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ゲイル・B・ブラッド。
ブラッド家の先々代の当主であり、現当主のミハエルの祖父。彼が当主をしていた時代はガドラーが攻め込んできた回数が尤も多かったと言われており、その度に前線へ立ち勝利を納めてきた。その手腕と戦略から領民たちからは『戦風』と言われている。
そのために十数年前に唐突に家督を息子に譲って隠居生活を始めた際には誰もが驚いた。年老いたためか、あるいは病気にでもかかったのか。様々な憶測が飛び交っているのだが。
「よう、ミハエル。元気じゃったか。ほいこれ、土産の酒じゃ。蔵にでも運んどいてくれ」
このようにピンピンしている。
客室において久方ぶりの祖父との再会したミハエルは頭を下げながら口上を述べた。
「……お久しぶりです、お祖父様。ご健在で何よりです」
「なーにを堅苦しいこと抜かしてんだよ。儂にそんな言葉遣いは無用だと何回言わせるつもりじゃ」
「これでも若輩ながらブラッド家当主という身の上なので。礼節を重んじるのは当然のことでしょう」
「かぁーっ。相っ変わらず真面目じゃのう。そういう所は親父そっくりだ」
「褒めていただき、光栄です」
「阿呆。誰も褒めとらんわ」
全くこの孫は……などと呟くとミハエルの隣に座っていたマリーに目を向けた。
「マリーさんや。このような頭でっかちな男だが、何卒よろしく頼むぞ」
「大丈夫です。旦那様が頑固なのは既に承知しておりますから」
「……マリー殿。私は別に頑固者ではないと思うのだが」
「頑固なお方は大概そう言うのです。特に一度言いだしたら止まらないところ、とか」
瞬間、ギクリと肩を震わせるミハエル。そんな彼を見てマリーは微笑していた。ゲイルには例の決闘の件は話していない。言えば後々厄介なことになるのは目に見えていたからだ。
このままではまずいと思ったミハエルはゴホン、と咳をして話題を変える。
「ところでお祖父さま。今日は何か用があったのではありませんか?」
「あぁん? 用がなけりゃあ儂はここへ来てはいかんのか?」
「そういうことを言っているのではありません。しかし滅多なことでこちらに来ることがない貴方がこのような時期にやってくるとなれば用事があると思うのが自然な話です」
ゲイル・B・ブラッドは貴族の中でも特異な自由奔放な人物である。
普段は領地の山奥にある別荘で隠居生活を楽しんでいるかと思えば、ふとしたことで旅に出るなどと言い出して国外旅行へ行くこともしばしば。それというのも縛られるということが嫌いな性格をしているためである。今にして思えば彼が若くして当主の座を息子に渡したのは領主という縛りから開放されたかったからなのかもしれない。
そんな彼がミハエルの婚約が決まったこの時期にやってきた。何かあるに違いないと考えるのは矛盾してはいないだろう。
そもそもにして、ゲイルはミハエルの結婚話を進めている人間の一人なのだ。
やれやれ、と言わんばかりな表情を浮かべながら彼は答えた。
「全く面白味のないやつじゃのう。少しは祖父を労おうとしてもよいのではないか?」
「労って欲しいのですか?」
「さてのう。お前はともかくとしてマリーさんやクロエに添い寝をさせてもらえるならばこれ以上の労いはないとは思わんか?」
言われてマリーは苦笑いで返し、クロエに至っては無反応である。
エロじじい、と小さく呟くアルヴィンの声が耳に入ったが全くもってその通りである。が、それをそのままミハエルが指摘するわけにもいかないのが現実だ。
「お祖父様」
「わーってるよ。冗談だ、冗談。孫の嫁や給仕に手を出すほど儂は落ちぶれとらんわ。今日来た用件じゃが……ミハエル。お前のことだ。大体は想像がついとるんじゃろ?」
ゲイルの言葉にミハエルは一拍の間を置きながら口を開いた。
「結婚の日取りが決定した、ということでしょうか」
刹那、マリーの体がビクッと小さく反応したのをミハエルは見過ごさなかった。それは本当に小さなものであり、反応とすら言えない代物。しかし、確かにミハエルは彼女の体が震える瞬間を目撃したのだ。
だが、彼はそれについて何も言わない。代わりに、というべきか、ゲイルがミハエルの問いに答えた。
「その通り。式は十日後。王都の方にある屋敷で執り行うことになった」
「王都の、ですか? こちらではなく?」
ミハエルは首を傾げながら言う。彼はここ『ブラウ』の領主だ。ならば領内で結婚式を挙げるのが普通なのではないだろうか。現に今までそうした考えに基づいて彼なりに結婚に向けての準備を行ってきた。
