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八・爆誕!? 魔法少女…仮

   《 八・爆誕!? 魔法少女…仮 》



 じっと正面を見据えると、視線の先――鏡に映っている十歳くらいの美少女が、金色のぱっちりした瞳でこちらを見つめ返してきた。どこからどう見ても別人だが、脱衣所には、自分しかいない。となると、正面に見えるコスプレ娘の正体は……。

「………えっと…まさかとは思うけど…コレが、私…?」

 魔法少女に変身したにしては、当初の設定とかなり違う。というか、まったくの別モノだ。

 まず、髪の色。指定したのは黒のはずなのに、実際は、きらきら輝く銀髪ツインテール。それも、足首近くまでの長さがある。アニメとかなら可愛いかもしれないが、現実的には邪魔でしかない。頭上には、金色に輝く小さな王冠が鎮座し、パッと見、魔法少女というよりも王女様といったほうがしっくりくるかもしれない。次に、衣装。地味な紺色で露出の少ないものを選んだのに、胸元と肩、二の腕は露になっているし、太ももを隠す気のない超ミニのカボチャパンツとか、想定外すぎる。そのくせ、足元は、ちょっと魔法使いっぽい感じ…つまりは、つま先がきゅっと上に上がったデザインの皮靴が装着されている。

 まあ、ここまでは、百歩譲ってギリギリ魔法少女っぽさを保っているかもしれない。しかし――…。

「…こんなの、魔法少女に必要?」

 背中には、コウモリ的な可愛げのない黒い羽。背中を覆う白色のマントは肩甲骨の辺りで二つに分かれていて、長い髪同様、足首近くまで垂れている。腰元には、何故か、短剣入りの革の鞘がピンクのリボンで固定されていた。

「……何か、魔法少女っぽくないんだけど…」

 そもそも、魔法少女を名乗るのならば、空を飛ぶのも攻撃するのも魔法で行うべきであり、羽をパタつかせて飛んだり、剣を振り回して戦ったりするのは、邪道ではなかろうか。

「…これは、アレよね。事故ってヤツよね」

 きっと、ちょっとした操作ミスで、一時的におかしな具合になっているのだろう。

 少し待っていれば、またあの不思議な画面が現れて、初期化なり何なりできるはず。

 そう期待して、しばし待機してみたものの――いつまで経っても、何の変化も現れないのは、どういうわけか…。

「………あ、あれえ?」

 どっと、汗が噴き出す。

 まさか、いや、万に一つもありえないことだが、この設定で固定されてしまったとしたら――。

(…恥で、死ぬっっっ!)

 高校生にもなって、ロリッ子魔法少女に変身とか、どんな悪夢だ。

 しかも、魔法少女の衣装等は、すべて自分で設定したことになっているので、馬鹿王子やハッシュ、鈴木のおばちゃんに「ああ、こいつ、こんな変身願望あったんだ…」とか生温い目で見られたりしたら、ショックのあまり、発狂しかねない。

「……と、とにかく、すぐに変身を解かなきゃ!」

 どうにかして、これをなかったことにしなくては。

 そう思い、周囲に例のパネルがないか探し、身体中を調べて解除スイッチでもないか探ってみたが、それらしきものは見当たらない。

 わかったことといえば、腰の短剣を引き抜くと、シャキーンと音がして、黒い魔法の杖に変化するということくらい。しかも、先端には、金色の王冠と紅い魔法石っぽいものがくっついていて、キラーンと安っぽい光を放つ。

「……はは、魔法のステッキ出たよ……」

 鞘に近づけるとステッキがシャキーンと音を立てて、自動的に収納される。そして、再び、短剣の柄を握って引き抜くと、再びシャキーンと黒のステッキが現れる。

「……うう、どうしよう、これ…」

 本気で泣きたくなってきた。これまでの人生で、ここまでの失望感を味わったことはない。

 せめてもの救いは、衣装だけでなく容姿も変化していることだ。声質も高くて、いかにもアニメ声なので、おそらく、正体が愛華だなんて誰も気づかないだろう。もっとも、魔法少女関連の人間以外には、だが。

