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二・守護天使とは何ぞや?

     《 二・守護天使とは何ぞや? 》



「な、な、なななっ」

 あまりのことに驚きすぎて、青ざめたまま、尻もちをつく。

 あのまま、いつものように足を踏み出していたらと思うと、ぞっとする。

 部屋の外には、果てのない宇宙区間が広がっている。下手すれば、一生、得体の知れない空間を漂いながら、餓死してしまう…いや、その前に、窒息死してしまうかもしれない――そう思い、はっとする。

 呼吸は、まったく苦しくない。

 それどころか、いつもより激しく動く心臓の求めに応じて、過剰なくらいの酸素が体内に取り込まれている。

 びっくりして、わけがわからない。口をぱくぱくさせていると、いつの間にやら隣にやってきていた黒コートの子供が、安心させるようにぽんと肩を叩いた。

「安心してください。一時的に、貴女の部屋を別の世界に接続しているだけです。用事がすめば、すぐにでも元の世界に帰して差し上げますよ」

「っっ、ど、どういうことよ、これ? 夢にしても、破天荒すぎるんだけどっ!」

 座りこんだまま怒鳴る愛華へ、ハッシュの寝ぼけたような半眼の瞳が静かな笑みをたたえる。

「――そう警戒しないでください。というか、今さら警戒したところで、何にもなりませんよ。何せ、貴女はすでに、馬鹿王子――いえ、バライドル王子に選ばれてしまったのですから」

「え、選ばれた…? 何、それ? 一体、どういうことよ?」

 眉を寄せた愛華の問いに応えたのは、ハッシュではなくバライドル王子だった。

 腕を組み、勿体ぶった笑みを浮かべ、

「ふっふっふっ。誇るがいいぞ、娘! 貴様は、エシュラムザード王国の至宝と呼ばれる、この僕、バライドルの選定を受け、見事合格した幸運な人間なのだ! 僕を王位に就かせるべく、その身を粉にして働くがよい!」

 何かものすごい偉そうに喋っているが、あいにく、威厳とかありがたさなどは皆無だった。

 何せ、容姿端麗とはいえ、全裸の変態男が何を言っても変態の戯言としか思えない。それどころか、何言ってんのこの変質者という単純な反応しかできない。

 愛華の冷めきった眼差しと無言の洗礼を受けながらも、バライドルは尊大な態度を崩さない。それどころか、愛華の反応を好意的に勘違いしているらしく、こともあろうに愛華のベッドにふんぞり返って座った。

