第099話 検証(1)
ミハイルはバルダー城の廊下を歩いていた。すると、何処かで見た顔が廊下の向かい側から走ってきた。辺りをしきりに見回し、誰かを探している様子だった。だからミハイルは、どうした? と声をかけた。すると「マオ様を知りませんか?」と男は返してきた。
ミハイルはもう一度男の顔を見た。
眉が八の字のように垂れさがり、頬がこけ、目の下にはクマが出来ていた。これは別に疲れているからこういう顔というわけではない。元からこうなのだ。恐らくこの世界に最初に来た時のキャラメイクでこうなったのだ。だが一度見たら忘れない顔でもあった。なんというか、非常に病的なのだ。だからミハイルも言葉を交わした事は無くても何となく覚えていた。だから相手の名前を呼ぼうとしたのだが、相手のネームを見て。固まった。
漢字で一文字「覚」と書いてあった。これは一体どう読むのだろう? と思った直後、思いだした。
そうだ。前にもこの男のネームを見て、どう読むかさっぱり分からず声をかけそこねたのだ。「カク」なのか「さとし」なのか「さとる」なのか「ただし」なのかさっぱり分からないのだ。ミハイルが迷っていると、覚が「あの~、マオ様は……」と再び言ってきた。なので、ミハイルは答えた。
「マオはたぶんもうそろそろ帰ってくるんじゃないか?」
「え? この城にいないのですか?」
「シオン様に用があるとかで1週間ほど前に旅立ったろ。で、もうすぐ帰ってくる筈だ。覚えてないか?」
「いえ……その……。私、検証班ですので……、地下に籠りっぱなしで分からなかったのです」
検証班? とミハイルは思った。
検証班とは、人生スキル【網膜のチェック機能】を使い、マオのM作戦の推移を見守る係の1つだった。
主に各地に散らばるファントムを装う部隊の指揮官の視覚情報を検証する係で、仲間内からは“死体鑑賞係”とも呼ばれていた。彼等の仕事は一つ。虐殺の様子を見守るだけだ。虐殺の仕事が滞りなく行われているかチェックするのが彼等の仕事なのだ。
ちなみに【網膜のチェック機能】という能力はコンタクトレンズのように眼球にセットするだけで、見た映像が記録される、という能力である。
「あの~」とまた「カク」だか「さとし」だか「さとる」だかが口を開いた。
「ちなみに、もうすぐ帰ってくる、とは具体的にあと何日後とかの話なのでしょう?」
やけにマオに拘るな……、まてよ、とミハイルは思った。ピンと来たのだ。不安そうな顔で検証係がマオを探す理由など一つしかない筈だ。
「何か問題があったのか?」とミハイルは覚に尋ねた。
「あ、いやその。これは、まず最初にマオ様に報告する決まりになっていまして……」
「今のこの城の最高責任者は私だ。私が報告を受けよう」
「その、あの……。これは、な、なんといいますか……」と覚は口を濁し、下をうつむいてしまった。だが、逃れられないと思ったのか、ようやく「わかりました」と言い、ミハイルを地下の検証室に案内した。
案内された地下室は、薄暗いというよりはハッキリと暗く、おかげで検証している映像だけが闇の中に光りが浮かび上がっているみたいにクッキリと映し出されていた。そこにはソファやらテーブルやらがある筈なのだが、とにかく暗く、よく見えなかった。
「まるで映画館だな」と、ミハイルは皮肉を言った。「まぁいい。どんな問題がおこったのだ?」
覚は眉の八の字をよりいっそう八にさせ言った。
「それがその……。ライナルエリアのバスティアに向かわせたチームが全滅したのです。エヴァ様が率いていた隊です」
――全滅だと!?
