23
「してやられたのう」
来賓室。その中でも一等の部屋で三人……ゼルド、ゲイル、エサルは難しい顔を並べていた。
突然に決まった決闘。本来ならば、時間を空け、決闘としてふさわしい場所を用意した上で行うが、今回は事情が事情だ。決闘のために結婚式を中止、または延期などできるわけがない。
結果として出た答えが、結婚式場の外、つまりは庭で一時間後に行うというもの。
あまりの出来事に頭を抱えたくなる。
「仲間のためとは言え、まさか結婚式にまで乗り込んでくるとは。どこまで度胸があるのか……いや、この場合は考え無しという方がしっくりくるか? しかもよりによってうちの孫に決闘を申し込むとは……何にしろ、面白いことをしてくれるのう」
「笑い事ではありませんぞ、ゲイル殿」
「ああ、そうだとも。笑い事じゃあないぞ、これは」
とゲイルは真剣な眼差しで言葉を返す。
「先日の一件、そして今日の乱入。こいつはどう考えたって偶然じゃあない。考えても見ろ、今日連中は牢の中にいたはずだ。それをどうやったか、くぐり抜けてここまでやってきた。しかもタイミングよろしく式の途中でだ。連中は結婚式の場所さえ知らなかったはずなのに、だ。それに先日の侵入の一件もそうだ。さっき確認が取れたんだが、あの日連中を屋敷の中へと入れた門番は忽然と姿を消してやがる」
「つまりこれは誰かが仕組んだこと、ということですか?」
「ああ、そうじゃ。それで、その誰かっていうのは言うまでもないことだが……」
「……ザルクスか」
エサルの言葉に頷く。
「いきなりの乱入、決闘。そしてその立会人を申し出た第一王子。こんな都合の良いことがあるとは思えんのでのう」
それはあまりに偶然すぎる。
そして、都合の良すぎる偶然とは大抵誰かが用意した必然に過ぎないのだ。
「では、ザルクス王子とヤマト・キサラギは繋がっていると?」
「というより、王子が一方的にあの小僧を操ってるってところかのう。しかも質が悪いことに本人がそれを自覚してないようにも思えるが」
ゲイルが見るに、ヤマト・キサラギの反応を見るにザルクスとの邂逅はあの乱入時が初めてのだと推測する。
するとエサルが重い腰を上げるかのようにゆっくりと話しだした。
「……実はお主達に黙ってはいたが、余はあることを調べていた」
「あること?」
「誰が異世界人召喚の中心にいたのか、ということだ。先日も話した通り、召喚に関わったであろう者達の何人かには処罰を与えた。そして他のほとんどの者も把握している……が一つ引っ掛かったことがあった。王宮内で王族に隠れて事を起こすことが果たして可能なのか、とな」
「つまり……王族の中に改革派の協力者がいたと?」
「それを確かめるために調査を行っていたのだ。そして、一番怪しいと思われていたのが……」
「ザルクス王子だった」
「確かな証拠は一つもないがな。故に何も手出しはしなかったが……まさかこんなことをしでかすとは」
はぁ、と重いため息を吐くエサル。
すると今度はゼルドが問いを二人に投げかけた。
「しかし、だとすると王子の目的は……」
「そりゃあ王子が言っていた通りだろう。自分が呼び出した異世界人の力を見ること。そして、それを周りに見せつけること。四大貴族の結婚式を狙ったのも意図的なものだろう。何せ、この結婚式には多くの貴族だけじゃなく、王族までもが出席する。王子からしてみれば格好の舞台ってわけじゃ」
「さらに言えば保守派の信用失墜、だろう。四大貴族は保守派の重要な位置にいる。その一つの当主である新郎が万が一にでも負けるような事態があれば……」
「保守派の信用はガタ落ち。逆に勝利した異世界人、そしてそれを呼び出した改革派はますます勢いずく、というところか」
普通に考えれば、貴族と庶民が闘うことになれば有利なのは貴族の方だろう。しかし、今回の相手は神の加護を持っているとされる異世界人。しかもバックには改革派の貴族、そして第一王子がいる。
