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 沈黙が周りを包み込んでいた。

 全員が目の前にある結果に対し、唖然呆然としている。それだけ少年が立てないことが、そして男が血まみれになりながらも立ち続けていることが信じられないのだろう。

 だが、どれだけ疑い深い光景であったとしても、それが真実だ。

 そして、何よりもそれを認めたくないザルクスは、しかして己の口でそれを宣言しなければならない。


「……勝者……ミカエル・B・ブラッド……」


 苦虫を噛んだような顔付きのまま言うザルクス。だがしかし、彼とは真反対に大勢の観客たちは、その一言と同時に、拍手と共に歓声をあげた。

 勝者への言葉と賞賛。それらがミハエルに送られるが、しかし今の彼にはそれらはよく聞き取れない。戦いの疲れのせいだろう。

 そんな状態にも拘らず、ミハエルは倒れているヤマトの方へと近づく。

 顔に片手を覆い被せながら、彼は言う。


「……ちくしょう……」


 それは敗北からくる無念。自分が勝利できなかったことへの後悔。今、周りにいる観衆の中で彼を見ているものは誰もいない。敗北者である彼よりも勝者のミハエルを讚える声が全てを支配していた。けれども、そのミハエル自身はヤマトを見下ろしていた。

 その表情は勝利したというのに浮かばれないものである。


「結局、あんたの言うとおりだった……俺は俺のためにしか戦ってなかった。なのにマリーのためマリーのためだんなてほざいて……自分のためだってことを見て見ぬフリをしてたわけだ……その結果がこれだ」

「……だが、君はそれに気づくことだできた」


 それだけでも大きな進歩であったとミハエルは想う。

 少なくともミハエルは最後の最後で自分が何のために戦っているのかを自覚できたからこそ、対等の立場になれたと想っている。

 そして、だからこそ彼は『三華月』を放ったのだ。

 人のせいにして戦うような輩に放つ程、あの技は安くはない。


「だとしても俺は負けた……それが全てだ」


 結果的に、そして結論だけを言うならば確かにそうなのかもしれない。

 ヤマトは負けた。そしてミハエルは勝利した。これで彼らはミハエルの結婚に対してもう何も言えないだろう。

 けれど……だからと言って、その過程が無視されるわけでもないはずだ。


「それでも君はここまでやった。動機がどうであれ、決闘を挑むまでの根性と決意を見せたわけだ。それは決して、無駄なものではないと、私は想う」

「……あんた」


 と、その時。


「ヤマト!!」

「ヤマトさん!!」

「ヤマト」


 三人少女が少年の元へとやってくる。と同時にミハエルはその場から去るように歩き出す。自分のような者がいてはただの邪魔だ。

 それよりも、彼には行くべき場所がある。

 おぼつかない足取りの中、ほんの少量ではあるものの、血が滴り落ちていく。勝利したとはいえ無傷ではないし、それなりの代償を払った。左手が動かない、額から流れる血で右目が見えない。体も思うように動かない。

 しかし、それら全てを押さえ込みながら、彼は歩き、そして立ち止まる。

 目の前の少女に言わなければならないことがあるために。


「旦那様……」


 そこにいたのは決闘の賭けとなっていた少女。

 周りの人々がミハエルに何かを言っているものの、それらは聞こえない。けれどマリーは傷だらけのミハエルの体を見て心配そうな瞳で見つめていたのは分かった。

 この少女にこんな顔をさせてしまうとは何とも情けない……心の中で呟くも、しかし今言うべきことはそれではなかった。


「彼のところへ、行ってあげてください……」

「え……?」


 その言葉の意味が分からなかったのか、マリーはきょとんとしていた。


「彼は自分のために戦ったことを認めた。けれど、貴方のためであったのも事実だったはずだ。ですから……」

「でも……今更どんな顔をして……」

「どんな顔でもいい。貴女は彼に会って、話して、そして言わなければならないことがあるはずだ」


 ミハエルは言うものの、しかしマリーは顔を伏せて視線を逸らす。


「私には、そんな資格は……もう……」

「資格うんぬんはこの際どうでもいい。今、貴女は行かなければ後悔する。し続ける。そんな貴女を私は一生見るつもりはない」

「……行って後悔したら、どうします? いいえ、行けば、そして言えば、きっと私は後悔しますわ。どの道後悔するのなら……」

「逃げないでくれ」


 強く、そして想いの篭った一言。

 その一言にマリーは顔を上げた。そして彼女の視界に入ってきたのは切実にこちらを見つめる男の表情。それは今まで見た、どんな顔よりも悲しそうだった。


「もう、逃げないでくれ。逃げて自分に嘘をつくのはやめてくれ。そんなことをするくらいなら、真実を口にするべきだ。無論、それをすれば君は傷つくかもしれない。それでも、私はやるべきだと思う」