「………はっ、そ、そうよ! 関係者に訊けばいいじゃない!」

 王子かハッシュなら、対処法を知っているに違いない。

 そう思い、足蹴りを受けて廊下で伸びている王子を、強引に叩き起こした。

「起きなさいよ、馬鹿王子! 気を失ってる場合じゃないわよ!」

 胸元をつかみ、ぐわんぐわんと頭を激しく揺さぶって怒鳴ると、ようやく王子が目を覚ました。

「はっ、な、何だ、地震か!?」

 驚き身体を起こした王子と目が合う。

 彼は、じっと青い瞳でこちらを見つめ――何かを察したかのように、無言で、気まずそうに視線を逸らした。

「! な、何か言いなさいよ! 言っとくけど、私にロリッ子美少女趣味はないからね!? あんたのせいでこんなことになってるんだから、責任とりなさいよ!」

 食ってかかる愛華に、王子は眉を寄せた。

「何を言っているのだ、貴様は? 何でもかんでも、僕のせいにするな! その姿は、貴様の願望そのものではないか。他者にどう思われようと、貴様自身が望んだのならば、恥じることなく、胸を張っていればよいではないか」

「とかいいつつ、何でこっち見ないのよ? ってか、明らかに、ドン引きしてるじゃない。ヤバいぞ、こいつ、超痛い奴だとか思ってるでしょ、絶対!」

 これは、決して被害妄想ではない。

 王子の目は、完全に、痛い人を見るときのそれだ。決して、視線を合わせず、こちらと距離を取ろうとしている。

「だ、だいたい、あんたが乱入してきたせいで操作ミスって、こんなことになったんだからね!? そのへん、きっちり反省したうえで、再設定のやりかたを教えなさいよ! こんな格好、他の人に見せらんないわ!」

 怒鳴りながらも、変身を解く気満々の愛華に、王子は思いがけない言葉を投げて寄越した。

「再設定機能など存在しないぞ。変身を解くには、暗殺者を倒すか二十四時間経過する以外に方法がないしな」

「……は?」

 ちょっと待て。

 今、この馬鹿は何と言った?

「ま、ままま、待って? 再設定が無理って、本当? しかも、変身の解きかたが二つしかないって、マジで? 自分の意思でどうにかなんないの?」

 これは、ゆゆしき問題だ。

 愛華の予定では、馬鹿王子に再設定の方法を教えてもらって、もっとマシな格好になるつもりだったのだ。

(…本当は、魔法少女になること自体、嫌なんだけど)

 しかし、それ以外に生き残る術がないため、その点は諦めるとして――せめて、痛いキャラ設定だけはどうにかしないと、精神がもたない。

 愛華は、王子の胸ぐらをつかみ、必死の形相で詰め寄った。

「う、嘘よね? 他にも方法があるわよね? あるって言いなさいよ、コラァ!」

 完全に絡み口調で言う愛華に、王子は面倒くさそうに視線をこちらに向けて――ざあっと青ざめた。

「な、ななななな、何だ、アレは???」

「? 何って、何よ?」

 愛華の後ろを指差す王子につられて、背後を振り返ってみるが、これといって何もない。

「あのねえ、話を逸らそうったってそうはいかないんだからね?」

 再び王子に向き直ると、彼は、顔面蒼白で口をパクパクさせながらしきりに天井を指差している。

「んもう、何なのよ?」

 愛華は、視線を上に向けて――生まれてこのかた、あげたこともない絶叫を響かせた。

「ぎ、ぎゃああああああっっっ!」

 天井を埋め尽くす、黒、黒、黒!

 いつの間にやら、カラスの数倍も不気味な黒い生物が、天井いっぱいにひしめきあっているではないか。

 しかも、愛華の色気も可愛げもない悲鳴に、一斉に無数の赤い眼がこちらを向いた。そして、キイキイと不気味な声で鳴き始めた。これはもう、気絶しないほうがおかしいレベルの恐怖だ。

