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彩色の国ヴィフレスト。その国名の元となっているのは大陸一虹が綺麗だから、という言われている。そして王都『リラ』を中心とした四つの地域、『ブラウ』、『ロート』、『ゲルプ』、『グリューン』のそれぞれには四大貴族と呼ばれる者たちが統治していた。
ミハエル・B・ブラッドはその中でも北に位置する『ブラウ』の領主である。
彼は厳格な領主と言われていた。その評価通り、どんなことにも厳しくあたり、よく言えば真面目、悪く言えば融通が利かない石頭。特に後者に関しては毎度のように問題が起こる。自分にも他人にも容赦ない彼は他人に批判を買うのはもちろんのこと、反発されて命を狙われることさえある。それでも彼は自分の信念を曲げずに今日までその精神を貫いてきた。
そんな、そんな彼が、だ。
「一目惚れしてしまった」
唐突にそんなことを口にすれば誰だって驚くのは自然なことだろう。
「……旦那、すまないがもう一度言ってくれませんかね? どうにも聞き取れなかったみたいで」
「だから一目惚れしてしまったんだ」
「なるほどなるほど。どうやら俺の耳がイカれちまったわけじゃないのが証明されたのはよかった」
「いや呆れるのは分かる。その歳で何をと言いたいのも分かる。私も自分に呆れているところだ。三十過ぎの男がこともあろうに十代後半の少女に恋心を抱くなど情けなくて仕方がない。貴族として恥じるべきことなのだろう。しかし、しかしだ。私は自らの感情に嘘をつくことができない」
うんうん、と橙色をした髪の青年――‐アルヴィン・フッドローは明後日の方向に頷きながら納得する。
「で……? まさかとは思うが、諜報活動を役目としている俺を招集した理由はそのことに関することだったりはしませんよね」
「おお、流石はアルヴィン。察しがいいな。実はな……」
「んじゃ俺は王都に戻るんで」
即答し速攻でドアへと向かうアルヴィン。しかしそんな彼の肩を黒髪の給仕がガシッと掴む。
というより握り潰さんとしていた。
「痛たたたたたっ!! ちょ、クロエテメェ何しやがる!! 俺の肩を壊す気か!!」
「いえ、破壊する気ですが?」
「余計に悪くなってるじぇねぇか!! っつかやめろマジで痛いんだよ!!」
「黙って下さい。主様の頼み事をよもや聞く前に無下にするなど万死に値します」
「うるせぇ!! 男の恋愛相談なんて聞きたかねぇんだよ!! っつか何だ、こちとら王都で潜入調査してた身なんだぞ。それが何だ急に帰ってこいとか言われて何事かと思って来てみれば恋の悩み相談だぁ? 冗談も大概にしろよ!!」
「いや、全くもってその通りだ」
面目ないと言わんばかりの表情を浮かべる齢三十過ぎの片思い男。この歳になってみっともなく、挙句部下にまで迷惑をかけていることに罪悪感は感じているのだろう。
しかしならばなおさら疑問が湧いてくる。彼程の人間が何故に潜入調査をしていたアルヴィンを呼び寄せる行為に陥ったのか。
「しかし……クロエが相談するのならアルヴィンが良いというのでな。中身はともかく外見が良いお前なら女の落とし方を熟知していると言ってだな……」
「つまりはオタクが元凶か!」
肩を握る手を何とか払いながらアルヴィンは言う。
「元凶とは失礼ですね。私はただ主様のためを思って考えを述べたまで。主様の知り合いの中で最も女好きで最も女を落とし、最も女を泣かしてきた人間の屑など貴方しかしりませんから」
「ハッ、じゃあオタクは旦那に人間の屑の意見を参考にしろって言うのかよ?」
「業腹ですが、仕方ないという結論に至りました。塵屑の意見でもないよりはマシでしょう?」
そうかよ、じゃあテメェが相談に乗れよ、と言いかけたが寸でのところで押しとどまった。先ほどからの口振りからわかるように彼女に普通の意見を求めるのは酷というものだ。それは彼女も理解しているし、ミハエルも承知していたのだろう。
しかし、だ。アルヴィンはそれでも下らないと思ってしまう。