そんなミハエルの疑問にゲイルは面倒臭そうに答えた。
「あっちの要望でな。結婚式は是非王都で執り行って欲しいって聞かないんだよ。まぁ、親類関係呼ぶなら王都の方が色々と都合が付くとかそういう理由だろう。それに、これは四大貴族同士の結婚だ。関係者は親類だけじゃあ留まらんだろう。王族関係者も結構呼ぶらしい。それとこれはまだ未定だが……陛下も出席なさる可能性もある」
「エサル陛下が?」
エサル王。この彩色の国『ヴィフレスト』を統べる現王。
昔からの伝統を守ろうとする保守派と新たなる改革を進めようとする改革派。彼はその前者である保守派、つまりはミハエルと同じ派閥に属していると言える。
同じ派閥、とは言ってもそういうものが実物としてあるわけではない。考えが同じ、というだけであり、実際ミハエルは派閥というものをあまり意識したことはなかった。しかしそれでも周りは意識したがるというのが人間の性。
そして考えてみれば保守派の四大貴族同士の結婚に同じ保守派であるエサル王が出てくるのは自然な話なのかもしれない。
結婚に際しても政治が関係してくる……それが貴族というものだ。あまり良い話ではないが。
などと考えていると。
「……あの」
先程からあまり喋っていなかったマリーが口を開いた。
「どうしたね、マリーさん」
「いえ、その……結婚式は、どうしても王都でやらなくてはいけないんでしょうか? 別に不満があるというわけではありませんわ。ですが、その……旦那様はここ『ブラウ』の領主です。ならば『ブラウ』で結婚式を挙げるべきではないのか、と思いまして……」
先程ミハエルが思っていた通りの言葉を口にするマリーにゲイルは難しそうな顔つきで言う。
「マリーさん。さっきも言ったがこれはあちら……トワネット家の要望でのう。こちらとしては無理に断る理由もないので了承したわけだ。別に今まで四大貴族の当主が王都で結婚式を上げたことがない、というわけでもない。問題はないはずだが……何か、気になることでも?」
その瞬間、ゲイルの目つきが変わった。
まるで何かを見定めるかのような瞳にさらされたマリーは静かに答える。
「いえ……いいえ。何もありませんわ」
平静を装ってはいるが明らかに様子がおかしいのは確かだ。
しかしゲイルはそれ以上追求することはなく、そうか、と呟くだけだった。
「ならば良かった。ああ、そうじゃミハエル。久しぶりに屋敷の酒蔵を見てみたくなった。案内してくれ」
「……分かりました」
そう言ってミハエルはゲイルを連れて部屋を出て行く。ゲイルはさり際に「では、またのう」と言い残していったが、今のマリーにはそれに対して会釈することしかできなかった。
見ると彼女は自分の服の裾を思いっきり握りしめていたのをミハエルは気づいていた。
***
「お祖父様に一つ尋ねたいことがあります」
酒蔵でミハエルが言い放ったのはそんな言葉だった。
「尋ねたいこと、か。何じゃ?」
「今回の結婚について、です。一体どういう意図があるのでしょうか?」
酒蔵の酒の状態を見ながらゲイルは何気なしに答える。
「どういうって言われてものう。中々女ができない孫に対してじじいがお節介をやいただけ、というだけの話じゃ」
「そんな理屈が通るとでも?」
「通る……ということにしておけ」
無茶苦茶である。しかしそれがゲイルという男だ。
「お前が何を怪しんでいるのかは知らないが少なくともこの縁談は向こうから誘ってきたことだからな。儂はそれを了承した。ただそれだけじゃ。それとも何か? 儂が陰謀を巡らせるような玉に見えるのか?」
「いえ……お祖父様の場合、陰謀どうこうよりも力でねじ伏せる気がします」
「はっ、何だ。分かってんじゃねぇか」
おっ、いい酒じゃねぇか、と言いつつ酒樽の中身を確認するゲイルは続けて言う。
「それにな、お節介っていうのはあながち間違いじゃないぞ。その歳で女の一人もいない、なんてのは正直男としても当主としてもよろしくないじゃろ。そこに転がり込んできた縁談。相手は同じ四大貴族。しかも美少女と来た。これを断る理由はなかろうて。それとも何か。お前はあの娘との結婚に不満があるとでも言うのか?」
「そんなことはありません。むしろ……」
「むしろ?」
「……いえ。何でも」
あと一歩、というところでミハエルは口を止める。まさかここで一目惚れしたなどと言えば笑われ、いじられるのは必至だ。まぁ、察しの良い老人なわけなのでもしかすれば当の昔に悟られる可能性があるのだが。