「な、な、何なのよ、何なのよ、アレっ!? よ、妖怪っ!? 化け物っっ!? あんた、何とかしなさいよ! ほら、魔法でパパッとやっちゃってよ!」

 動揺して王子を揺さぶりながら怒鳴っていると、いつの間にやら、王子はぐったりと目を閉じたまま動かなくなってしまった。どうやら、気絶したらしい。

「何なのよ、コイツ!? どこまで頼りになんないのよっっ!」

 文句を吐き捨てて王子から手を離し、一人で逃げようと試みるものの、腰が抜けて動けない。これは、かなりヤバい。ヤバすぎる。

「っっ、そ、そうだわ、魔法! 今の私は、魔法少女なんだから、魔法を使えばいいじゃない!」

 いろんなミスはあったが、これでも魔法少女。自分の身を守る魔法くらいは使えるはずだ。

 しかし――どうすれば、魔法を使えるのかがわからない。アニメなんかでよくあるように、急に頭のなかに呪文が浮かぶわけでもなければ、呪文の書かれたマニュアル本があるわけでもない。もしかして、直接、王子に教えてもらわなければいけない仕様なのだろうか? もっとも、教えてもらおうにも、馬鹿王子のことだ。叩き起こしたところで、我が身可愛さに、脱兎の如く逃げ出すに違いない。奴は、そういう男だ。

「…ど、どうしたらいいのよ?」

 こんなことなら、もっと詳しく魔法少女について訊いておくべきだった。

 反省半分、頼りない王子への恨み半分で唸っていると、階段の軋む音がして、二階にいたハッシュが姿を見せた。

「…断末魔のような声が聞こえたんですけど、何かありましたか?」

 相変わらずの無表情で問うハッシュに、愛華は、安堵のあまり泣きそうになった。小柄な体つきに似合わない泰然とした言動は、何とも頼もしく映る。

「うう、ハ、ハッシュくんんっ…た、助けてええっっ」

 腰が抜けているので、情けなくも足に縋りつくようにして頼むと、ハッシュは露骨に蔑むような目つきになった。

「……こちらの世界での魔法少女といえば、幼女、もしくはそれに近い童顔の娘が多いと聞いていましたが――よもや、アイカ様にそんな変身願望があったとは。意外と申しますか、痛いと申しますか……さすが、馬鹿王子に選ばれただけのことはありますね」

 じろじろと無遠慮に見下ろされて、愛華は慌てた。

「ち、違うの! この格好は、王子のせいでエラーが起きて…って、そんなのは、あとでいいから! ハッシュくん、あれ! 天井の化け物を何とかしてよ! さっきから、気持ち悪くて!」

 指差し縋る愛華に、ハッシュは天井を仰ぎ――はあっと息を吐いた。

「……ただのコウモリじゃないですか。あれ、貴女の使い魔でしょう? 何を恐れる必要があるのですか?」

「……へ? つ、使い魔? って、何だっけ?」

 意味がわからず問うと、彼は面倒くさそうに眠たげな眼で答えた。

「魔法少女には、専用の使い魔…マスコットキャラがいます。貴女の仕事を補佐し、また、貴女を影ながら守る存在、といったところでしょうか」

「………え、じゃあ、あれ、私の味方なの…?」

 恐る恐る見上げてみると、天井を真っ黒に塗り潰す、無数のコウモリの群れ。数えきれないほどの赤い目が、突き刺さりそうなほど一途に愛華を見つめてくる。まるで、獲物を物色するかのように――。

「……こ、怖いんだけど…。っていうか、何でコウモリが私のマスコットキャラなわけ? これじゃ、魔法少女っていうより吸血鬼キャラじゃない?」

 無数のコウモリを従えて登場する魔法少女って――絵的に、どうなんだろう? おどろおどろしい古城だの棺桶だのが背景にないだけ、まだマシだとは思うが……いかにも悪役っぽい気がするのは気のせいだろうか。

 当然、自分が正義の味方だなんて思ってはいない。いないが――リアルなコウモリはやめてほしかった。せめて、もう少し可愛げのあるものがよかった。ついでにいうと、この姿も何とかなるなら、どうにかしてほしい。このまま、どこまでも二次元街道を突っ走りそうで怖い…。

 すっかりテンションの下がりきった愛華を冷やかに見つめつつ、ハッシュが教えてくれる。

「マスコットキャラは、貴女が設定したものと、変身後の通称によって決定するそうです。ということは、あなたの通称が、コウモリに繋がるものだったということなのでしょう」

