5
「それで? 何か言い訳はありますでしょうか? お二人共」
決闘後、笑顔を浮かべながら二人の男に質問を投げかけるマリー。笑顔、と言っても目が全く笑っていない、と付け加える必要があるが。
しかもその目が凍るような眼差しであったためか、ミハエルとフリードは身動きがとれなかった。しかも地べたに座らされているため何とも格好が悪い。これが先程まで一人の少女を巡って争っていた男達、と言われても些か信用し難いものだ。
しかしこのまま黙っていても何も始まらない。
ミハエルは恐る恐る口を開いた。
「あの、マリー殿? もしや……怒っているのか?」
ブチッ、と何かが切れる音がしたのは気のせいだろうか。正確に言えば青筋的な何か、だ。
「怒っている? 私が? いえいえ、そんなわけあるはずないじゃないですか、旦那様。勝手に自分を賭けた決闘を行われて、私の意思は全くの無視。やめてくださいと止めてもそれも無視。その程度のことで私が腸が煮えくりかえってしまうわけないじゃないですか」
おほほほ、とこれまた笑顔で応えるマリー。しかし視線は未だ鋭かった。
「ですが……そのようなことをされて気分が良いわけがないのは、分かりますわよね?」
怒っている。これは完全に怒っている!!
いや、そもそもにして相手が怒りを抱いているという可能性を考えるのならば先程の質問はあまりにも愚か。火に油を鍋ごと注ぐようなものだ。反省しなくては……などと考えている場合ではない。反省したところでこの状況が打開されるわけではないのだから。
しかしそもそもにして女性との付き合いがあまりにもないミハエルにはどう対処すればいいのかなど見当がつかない。ならばこそ、ここは経験者に尋ねるのが常套策だ。
(フリード殿、このままでは何かまずい気がするのだが)
(ミハエル殿、気がする、のではなくこれは確実にまずい状況ですよ。彼女との付き合いはそれなりですが、こうなった彼女は誰も手が出せません。ここは大人しくしているのが得策ですぞ)
(つまりこのまま彼女の怒りが収まるのを待て、と?)
(そういうわけです)
ふむ、とミハエルは納得の表情を見せる。確かに自分は女性に対して口下手だ。ならば余計なことは言わず、このままでいることが一番の手、なのかもしれない。
しかし……何というか、やはり情けない気がしてしまう。
(なぁに、これもまた彼女の魅力の一つとして考えればいいのです。好きな女性にいじめられるというのは中々の快感があるという噂もありますし……)
(いや、そんな趣味は持ちたくないのだが)
「何をごそごそとお喋りをしているのですか? お二人共?」
男同士の密会は少女の一言によって切り捨てられる。
「大体です。どうして決闘などというとんでもない展開になるんですか。朝から、それも初対面の相手同士で!! 非常識だとは思わなかったのですか? もしかしてそういうのが格好いいとか男らしいとか思っているんですか? そうお考えならばお生憎様です。当の本人からしてみれば迷惑以上の何者でもありません!! そして何より私が気に入らないのはお二人共がそれを分かってて決闘をした、ということです。あれですか? 私を困らせて楽しんでるとかそういう趣味があるのですか? だとしたら色々と説教をしなければなりませんね。というよりもまず……」
長々とした説教をする少女と受ける二人の男。
そんな三人を見ながらひそひと話をする二人組が。
(生き生きしてんなぁ、マリー嬢)
(あれは生き生きしているというのではありません。カリカリしているというのです。っというか、何ですかマリー嬢とは。失礼ですよ)
(だってまだ結婚してねぇだろ? だったら奥方様とか奥様はおかしいだろ。それにあの年だ。俺からしてみればお嬢ちゃんであることにはちげねぇえよ。っていうか、俺が言おうとしていた台詞、全部言われちまったよ)
(ふん。貴方如きが注意しなくても主様なら既に分かっていらっしゃいます。それをああも長々と、しかも説教するなどと……いえ、確かに間違ってはいませんが、やはり釈然としません)
(そりゃお前の大好きな旦那が他の女に怒られてるからじゃ……っておいこらまて、分かった謝るから、そのどこから出したのか分からない槍をしまえっての……!!)