どう考えてもこちらに不利な状況下だ。
「このことはミハエル君は知っているのでしょうか?」
「無論。あれは馬鹿に真面目だが、阿呆ではない。全て承知の上じゃろう。だが、それでもあの時、あれは決闘を受ける以外の選択肢は無かった。拒んでいれば乱闘沙汰になり、もしかすれば来賓の貴族も巻き込む可能性もあった。それよりも決闘を受ける方がリスクが少ないと考えたのじゃろう」
そしてそれは正解だった。
結婚式で少しでも血が流れればそれはそれで四大貴族の信用は落ちてしまう。貴族として汚点が残る、などという問題ではない。既に乱入を許したという点があるが、それでも事態を収集するのがミハエルの仕事であり、役割。
そしてあの時の最善策が決闘の受け入れ。
これで血が流れるとしてもそれは当事者であるミハエルとヤマトだけだ。他の者を巻き込むことはなく、平和的ではないが、可能な限り被害を抑えられる。
(しかしまぁ、決闘を受け入れたのはそれだじゃないと思うがのう……)
ゲイルは良く知っている。
何せ、あの孫はどうしようもなく不器用なのだから。
*
「決闘には俺が出る」
決闘の準備をミハエルは控え室にてしていた。服装はもはや結婚式のものではなく、戦闘用の代物。武器であるレイピアも既に手入れ済みだ。
そんな彼に対してアルヴィンは唐突にそんなことを言い出した。
「決闘ってのは代役でも構わないんだろう? なら俺が出ても問題ないってわけだ。それに俺は前にあいつと戦って勝ってるからな。余裕ですよ」
「何を馬鹿な事を言っている。これは私の決闘だ。お前が出る幕はない」
「馬鹿なことをやろうとしてんのはどっちだ、あぁ!?」
荒げる声は自らの雇い主に対する態度ではない。
しかしミハエルはそれを注意しない。それだけアルヴィンが真剣であることは身に染みる程理解できたから。
「俺もよぉ、男同士の戦いに横槍入れつもりも、茶々入れるつもりもねぇよ。したくねぇ。そんな無粋な真似なんざごめんだとも思ってる」
でもな。
「最初から負けるつもりの奴を見過ごせるほど、馬鹿じゃねぇんだよ」
「……、」
気づいていたのか。
そんなことを心の中で呟くミハエル。長年の付き合いというものだろうか。自分がやろうとしていたことにこうも簡単に感づくとは予想外であった。
「確かに『あんた』が負ければこの結婚は無かったことになるかもしれねぇ。けどな、その代償としてあんたは貴族としての名誉だの信用だのを一気に失う。それだけじゃねぇ。もしもこれで結婚が破談になったとしてもあの潔癖症の父親が黙ってるわけねぇだろうが」
確かにそうかもしれない。
あのゼルドが決闘の一つで娘の結婚を左右することに反対しないわけがない。もしもミハエルが負けようとも何らかの手を使ってマリーとヤマト達の間を妨害する可能性は大いにある。
しかし、それでも、だ。
「だが、マリー殿は私から開放される」
少なくともその事実は変えようがない。
この決闘でミハエルが負けさえすれば、マリーは無理やりな結婚から救われる。それも自分が好きな少年の手によって。
マリーが望むこれ以上の状況はないはずだ。
「私が彼女にしてやれることはもうこれくらいしかないんだ。ミハエル・B・ブラッドという存在そのものが彼女にとって邪魔な代物。そんな私がどれだけ好意を向けようと努力しようと、結局彼女は幸せにはならない。そこにあるのは彼女に好きになってもらおうと足掻く惨めな男の自己満足だ」
マリーと一緒になればミハエルは幸せになれるかもしれない。しかしマリーはどうだ? 好きでもない男と一緒になるのだ。そんな形の結婚など彼女は望んでいない。それを理解しながら、それでもミハエルが彼女との結婚を進めたのはそうせざるを得なかったからだ。自分が彼女のために結婚をやめる、と言い出したところで何の解決にもならない。その場合別の相手と結婚させられるだけだろう。