「通称? って、魔法少女になったら、私は園村愛華じゃなくなるってこと?」

「はい。貴女の身分証に書かれているでしょう?」

「身分証? って、マイナンバーカードみたいな?」

 首を傾げる愛華に、ハッシュは黒コートの内ポケットから、薄いセピア色のカードを取り出した。

「こちらが、この世界における魔法使用許可証兼身分証明書になります。貴女や私のように魔力のある人間以外には、こちらの世界での身分を保証するカードに見えています。変身の儀式を終えた貴女ならば、所持しているはずなのですが」

「…えー、そんなこと言われても」

 とりあえず、ポケットらしきものを探すが、この衣装にはそんなものはどこにもない。

 すると、その様子をじっと見守っていたハッシュが頭を指差した。

「その冠のなかではありませんか? 他に、隠せそうなところはありませんし」

「え、冠?」

 それは、盲点だった。

 急いで小ぶりな王冠を取ってみると――内側に張りつくようにして、一枚のカードが入っていた。

「あ、あった。えーと…」

 さっと視線を走らせて、カードに書かれた必要な情報を読み取る。


  『 正式名称…魔法少女《トリックスター・ライト改》

    通称………無情のハロウィン・ガール

    レベル……一

    HP………七十二

    MP………五百二十

    魔法熟練度…一

    使用可能魔法

     一・トリック・オア・トリート(消費MP・五百)

       何が起こるか不明の奇跡魔法。レベルに応じて、内容が変化する。

     二・ダーク・ヘルズ(消費MP・五百十)

       冥界の番犬を召喚し、敵を冥土へ葬る一撃必殺の大技。 』


「……ねえ、ちょっと。私、普通の魔法少女よね? 何か、敵を冥土へ葬るとか書いてるんだけど…何かの間違いよね?」

 まさに、ツッコミどころ満載の内容だった。

 まずは、正式名称。最後の『改』には、どういう意味が込められているのか。今回、初めて変身したはずなのに、すでにプロトタイプが存在したということだろうか? だとすれば、今後も改変されていく可能性がある。もしそうなら、ぜひともいい感じに変わってほしいところだが――現状からして、とてもそうは思えないのが辛い。通称に至っては、かなり文句がある。ハロウィンガールはともかくとして、無情って…魔法少女以前にヒトとして問題があるのではないだろうか。まあ、確かに、王子を殺したがっているという現在進行形の殺意はあるが、決して、情がないわけではないのだ。大事なことなので、もう一度。自分は、人間らしく温かな人情くらいきちんとある! ただ、それ以上に馬鹿王子への殺意が大きいだけで――…。いや、殺意を持ってる時点で、王子に対しては無情ということになるのか…?

 次に、パラメーター。レベル一でHPが低いのはともかく、異常にMPが高すぎるのはどういうことだろう。せめて、HP百以上をキープしつつ、バランスよく振り分けてほしかった。というか、使用可能魔法――レベル一なのに、このラインナップはおかしすぎる。何だ、消費MPが五百って。どんだけ大規模な事態を招くつもりだ。そもそも、何が起こるかわからない魔法なんか、怖くて使えない。これで死人でも出たら、魔法少女改め殺人犯になってしまうではないか。何より、二番目の魔法ときたら――殺す気満々の魔法ではないか。一撃必殺の魔法って……そんな夢もロマンもない、殺伐とした魔法なんか使う予定はさらさらない。できるなら、もっと他の魔法にチェンジしてほしい。世界平和とか、そういうポジティブで好印象なヤツに。

 ハッシュは、愛華のカードを横から覗いて、小さく頷いた。

「なるほど、ハロウィン繋がりでコウモリが使い魔に選ばれたわけですね。ついでに言うと、アイカ様。その冠、王冠ではなくて、くり貫きカボチャじゃないですか? ほら、ここに、目と口がありますよ」

 指摘されて、改めて見てみると――王冠と思い込んでいたのは、金色に彩色されたカボチャだった。中身は綺麗にくり貫かれていて、人を小馬鹿にしたような目と口がついている。

「……ハッシュくん。どう思う、これ?」

 夏が来ようとしている時期に、一人浮かれてハロウィンの仮装をした挙げ句、真っ黒な無数のコウモリを引き連れたロリッ子。しかも、中身は十七の色気もクソもない喪女気味の女子高生ときた。ちなみに、使用できる魔法は、天変地異を起こすかもしれない危険な魔法に、敵を瞬殺する殺戮目的の攻撃魔法。