これには流石のミハイルも目を丸くした。
「エヴァは? エヴァは死んだのか?」
「は、はい」
「生存者は一人もいないのか?」
「いえ、その一人だけは」と覚は答えた。
「その生存者に事実確認をしたのか?」
「もちろんですとも……。でも……、その色々と要領を得ない感じで、うまく答えてくれないのです」と言った覚の八の字の眉が更に垂れ下がった。
「私が直接聞こう。そいつの下に案内してくれ」とミハイルが言うと、それならばそこに、と覚が指さした。
ミハイルは覚の指のさす方に顔を向け、目を細めた。暗闇の中に僅かに動く何かがあった。ミハイルはそこににじり寄る。
「君が……、エヴァが率いていた部隊の生存者か?」
暗闇の中でまた何かが動いた。
返答はなかった。
灯りは何か無いかと思ったミハイルは、手ごろな燭台に火を灯した。すると、暗闇が少しだけ晴れ、そこから男の顔と体が浮かび上がった。
顔も体も、若干太ったキャラメイクがされていた。名前を見るとアグニと書かれていた。ミハイルはこの名前を見て思い出した。どうしよもならない問題児だったエヴァの世話係の名前が確かこんな名前だったはずだ、と。どこの部隊にいれても使い物にならなくて、最終的にエヴァの世話係に任命されてしまった哀れな男。
「アグニ」とミハイルは言った。
アグニの目は動かなかった。ただ暗闇の一点を見続けていた。よく見ると口が微かに動いていた。ずっとボソボソ何かを言っているようだった。ミハイルはそこに耳を近づける。
「みんな死んだ……、みんな死んだ……、みんな死んだ……、みんな死んだ……」
ミハイルはアグニからそっと離れた。
要領をえないどころではない。まったく喋れる状態ではなかった。あまりにもショックが大き過ぎたのかもしれない。キャッスルワールドでは多かれ少なかれこういう場面に遭遇することがある。現実世界と違い、死と隣り合わせの世界である以上、精神的なダメージから遠ざかることは不可能であったからだ。
ミハイルは大きく息をつくと覚に向かって言った。
「 【網膜のチェック機能】 の情報はあるんだろう? それをみたい。今回それをつけているのは誰だ?」
「エヴァ様だけです。指揮官だけがこれをつける決まりになっているので……」
「よし、分かった。ではそれを再生してくれ。このスクリーンにそれが映るんだろ?」
「は、はい」
「では、やってくれ」
「あの~」
「なんだ?」
「再生にはマオ様の許可が必要で……」
その言葉を聞いて溜息がでてきた。大きな溜息だった。ミハイルは顔を横に振る。なんでもマオ、マオ、マオ、マオ。全てがマオの管理下に置かれている気分だった。
「別にいいわよ。ミハイルに見せても」
後ろから声がした。
振り向くと、この部屋の扉が開いていた。眩しかった。ちょうど開いた扉から降り注ぐ光でその人物が影のように黒く見えた。
「マオか?」とミハイルは言った。
「ふふふ。まぁそうだけど、どうでもいいでしょう? とにかくミハイルは見てもかまわないわ。同じオリジンなんだし、なにより私達は仲間でしょう?」
この女に仲間という言葉を使われると鳥肌が立つような違和感はあるが、ミハイルも真相を知りたかった。
ミハイルは覚の方を向いて言った。
「では、え~と……。その……。頼むよ。映像を」
「了解しました」
覚は奥に引っ込み、スクリーンに光が当たりはじめる。
スクリーンにぼやけた映像が映る。音声はない。
いつの間にかマオが隣に座っていた。
顔をスクリーンの方に向き直すと、ぼやけた映像が徐々にハッキリしたものに切り替わっていった。
ミハイルの視線はスクリーンに集中する。
この時、ミハイルは気づかなかった。隣のマオの表情が徐々に変わっていったことに。マオは何ともいえない表情をさせ、歯をむき出しにしたままスクリーンに釘づけになっていた。
マオには予感があった。とても悪い予感が。
もしも、あの男が死んでいなかったとしたら。死んでいなかったとして、万が一ファントムを装ったオリジンとぶつかることがあったなら。もしも、キャッスルワールドの最後の条件をあいつが上手く利用することができたなら。
マオの指の爪が膝に食いこむ。
スクリーンは光っていた。犬猿の仲と呼ばれた二人は同じソファーに座り、同じ敵と対峙しようとしていた。




