第005話 竜虎旅団(1)
ゲームの開始から一夜が明けた。
モトヤは木窓の隙間から差し込む光がまぶしくて目を覚ました。天井が見えた。いつもの天井ではなかった。それから数秒後に、ここはゲームの中なのだ、と気づいた。
不思議な気分だった。
何もかもが夢だったような気がするし、そうじゃない気もした。
部屋を見回すと、掛け布団を抱きかかえながら不細工な恰好で寝るジュンがいた。モトヤは鼻を鳴らすと、視界の右下に映る白いフォントカラーで表示されている数字を凝視する。そこには現在の時間が表示されていた。プレイヤーにとって命の期限ともいえる時間が……
2060/05.02/09.45
つまり、今は西暦2060年5月2日の午前9時45分ということだ。この表示が2061年5月1日ちょうどになった時点で、勝利条件を満たしたプレイヤー以外の全員が死ぬ。それが、あのクソッタレ老中の話したキャッスルワールドのルールだった。
モトヤは1年後に確実に訪れる死を想像した。
絶望と怨嗟の声が辺り一面に木霊し、皆自暴自棄になっているに違いない。そして、やがてタイムアップを迎えると、それまでの騒ぎが嘘のようにパタリと静かになるのだろう。そんな静けさが最後の瞬間に訪れ、この世界は死で溢れる。
――そして、恐らく、そこには俺も……。
悪寒がベッドの上で横たわるモトヤの背中を走り抜けた。
ゆっくり鼻から息を吸い、そして口から大きく吐きだす。
数秒、何も考えず天井を見上げたままボォーとしていると、木窓の隙間から射し込む日差しが、横顔を照らす。
とにかく、そんな未来の事を考えても仕方ないと思った。
「そういえば、ホラフキンが昨日何か言ってたよな……」
『今日はこれまでという事にしよう。詳しい事は明日話し合おう』
昨日、あの騒ぎがあった後に「竜虎旅団」はロビー付近の数戸の無人の家を占拠し、ホラフキンは皆に向かってそう言ったのだ。
これに皆賛同した。
皆、あの老中の真壁の説明を聞いてグッタリしていたのだ。最早立っているのがやっと、というプレイヤーもいたのかもしれない。とにかく、あの後、竜虎旅団はすぐに解散し、それぞれの宿舎に入り、ベットに飛び込むと皆泥のような深い眠りについた。
モトヤは上体を起こし、ベットからそろりと体を出した。そして、宿舎を出て日光を浴びる。光が体に染みた感じがした。人間、日光を浴びなければどうも活動を始めようという気にならない。
正直なところ、ここはゲームの中なので日光もへったくりもないわけだが、それでも太陽の光を浴びてると思うだけで何やら健康的な気分になってくるのだから人間というのは不思議なものだ。
すると、ある光景が目に飛び込んできた。
「なんか……昨日よりも人が増えてる気がする」
はじまりの街のロビー前の幅の広い開けたメインストリートに、沢山の人だかりができていた。目を凝らすと、昨日までは影も形もなかった出店がそこに軒を連ねていた。いや、出店だけではない、野球場の売子のような、立ち歩き物を売る人や、その奥の家自体を店舗にし、人を呼び込む人まで様々な人がそこにはいた。
いつの間に……、モトヤはそんなことを思いながらあまり流行っていない出店に足を向ける。
「いらっしゃませ!!」と目の細い不細工な女店主が愛想よく話しかけてくる。
「あ、いや……ちょっと話を聞きたいんだけどさ」とモトヤが言うと、その“話を聞きたいだけという態度”に女店主“ヤードラット聖人”は露骨に嫌な顔をした。
「普通さ、何かを聞くにしても買ってから聞こうかなとか思わない? 何も買わずに話を聞くだけとかさ、ありえないよね?」
「え?」
モトヤは視界の左下を見た。そこにはゴールドと書かれた表示がある。そこにはきっちりと100と表示されていた。このゴールドはみんなにあらかじめ配られるものなのだろうか?