 その、一糸纏わぬ姿で。

 乙女の就寝を見守る、掛け布団の上に。最低限、下着という布を挟むことなく。

 それを見た途端、愛華の全身に鳥肌が立った。そして、瞬間に、自分でも驚くほどのアクティブさを発揮した。

「どこに座ってんのよ、こんの変態があああっっ!」

 怒鳴ると同時に、乙女の持ちうる限りのパワーを拳に託し、男のみぞおちに叩きつけた。

「ぐはあっっっっ!」

 男は、あまりにもあっさりと――いや、怖いくらいに軽々と愛華の拳に吹っ飛ばされ、そのまま、窓ガラスをぶち破り、宇宙の彼方へと消えていった。

 それに驚いたのは、殴った本人だ。

「……え、いや、さすがに大げさすぎない?」

 アニメじゃあるまいし、女のパンチ一つで窓を突き破り、そのまま星になるとか、あり得ない。

 ちょっとやりすぎたかと思う反面、これは夢だからいいかという気持ちもあって、とりあえず、大急ぎで男が座った掛け布団カバーを外し始めた。

 その様子を無表情で見守っていたハッシュは、割れた窓の向こうを見やり、ぽつりと呟いた。

「……馬鹿は高いところが好きといいますが、よもや、宇宙の星になろうとは。さすがは、バライドル様。スケールの大きな馬鹿は、やることも大きいのですね」

 感慨深げにぼやく様は、悲しんでいるわけでも惜しんでいるわけでもない。どこか、嘲笑めいた雰囲気すらあって、ちょっとうすら寒いものを感じずにはいられない。

 とりあえず、布団カバーを外して、窓の外に捨ててから、愛華はハッシュと呼ばれる人物に声をかけた。

「ええと、君は、ハッシュくん、だっけ? さっきの変態、いなくなったけど、助けにいかなくてもいいの? 仲間なんでしょ?」

 何となく、二人の関係性は、交わしていた会話から想像がついた。

 あの全裸の変態野郎は、王子という役柄で。

 ハッシュは、その従者みたいな存在なのだ。

 ということは、王子を守るという仕事もあるわけで。

 しかし、その王子がぶっ飛ばされて宇宙の星の一つになっても、彼の反応はひどく冷めている。

「…この程度で死ぬようなら、苦労はしませんよ。馬鹿は、死ななければ治らないといいますが、あれは、無駄に運がいいのです。死なない馬鹿を調教する役目の私からしてみれば、このまま宇宙の藻屑となってくれたほうがどれほど喜ばしいか」

 冷やかともとれる眼差しで窓の向こうを一瞥して、吐息する。

 その姿は、子供というよりは、人生に疲れたサラリーマンを連想させた。何とも言えない哀愁が漂っている。

「…そ、そうなんだ…。よくわからないけど、君も大変なんだね…」

 何となく同情してしまい、しんみりとした口調で愛華が言う。

 ハッシュはもう一度、吐息して、愛華を見つめた。

「いえ、貴女ほどではありませんよ。よりにもよって、あの馬鹿王子に目をつけられるだなんて――ろくな死にかたはできませんよ、きっと」

「死って。縁起でもないこと、言わないでほしいんだけど」

 部屋が変な異空間を彷徨っているというだけでも気持ちが悪いのに、『死』とか言われると、何とも背筋が寒くなるではないか。

 やや強張った笑みを浮かべる愛華に対し、ハッシュはひどく思いつめたような顔つきで言う。

「いえ、冗談ではありませんよ、アイカ様。貴女は、バライドル王子と契約してしまったのです。昨夜の出来事を覚えていますか?」

「え、昨夜って……何かあったっけ?」

 能天気に首を傾げる愛華を呆れたように見つめ、ハッシュが教えてくれる。

「昨夜、いかにも変質者らしい男に出会ったでしょう? そして、手の甲にキスをされたはずです。覚えておいでですか?」

「え? あー、うん、確かにそんなこともあったけど……でも、あれって、夢の話だし。っていうか、現在進行形で夢の世界にいるわけだから、夢のなかで夢見てたってことで……あれ? ああ、もう、何か、ややこしくてわけわかんなくなってきた」

「アイカ様。残念ながら、あれもこれも夢ではありません。ついでにいえば、現段階において、貴女は、王子を守る守護天使――いわゆる、魔法少女という役職に就いているのです。魔法の力を駆使し、王子を一年間、守り続けなくてはいけない義務が発生しているのです。よって、貴女がどれほど王子を憎み、殺そうとしたところで、あの露出馬鹿に怪我ひとつ負わせることはできないのです。その証拠に、ご覧ください。早々に帰還してきましたよ」

 言われて、窓の外を見やると――遠くから、光る何かが近づいてくるのがわかった。

 その何かを目を凝らして見てみると――全裸の男が、遊泳を楽しむが如く、何故か背泳ぎのような動作をしているのが見えた。

「…何で、背泳ぎ? つか、マジで生きてるの、あの変態…」

 どう考えても、窓に突っ込んだ段階でかなりの重傷を負っているはずなのに――バライドル王子は、優雅とも思える動作で宇宙空間を泳ぎ切り、ひょいっと窓枠を越えて、部屋に入ってきた。

 その姿のどこにも怪我をした気配はなく、むしろ、健康体そのものといった感じだ。

「まったく、平民の分際で、この僕に触れるなどと――おい、女。貴様は、親からどのようなしつけを受けて育ったのだ? 高貴な身分の者に対して、暴言を吐くだけでも恐れ多いというのに、殴りつけるとは――とても正気の沙汰とは思えん。おい、ハッシュ。この娘は、頭がどうかしているのではないか?」

「…ちょっと。露出狂の変態にディスられるとか、冗談じゃないんだけど」

 上から目線の発言は、まあ、ギリギリ受け流せる。忍耐と努力さえあれば、多少の怒りには目を瞑ることができる。だが、譲れないこと、許せない行為というのも存在するわけで。