だから彼は何もしなかった。
目の前に悲しんでいる少女がいたというのに、その少女の涙を拭ってやることすらできなかった。
けれども。
神は最後の最後にミハエルに機会を与えた。
「これは私にとっての最後の選択なのだろう。ここで勝つか負けるか。彼女を永遠に縛るか、それとも開放するか。そして私が取る選択は決まっている」
「旦那」
「アルヴィン。私は貴族だ。それも四大貴族の当主の一人だ。貴族であることを重んじ、誇りに思っていた。そのせいで涙を流させたこともあるだろう。辛い目に合わせた人間もいるはずだ。その罪は消えないし、忘れるつもりもない。だが……そんな私だからこそ一人の少女のために一度くらいは貴族らしからぬことをしたいと思うのはダメだろうか」
かつてミハエルはマリーに言った。自分は貴族であることをやめられない、と。それは今も変わりはない。貴族の誇りと威厳は簡単に捨てられるものでも、捨てていいものでもない。それは先祖や両親、そして自分を信じて付いてきてくれた者達を冒涜することになる。上に立つ者の責任とはそれほど重要で重大なのだ。
だが、それでもだ。
それらを承知した上でミハエルは思う。
たった一度だけ。一度だけでいい。一人の少女を助けるために、救うために、何より自分というどうしようもない人間から開放するために、貴族らしからぬことをすることを許して欲しい。
しかし部下である青年は言う。
「ダメに決まってるだろうが」
きっぱりと主の願いを拒否した。
「ああそうだな。あんたが負ければマリー嬢は救われるかもしれない。幸せになれるかもしれない。そしてそれが正しい選択とやらかもしれない……でもなぁ、それじゃああんたが報われないだろうが」
「……、」
「あんたはいっつもそうだ。いつもいつも自分の都合より誰かのことを優先させる。俺を救った時も、クロエを拾った時もそうだ。そんなあんたの人間性に惚れて俺達は今までついてきた。そしてだからこそ、あんたには幸せになって欲しんだよ……!」
その訴えはミハエルにとって心に響いた。
こんな自分に、どうしようもない馬鹿な男にここまで想ってくれる部下がいる。なんとありがたいことか。
そしてこうも思う。そんな自分は既に幸せなんだと。
こんな部下達がいてくれるのだ。幸運でなくてなんというのだ。
だからこそ、もう自分は幸せにならなくてもいい。その必要はない。これ以上を望み、そして誰かを傷つけるような真似はしたくはない。それが想いを寄せる相手ならば尚更。
だからミハエルは口にするのだ。
「……すまん」
今の自分には謝罪の言葉しか言えない。
彼らの想いを踏みにじり、その上迷惑をかけることになる。確実に面倒な事に巻き込み、ロクなことにはならないだろう。
しかし。
それでも。
それでも自分は……。
と、その時である。
バタンッ、と扉が大きく開いた。
何事かと思いきや、そこにいたのは予想だにしない、しかしミハエルがよく知る人物。
そこにいたのは。
「フリード、殿……?」
フリード・ディケンスが立っていた。
唐突に現れたフリードにミハエルは愚か、アルヴィンさえも言葉が失っている。いや、確かに結婚式の招待状は送った記憶はあるし、式に来ているだろうとは思っていたが、ここに来るとは誰が予測できようか。
呆然とする二人にフリードは言う。
「ミハエル殿」
名前を呼んだだけ。けれども口調は何故だろうか。雰囲気が違う。
そして何やらミハエルの方へスタスタとやってくると、そのまま彼の顔面に。
「失礼する」
拳を叩きつけた。
「っ!?」
虚をつかれたせいだろうか。フリードの拳は見事と言わんばかりにミハエルの顔に的中。そのまま彼を床に倒す程までに至った。
