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 フリードの一件から一週間後。

 ミハエルとマリーは早朝という時間帯にも拘らず、俊敏な動きで相見えていた。


「せいっ!!」


 声と共に突き出されるマリーの剣をミハエルは悠々と躱す。その巨体からは考えづらい柔らかい動きはマリーの剣では些か及ばない。それでも彼女はめげずに剣を振るう。

 一方のミハエルはマリーの動きを見ながら防御と回避を続ける。それは攻撃の隙を狙う、というのもあるが、それだけではない。


「脇が甘い、腕だけで攻撃しようとしている!」


 怒号にも近いそれは確かな指摘。今の彼には婚約者である相手にどぎまぎする、という考えは一切ない。目の前にいるのは剣客。そして、自分はそれを教えている立場だという自覚だけだ。

 ミハエルの言葉にマリーはさらに真剣な表情を浮かべながら剣を突き出す。彼女の剣もまたミハエルと同じレイピアであった。

 流石は騎士学校へ言っていたというべきか。彼女の剣は素人のそれを遥かに超えている。力、速さ、タイミング。それら全てがそこら辺にいる剣士よりも上であることは確かだ。だが、言ってしまえばそこまででもある。超人や天才と言った類のものではなく、抜きん出た何かもない。まだまだ荒削りなところもあり、指摘しなければならないところも山ほどある。特に同じレイピアを使うミハエルからすれば一目瞭然。

 レイピアは力加減が必須の代物だ。力を入れ過ぎれば簡単に折れてしまうし逆に弱すぎれば相手に簡単に弾きとばされてしまう。だからこそ、己のレイピアに見合う力の入れ方を覚え、いかに折れないように戦うかが重要になってくる。マリーはその点は分かっているものの、若干ながらまだ力の入れ方が把握しきれていない節が見受けられた。


「もっと体全体を使うように!」

「――――はぁっ!!」


 指摘を受けたと同時に放った突きは今までのよりも数段疾く、正確であった。腕だけでなく、足の踏み込み、体の捻れを使ったおかげだろう。だがそれもミハエルの指摘があったからこそであり、それを克服したところで年数を重ねた彼の剣には到底敵わない。

 そう、ミハエルとマリーの決定的な違いは年数だ。剣を積み重ねてきた年というのは実力に出やすい。例外として天才という類のものがあるが、それは所詮ごく少数の枠組みであり、それだとしても日々の稽古を怠ければ意味もないものだが。

 鋭い攻撃を連続して放つマリーであったが、彼女のそれは途中からがむしゃらのようだった。その証拠に一分もしない間に剣戟の鋭さは失われ、速度も決定的に衰えている。そんな好機をミハエルが見逃すはずはなく、迫ってきた突きの一撃を巻き上げる。唐突なカウンターにマリーはなすすべもなく、そのまま彼女のレイピアは空を舞い、地面に突き刺さった。


「ッ!?」


 しくじった、と思った時にはもう遅い。

 彼女が剣を取りに走ろうとするも、既に喉元にはミハエルのレイピアの剣先が突き出されていた。

 ミハエルは勝ち誇った笑みも不敵な笑みもみせず、ただいつものような無表情で言う。


「勝負、ありだ」

「……参りましたわ」


 負けを認めるマリーは当然というべきか、悔しそうな表情を浮かべていた。


 *


「はぁぁ~~~」


 朝食中、大きなため息を吐きながらがっくしと言わんばかりな表情を浮かべていた。何をそんなに落ち込んでいるのか、それをミハエルが訊くにはあまりにも無粋である。

 故に無言で通していた彼にマリーが逆に問う。


「旦那様。旦那様はもしや熊や狼のご先祖などがいらっしゃるのではないですか?」

「唐突な質問もそうだが、内容もまた突飛がないな。どうなればそんな疑問が沸くのだろうか」

「だっておかしいではありませんか。この一週間、旦那様と毎日手合わせしているというのに、私はいつも負けてばかりです。自分が一番強い、などと自惚れてはいませんが、剣には多少の自身があったというのに、旦那様ときたらまるで子供扱いして」

