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剣と剣がぶつかり合う度に響き渡る甲高い音。
それが聞こえ続けてどれくらい経っただろうか。
ヤマトの回復能力は周りの人間も圧倒された。傷がすぐ治る、などというものは魔法が無くなったこの世界において軌跡に等しい所業。それが目の前で起こっているのだ。驚かないわけがない。さらにいえば彼の身体能力にも唖然としている。噂程度でしか聞いていなかったそれは、本物であったのだと誰もが理解した。中にはそれに恐怖を抱くものもいただろう、気持ち悪いと思う者もいただろう。けれど、そういう者達ですら思ってしまうのだ。
ヤマト・キサラギは強い、と。
確かに彼がいれば百人力だ。例えあのガドラーと戦うことになったとしても戦力として十分な存在だろう、と誰も彼もが彼の実力を認めつつあった。
そして、それこそがザルクスと改革派の目論見。
異世界人という『武器』を見せつけることによって宣伝をしているわけだ。実際にはヤマトは改革派側であるという自覚はなく、また本人も認めないだろう。しかし、結果的には何も変わらない。自分たちはこれだけのものを持っているのだ、と。それだけでも彼らと派閥を別にする貴族に対してある種の牽制となる。
また、この決闘は市民に対しても効果があった。
こんな面白そうな話を市民が逃すわけがない。そしてそのためのプロパガンダも既に用意されている。
花嫁は無理やり結婚させられそうになっており、それを異世界人の少年が決闘で阻止する。
貴族が悪役になりやすいのは世の常。そしてそれを懲らしめる話が彼らは大好物なのだ。故に少しデマを入れたところで彼らにとってはどうでもいい。市民が欲しているのは貴族が負けた、という事実だけ。それだけあればあとは勝手に話が膨らむ。
そしてこれらの決闘を後押しし、さらには立会人となった第一王子の人気は上がる。まさしくザルクスと改革派の思い通りの展開だ。
しかし、だ。
これには決定的な欠点が存在した。
それは、今までの策はヤマトが決闘で勝つことが前提である、ということ。
いや、そもそもにしてその前提が覆ることなどまず有り得ない。何故なら彼らは異世界人の力を確認済みなのだ。この半年に数件の事件を起こし彼を巻き込ませたのはそのためなのだから。
故にヤマト・キサラギが負けるこということはない。
だからこそ、このような策を弄じたのだが……。
(……何だ、これは……)
立会人として彼らの決闘を見届けていたザルクスが抱いた感想はそんなものだった。
ヤマト・キサラギは強い。それは間違いない。周りの連中も、そして自分自身も既に分かっている。
だが、それと同時に見せつけられたもの。
それは……。
「っらぁぁぁ!!」
雄叫びを上げながらの連撃。剣がミハエルに襲いかかる。尋常ではない速度での攻撃は素人は無論、腕のある剣士でさえ、一度浴びれば切り倒しすことが可能な程。
しかし、それをミハエルは紙一重のところで避け続ける。
例えどんなに威力のある一撃でも、神がかった疾さを持つ斬撃でも、当たらなければ意味がない。
一、二、四、十、二十……。
振るわれる剣はその尽く空を斬る。
全て躱される。全て避けられる。一撃一撃に力を込めているのにそれが全て意味をなさない。
そんな苛立ちを着々と貯めながら、ヤマトの攻撃は続く。そしてミハエルは回避しながらヤマトの攻撃を全て見ていた。
それはまるで全て先読みしているかのような動き。
だが、小石に足を取られたせいでその動きが一瞬、鈍る。
「もらった!!」
好機を逃さずヤマトは大きく振りかぶりながらの一撃を放とうとする。
が。
それを待っていたかのようにミハエルのレイピアが戦慄を奏でる。
右太腿、左脇腹、両肩、肺、みぞおち、左目、首……。
隙が見え見えの箇所を次々と突き刺していった。
「がっ、あぁ……!?」