 バライドルは、運動して疲れたのか、再び、ベッドに腰かけようと動いた。

 それを防ぐべく、愛華は再び拳を振り上げた。が、今度はうまく当たらない。

 それも当然だろう。愛華は、何のトレーニングも受けていない、ただの女の子なのだ。誰かを殴ることも、どうすれば効率的に敵を屠れるかなんてことも、考えたこともない。だからこそ、動きにむらができて、余分な力が入る。結果、愛華の必殺の拳はすんなりと避けられてしまった。

 そのうえ、バライドルは、ちゃっかりとベッドの上に座って足を組んでリラックスしている。しかも、わざとらしく鼻歌を歌って、こちらを挑発しながら。

 まったくもって腹立たしいこと、このうえない。

「…くっ、この変態めっっ」

 悔しがる愛華に、バライドルが勝ち誇ったように笑んだ。

「ふん、愚か者めが。二度も同じ手が通じると思うなよ」

「――変態のくせに、偉そうにっっ!」

 何とかもう一発ぶちかましてやらないと気がすまない。

 しかし、相手は優雅とさえ思える動きでするすると避ける。

 苛立ちのあまり、殺意が芽生え始めた頃、ハッシュが冷めた声で言った。

「…初対面で、ここまで仲良くなられたのは喜ばしいことですが、そろそろ、本題に入らせていただいても構いませんか? 馬鹿王…バライドル様、アイカ様」

 その声に、愛華が振り上げていた殺意のこもった拳を下げる。

「…本題? 本題って、何よ??」

 これ以上、常識外れな出来事には巻き込まれたくない。

 わざと顔を歪ませた愛華をちらりと一瞥し、ハッシュが口を開く。

「ですから、アイカ様の今後のお仕事についての説明です。まだ、何も聞いていらっしゃらないでしょうから、説明しておきたいのですが」

「仕事? 何よ、それ? 私、これから学校があるんだけど」

 って、そうだ、学校!

 見やれば、目ざまし時計の針は、ピタリととまっていた。愛華が目覚めた時間に、壊れてしまったか、それとも電池が切れたか。

 とにかく、学校に行かないと、母親に叱られる。サボったことがバレたら、夕食抜きにされてひもじいお腹を抱えたまま眠らなければならなくなる。そんなのは、たとえ夢のなかでも御免こうむりたい。

 慌ててクローゼットに向かう愛華に、ハッシュが無感情な声で告げる。

「急がなくても、大丈夫です。この世界は、時間という概念から切り離されて存在していますから、どんなに長い時間を過ごそうとも、貴女の世界では一秒も経っていません」

「…え、何、その便利設定」

 確か、某少年漫画にそんな感じの話があった気がするが――しかし、だからといって、それが真実だとは限らない。悠長に話をしていて、自分の住むべき本来の場所に戻ったら、えらい年月が過ぎていたという、某お伽噺のような展開になったら困る。

「とにかく、話があるなら学校が終わってからにしてちょうだい。ちゃんと話は聞いてあげるから、元の場所に戻してよ」

 愛華の頼みに、ハッシュは吐息した。

「…仕方ありませんね。上の空で聞かれても困りますので、ひとまず、貴女の世界に戻ることにしましょう」

「話がわかるわね、ありがとう」

 言ってから、礼なんか不要だったなと後悔する。

 何せ、こちらは、変態王子のせいで迷惑しているのだ。

 ハッシュは、相変わらずどこか眠たげな半眼で全裸の王子を見やり、言った。

「ということですので、バライドル様。空間転移の魔法をお願いします」

 その要請を受けた王子は、偉そうに腕を組んだ。

「何を言っているのだ、ハッシュ。まだ、アイカに説明がすんでいないではないか。そのために、わざわざ魔法を使ってやったというのに」

「……相変わらず、人の話を聞いていませんね。アイカ様は、ご自分の仕事を終えてからでなければ話を聞かないとおっしゃっておられるのです。王子の、クソどうでもいい身の上話とか、押しつけられたクソ面倒臭い魔法少女の仕事なんかは、あと回しでよい、と。そうおっしゃっておられるのです。ちゃんと聞いていてください、王子」

