第096話 バスティアの戦い(1)
エヴァの率いるオリジンの部隊がライナルエリアのバスティアの街を囲んだのは、その日の夜だった。
ライナルエリアには山と形容してもおかしくない程の巨大な丘があり、その緑の丘を登った先にあったのがバスティアの街であった。街の一部は崖に接しており、残りの部分に軍隊を展開すれば容易に包囲する事が可能な街だった。エヴァは街を一目みただけで、これはとても包囲しやすい街だ、と思った。昼、偵察してそれを確認したエヴァは、夜、作戦を決行する事を決めた。
――私の任務はファントムに成り済ます事。だから、街の住人全てを殺す!
エヴァは高台に佇む街を見た。
こんな仕事など簡単に終わる、そう思った。なにせここにはホームレスの様な死んだ目の人々ばかりがたむろする街なのだから。
「さぁいくわよ」
エヴァは隣の小太りの男に声をかけた。
小太りの男が頷いた。エヴァは手を大きく前に掲げた。
「前進!」
エヴァの号令がファントムを装ったオリジンの軍隊に響き渡る。軍隊はゆっくりと前進をはじめた。
この街にはモトヤがいた。
そして、ヤードラット聖人がいた。
バスティアの街の中心には塔があった。12~13mのこじんまりした塔で、街の四方を見渡すことができた。
闇の中で何かが蠢く様を見たヤードラット聖人は迷わずこの塔に登った。すると、闇に紛れる黒っぽい集団が街をぐるりと囲む様子が見えた。
包囲されている、そう思った。
この女にはそれだけで今起こっている状況が十分に理解できた。
――ファントム(オリジン)だ。
ヤードラット聖人は思わず唾を飲み込んだ。全身に震えがきた。この街もいつか攻められると思っていたが、予想よりもずっと早いと思った。
ファントム(オリジン)のやり方は知っている。というより想像がついた。まずは街を包囲し、人が逃げる隙間を無くす。それから包囲を縮小し皆殺しする。明かりもつけず闇の中で街を包囲する所だけとってみても、眼前に迫った軍隊をファントムと確信するのに十分な根拠足り得た。
人っ子一人逃さない。それが奴等のやり方なのだ。気づかれずに接近するのがまず大原則なのだろう。
ヤードラット聖人は心底後悔していた。いつまでもこの街に留まり続けたことを、だ。モトヤに執着し無駄な月日を過ごしたせいでこんな日が来てしまったのだ。だが、そんなことを言っても仕方がなかった。時計の針は元には戻せない。ヤードラット聖人は塔から降り、松明片手に街の人々に呼びかけた。
「ファントムが周りを取り囲んでいる! 私達を皆殺しにしようとしてるわ! 皆、武器をもって! 戦う準備をするのよ早く!!」
街の人々の反応は鈍かった。皆、芋虫のように、地べたに座り込み、生命の火が消えたようにその瞳は濁っていた。
「何してるの! 早く立ちあがりなさい! 戦争よ! 戦争が始まるのよ! さぁ生き残る為に武器を手にとるのよ!」
ヤードラット聖人の叫びはバスティアの街に虚しく響いた。暗闇が声を吸い取ってしまったかのように感じた。もう自分一人しか正気を保った者はいないのかと思った。その時、視界の端で人が動いた気がした。振り向くと、武器を腰に装備した数人がヤードラット聖人の前まで歩いてきていた。そして、その中の一人が静かに声を発した。
「戦争がおこるの?」
ヤードラット聖人は、このままじゃ戦争にすらならないかもね、と言った。そして、今周りを取り囲んでいる奴等が皆殺しを目的としている集団であるとも告げた。
「そうなの……」
目の前の女は静かにそう言うと、腰からレイピアを取り出した。悲壮感に満ちた様な、それでいてどこかスッキリとした表情をしていた。
「私……、ずっと死に場所を探していたの。罪悪感に押しつぶされそうになって。だけど不思議ね。いざ死が迫ってくると、何だか急にこの命が惜しくなったの。本当に滑稽よね……」
「あんたの名前は?」
「……ヴァシリ―」
「戦闘経験は?」
「勿論あるわ」
ヤードラット聖人は深く頷くと、ヴァシリーに向かって「一人でも多くの人に声をかけて武器を持たせて!」と叫んで、別の場所に走った。
「あなたは!?」とヴァシリーの叫ぶ声が聞えた。
「すぐ戻る!」とヤードラット聖人は返した。
ヤードラット聖人は、もうこうなったらあいつしかいない、と思っていた。ヤードラット聖人は自分が何者でもないことを自覚している。それどころか何の役に立たない事も分かっている。だが、こんな状況を覆すことができる人間の心当たりなんて1人しか思いつかなかった。
少し奥まった小じんまりした広場でヤードラット聖人の足は止まった。
やはり居た、と思った。
紫のターバンを被った男ハンス、いやモトヤはいつもの壁にもたれかかり、地べたにだらしなく座っていた。
ヤードラット聖人はそこまで歩いてゆくと、モトヤの胸ぐらを掴んだ。
「モトヤ聞きなさい! オリジンの軍隊がすぐそこまで迫ってるわ。私達皆を殺そうとしているの! 分かる!?」
モトヤは眠っているのか、それとも起きているのか、うす目をあけたまま何も言わなかった。意識があるのか、ないのかすらハッキリしなかった。ヤードラット聖人はモトヤの両肩を両手で掴み、思いっきり揺らした。
「ねぇ聞えてる!? ねぇ!!」
何の反応もなかった。ヤードラット聖人は力一杯モトヤの頬を引っ叩いた。
「このままじゃ私達死ぬって言ってんのよ! 起きなさい! ねぇ起きなさいよ!!」
モトヤの瞳は濁っていた。
モトヤは、その全てをおぼろげに感じていた。命も存在も意識も何もかも。全てがおぼろげのように思えて仕方がなかった。