痛みによる苦悶。しかしミハエルは手を止めない。相手はすぐに再生する。この程度ではどうにもならないことは既にわかっているのだ。
連続して放たれる突きはヤマトの速さと同格……いやそれ以上。
苦しみながらも剣を振るい、何とかヤマトのレイピアを弾く。そしてそのまま後ろへと飛び、距離を取る。
傷だらけの体は十秒もしない内に完全回復する。けれども、ヤマト本人は息を切らしながら、肩で呼吸をしていた。
一方のミハエルはというと大した傷もないまま、レイピアをヤマトに向けている。その額には汗の一つもありはしない。
何だこの状況は。
確かにブラッド家は武芸に秀でた家系だとは聞いていた。十五年前、当主が総大将に任命される程のものだとも知っていた。その息子であるミハエルもある程度は剣の実力者なのだろうとは理解していた。
しかし、何なんだ、これは。
あれだけの強さ、そして能力を持ったヤマトと互角、いや……戦況から言ってそれ以上の実力で彼を追い込んでいる。
有り得ない。
そんな言葉が思い浮かんだのはザルクスだけではなかった。
「何なのよ、あいつ……」
苛立ちよりも驚愕が勝ったティナの一言はしかし他の二人と同意見だった。
彼女達はヤマトの実力をここにいる誰よりも知っている。当然だ。ある意図によって巻き込まれた事件に彼女達も何らかの形で関わり、そしてその度に彼の実力を目にし、助けられてきた。
ヤマト・キサラギは強い。
ヤマト・キサラギは凄い。
彼に勝てる人間なんていない、などというつもりは一切無かったが、それでもここまで圧倒される戦いを見せられるとは思ってもみなかったのだ。
「……『ブラッド家には力での戦いを挑むな』」
「?」
「昔、お父様……エサル陛下から言われた言葉です。あの時は武芸が優れている、という意味だと思っていたのですが、まさかここまでとは……」
予想外、なんて言葉では済まされない。こんなもの誰が予想できるものか。
身のこなし、剣さばき、体の重心の置き方、それら全てが巧いのだ。先程からの回避も無駄のない動きも体力を減らさないようにするためのものだろう。さらには鋭い突きも隙ができればすぐさま飛んでくる。
故に不死身のヤマトを相手にしながらあそこまで有利に戦っている。
いや、もはや一方的と言っても過言ではないだろう。
攻撃をしてもよけられる、隙をつかれて傷だらけになる、そして傷を回復すればまた攻撃。
そんなことを繰り返しみせられて、黙っているほどティナは物分りが良い人間ではない。
などと考えていると。
「ダメ」
不意にリーゼがそんなことを口にした。
「リーゼ……」
「ティナが何を考えているのかくらい分かる。けどダメ。それはしてはいけない」
「っ、でも……!!」
「今乱入すれば決闘そのものが意味を無くしてしまう。例えそれで勝ったとしてもマリーは戻ってはこない。それに私達全員が乱入したところでヤマトの足でまといになるのが見えている。それくらいは貴方でも分かるはず」
言い返せないティナは拳を握り、怒りを抑える。
リーゼの言っていることは正しい。乱入などヤマトが望んでいないことは分かりきっているし、それを無視して戦ったとしても得るものはなにもない。
「……とは言っても、私達が全員相手になったとしても多分、あの人には勝てない」
「ええ。悔しいですけど、リーゼさんの言うとおりです。あの方は私達の誰よりも強い……いえ、巧い、というべきでしょうか」
仮にも騎士学校の生徒である彼女達には戦わなくともその姿をみるだけで分かってしまうのだ。目の前にいるあの男は剣の達人であると。
そして一方で分かってしまったことがあった。
ヤマトは超人的な強さを持っているが、達人的な巧さを持ち合わせていない、と。
それがどういうことなのかは、今のこの光景が証明している。
けれど、ヤマトは傷がすぐに癒える。故に長期戦になれば必ず彼の方に戦況が変化するはず。耐え忍び続ければ必ず勝機はつかめる。