「でも俺……100ゴールドしかないんだけど……」
「大丈夫! 100ゴールドもあれば……そうね、これなんか買えるわ【 人生スキル発動棒 】え~なになに? これを刺すとMP消費なしで人生スキルを発動させることができます? 自分にも刺しても他人に刺しても有効ですが既に人生スキルを会得している人ではないと意味がありません? また刺すと人生スキルが勝手に発動するのでくれぐれも取扱いには気をつけて下さい……これはえ~と……消耗アイテムね!」
説明が一切頭に入ってこなかった。この店がやけに不人気な理由が分かる気がする。明らかにアイテムの説明を読んでいるだけというのが丸分かりである。
「え? あの……人生スキルって何?」
この言葉に対しヤードラット聖人はつばでも吐きかけるように激しく反応した。
「知らないわよ! いいから買いなさいよ! 私から何か聞きたいんでしょ? ほら早く買いなさいよ!」
何て強引な売り方をする女なんだ……。
モトヤはこの手の強引な手法に出会ったのは生まれて初めてで思わずこの【 人生スキル発動棒 】を80ゴールドで買ってしまう。
「やったぁあああやりぃ!! もうけ~~」
お客様に対するセリフとは思えない。
「それで? 私から聞きたい事ってなに?」
やっと質問しても良い状況になったらしい。まさか、素朴な疑問を聞く為に80ゴールドも使ってしまうとは……。
モトヤは先ほどの疑問をヤードラット聖人に尋ねた。
「いや、あのさ……昨日ってここらへんに誰もいなかったよね? なんでこんなに商売をする人が急に増えたのかな?」
「ああ、そういうことね。分からないの? 皆“戦って死ぬよりは商売の方がマシだ”って思ったからよ」
「え?」
「だって昨日の老中のセリフ覚えてる? 1年後までに多数の城を占領するクランに所属するか、金を稼いだ者上位100名までしか生き残れないのよ? 例えば城を占領しようと思うじゃない? でもその時に戦いになるわけでしょ? 何度も死ぬかもしれない思いしてやっとゲームクリアできるかどうかって話なのよ……。そんなリスクあたしは冒したくないわ……となると後は金を稼ぐしかないのよ。で、どうせやるなら早い方がいいと思ったってわけ。このロビー前の通りで商売してるみんなもそう思ったんじゃないかしら?」
モトヤは、なるほど、という想いで何度も頷く。
「ふ~ん。じゃあ、その売りモノはどこから仕入れたの?」
「それは秘密。だけどその為の軍資金をどうやって集めたかという方法は教えてあげるわ。方法は2つあって、1つ目……あそこに見えるでしょ、HPバーとネームとレベルが見えないヤツ……あれがNPC商売人よ。つまりアイツは中身が私達みたいな人じゃない、データなのよ……。基本的にアイツは何でも買い取るわ。道に落ちてる石でもね。貰えるゴールドは売った品次第。アイツのゴールドは尽きる事がないの。試しになんか売ってみれば? 微々たる額だけどゴールドが貰えるわよ。私の場合は自分の住み家と決めた家の家財道具一式をあそこに売ったの。それなりの額になったわよ」
ヤードラット聖人は更に続けた。
「2つ目は銀行ってヤツね24時間営業の。この町の出口付近にあるわ……。これは基本的に私達にある程度の金額まで貸してくれるわ。無担保無利子で借りられる。ただ貸してくれる金額には上限があるみたいで、それは人によって違うみたいよ……なんで違うかは分からないけどね。とりあえず無担保無利子なら『借りとけ!!』と思って上限金額一杯まで私は借りたけどね。口座に関してはもうプレイヤーの分は既に作られているわ。本人のネームでね。だから口座を新たに開設する必要もなし。まぁこんなところかしら?」
「ありがとう! 参考になったよ!」
「いいのよ! また来て買いなさいよね! あ、そうだ! なんか良いアイテムがあったら私に売りなさい! レアなアイテムなら喜んで買いとるわよ! あのNPC商売人よりも高値でね❤」