「子供扱いなどはしていない」

「けれど、本気も出していないでしょう?」


 その言葉にミハエルは無表情を崩さない。実際、彼は確かに本気を出していなかった。しかしそれはマリーが弱かったから、というような理由からではない。確かに彼女はミハエルよりも劣ってはいるものの、それなりの実力は確かにある。

 彼が本気を出さなかったのはマリーの力を見極めるためだ。その上でどこをどう修正すればより向上するのかを指摘するため。大きなお世話かもしれないが、同じレイピア使いとして指導をしてあげたいと思っただけだ。

 しかし、そんなものはミハエルの側の言い分であり、実際相手をしているマリーからしてみれば手を抜かれているようにしか感じないのは自然な話だろう。


「でも本当に旦那様はどうしてあそこまでお強いのですか? 毎日の鍛錬から、というのは分かりますが、私にはどうにもそれだけではないと感じられます」

「と、言うと?」

「雰囲気、といいましょうか。剣を握った旦那様は纏っている空気がいつもと違うように思うのです」


 勘が鋭い、とミハエルは心の中で呟く。剣を扱っているからと言って、雰囲気だけで奇妙だと感じるものはそうはいないだろう。

 彼女の疑問の答え。それは至って簡単である。食事中にそれを言うのは少々気が引けるが、しかしいずれはバレてしまうことだ。変なところで隠し事など、今後のことを鑑みれば不要なことである。


「それは恐らく……戦場にいたからだと思う」

「戦場、ですか……? あの、それはもしかして十五年前の……」

「正確には十五年と四ヶ月前。ガドラーとの国境戦争のことだ」


 ガドラーとは以前から何度か戦争を起こしたのは国民の誰もが知っている事実だ。そして戦争が起こりそうになったのは半年前の話だが、実際はその前、つまりは十五年と四ヶ月前に戦争をしている。

 きっかけとなったのはガドラー側の領土侵犯。密かにヴィフレストの国境を超えて資源を搾取していたのだ。それが表沙汰になり、戦争へ突入したのだ。馬鹿馬鹿しい原因かもしれないが、ヴィフレストは以前からガドラーとの戦争に備えていたために少しでもきっかけがあれば付け入ろうと考えていたわけだ。そしてガドラー側もさぁ来いと言わんばかりに応戦した。

 その結果、死者一万を超える大惨事になってしまった。

 ミハエルの言葉にマリーは目を丸くしている。


「十五年前と言えば……旦那様は十五歳ですわね」

「ああ。国境はここ『ブラウ』のものであり、当時領主だった父に連れられてな。今でも若輩な私だが、あの時は右も左も分からない愚かものだった。おかげで戦場では何度も死にかけたものだ。まぁ……そのおかげで色々と身に付いたこともあるが。剣もその一つ。あの場所で私が生き残るにはそれ以外に手段はなかったからな」 


 自嘲するミハエルの顔を見たマリーは表情が暗くなった。


「……旦那様。ぶしつけな質問だとは分かっているですけれど、その……旦那様は、人を……」

「……ああ。殺したよ。何人も」

「……ごめんなさい」

「いいんだ。戦場に出ていたと言われればその疑問は当然だ」


 今でも瞼を閉じれば思い出すあの光景。地獄があるのならばまさしくあれだと思ったのは今でも間違っていないと感じている。

 周囲にあるのは血、血、血。大量に撒き散らされたそれはまるで池のようにも錯覚できた。そしてその血は自らも浴びている。自分の血なのか、それとも誰かの血なのか。それが判断できないくらい、あの場所は異常だったのだ。

 殺さなければ殺される。それが『日常』となった、いやなってしまった状況下で生き残るには至難の技だ。ましてや当時のミハエルは本当に剣しか取り柄のない男であった。そんな彼が生きていくにはやはり己の剣で相手を斬ることぐらいしかない。


「ひどいものだった……いや、戦場というものはあれが自然な状態なのかもしれない。何せ、私が立ち会った戦場はあれただ一つだけだからな。そして……できればあのようなものはもう二度と経験したくはない」


