20
晴天。
率直にその言葉が浮かんでくる雲一つない空は、結婚式にふさわしい天気である。
だというのに当の本人であるミハエルの心は曇天そのものだった。
「はぁ……」
「新郎が何いきなりため息吐いてんですか。幸せ逃がしてどうするんです?」
もっともであるが、しかしそれを理解していてもため息を吐く程、ミハエルは意気消沈していた。
式場の待合室。ミハエルは正装をした上で待機していた。上下白一色のその姿は正直に言ってあまり似合っていない。アルヴィンからも「ああ……まぁ人には似合う似合わないがありますから」と言われてしまう始末。
自分でもわかってはいるが、しかしこれが結婚式での正装なのだから仕方ない。
しかし、ミハエルが気落ちしていたのは別に服装の件ではなかった。
「あれからマリー嬢と話は?」
「……一応は」
二日前。ヤマト・キサラギとその仲間である少女達がミハエルの屋敷へと乗り込んできたすぐ後のことである。
マリーは彼らの処遇について、ミハエルに嘆願した。
「彼らがあんなことをしでかしたのは自分のせいだと言ってな。罰があるなら自分が受けるから今回だけは見逃してくれと何度も頭を下げられた……」
必死な姿はミハエルの所にやってきてから初めて見せた側面だった。それだけ彼女にとって彼らは大切な存在であり、仲間なのだろう。
その必死さはしかし逆にミハエルには寂しさを感じさせた。
別に仲間を思う気持ちが悪いなどとは言わない。むしろ褒めるべき美点だ。だが、ふと思ったのだ。彼女はミハエルに何かあれば同じように必死になってくれるのだろうか、と。そして、そんなことは有り得ないと分かっていることがどうしようもなく悔しかった。
「お祖父様やゼルド殿にも話が通ったのは幸いだった」
「あの二人が、ねえ……」
「私が今回の件は不問にできたと言ったら、彼女は安心したかのように礼を言っていたよ。ありがとうございます、とな」
「……、」
今でも思い出せる彼女の笑顔。
しかしそれは嬉しさからのものでなく、自分の友を守れたことへの安堵。
ああ、そうか。あの時自分は……。
「嫉妬、していたのかもな」
「嫉妬、ですか」
「彼女が他の誰かに対してあれほど真剣になっていた時、私は心の底で思ったのだ。ああ、彼女にとってそれほどまでに『彼』が大事なのだ、と。そして……彼女が自分に振り向くことがないのだ、と。そのことが……どうしようもないくらい嫌だったんだ」
「旦那……」
「卑しいと思ってくれて構わん。どの道、私はマリー殿に辛い選択をさせたのだ。あの時、彼らに対してあんなことを言わせたのはほかでもない、この私だ。馬鹿で阿呆で間抜けで、女性の気持ちなど考えもしない愚か者。だというのに一丁前に嫉妬などして……ああ、本当に何をしているんだろうな、私は」
自分自身に嘆きたくなる。
もっと自分がしっかししていれば。
もっと自分が気を配っていれば。
もっと自分が男として責任を果たしていれば。
そう。例えばあの時、あの瞬間、彼らに憎まれ役を買って出るべきだったのはミハエル自身だ。そうであればマリーがあそこまで傷つくことは無かった。仲間に目の敵のように睨まれることも無かった。事が終わった後に部屋で一人泣くこともなかったのだ。
そうだ。傷つくのは自分のはずだったのに。
どうしようもない後悔に苛まれるミハエル。
そんな彼にアルヴィンは頭をかきながら言う。
「だーかーらー、今から結婚するって男が何ヘコんでんですか。今日は結婚式ですよ、結婚式! 葬式じゃねぇんだから、もっと明るく笑顔で幸せそうに! 胸張って堂々としといてください」
「いや、そうは言うがな……」
「だぁーもう!! 面倒臭ぇな!! オタクはいつもそうだ。変なところで真面目だから妙なことになるんですよ。悪事を働いたわけでもあるまいし! 何自分は犯罪者ですみたいな面してんですか」
