告げていた。
「うぅ~む」
阿南は寝ぼけまなこをこすりながら布団を這い出た。どうもカーテンの隙間から光が洩れているらしい。欠伸をしながら閉じ切ったカーテンを左右に広げると10倍ぐらいの明るさがワッと瞳に突きささる。一瞬、腕で顔を覆うが、徐々に慣れてくると恐山の作りだす壮大な自然が窓から顔を覗かせた。恐山に生える木々の頭がワサワサと群れをなし、おじぎをするように風に揺れ、緑が左右に動く。やや上を見た。雲ひとつない青空だった。阿南は振り返り、日が射す自分の貧相な布団を見た。これは、この部屋に元々あったベッドをどかせ、特別に用意してもらったものだ。布団じゃないと安眠できない、これは阿南が現実世界に居る時からの癖だった。ここまでくると、もう一種の習慣病と呼ぶべきかもしれない。まさか仮想空間でさえ布団が必要になるとは阿南自身思っていなかったからだ。阿南はタンスから軍服を出した。阿南はこの旧日本陸軍の軍服が好きだった。元々この服一式が着れるという話でワザワザゲームセンターに足を運んだのだ。いい歳したオジサンが……と馬鹿にされるかもしれないが。好きという気持ちは何にも代えがたいものがある。だが、その“好き”に殺されそうになるとは阿南自身想定していなかった事だ。
阿南は鏡に映る自分を見た。軍服が最高に似合っていた。この姿を見ては日々のモチベーションを保とうとしていた。1年もの長きにわたり生き抜き、そして最終的にナンバー1のクランになるという目標を……。1クラン……、たった1クランしか現実に帰還する事ができないのだ。阿南は自分の妻子の名を口に出した。
「恵子、城を1つ手に入れたよ。リクはどうしてる……。父さんはもうすぐ帰るからな……」
無論、この世界に写真などは持ってくることはできない。だから頭の中で妻子の顔を浮かべ、祈るのだ。偶然であるが阿南が主に選んだモトヤという少年は想像以上に頭が切れる人物だった。それに阿南が思っていたよりも非道な男に成長した。敵に向け非道であるというのは良い、それは阿南が望む人物像でもあった。だが、味方に対しどういう感情を抱いているのか……イマイチ分からなかった。少なくともこれまでの作戦では味方を捨て石にするといったような戦法はとらない人物だという事は分かった。いや、それだけ分かればいいのかもしれない。元々深い付き合いでは無い、帰還の目的の為に力を合わせている、それだけの関係だ。だが阿南にとってモトヤは童話「蜘蛛の糸」のような天に続くただ一筋の糸だった。このクランは間違いなくあの少年の才能でもっている。そんな人物と偶然知り合えたというのは自分の運がまだ尽きていないという事を示しているのだと思った。ここで突然思い出した。
「そうであった」
阿南は昨日選んだ4人のリストをモトヤに届けるのを忘れていた。オプションから4人の名前が書かれた紙を取り出した。
「たしか以前バルダー城で戦った中にはモトヤ殿の親友がいたはず……。ならば知り合いであるかもな」
4人のリストの中にはバルダー城での防衛指揮の経験ありということで採用された人物がいた。
★☆★
「また、あの夢だ……」
アリスはベッドから体を起こすと、再びベッドに寝そべった。
昨日モトヤと言い争いをした。そのせいだろうか? と思った。
――“あの日”の夢はしばらく見ていなかったのに……。私がまだリアナと名乗っていた時の……あのキサラギ城陥落の日の夢……。
あの日、北部のムツキの街の住人の要請で城に20人だけ残し、クラン《ストリーム》の80人はその場に赴いた。待っていたのは山賊ではなくオリジンの部隊だった。ドムの号令で素早く布陣し、左の軍は騎士ジェットが中央はドムが、右の軍はナイメリアが担当した。リアナは後方で支援の為の部隊を作りそこで3軍を後ろから支えた。勝てると思った。ストリームは無敵の軍なのだから。