「随分と、実用性に富んだラインナップですね」

 ハッシュが、やや感心したように頷き、提案する。。

「とりあえず、一日に一度、このトリック・オア・トリートの魔法を使ってみるというのはどうでしょう? もしかすると、王子が事故死してくれるかもしれませんよ?」

「…王子のついでに世界が崩壊するかもしれないけどね……」

 力なく答えて、愛華はふと足元に転がっている王子を見下ろした。

「――ん? ねえ、ハッシュくん。もしかして、今、ものすごいチャンスなんじゃないの?」

 今さらながらに、気づいてしまった。

 運よく、気絶している王子が目の前に転がっていて、二階には、暗殺者である鈴木のおばちゃんが待機している。この状況、利用しない手はない。

「馬鹿王子をこのまま二階まで運んで、おばちゃんの前に差し出せばいいんじゃない? 王子が死ねば、私は魔法少女やらなくてすむし、ハッシュくんも自由の身になれるわよ」

 まさに、名案。すぐにでも実行に移すべきだと思ったが――ハッシュは、気難しげに眉を寄せた。

「…残念ですが、それはできません」

「え、何でよ? ものすっごいチャンスじゃないの」

「常識的に考えて、私と今の貴女の腕力では、長身の男を担いで階段を上がることは不可能だからです」

「! そ、そっか、そうだよね…変身前の私なら、意地でも引き摺っていくトコだけど」

 小さく非力な手を見つめて、溜息をつく。ハッシュも体力があるようには見えないし、残念だが、長身の男を二階まで引き摺ることは無理だろう。

 ハッシュは、すっかり肩を落とした愛華に背を向け、

「なので、暗殺者のスズキ様を呼んできます。アイカ様は、そこの馬鹿王子が目を覚まさないように見張っていてください。万が一、意識を取り戻しそうになったら、頭を強打してでも意識を飛ばしてください」

「……う、うん、わかった」

 相変わらず、物騒なことを平然と告げる少年だ。

 とりあえず、鈴木のおばちゃんが来るまでは何もすることがないので、王子を見張りつつ床に座る。

 真っ黒に染まった天井がざわざわしているが、気づかないフリをすることに決めた。使い魔だか何だか知らないが、変に懐かれたり、もしくは嫌われたりしたら怖い。

「……はあっ。まったくもって、災難だわ…」

 この調子では、今日は学校どころではない。遅刻どころか、このままサボることになってしまいそうだ。

「……そういえば、お母さんはどうしたんだろう?」

 ハッシュは、この周辺のイキモノはすべて眠っているとか言っていたが…。

 まだ、腰が抜けたままなので、這うようにしてキッチンを覗いてみると――母親が、床に倒れるようにして眠っているのが見えた。

「…本当に、眠ってる。魔法って、すごいな…」

 そういえば、暗殺者である鈴木のおばちゃんも魔法を使えるらしいが、どんな類のものだろうか。無駄に規模が大きい魔法なら、大変な事態になりかねない。

「…確か、魚をさばくプロとか言ってたわよね?」

 ならば、魔法もそっち系だろうか?

 斬撃…たとえば、風圧でモノを真っ二つにしたり、三枚下ろしのように肉と皮、骨を切り分けたりとか? ……って、それはかなりグロくて嫌だ。若い身空でスプラッタにされるのは遠慮したい。

 そんなことを悶々と考えているうちに、ハッシュが鈴木のおばちゃんを連れてやってきた。

 おばちゃんは、変わり果てた愛華を見るなり、優しい笑顔を見せた。

「…愛華ちゃん、事情は聞いたわ。そうよね、女はいつだって若く、愛らしくありたいものよね。たとえ、愛華ちゃんに幼女を愛でる趣味があったとしても、誰かに迷惑をかけないなら、問題はないと思うの。いいじゃないの、小さな女の子が好きだって。おばちゃんも好きよ、子供は無垢で可愛いものね」

「!!! ち、違うから! 私、変な趣味とかないから!」

 おばちゃんに全力で否定してから、ハッシュを睨みつける。

「ちょっと、ハッシュくん! あんた、何、吹きこんだのよ!? この格好は、手違いがあってミスっただけだって言ったわよね?」

「そんな自己弁護なさらずとも、わかっていますとも。馬鹿王子に目をつけられる人材が、まともなわけありませんからね。心配なさらずとも、大丈夫です。私に害を及ぼさない以上、アイカ様を敵視することはありませんので」