「そこの二人、ちょっと黙っててもらえます!?」
ぴしりとマリーの一言が飛んだ。
いや、こっちは命の危機に瀕しているですけど……などというアルヴィンの言葉など誰も聞く耳は持たない。
再びミハエルとフリードに向き合うマリーだったが、その表情には少し曇りが見える。
「……フリード様」
「何でしょう、姫君……いえ、この言い方はもうやめにするべきですね。マリー様」
それは彼なりのけじめ、というやつだろう。自分の姫君ではなくなったという事実を自覚するために。
そんな彼に対し、マリーは問いを投げかける。
「貴方は今でも私のことが好きですか?」
「ええ、もちろんですとも。ミハエル殿には悪いですが、貴女のことを想う気持ちだけは今尚潰えることはありません」
堂々と言い放つ彼の言葉にミハエルは苦笑する。今の彼にとってみればここは怒る場面なのかもしれないが、不思議と怒りが湧いてこなかった。
「……貴方の想いを今まで無視してきたのに?」
「それはそれ、そこを何とかするのが男という生き物でしょう? 惚れることは簡単でも、相手を惚れさせるというのが難儀な話であることは世の常です」
流暢に出てくる言葉何ともキザなものである。しかし、一度彼と剣を合わしたミハエルにはその言葉が嘘偽りのないものだと理解できた。
そして、その言葉を聞いたマリーは、だからこそと言うべきか。表情はやはり暗い。それは気まづい、というよりも申し訳がないと言わんばかりなものである。
「ごめんさない」
それは今まで彼の気持ちが本当ではないと思っていたという気持ちか。
それともそれが分かった上で、けれども彼の気持ちに応えられないという謝罪か。
どちらとも取れる言葉に若き青年は笑顔で答える。
「何を謝っているのですか。そんな顔は貴女らしくない」
「だって、私、貴方のことをずっと……」
「疎ましい、と思っていたのでしょう? 分かっていますよ、それくらい。謝る必要などありません。わかって上で貴女に近づいていたのですから」
「じゃあ、どうして……」
「どうして、とは?」
「だって、そうでしょう? 自分を邪険に扱う女をどうして好きになれるんですか?」
その言葉にしかしてフリードは胸を張って返答する。
「それは勿論、自分が好きだと思った相手だからですよ。嫌いだと直接言われようが、暴力を振るわれようが、それこそ罵倒を散々浴びされようが、それがなんだというのです? 自分が本当に好きだと思うのならそれらをまとめて受け止める度量が無くてどうしますか。相手が自分のことを全部受け止めてくるとは限らない。ならば、まずは自分が相手を受け止めることから始めなくては」
「……貴方という人は……」
何という男なのか……マリーはそんな言葉を言いかけた。
相手をの全てを受け止める。これが自分のことを好いている人間ならまだしも嫌っている、鬱陶しいと思われている人間ならば難しいことであるのは容易に想像がつく。
目の前にいる青年はそれだけ確かな覚悟を持ってここに来たのだ。マリー・R・トワネットという少女に恋をして、それを証明するためにミハエルと決闘をした。
傍目からしてみれば馬鹿馬鹿しいことなのかもしれない。いや、実際にそうなのだろう。次男とは言え、彼も貴族だ。それが私情に走って女性を賭けようとするのは以ての外と言わざるを得ない事だ。
しかし、それでも、だ。
ミハエルはフリード・ディケンスという一人の男を尊敬してもしきれなかった。
「……でも、それを知っても尚、私は貴方の想いには応えられません」
「ええ、それも分かっていますよ。いや……分かっていた、というべきでしょうかね。私が今更何をどうこうしたところで貴女が私の下に来てくださることがないのはとっくの昔に自覚していたのですから。それでも……それでも、です。何もせず、ただこのまま黙っていることはどうしても出来なかった。馬鹿な男の意地、みたいなものですよ」
言うとフリードは立ち上がり、そして深く頭を下げた。
「私情でそちらにご迷惑をかけたこと、誠に申し訳なく思っております。この償いはいずれ必ず果たすことをディケンス家の誇りと名誉に掛けて誓いましょう。そしてその上で、こんな男の願いを聞き入れて下さり、本当に感謝しています」
「フリード殿……」
「では、私はこれにて失礼します。負けた男がいつまでも居続けるのはおかしな話でしょう?」
悪戯好きそうなその笑みは、しかしどこか感情を装ったように感じたミハエルだったが、それ以上は何も言わない。何を言えるというのだろうか。自分のような人間が、この高潔で誇り高い青年に向かって語るべき言葉などもはやない。
そう、自分ではないのだ。
「フリード様!」
フリードが扉を開け、そのまま去ろうとした瞬間にマリーが後ろから呼び止める。だが、フリードは何も言わず、振り向きもせず、ただ立ち止まっただけだった。
それでもマリーは言葉を続ける。
好きだとは言えない。
愛しているとも応えられない。
そういう対象ではないとマリーもフリード自身も理解している。そして、同情したところで彼が救われないことも分かっていた。
だが、そうだったとしてもマリーは自分に真正面から向かってくれた男性に言わなくてはならないことがあった。
「今更かもしれませんけど、私は……マリー・R・トワネットは、貴方に想われたことを……誇りに思います」
マリーの言葉にしかしやはりと言うべきか、フリードは振り返らない。彼はそのまま扉の向こうへ足を進ませ、そのまま姿を消そうとする。
だが、その直前。扉が締まり切るかどうかの一瞬のこと。
「――――ありがとう」
小さな、微かで聞き取りにくかったが、その一言は確かにここにいる全員に届いたのだった。