「…ちょっと待って、確かにその通りだけど――何か悪意を感じる言い回しじゃない、それ?」

 愛華の割り込みを無視して、ハッシュは続ける。

「ついでに言えば、アイカ様は、全裸の変態とは話がしたくないそうです。女性と話す際は、たとえ奴隷女相手だったとしても、最低限、洋服を着用しなければいけません。それが、王族たるものの義務です。それを、いつまでも全裸で押し通す行為は、アイカ様の国では、斬首モノの重罪なのです。アイカ様の国で過ごすならば、現地の法に従うべきですから、王子の処刑の日も近いかもしれませんね」

「…確かに、恋人でも家族でもない相手の前で全裸を披露するのは、犯罪だと思うけど」

 それにしても、斬首って。少々、やり過ぎ――いや、言いすぎだろう。日本は、平和な国なのだ。

 ハッシュの淡々とした口調は、その言葉の真偽をあやふやにする。本当なのか、嘘なのか、冗談なのか、まるでわからない。それ故に、王子は表情を引き攣らせた。

「ざ、斬首だと? そんな野蛮な行為を、王子たるこの僕に行えるはずがないであろう!」

 言いながらも、どこか口調が弱々しいのは、愛華の国について何の情報も得ていない証拠だ。

 愛華は、にやりとした。

 これは、使える。この変態王子に神聖な乙女のベッドを汚した罰を与えるには、うってつけの状況だ。

 愛華は、わざと神妙な顔をつくり、考え込むようなポーズで呟いた。

「残念だけど、私の国は平民であろうが王族であろうが、掟を破った者は容赦なく殺される法律があるの。しかも、嫁入り前の婦女子の部屋に無断で侵入したり、全裸をさらした場合、斬首どころ騒ぎではないわ」

「! ざ、斬首以上の罰があるのかっっ!?」

 顔色を変える、馬鹿王子。

(ふふっ、信じてる、信じてる!)

 にやにやしたいのを必死にこらえながら、愛華は重々しく頷く。

「ええ、そうよ。可哀想だけど、これはもう誰にもどうにもできないわね」

「ど、どうにもできないのかっ!?」

 身を乗り出し、必死の形相で迫る、残念美形王子。

「ち、ちなみに、斬首以上の刑罰とは、どのようなものなのだっっ!?」

「えっ? ええと…それは」

 さすがに、そこまでは考えてなかった。

 何となく、救いを求めるようにハッシュを見やると、彼はふうっと息を吐き、

「…とても、女性の口からは言えない内容ですからね。代わりに、私が説明いたします」

 そう言って、王子の耳元で何やらこしょこしょと話す。

 何を言っているのかはわからないが、どうやら、想像以上にエグイ話をしていたようだ。それを聞いた王子は、尋常じゃないくらい怯えている。

「な、何という恐ろしい国だ! アレをああして、あんなことまでして、さらに、そんなことまでするとはっっ!! それならば、いっそ殺してくれたほうが親切というものではないか!」

 ガタガタと震える王子に、ハッシュは無感情な瞳を向ける。

「…法に従うのは、たとえ王族で会っても逃れられぬ義務です。いいえ、王族だからこそ、法を歪めてはならないのです。残念ですが、王子……この残酷な運命から逃れる術はありません。ここはもう、腹をくくっていただくしか…」

「!! そ、そんなっっ!」

 絶望のあまり、がっくりと膝を折る、全裸の王子。

 それを冷ややかに見つめる、黒コートの子供。

 何とも奇妙な光景だった。

 しかも、場所は、愛華の部屋。

(……何の寸劇なのよ、これは?)

 ハッシュがどんな脅し文句を吐いたのか、少し気になったが、乙女として聞いてはいけないような気がする。

(……でも、何か、わかった気がするわ)

 ハッシュが、王子に対して向ける視線や言動。そこに、王子に対する畏敬の念や遠慮は微塵もなかった理由が。

 つまり、バライドル王子は、正真正銘の馬鹿なのだ。

 臣下の言葉が嘘かどうか考えることを放棄した挙げ句、己の趣味性癖を正義だと言い張る。そのうえ、自分は他者を見下しておきながら、他者からは大事にされて当然だと思い込んでいる。はっきりいって、こんなのが王子でいいのかと、彼の国の民草に問い質したいところだ。

(…要するに、ハッシュくんはアレなのよね)