「それよりも例の件はどうなった?」
例の件……それは異世界人のことだとミハエルはすぐに理解した。
そもそもにして彼が異世界人について調査をしようと思い至ったのは目の前にいる祖父に忠告されたからである。
「一応報告は読ませてもらったが、どういう処分を下すつもりだ?」
「……正直な話、迷っています。彼……ヤマト・キサラギが何もせず、この国で生きていくというのならば我々四大貴族が出る幕はないと考えています。そもそもにして異世界人をどうこうするという権限は私にはありませんから」
「しかし、彼を呼び出したのはお前と敵対している改革派の連中だということを忘れてはないな?」
「……はい」
結局のところ、問題はそこである。
「そのヤマト・キサラギが仮に善人だとしても、だ。連中が背後にいるとなると厄介になるのは目に見えている。奴らは古い物を壊すためなら手段は選ばんからな。おかげで儂やお前の父も相当苦労させられたからのう。まぁ、中には芯が通った奴もおるが」
酒樽の蓋をしながら老人は続けた。
「それにな。異世界人とは何らかの力……神の加護、じゃったかのう。それを持っているとされている。力を持つ者は大抵普通には暮らすことができんものじゃ。儂や、お前の父、そして現在のお前のように、な」
それは皮肉か。あるいは自嘲か。そんなどちらかわからない微笑をゲイルは浮かべていた。
「……まぁ。その件については一先ず置いておくとしよう。それよりも、お前はここにいていいのか? 未来の嫁を放っておくなど男として落第だぞ」
「お言葉ですが、お祖父様。酒蔵に案内してくれと言ったのはお祖父様のはずですが?」
「儂は案内をしてくれとは言ったが、長話をしろとは言っとらんぞ。ほれ、さっさと行け」
確かに、確かにその通りなのだが……何故だろうか。納得できない自分がいることにミハエルはどうしようもなく腹が立った。ああいえばこう言う、とはまさしくこのことだろう。そもそもにしてこの老人にミハエルが口で勝ったことなど両手で足りる程度だ。
しかしだからこそ理解している。これ以上反論しても意味がない、と。
ミハエルは「失礼します」と言い残し、その場を後にした。
コツコツと言う音が小さくなり、完全に消えたことを理解すると、はぁとゲイルは息を吐く。
「ため息を吐くと幸せが逃げていくらしいっすよ」
どこからともなく聞こえてきたその言葉にゲイルは気のない声で言う。
「さっさと出てこんか。儂は独り言を呟く趣味はないぞ」
へいへい、と言いながら現れたのは頭をかいている青年――――アルヴィンだった。
「相変わらずせっかちっすね」
「そちらも相変わらず姿を消すことだけは一人前じゃのう」
「一応褒め言葉として受け取っておきますよ」
「勝手にせい」
そんなやり取りをしながらゲイルはミハエルが立ち去った方向へと視線を向けた。
「……あの様子じゃと未だに真実は知らない、か」
「そりゃあまぁ。そのために情報を一部遮断してるわけっすから。旦那の耳に入らないように苦労してるんすよ、こっちは……とはいえ」
「ああ。知らないが……気づいてはいるようじゃのう」
ミハエルは真面目な男だ。しかし、それだけでは四大貴族の当主は務まらない。少しの違和感、空気の機敏さ。それらを読み取り、情報を得る。それだけのことができなくては当主にはなれない。
今回の場合、ミハエルがこの結婚話が妙だと感じた一番の原因は……敢えて言うまい。
「妙なところで勘が鋭いのは親譲りか」
「どうするんすか? このままだといずれバレますよ? まぁ、俺としては別にそうなっても構わないとは思いますけどね。別にそんな珍しい話じゃあるまいし」
「馬鹿を言うな。確かに貴族として『あのこと』は別に珍しい話じゃあない。が、相手が相手だ。慎重にならざるを得ないだろうよ。それにミハエルのことだ。真面目なあいつが知れば何をしでかすか分からん。それに……知らない方が奴にとっては幸せなはずだ。お前もそう思うからこそ、秘密にしているのだろう?」
「まぁ……その通りっすけど」
ゲイルの言うとおりである。『あのこと』がミハエルの耳に入れば確実に彼は悩むだろう。これから幸せになろうとしている主に苦しみを与えたいとはアルヴィンも思っていない。
それでも、アルヴィンは考えてしまう。
「例え『あのこと』を知っても……あの人は自分を貫くと思いますよ。なんせあの人、不器用ですから」
それが自分が仕える主――――ミハエル・B・ブラッドという男なのだから。