モトヤは別れのあいさつを済ませヤードラット聖人に手を振ると宿舎に戻る為にそちらに向かって歩いてゆく。
最初はどんな酷い人間かと思ったが、話してみると案外まともな感じがした。ただ彼女の話を考えると、クラン同士で戦う人と商売人としてこの世界から脱出する人に関してだが、やや商売人の方が多くなるんじゃないかという気がしてきた。クラン同士で戦うという事は生死をかけた戦いになるのだ……。当たり前だがそれを嫌がる人は多いだろう。
宿舎に戻ると既にジュンは起きていた。
「あれ? モトヤどこに行ってたんだ? もうホラフキンの言った時間、過ぎてるんじゃね?」
モトヤは自分の視界の右下を見た。
2060/05.02/10.05
10時5分? ヤバイ、もう時間が過ぎてる。
「急ごうか!」
そういうとモトヤとジュンは昨日ホラフキンが決めたロビーに向かった。
「やあ! モトヤとジュン、遅刻だな。もう会議は始まっているよ」
全身青い男がとびっきり爽やかな声で話しかけてきた。おまけに頭も剥げてる。酷いキャラメイクだ。これがモトヤ達のリーダー、ホラフキンである。
モトヤ達は全員参加の会議に若干遅れて参加したのだが、どうやらモトヤ達がいない間にそこまで議論が進行しているわけではなさそうだった。今、話し合われている議題はどうやら組織運営の話だったようだ、竜虎旅団は現在70人ほどのクランだが、これを円滑に管理する形態について何が良いかという議論が盛んに行われていた。
その中で多数の支持を得た案がクランをいくつかの班に分けて、班のリーダー……、つまり班長がクランリーダーとの橋渡しをすると言った形態だった。これでクランリーダーからの指示が一々全員に話をしなくても一部の班長に話をするだけで滞りなく全体に行きわたると言うわけだ。
「なるほどね、いい案なんじゃないかな」
モトヤとしては特に反対するところはない。ホラフキンはまるで学校の先生みたいに頼りになるヤツだった。ただ、その後が問題だった。班長になりたがる人の少なさだ。親父の話を聞くに中間管理職というのは一番辛い立場らしい、下からは嫌われ、上からは責められ、よほどの精神力がないと務まらないのだそうだ。その話を知ってか知らずか、皆なかなか立候補しなかった。流石日本人。
だが、そんな中モトヤはある可能性に気付き、手をあげた。
「じゃあ俺がなるよ! 中間管理職に」
「中間管理職じゃなく班長ね。モトヤ君は面白いな」
一度誰かが決まるとつづけとばかりに色々決まって行く。流石日本人。
「おい、モトヤ、なんで立候補なんてしたんだ? 明らかに面倒なんだが」
このジュンの言葉にモトヤは大真面目な顔で反論した。
「馬鹿、俺達がマジに生き残ることを考えると、この竜虎旅団の方針に意見できそうな立場になっておくのが一番良いじゃん」
「なるほど流石中間管理職の息子、社内政治を知ってるな」
「全然関係ないわ」
という事で栄誉ある竜虎旅団の第一班の班長はモトヤにすんなり決まった。
そして議題は次に移る。それは、竜虎旅団の方針についてだった。
方針というのはつまり戦略と哲学を兼ね合わせたような用語だ、自分達が今後どのような戦略と哲学にのっとってクラン運営をするかという話だ。しかし実際のところ、このゲームの戦略なんて誰にも分からない、よって自然と哲学の話が主流になっていった。
「この世界に住む他のプレイヤーには申し訳ないが、僕達はまず竜虎旅団の団員の命を最優先に考える、つまり他のプレイヤーに関しては殺してもやむなしという姿勢をとろうと思う、どうだろうか?」
ホラフキンのこの発言に場がざわついた。
ホラフキンの発言はある意味でとても普通の事だった。だが日常の感覚が残っているモトヤを始めとする人々にはなかなかショッキングな発言に聞こえてくる。
ここで『エルメス』と名乗る女の子が手をあげた。