 王子につき従う気もなければ、調教――いや、教育する気もない。というか、何を言っても耳に届かず、己の道を突き進む馬鹿をどうにかしようなんてこと自体、時間と体力の無駄なのだ。それならばいっそ、自分のやりたいようにやる。ほどほどにつき従っていれば、王子付きということで、自動的にそこそこの地位が得られるだろうから、立身出世のために、王子を適度に利用しているのではないだろうか。

(…王子は王子で、何でも鵜呑みにする馬鹿だから、自分が貶されてるとかないがしろにされてるってわかってないし…)

 その点で言えば、ハッシュよりもバライドルのほうが性格的にはいいのだろう。少なくとも、裏表がなく、清々しいほど単純だという意味で。

(…ま、だからといって、私には関係ない話だけどね)

 とにかく、今は、学校に急がなければ。

 愛華は、青ざめ項垂れている全裸男を見下ろし、言った。

「あんたの暗い未来はどうでもいいから、さっさと私を元の世界に帰してよ。遅刻しちゃうじゃない」

 我ながら、ちょっと冷たいかなと思わないでもない。

 何せ、バライドルは、本気で怯えているのだ。しかし、愛華は、慰めの言葉をかけたり、あれは嘘だと教えてやったりもしない。はっきりいって、この手の馬鹿は、ちょっとくらい怖がったり痛い目をみないと学習しないのだ。

 しかし、バライドルは何事かぶつぶつと呟いていたかと思うと、急に猛然と立ち上がった。そして、ぐいっと愛華の肩をつかんでくる。その手の力があまりに強くて、みしりと肩が痛んだ。

「! い、痛いんだけど!」

 抗議の声を上げるが、肩に食い込む指の力は弱まらない。それどころか、ますます強くなる。

「痛い痛い痛いっっ!」

 悲鳴をあげたところで、ばあんとシンバルの音が響いた。

 見やれば、ハッシュが冷ややかに二人を見つめている。

 その大きな音で我に返った王子は、少し手から力を抜いて、愛華を見つめた。そして、きらきらした美形顔で言う。

「――罪を犯したとしても、それが表に出ない限り、それは罪ではない。それは、貴様の国でも同じか?」

「はい?」

 一瞬、言っていることの意味がわからずに間の抜けた声を返す。

 バライドルは、くらくらするような綺麗な顔を近づけて、再び問う。

「貴様さえ黙っていれば、僕は罰せられることはない。そうだな?」

「え? あ、まあ、私が訴えなければそうなるよね、当然…」

 言ってから、はっと気づく。

(…ま、まさか、こいつ。馬鹿のくせに、私を殺して、証拠隠滅しようとか考えてるんじゃないでしょうね!?)

 ありえない話ではない。訴える者、被害者がいなければ、裁判は成り立たない。ましてや、状況が状況なのだ。愛華が殺されたとしても、愛華の家族も警察も、真犯人には辿りつけないだろう。

 そう思うと、恐怖に身も心も震えあがる。

 相手は、全裸の変態とはいえ、れっきとした男なのだ。本気になって襲われたら、女の身では抵抗の仕様がない。

 ここは、先手を打って、ぶん殴って逃げるべきだろうか。

 そう思うが、外は、わけのわからない宇宙空間。放りだされれば、どうなるか――見当もつかない。

 愛華が対応に迷っている間にも、話は続く。

「やはり、そうか。訴える者がいなければ、そして、その罪の証拠がなければ、罪は罪ではなくなる。僕を罰する者は、いなくなるのだな」

 バライドルの低い囁き声に、戦慄する。

 これはもう、迷っている場合ではない。

 とにかく、殴ろう。ひたすら、殴ろう。

 それが駄目なら、思いきり急所を蹴り上げて、外に逃げよう。

 外が宇宙空間とか、そんなのはどうでもいい。殺されるよりは、死ぬ気で生きる道を探したほうがよっぽどマシだ。

 そう思い、手と足に力を込めようとしたところで、王子が思わぬ行動に出た。

 じっとこちらを見つめていたかと思うと、突然、片膝をついたのだ。

「…え、な、何…?」

 突然の行動に、目が点になる。

 殴ろう、蹴ろうとしていた身体から、わずかに力が抜ける。

「ま、まさか、王子――」

 ハッシュが目を見張り、息を呑んだ。


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