「いや、しかし実際にだな……」
「実際、何です? マリー嬢と無理やり結婚しようとしている? だからどうしたんですか。相手はそれを本気で嫌がりましたか? そう言われたんですか? 貴方は気持ち悪いです、タイプじゃありません、いや本当目の前から消えてください的なこと言われたんですか!?」
何か妙な気に障ったのだろうか。アルヴィンの声音に少々怒気が混じっていることに気がついたミハエルは押され気味に返答する。
「いや、そんなことはないが……」
「じゃあいいじゃないですか。本気で嫌がってる相手ならまだしも、何も言われてないなら気にする必要はないんですよ」
暴論である。明らかな暴論だ。
しかいそれを口にすればまた何やら言われそうだったのでここは何も言わず話の続きを聞く。
「それに、旦那だってマリー嬢のこと好きなんでしょう?」
「それは……まぁ……」
「別の奴に気を回していると嫉妬しちゃうくらいに?」
「……そう、だな」
「なら、マリー嬢と一緒になれば幸せになれると思いますか?」
「それは……」
どうだろうか。
マリーの事は心の底から想っているのは確かだ。それは否定しようがない。そんな彼女と一緒になれば恐らく自分は幸せになれるのだろう。
けれど、マリーはどうだ?
好きな少年と勝手に引き離された挙句、好きでもない男と政略結婚。それが、そんな結婚の中で、彼女に幸福が訪れるのだろうか。
そして、その事実を知った上で自分は罪の意識を感じずに生き続けていけるだろうか?
答えは……。
「旦那」
瞬間、アルヴィンはミハエルの両肩に手を置いた。
そして真っ直ぐな瞳でミハエルを捉えながら言う。
「旦那がマリー嬢と一緒になって不幸せになるかもしれない……そう思う気持ちも分からなくはない。けど、それがどうしたんです? 不幸せになるかもしれないなら、それを幸せにする努力をすればいいだけの話でしょう?」
「……、」
「言うのは簡単って言いたげな顔っすね。ええ、そりゃあ難しいでしょうよ。不幸を幸福にするなんて所業、一日二日でできるもんじゃあない。けど、それくらいの覚悟がなくて夫婦なんてもんはやってけないでしょう」
「……遊び人であるお前がそれを言うか」
「それを言われると痛いっすね。確かに俺にはんなことはできっこない。でも……オタクならそれくらいの度量があると思ってんですよ」
随分と高く見られたものである。
アルヴィンの言い分は尤もだとは思う。好きな女性を幸せにする覚悟が無くてどうして夫婦の仲になれるというのか。そういった諸々の困難を乗り越えることこそが重要なのだ。
けれども……。
と、その時。
「失礼します。式の準備が整いました」
ノックと共に入ってきた使用人によって式が迫っていたことを思い出した。
「ああ、分かった……アルヴィン。何度も言うが、心配をかけて済まない」
「別にいいですよ。オタクがいつも通りでないと、こっちが困るって話ですから」
そうか、と微笑しながらミハエルは部屋を出る。
そして式場へと向かう途中、先程の考えを掘り返す。
マリーを幸せにする覚悟を持つこと……。
果たして自分はその困難を乗り越える資格があるのだろうか。
ミハエルが結婚相手である、そのこと自体が既にマリーに取っては不幸であり、悲運なのだ。つまりはミハエルという存在そのものがマリーから幸せを取り除いてしまう。そんな自分に一体全体何ができるというのだ。例えどんなことをしても結局のところ、それはマリーの傷の癒しにはならない。
結局、だ。
ミハエルがマリーに何をどうこうしてもこの状況を改善することはできない。
そう。マリーを本当の意味で幸せにできるのはミハエルではない。
その人物というのは……。
答えを胸に秘めながらも、ミハエルは式場へとたどり着いたのだった。