「だ、大丈夫じゃないよ! 全然、これっぽっちも大丈夫じゃないから! だいたい、その発想でいくと、王子の従者やってるハッシュくんも奇人変人の一人になるわよ? それでもいいの?」

 相手の言葉を逆手にとってやると、彼は深々と息を吐き、

「王族の抹殺を企む時点で、充分にまともではありませんので、その点は気にしていません。まあ、それはともかく――さっさと面倒な仕事を終わらせてしまいましょうか」

 ハッシュの目が、床に転がっている王子へと向けられる。

 その殺意に満ちた視線が突き刺さったのか、王子が呻きつつ目を覚ました。

「ううう、な、何なのだ、頭がグラグラする…は、吐き気までしてきたぞ。ううう…ん??」

 三人分の視線を受けて、王子の青い瞳が残酷な現状を映し出した。

 座り込んでいる魔法少女化した愛華に、冷徹な眼差しのハッシュ。刺身包丁片手に佇む、暗殺者化した鈴木のおばちゃん…。

「はっ! き、貴様ら! 僕が意識を失っているうちに、寄ってたかって僕を亡き者にするつもりだったな!? 卑怯者どもめ! 生命を懸けた勝負というものは、正々堂々とするものと相場が決まっているではないか! その程度のルールも守れんのか、痴れ者どもめが!」

 精一杯の虚勢のつもりなのか、強めの口調で詰りつつも、半泣きで愛華の背後に隠れようとするあたり、かなり抜け目がない。

 ハッシュは、王子の文句に溜息を返した。

「暗殺に卑怯もクソもありませんよ。さ、もう言い残すことはありませんね? それなら、さっさと永遠に黙りやがってくれませんかね。私、朝食がまだなので、いい加減、何か食べたいのですが」

「!! 貴様にとって、僕の暗殺よりも朝食のほうが優先なのか!?」

「もちろんです。朝食は、日々の健康を心がける者にとってはとても重要なのですよ。アイカ様も、長生きしたければ、朝食は食べないといけませんよ。ああ、ですが、何を食べてもいいというわけではありません。栄養を考えた献立でなくては、肥満等の問題が生じますからね。年齢と体格に応じたものでないと。おや、ちょうど、テーブルの上に質素ながらも朝食が準備されているではありませんか。先にいただいても構いませんか? 構いませんよね」

 言うなり、ハッシュは、キッチンのテーブルに準備されていた愛華の朝食をもそもそと食べ始めた。

「………ハッシュくんって、実は健康マニア? それとも、単にお腹が空いてただけ?」

 几帳面というか、神経質な印象はあったが、他人の朝食を遠慮なく食べるキャラには思えなかったのだが…。

 半ば呆然としている愛華とは違い、すっかりハッシュを気に入ったらしい鈴木のおばちゃんは満足そうに何度も頷いた。

「そうそう。最近の若い子は、時間がないとかダイエットだとかいって、朝ごはんを食べなかったりするけど、あれはねえ、ちょっといただけないのよねえ。何といっても、みんなのために朝早くに起きて準備してる母親の身になってもらいたいものだわ。余った朝ごはんをもったいないからって食べ続けた結果、母親の身体がどうなるか考えてないのよねえ。高脂血症に糖尿病、運動不足に肥満…まったく、子供が朝ごはんを食べないだけで、どれだけ母親が迷惑してるかってことに気づいてほしいものだわ。ねえ?」

 ここで、同意を求められても困る。時間がないと、平気で朝食抜きで学校に行く習慣のある愛華は、おばちゃんの責めるような視線に負けて、頭を垂れた。

「――す、すみません。これからは、残さずちゃんと食べるよう心がけます……」

 しおらしい少女の言葉に頷き、おばちゃんは、包丁を持ち直した。

「さあ、そうとなれば、新しい一皿を提供しないとねえ。待ってなさい、これから、おばちゃんが新鮮なお刺身をつくってあげるからねえ」

 にたりと笑う笑顔の、何と禍々しいことか。

 ぞぞーっと悪寒が走る。

 暗殺者・鈴木秀子。殺し屋モード本格始動の瞬間だった。



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