 だからこそ、彼は半年前のガドラーとの衝突の際、何としてでも戦争を止めようと躍起になったのだ。どんな手を使っても、どんなコネを使ってでも。あのような事を繰り返してはならない、と。


「こんなことを口にしてしまうなど、本来ならば領主失格なのかもしれないな」

「そんなことは……ないと思いますわ。誰だって戦争は嫌ですもの」


 暗い顔を俯けるマリー。その通りだとミハエルも思う。

 戦争で功績を上げた人間は英雄になる。戦争に勝ては国は豊かになる。確かにそうなのかもしれない。けれど、その過程で失われる命は数えきれず、その命一つ一つに大切な家族や恋人や友人がいるはずだ。その人達は英雄が生まれても、国が豊かになったとしても、決して消えることのない痛みを抱えて生きていかなくてはならない。いや、最悪の場合、自ら命の落とすことだって有りうる。

 だから戦争は悲惨であり、悲劇である。

 しかし、だ。


「……それでも、人間には戦わなくてはならない時がある」


 それが十五年前の戦争だ。


「あの戦争は酷いものだった。辛い経験だった。けれど、無駄だとは思っていない。無意味とも考えていないんだ。語弊を生むかもしれないが、あの戦争があったからこそ、今の私が存在する。そしてあの場で死んだ大勢の人間は全員勇者であり、生き延びた者は英雄だ」


 そうでなければ戦死した者、そして何とか生き延びた者達に申し訳がない。

 世間では戦争に参加した者を批判する者もいる。人殺し、殺人鬼。そんな世迷言を言う連中は分かっていないのだ。

 彼らにだって死にたくはなかったはずだ。誰かを殺したいと願った人間などいるわけがない。

 それでも彼らが戦場へ趣いた理由。

 命を賭しても守りたかった人がいた。助けたい誰かがいたのだ。

 そう、それはミハエルの父のように。


「マリー殿。私の父のことは?」

「……いいえ。ですけど、その話の内容から察するに……」

「ああ。父は十五年前の戦争で戦死した。敵の大将と一騎打でな。だが、結果は相討ち。父もその相手も共に死んでしまった」


 拮抗した戦闘の中で敵大将が申し出た一騎打ち。その光景は今でもミハエルの脳裏に焼き付いている。

 何時間もの間、剣を交じあわせた彼らの戦いは凄まじいものだった。ミハエルの父もそうだが、敵の大将も中々の腕の持ち主だった。最後は互いの腹部に一撃入れたとこで共に昏倒。すぐに治療を施したものの、傷は深く、ミハエルの父もそして敵の大将もその日の内に死亡が確認された。

 そして皮肉なことに、その三日後。戦争終結の通達が送られたのだった。


「父は厳しい人だった。あまり、笑顔を見せない人でな。だから色んなところで勘違いされやすい人だった……だが、それでも領民を守りたいという気持ちは本物だった。だから最前線に立ち、指揮をとったんだ」

「立派な父上でいらしたんですわね」

「ああ……心の底からそう思う」


 ミハエルは父を尊敬し、その背中を追いかけ、今に至っている。

 ふと彼は思った。今日の自分は何故、こんなにもお喋りなのか。戦争のことや父のことなどあまり口にはしないはず。自慢話にもしたくはないし、何より誰かに聞かせても気分が良くなる話題でもない。本来ならばもっと気の利いた話をすればいいのだろうが、ミハエルにはそれができなかった。

 などと考えていると。


「旦那様。この前の遠出の話なのですけれど……お父上の墓参りなどはどうでしょうか」

「墓参り……それはいいが……よろしいので? せっかくの遠出だというのに」

「だからこそ、ですわ。立派なお父上に挨拶をするのは当然ではありませんか」


 言われてミハエルは目を見開いた後、苦笑した。

 なるほど。どうやらミハエルは自分のことや父親のことを話すまでにマリーとの距離が縮まっていることに気がつく。それが彼女がミハエルに対し恋愛感情を抱いてくれているかどうか。それはまた別の話だが。

 だが、それでも今、彼がいうべきことはただ一つ。


「……ありがとう」


 感謝の言葉を述べる彼の口元は珍しく緩んでいたのだった。

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