「そもそもにして、だ。その一目惚れって婚約者のことだろう? いいじぇねぇか。結果オーライだ。何もしなくてもそいつと結婚できるんだからな。好きな相手と結婚できるなんてオタクの業界じゃあ運の良い方だろ」
「いや、そうはいうがな……相手は十代の少女だぞ?」
「大丈夫っすよ。一回りや二回り違うくらいで変態扱いはされませんって」
「いや周囲から私がどのように思われるのかはこの際どうでもよいのだ。ただ、彼女からしてみれば結婚相手がこのような堅物では納得いくまい」
「実際そう言われました?」
「言われてはないが、しかし実情を中々口にできないのが人間というものだ」
確かにその通りではあるけれど。
アルヴィンはその言葉に同意しながらもしかして賛成はしていなかった。
確かにミハエルは世間一般で言うところのイケメンではない。これは客観的事実であり、ミハエル自身自覚しているがために今のようなマイナス発言が口から出るのだ。
昔からそうだ。彼は自分に厳しい。だから自分が格好良い存在だとは決して思わない。貴族としての考えも人の上に立つ存在である、というわけではなく人の上に立たなければならない存在だとどこか決め付けている節があり、それ故に頑なだ。
「だとしてもだからってマイナス思考で物事を決めるのはよろしくなんじゃないですか。自分を無駄に卑下する、オタクの悪い癖だ。まぁ、堅物だって点は否定しようがありませんが」
ギロリッと殺気漂う視線を黒髪給仕が向けてくるがしかして彼は気にしない。
「俺は超モテモテだから女は誰もが俺に惚れる、なんて思えとはいいません。けど少しぐらいは自分に自信を持ってもいいんじゃないですか。オタクはそれくらいの器を持ってると俺は思いますけどね。それに」
「それに?」
「女っていうのは自分に自信がある男が好きな生き物だ。ウジウジしてて何もしない輩を癒してやりたいとかいう母性丸出しの女もたまにはいますが……なぁクロエ。お前はどう思う?」
「前者が後者かと言われれば前者ですね。自分のことを物語の主人公気取りなナルシストは受け入れがたいです……が、女に頼りっきりの女々しい輩を男とは認めたくありませんので」
「極端な例えをどうも……ま、そういうわけです。だから自分を必要以上に下げないことですね」
アルヴィンが語る言葉をミハエルは真剣な眼差しで最後まで聞いていた。
ある種の無垢な瞳は時折アルヴィンの感覚を鈍らせる。目の前にいるのは貴族、しかも四大貴族の一つの当主であり領主様。そんな相手が自分のような下っ端の話をこうもじっくり聞いているのは今でも妙な気分にさせられる。
ごほん、と切り替えるように咳き込みながら彼は続ける
「未来の奥方に気に入られたいのなら自分の外見とかそういうのを考えるのはあとあと。取り敢えず一緒に食事をしたり、欲しいものをあげたりして仲良くなる。今はそれだけで十分じゃないですかね」
それはごくごく当たり前で特別しする事柄ではない。しかし、だからこそ必要なことでもあった。共に過ごせば人間というのは他人に情が湧いたりする生き物なのだから。その情が人情か、それとも愛情になるかはそれこそ努力次第だろう。
「ふむ……貴重な意見感謝する。早速今日から実行してみるとしよう」
「お役に立てたのなら光栄ですけどね……で、俺を呼び戻したのってマジでこのためだったりするんですか?」
「半分は、な」
「半分は、ですか」
その言葉から少し安堵の息を吐くアルヴィン。流石にこんな巫山戯たことで戻されたとは思いたくはなかった。まぁ結局半分は本気だったらしいが、しかしミハエルからしてみれば人生の一大事であり全く巫山戯てはないのだろう。
「そろそろ『例の噂』についての報告を聞きたいと思っていてな。何か収穫は?」
「一応あるっちゃありますよ。そのために一ヶ月王都に潜入してたんですから」
するとアルヴィンは懐から報告書を取り出し、ミハエルに渡した。
「結論から言うと“王宮で秘密裏に異世界人を召喚した”って噂は本当ですよ。王宮に潜入して得た確かな情報です。そこにあるのは異世界人召喚に関わった連中の名前です」
「……いつの話だ」
「約半年前かと」
「半年前……『ガドラー』との戦いの時か」