戦いは序盤から動いた。騎士ジェットの担当する左軍が無謀な前進を始めた。ドムの中央軍は引きずられるように前に出て、ナイメリアの右軍は右往左往していた。リアナは戸惑った。いや、焦ったと表現した方が正確かもしれない。嘘のように変化してゆく戦場に全く対処しきれなかった。やがて、左軍が壊滅し、右軍が敗走し、中央軍と後方の軍だけが残った。その時、遠くから煙が上がるのがリアナの瞳に映った。その方角を見て一瞬で分かった。キサラギ城が奪われたのだと。孤軍となったストリームの軍は数十分粘り、その後壊滅した。だが、近くに森があったのは幸運だった。ドムとリアナは森に逃げ込み……、そして、ドムだけがトラバサミの餌食となった。
『僕の本当の名前は雨宮トオル……。僕の娘に……雨宮アリスに……僕の最後を伝えてくれ……僕の言葉も一緒に……』
胸が引き裂かれそうだった。その言葉が今生の別れを意味するセリフだとハッキリわかったから……。
そして、リアナは「アリス」となった。「アリス」としての日々は生きる事を義務と感じる日々だった。ドムの言葉を届ける為だけに生きる日々。既に死んでしまった尊敬する人の言葉を伝える為の道具として過ごす日々。孤独で頼れる味方がいない日々。お調子者のジェット、しっかり者のナイメリア、繊細なラキア。
――そして、皆のリーダーで、私の憧れの人……ドム。
皆、死んだ。全員殺された。壊れそうだった。リアナは年齢的には一番下だった。だから皆が感情的ですぐ不貞腐れる自分を支えてくれた。時には叱り、時には優しく包み込んでくれた。
それが無くなった。
いつしか孤独がリアナ……、いやアリスを変えた。敵に容赦がなくなり、強気で、冷静に分析できる女に……、そう思っていた。思っていたけど……、昨日、出そうになった。感情的ですぐ不貞腐れる自分が……。あの男と向き合う事で……。
モトヤ……。
今のリーダー。ドムとは違い、迷う人。卑怯で、冷酷で、そして恐らくこのキャッスルワールドが産み落とした最高傑作。このゲームは恐らく滞りなく組織を運営し、上手く軍を動かし、謀略を使いきる者が勝つ。
――私はできない、どの才能も私にはない。モトヤは全ての才能を持っている……。それが羨ましく、また頼もしい。でも……。
アリスに昨日の言い争いの記憶が蘇る。
――鈍い……モトヤ……、結局信頼できる人間同士じゃないと命を預けることなんて出来ないのよ。マオは私達とは根本的に違うのよ。なんでマオが危険だと気づかないの……? 私には分かる……分かるのよ……。
★☆★
ミシャラク城から出ると虎の壁に至るまでの間に平らな大地がある。そこはいつもフィオナの訓練場だった。フィオナの動きは独特を極める。その曲線を描く“踊り”はたゆまぬ努力によって身につけられていた。
「姐さんは、いつもその曲刀を持って踊っていますね」
筋骨隆々とした肉体を持つオドムがフィオナに聞いた。フィオナの答えは単純明快だった。
「それがアタイだからさ」
フィオナの持つ剣はペルシャ語で「シャムシール」と呼ばれる剣で、その重量と形状に特徴があった。持つと軽く、片手で振りまわす事が可能で、形状は刀身の途中から極端に曲がった形をしており、突くことよりも斬る事に特化していた。フィオナはこの武器を一目見て全財産をつぎ込み買った。
人より運動能力は優れている自信があった。フィオナは半年前「阿川絵里」だった自分を思い出していた。
絵里が思い出すのは、小さな寝床、五月蠅い車の音、そして自分の踊りだった。絵里は抜群の成績でダンス学校を出て某テーマパークのバックダンサーとして生計をたてていた。だが、些細なことから団員同士で殴り合いのケンカとなり、追われるように仕事を止めた。そんな絵里を待ち受けていたのは小劇場を中心とした不定期の仕事だけだった。不安定な生活をする絵里に向ける母からの言葉いつも決まっていた。
「いい相手はいないのかい?」
ようは結婚によって安定した生活を送れというのだ。結婚結婚結婚。実際そんなものなんてどうでもよかった。もちろん思春期から数えて幾人かの男と付き合った。退屈な男たち……。貯金がどうだの、仕事がどうだの、男は夢を追うだなんて嘘、皆自分の将来に怯える小鹿の群れだった。
絵里はそんな小鹿達に全くと言っていいほど興味を持てなかった。
「絵里はさ、高望みしすぎなんだよ。私の旦那なんて魅力どころか生理的に無理だって思う時あるもの」
