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決闘。それは生命を賭して戦いあう果し合い。
主に名誉回復のために昔から行われてきた一種の裁判であるが、現在では地位、権威、土地、財産。あらゆる物を賭けて闘うことが許されている。尤も、それを実行する人間はそういない。それにはいくつかの理由がある。それは勝った方が正しい、という一方的な見解がなされるがため。歴史は勝者のもの。故敗者は後の世には大犯罪者として知られてしまう、ということはどこにでもあることだ。しかしそれに対して疑問視する者は大勢いる。そして決闘についても同じことが言えるだろう。例え勝ったとしてもそれが真実とは足りえず、結局のところ信用を失ってしまう可能性もある。
だが、その要因は別段そこまで気にすることではない。何せ決闘をするということはそれだけ切羽詰まっているということ。周りの目など気にしている場合ではないのだ。
だからこそ、もう一つの要因、決闘中に相手が死亡したとしても殺した相手は罪に問われない、ということが決闘が流行らない原因だろう。命の危険性があるのだ。そう簡単に行われるわけがない。
だからこそ、ミハエルはどうしようもなく驚いてしまった。
「……冗談、というわけではないのですね」
「無論です。私は自分が常識外れということは自覚しておりますが、そこまで馬鹿ではありません。それは私自身、そして貴方への侮辱となる」
だから私は本気なのだ、と言葉の上から伝ってくる。
故にミハエルも真剣な言葉を投げかけた。
「……貴方の望みは何だ?」
「私が勝った暁には彼女との結婚を取りやめていただきたい」
「結婚の取りやめ、か。彼女をもらい受ける、ではないのか?」
「それも考えましたが、それは彼女の望みではないでしょう。女性を無理やり手に入れる、などという野暮なやり方は私の主義に反します」
平然とした口調とは裏腹にフリードから感じられるのはある種の闘志。彼は決闘を申し込みに来た上で彼は礼節を忘れず、重んじている。まぁ、少々行き過ぎな態度もあるが。
「なるほど……確かに貴方が彼女を好んでいるのは理解できた。しかし、他の貴族の結婚に口を挟み、あまつさえそのを邪魔する、というのは些かどうなんだろうか。事の重大さを貴方は理解しきれているか?」
それ故にミハエルは言わざるを得なかった。
四大貴族。その結婚を邪魔することはそれこそ大事件に発展しかねない。もしフリードが決闘で勝ったとしても彼の家はミハエルの意思に関係なく、何らかの処罰を与えられる。ブラッド家という名はそれだけ大きなものなのだ。
だがそれでも彼は同じ答えを繰り返す。
「ええ。私も一貴族の人間です。これがどれだけ大事になるか、理解はしているつもりです。ですが……それでも私は貴方に決闘を申し込みたい。これは私の意地ですが、それ故に曲げることはできません」
それに、と彼は続ける。
「貴方は私との決闘からは逃げられない。何せ貴方は既に私の『手袋』を受け取ったのですから」
それはどういうことだ、と問いかけるミハエルに対し、フリードは花束を指差す。
見てみると花束の中には貴族が決闘の際、相手に投げつける『白い手袋』が混じっていた。
「……これはまた、一本取られました」
「姑息な手を使ったことは詫びましょう。ですが……」
「いいや。もう十分だ。貴方の本気は理解した」
ここまで来て言うことなど一つしかない。
ミハエルは立ち上がり、フリードに向かって言い放つ。
「ミハエル・B・ブラッド。貴族の誇りとブラッド家の名に賭けて、その決闘を了承する」
*
「今すぐ決闘を取りやめてください」
決闘をすることが決まり、その準備として武器の手入れをしているミハエルにマリーは言った。実はこれが初めてマリーからミハエルに話しかけた瞬間だったのだが、しかし今はそんなことなど彼らの頭には無かった。
睨むような眼差しをする彼女に対し、しかしてミハエルは首を横に振る。
「マリー殿。それは無理な相談というものだ」
「何故ですかっ、こんな決闘に意味などありません。私と彼は単なる知り合い、決闘でどうこうされる程の仲ではないのです。それに旦那様も見たでしょう? 彼はその、おふざけというか、お調子者というか、とにかくそういう人間なんです。だからこれもきっとそういう類のものであって、本気なわけでは……」
「本気でない、と。貴女が仰るのか」
瞬間、ミハエルはマリー向けて視線を合わす。
この瞬間、マリーは初めてミハエルという男に対して恐怖というものを感じた。いや、正確に言うならば彼から怒りをぶつけられたと言ったほうがいいか。
見た目のガタイは良いくせに奥手な彼が恋心を抱いている相手に対し、睨み返した。それだけ今の
彼女の発言が彼にとっては気に食わなかったのだ。
「彼は礼節を重んじ、そして誠意と覚悟を持って私に決闘を申し込んだ。その意味するところも理解しながら」
もしも負ければ貴族の力でどうとでもなる……そんな考えなど毛頭ないのだろう。そもそもそういう性格をしているのなら最初から決闘などという手段は使ってこない。さらに言えば手袋の件は別として、あそこまで真正面から堂々と決闘を申し込んだことは評価すべきことだ。
「確かに彼は一見お調子者で巫山戯た態度を取っているとも見れます。しかし、貴女に対する想いは本物だ。それは今日初めて会った私でも即座に把握できました。そんな彼の想いを貴女が否定するのですか」
「それ、は……」
「貴族からしてみれば彼の行動は常軌を逸している。はっきり言ってあるまじき行為だ。しかし、一人の男と考えるならば当然の行動と言える……私には到底できないことだが」
地位、家柄、名誉、財産、その他諸々……貴族として必要なものを全てかなぐり捨てて一人の女性のために行動する。マリーに片想いしているミハエルではあるが、しかしてその行動に賛同するわけにはいかなかった。
自分は貴族だ。貴族とは金や権力をものにして民を虐げる存在ではない。貴族とは即ち民草の先頭に立ち、彼を導くもの。故に自分を律し、誇れる存在でなければならない。それは自らに与えられた役割であり、果たさなければならない使命。
それらを捨てることなど貴族として生きてきた彼にとっては逃げることであり、それだけはできない。
しかし一方で男としてはフリードの行動に尊敬の念すら覚えていた。
「私はきっと彼と同じ立場になっても彼のような行動は取れない。情けない男と思われても仕方ないことだ。ミハエル・B・ブラッドという男はそういう人間なんだ。貴族であることをやめられない……だからこそ、私は貴族として男として彼の本気を受け止めたいと思っている」
「そのために……そのためだけに命の危険がある決闘をやる、と?」
何て馬鹿馬鹿しい、とは口にしなかった。確かにマリーにもその気持ちは分かるし、理解できる。だがマリーの立場からしてみればいい迷惑であるのも確かだった。自分のために男二人が命を張る。どこぞの物語のようだが、物語は夢想であるがために好まれるのだ。
そんなマリーの心情を察するかのようにミハエルは言う。
「貴女にとってはとんだとばっちりということは分かっている。しかし困ったことに男という生き物はどうにも馬鹿な生き物だ……それに」
「それに?」
「未来の妻を守ろうとするのは男として当然のことだろう?」
それだけ言うと彼は決闘へと向かう。
その背中にマリーがかける言葉はもはや存在しなかった。ただ彼女は目を見開きながら彼の背中を見る。
……まさかこの時、ミハエルが彼女に顔を見せないようにしたのは自分の言葉に赤面したからなどと、マリーが知ることなど出来るはずはなかった。