今までだってそうしてきた。そしてこれからもそうしていく。
だから。
ヤマト・キサラギはこれから先も絶対に負けることなどありはしないのだ。敗北するわけがないのだ。
そんな妄信的な、確証もない憶測を何故だか彼女達は信じている。
けれども、彼女達は理解していない。いや、しようとしていない。
すでに、有り得ないことが起こっているという事実を。
「くっ、そ……」
剣を地面に突き刺し、杖替わりにしながら、ヤマトは呼吸を整える。
傷は既に治っている。それは問題ない。しかし、体力の方がかなり削れてしまった。一方的に攻撃しているのはヤマトの方であり、それ故に体力が激減しているのも彼だ。しかもこれだけ消耗しているというのに、敵には傷とよべるダメージを与えられてしない。ほとんど無傷である。
そんなへとへとな彼にミハエルは言う。
「どうした? もう終わりか」
余裕の一言、ではない。
ミハエルも見た目では判断できないが、それなりに体力は減っているのだ。ただ、体力を温存しようと工夫はしてきたため、ヤマトよりも消耗があまりないのは事実である。そのため余分な体力は有り余っている。
しかし、今の一言が意味するのはそういうものではない。
「その程度か、君の本気は」
何を、と睨みつけてきたヤマトであったが、それはミハエルに何の感情も持たせない。一言で言うなら全く怖くない。
「君の超人的な身体能力は確かに目を見張るものがある。それに再生能力。ああ、確かに便利なものなのだろう。私には持ち得ない代物だ」
しかし。
「けれどそれだけだ。それ以外には何もない。技術も経験もそして何より心意気も。何もかもが足りていない」
言い放つミハエルにやはりヤマトは反抗的な瞳をしていた。ああ、確かに上から目線で自らを否定されればそうなるのも無理はない。
しかし、これもやはり、ミハエルには何も感じさせない。
「少し前、君と同じ様に私と決闘をした男がいた。彼も同じく技術も経験も足りていなかった。いや、実力的に見れば君より劣っていただろう……しかし『彼』の方が君より断然恐ろしかった」
フリード・ディケンスの剣とヤマト・キサラギの剣。
何もかもが違う二人の剣であるが、決定的に違う点はただ一つ。
「君の剣には芯がない。ただがむしゃらに戦っている。そんな空っぽな剣で何を成し遂げるという!?」
マリーを助けるために戦っている、そのつもりなのだろう。
けれど、ああけれど。
それが何だというのだ。
彼からは何も伝わってこない。本気も覚悟も熱意も。そうしている風に見えるだけであって、実際剣を交えてみれば分かってしまう。何と軽い剣なのだろう、と。ミハエルの持っているレイピアは脆い武器と言われているが、彼の力は脆いなんて表現では足りない。
自分の力への絶対的自信。
それがただの過信だと気づいていない。
ミハエルなどに負けるわけがないという自信。
それがただの傲慢だと気づいていない。
そして何より、自分は何があっても絶対に勝つという自信。
それがただの妄想だと気づいていない。
ヤマトがそんなありもしない自信を身につけてしまったのは、彼の身体能力と特殊能力によって彼に勝った人間がいなかったからだろう。もしかすれば『誰か』がそういう風に仕組んだのかもしれないが。
しかし、しかし、ああしかし。どうしても思ってしまうのだ。
自分はこんな人間に負けていたのか、と。
これは単なるミハエルの押し付けだというのも分かっている。勝手に他人の性格を決め付けるのは馬鹿馬鹿しいことだと理解している。
けれど、けれども、だ。
マリーが好きな男なら……自分が超えなければならない存在だとするのなら。
そう思わせるくらいの器を見せてくれよ!
そして、それが無理だというのなら、ミハエルがやることはただ一つ。
「その空っぽな剣。私が鍛え直してやる! かかってこい!」
そうしてミハエルは剣を振るう。
ただ己の『芯』念を剣に込めて。