驚きが未だに消えないミハエルにフリードは話しかける。
「先程までの話、扉越しだが聞かせてもらっていました。盗み聞きをするつもりはなかったのですが、そのことはこの際置いておきましょう。ええ、実に貴方らしい考えだ。素晴らしいと言えるでしょう。マリー様のためを思うのならば決闘で負ける選択こそが正しいのかもしれません」
肯定を口にするフリードであったが、纏う空気からは別のものを感じる。
そして、それは気のせいではなかった。
「だが、それらを理解した上で言わせてもらいます……いつまで格好つけているつもりかっ!!」
その怒声にミハエルは思わず目を丸くさせる。フリードがここまでして感情を顕にするなど珍しいことである。
しかし、この空気をミハエルは知っている。
これはそう……彼との決闘での雰囲気と同じであった。
「彼女のため彼女のためと貴方は言うが、それは単に逃げているだけではないか?」
「逃げている、だと?」
「そう。自分では彼女を幸せにはできない。できっこないと。やりもしないうちに勝手に決め付けて実際にそうなった時のことを恐れている」
「……っ」
「そんなことになる可能性があるのなら、ここでわざと負けた方が彼女に嫌われずに済む。良い男だったと記憶に残る。そんなことを考えているのでしょう?」
ミハエルは何も言わない。言えない。
しかし、それ故にフリードは続けて言う。
「けれどミハエル殿……マリー様がそんなことを望んでいると本気で想っているのですか? 貴方にわざと負けてもらってあの少年達ところへと戻る。そんなことをあの方が願っていると? ええ、確かにその可能性はあります。けれど、ミハエル殿。私が聞きたいのはマリー様のことではありません。貴方のことです」
「私……?」
「貴方はどうしたいのですか?」
どうしたいのか。
それはもちろん決まっている。
けれどもその答えを言う前にフリードは言い放つ。
「マリー様のこととか、異世界人の少年のこととかはどうでもいい。そんなもの、今の私が聞きたいものではない。私はただ貴方自身がどうしたいのかを問うているのです。誰かが傷つく、迷惑をかける。そんなことは今は意味はない。もっと我が儘になってください。本当の、貴方自身は、何をしたいのか。何を望んでいるのですか」
本当にしたいこと。
本当に望んでいること。
その言葉に自分の今まで思っていたことが揺らいでいく。たった一言で動揺してしまう。その程度の覚悟だったのか。
いや、そうではない。マリーを開放する。それは正しいこと。そう思っていたし、それは変わらない。そのはずだ。そうでなければならないはずだ!
けれど……けれどもだ。
それ以上に駆り立てられる何かが心の奥底に眠っている。
自分が本当に望んでいること。
「本音でいきましょうよ……この期に及んで誰かの為なんていう嘘はただの野暮だ。そんなことをしても、誰も、誰も、幸せになんてなれやしない!!」
フリードの言葉がミハエルの心をかき乱す。
しかし、それと同時に理解していく。
自分の本音。やりたいこと。本当に望んでいる答え。
「最後にもう一度だけ聞きます。貴方の素直な気持ちを、教えてはもらえませんか」
青年は男に問う。
その言葉にミハエルの心の中にあった氷は徐々に溶けていく。正義、倫理という名のの鎖が砕けていく。そして出てくるのは我欲という醜い感情。けれど、それがどれほど醜かろうと、ミハエルは理解してしまったのだ。
それが、自分が本当にしたいことなのだ、と。
そしてそこまで分かってしまえば
正論などはどうでもいい。正しさなど既に不要。
「私は……私は……っ」
そこから先は敢えて割愛させてもらう。
ただ、これだけは確かである。
ミハエル・B・ブラッドは、この瞬間を持ってして、新たな決心をした。
そんな彼にもはや迷いは存在しなかった。