親友の小川裕子から言われたセリフだ。むしろ絵里にとって裕子の価値観の方が信じられない。生理的に無理な相手になんて絶対に体に触れられたくない。何故そんな相手を結婚相手に選ぶのか理解不能だった。裕子はこともなげに言う。
「結局は金じゃない? 私と子供が安心して暮らせることがまず第一だし」
「アンタの割り切りには敬服するわ」
別に理想があるわけではない。男を意識するわけでもない。ただ単に自分が惚れそうな男がいない。それだけなのだ。それに今はやらなければならないことがある。
「アタイは表現者なのさ」
オドムが頷く。
血は好き、イメージを描きたてるから。斬った痕の傷口も好き、そして殺しは……もっと好き。踊りは、誰かを殺す度にインスピレーションを増し、鋭く激しくなってゆく。
フィオナは現実への帰還が待ち切れなかった。
表現者として確実に人を魅了できる自信があったから。
★☆★
「私……運が悪いんだよねぇ……」
ミシャラク城の大広間付近の階段に座る白いフードのナナは、同じく階段に座っていた畑中に愚痴をこぼしていた。畑中はそんなナナの背中を陽気に叩く。
「なぁに! 気にすることないって!」
畑中は何故かナナには優しかった。ナナもその点に関しては不思議だった。畑中は性格に問題があり、リーダーのモトヤとぶつかることが多かった。いや、モトヤだけではない、フィオナとぶつかり、オドムとぶつかり、他多数のクランメンバーと揉め、影では「狂犬」と囁かれていた。畑中を制御できるのは阿南くらいのもので、阿南以外の人間に対しては傲慢で耳を貸さず、自分の意見が通るまで強硬に押し通すような人間だった。しかし、ナナと喋るときだけは何故か老犬のように大人しく、また子犬のように人懐っこかった。ナナがピンク色の髪をいじりながら呟く。
「ん~だってぇ……そもそもゲームセンターに来たのは、あの時が初だったの……。それがこんな事件に巻き込まれて……。パパもママも心配してるだろうなぁ」
「俺だってそうだよ。ゲームなんざオタク野郎のするものであって俺はやらねぇって周りには言ってたんだけどさ。彼女に振られて朝まで飲んで、あーんと……それから…とりあえず個室がある場所ってことでゲームセンターに入って……。まぁ入ったからにはやってみてもいいかもなって軽い感じでゲームに入ったら……、まさかってヤツだよ」
上には上がいるものだとナナは思った。
「畑中君も運がないんだねぇ……、しかも、彼女にも振られてるし! ふっふふ」
「あっ!? そこ笑う所なのか!? ヒデーなおい」
「え? あはははは」
ナナにとって畑中は「いい人」だった。気軽に話しができるし、気を使わなくてもいい、それに畑中の話は面白かった。その畑中は何秒か前から大広間にたむろう人だかりが気になるのか、頻繁に人だかりをチラチラ見ては威嚇していた。
「あれが気になるの? 畑中君」
ナナは人だかりを指さす。
「そりゃだってよ……。急に集まって来てるし……何かなぁ~って」
ナナは少し拗ねるように答える畑中のことが嫌いではない。
「アレはモトヤさんが何か実験してるんだって」
「実験?」
「え~っと……嘘か本当か本当か嘘か? みたいなの? かなぁ」
ナナは言い終ったあとに畑中の顔を見たが、自分が言った言葉を全く理解してない顔に見えた。ひょっとしたら自分の言い方が不味かったのかもしれないと思った。そんな時は実物を見せるにかぎる。ほら百聞は~っていうじゃない?
「ちょっとあっち言って見てこよ?」
「え? 俺はいいよ。モトヤの野郎が何か偉そうに喋ってる所見たらムカつくし」
「いいからいいから」
「おいちょっと!」
ナナは畑中の着ている特攻服の袖を引っ張った。畑中は少し照れた様子で立ち上がった。ナナは思った。自分はひょっとしたら運が悪いんじゃないかもしれないと、少なくともこのクランに来てからは笑える日常を送っている。城は手に入るし、このまま上手く行けば帰れるかもしれない……現実世界に。それに……“いい人”とも出会えた。
「ねぇ! 早く!」
「しょうがねぇなぁ」
二人はモトヤが何かを実験する人だかりに向かって歩き出した。
その歩みは希望に満ちた歩みだった。