「……ひどい人」


 そんな彼に対してマリーは自嘲を浮かべる。


「傷つくと分かっているのに私にそれをやれと仰るの?」

「ああ、そうだ。私はひどい人間だ。男として最低なのかもしれない。だが、それでも……」

「ええ、分かってますわ」


 ミハエルの言葉をマリーは遮る。

 もう、何も言う必要はない。言われなくても、もう理解したから。


「旦那様はそういう人だってことは。頑固者で正直で真面目で、一度言ったら意地でもやり通す。どこまでも不器用な人。そういう人だから私は……」

「?」

「いいえ、何でもありません」


 そう言ってマリーは顔を両手で叩く。

 気合を入れ、そして決心したような表情を浮かべながら、彼女は言う。


「覚悟は決めました。それでは、旦那様……行ってまいります」


 少女は歩き出す。自分がやるべきことのために。

 その後ろ姿をミハエルは一瞬も目を離すことはなかった。


 *


「ヤマト様」


 倒れているヤマトの前に立ち、名前を呼ぶと三人の少女達が一誠に彼女の方へと振り向く。中でもティナは怒りの篭った瞳で睨みつける。


「あんた……今更何しに……!!」

「よせ、ティナ」


 しかし、それをヤマトが制止する。そして他の二人にも目を配らせることで彼女達にマリーに何もするなと告げる。


「……マリーと二人きりにさせてくれ」

「ちょ、ヤマト……!?」

「頼む」


 真剣で真摯なその一言にもはや少女たちは逆らえない。

 ティナは納得いかない顔つきで、セイラはどこか哀しそうな表情で、そしてリーゼはいつものような無表情でその場を去った。

 残ったマリーがヤマトの傍までいき、彼の顔の隣に座ったと同時に言う。


「……悪い。俺、負けちまった……」

「謝ることではありません。ヤマト様は十分戦ってくれました」

「結果がこれだと意味ないじゃないか。でも……戦ったのはお前のためだけじゃない。俺は……お前を失った後の日常が怖かった」

「怖かった?」

「ああ、そうだ。お前だけじゃない。ティナやセイラ、リーゼ。その誰かがいなくなることが俺は怖いんだ。俺から離れていくようで。置いていかれるようで。だから俺は日常を取り戻したかった……でも、結局それも叶わなかったけどな」


 乾いた笑顔にマリーは返答しない。

 替わりに言うべきことが彼女にはあった。


「ヤマト様」

「何だ」

「私は……貴方に言わなければならないことがあります。けれど私はずっとずっと、それを押しとどめていました。それを言えばヤマト様のいう日常が壊れてしまうかもしれなかったから」

「マリー……」

「私も皆さんとの生活は楽しかったですわ。宝物だと言っても過言ではありません。貴族の娘ではなく、マリー・R・トワネットとしての私を見てくださった皆様には感謝してもしきれません」


 けれど。


「私は今から、それらを壊してでも言わなければならないこといいます」


 瞳を閉じて、マリーはミハエルの言葉を思い出す。

 逃げないでくれ。

 彼のその言葉の意味をマリーはよく理解していた。

 もしかすれば、これを言ってしまえば状況は悪化するかもしれない。そもそもマリーがヤマトに言わなかったのは言えば必ず彼を巻き込んでしまうと思ったから。その上自分が傷つくかもしれないという不安から彼女は何も告げず、彼の前から消えた。

 けれども、既にヤマトは巻き込まれている。

 そして、マリーも覚悟を決めた。

 だから、言う。


「私は……貴方のことが好きでした」


 瞬間、ヤマトは目を丸くさせた。

 それだけに予想外だった、ということだろうか。


「マリー……」

「初めてお会いした時から……ではありません。しかし、貴方という人と関わっていく内に私は貴方のことをいつの間にか好きになっていました」


 それが人としてだけでなく、男としてという意味も込められていることは流石のヤマトにも理解できた。

 そして同時に嘘ではないことも。

 マリーは本気であり、その気持ちは本当だ。そして彼女の目は今も覚悟に満ち溢れている。

 それを口にするのがどれだけ怖かっただろうか。

 それを口にするのがどれだけ勇気が必要だっただろうか。

 それはヤマトが思っている以上のものであり、分かるわけがない。

 しかし、だ。


「……悪い」


 ヤマトの口にした答えはそれだった。

 けれどもマリーは表情一つ変えない。そのまま黙ってヤマトの言葉を待つ。


「俺は……お前らと一緒にいる日常が楽しかった。嬉しかった。けど、その中から誰か一人を選ぶっていうのは俺にはできない。俺にとってお前らは大切な仲間で、友達だ。お前も言ったように、それをしちまったら、多分俺たちは終わっちまう……最低なクズ野郎だよ俺は」

「ええ、そうですね。ヤマト様は本当に最低なお人ですわ。ですけど……」


 一拍置いて、マリーは笑顔を向けてヤマトに言う。


「私はそんな貴方のことが好きでした」

「……すまん」

「謝らないでください。これで私は何の悔いもなくあの方と結婚できるのですから」

「そうか……あいつ、良い奴か?」

「ええ、それはもう。ヤマト様なんかよりもずっと私のことを大事にしてくれますわ」

「そうだな。あいつ、お前にベタ惚れみたいだしな」

「ええ、そうですとも。本来私のような美少女なんてそうはいませんから。男の人はイチコロなんです。そんな私を捨てたヤマト様なんて馬に蹴られて病院送りにでもなればいいんです」

「いや捨ててはないだろう……」

「ふん、私は旦那様に幸せにしてもらいますから。私を振ったことを後悔させてあげますわ」

「マリー」

「何ですか?」

「……ごめんな」

「だから、謝らないでください。謝られ、ると、私、わ、たし……」


 そこが限界だった。

 言葉が詰まる。声が出ない。

 その瞳に涙を浮かばせる少女はもはや己の心さえも口にすることはできなかった。替わりに大粒の涙が瞳から溢れ出していく。

 その涙は誰も拭わない。少年も男も誰も。

 そして彼女は自覚する。

 この日、この時をもって、マリー・R・トワネットの初恋は終わったのだ、と。

次回で最終回……になるのか?

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