「あのホラフキンさん……私が発言しても構いませんか?」
「ええ、構いませんよ。エルメスさん、どうぞ」
「じゃあ、発言させてもらいます。まず言いたい事は……。人の命は尊いという事です。なので……その……最初から殺し合いを前提にするというのはかなり抵抗があります……。まだ何か方法があるんじゃないかと思えるんです」
会場に座る竜虎旅団の面々がお互いの顔を見合わせた。エルメスの言い分にホラフキンは即座に反論した。
「だが……あのルールを聞く限りそんな余地があるようには僕には思えなかったのだけど……」
「でも……だからと言って自分達の命だけを優先していい理由にはならない気がするんです。そこで諦めてしまったら……、それこそキャッスルワールドを運営している人達の思うツボのような気がするんです」
「た、確かにそうかもしれないが、僕等はまず僕達の命こそ優先すべきではないのかな? その為の命の優先順位は必要だと思うんだよ。例えば誰かが僕たちを殺しに来たらどうするつもりだい?」
「説得します。相手だって本当は殺したくないハズなんです。こんなゲームに無理やり参加させられたのだから」
モトヤは、アゴに手をあて、この議論を聞きながら何度も頷いた。エルメスの言ってる事は非常に日本人的な発想だし、エルメスが言いたい事はよく分かる、というより心情においては明らかにエルメス寄りだ。でも、ハッキリ言ってしまえばその数万倍くらい自分が死ぬことの方が恐い。と、なるとホラフキンの方針の方が遥かに現実的に聞こえるし、それでいいのではないだろうかとモトヤには思えた。会場には尚エルメスの声が響く。
「そもそも私だって、五感を刺激する面白いファンタジーが体験できるからってゲームセンターでこのキャッスルワールドを選んだんです……。それがまさかこんな殺し合いに巻き込まれるなんて想像していなくって……。もう本当に帰りたいです……。でもこんな風に思っている人達同士だからこそ協力ができる事があるんじゃないかと思えるんです」
エルメスの論理にはある一定以上の説得力があった。全員が戦いを望まないのであれば……、確かに戦いはおこらない。だが、現実に帰還するために生き残れる人数は限りがある。それが解決しないかぎりエルメスの言っていることは絵に描いた餅みたいなものだった。ホラフキンの冷静な声がエルメスの主張をえぐった。
「エルメスさん……、では具体的に何をどうすればいいのです?」
「キャッスルワールド内にいる人々全員で話し合うんです。ホラ『三人寄れば文殊もんじゅの知恵』って言うじゃないですか! みんなで話し合えばきっと良い方法が生まれると思うんです。きっとコンピューターに詳しい人だっているハズです。その為には自分達だけが良くて相手は殺していいだなんて方針を掲げていると信用されなくなります」
「だけど、その前に相手が襲ってきたらどうするつもりだい?」
「説得します!」
二人のこの押し問答はしばらく続いた。
やがて、この話は保留になった。
話のそれぞれの主役は自分達の部屋に戻り、自分の仲間らしき人々に己の不満をぶつけていた。
「あの人最低だわ! 人殺しをしたいのよ! ああいう人が日本を戦争に導こうとするんだわ! あの人がリーダーじゃ私達全員殺人者になるわ!」
「全く話にならないよ、リーダーの僕がいうのもなんなんだが、もしも城を攻撃するにせよ守るにせよ人を殺さないというのは不可能なハズだ。なのに、何故こんなことすら理解してくれないんだ」
お互いが自分のテリトリーに戻ったことでその不満はますますヒートアップしたようだ。
これで竜虎旅団結成2日目にして、
エルメスを筆頭とする絶対平和主義派閥と、
ホラフキンを筆頭とする殺人やむなし主義派閥に分かれてしまった。
「ジュン……、なんかすげーヤバイ感じじゃね?」
「わかるわ……。こう……、なんかわかるわ……」
日和見のモトヤ達は風見鶏のように中立を決め込んだ。