絶氷の国、ガドラー。ビフレストから見て北部に位置する国であり、一年中雪が積もり湖は十年以上溶けたためしがないと言わている。
昔から何度か諍いがあり、半年前にはついに戦争勃発にまで迫られた。
しかしその戦争は結局の所、ギリギリの所で止められたのだが。
「あの時はマジで戦が始まると思ってたんですけどね」
「あの時は大変だったな。『ガドラー』と戦争になれば確実にここ『ブラウ』が激戦区になる。領主としてそれだけは何としてでも避けなければならなかった。まぁその話は置いておくとして、つまり異世界人が召喚されたのは……」
「『ガドラー』との戦争に備えるため、と見て間違いないと思いますよ」
はぁぁ、と何とも大きなため息と共に頭が痛くなるミハエル。
このヴィフレストにはある言い伝えがある。それは国難に際しのみ許された法。
異世界の人間の召喚。
この世界に既に魔法は無くなっていた。既に、という言葉から分かるように昔は魔法が存在していたと言われている。魔法、魔術、魔導……様々な呼ばれた方をしていた異能はしかして時代と共にその姿を消してしまった。結果、現在そういった異能を使える人間はいないとさえ言われている。
しかしそれを可能する存在がいた。
それが異世界人。
彼らはこちらへと来る際、何らかの影響を受けて失われたはずの異能の力を身につけている。そしてその力は絶大であり、かつて人々が使っていたものよりも強力と言われていた。
しかしここで一つの疑問が出る。異能の力が失われたこの世界でどうやって異世界の住人を召喚するのか。
その答えは。
「『魔装』を使った、というわけか。全く話にならん」
『魔装』。魔法装備、魔術装備と呼ばれるそれは現在唯一残っている異能を操る武器であり装置。その数は圧倒的に少なく全世界で百あるかどうかとまで言われている。その能力は個々によって違うとされているが、ある一定の物にはそれとは別に共通の仕様があるという。
それが異世界から人間を呼び出すというもの。
「まぁ仕方がないんじゃないですかね。一応あの時も国難だったわけですし」
「それは理解している。一部で勝手に決めたのも決断を早めるためであり、戦争が起こる前に異世界人を召喚したのも犠牲者を少なくするためであったのだろう。それは分かる。理解できる。だが……」
「納得ができない?」
頷きミハエルは肯定した。
「……異世界の住人がどのような神の恩恵を与えられるか、私に知る由もない。だが、これはわたし達の国の問題だ。だからこそ、私達自身がなんとかしなければならないのだ。自らの国のことに他国どころか異世界の住人に任せるなどあってはならない。そんなことではまた国の危機になれば我々は彼らに助けを乞う形になってしまい、いずれは自分達では何もできなくなってしまう」
結局、ミハエルがいいたいことはそれだ。自分達のことは自分達でするべき。こんな当たり前なことができずして国を守れるはずがない。
「旦那の意見には賛成ですがね、この場合問題視すべきは異世界人召喚に関与していたのが旦那と敵対してる改革派の連中ってことでしょ?」
言われてミハエルは渡された書類に目を通す。確かにそこに書かれてあるのは改革派と呼ばれる連中の名前ばかりであった。
改革派。文字通り今の政治状態に異を唱える者達。その多くが新しく貴族になったものや歴史の浅い家系などばかりである。要はあまり権力が無かった者達ということだ。しかし、昨今そういた者達の実績が認められ徐々に力を付けているのだ。そして彼らとミハエルが一応属している保守派とは犬猿の仲である。
「恐らくあのまま戦争に勃発していたら確実にその異世界人を中心とした騎士団を投入してたでしょうね。そして」
「ガドラーを倒し、自分達の地位を保守派よりも高くする。そんなところか」
「実際は旦那のおかげで戦争が起こらず連中の目論見は外れたと……まあ異世界の人間一人を戦いに投入して戦況が変わるとは正直信じられませんけど」
今の話が全てが真実とは限らない。憶測も混じっているのは確かだ。しかしもしも今の話が本当ならばこれほど滑稽な話があるだろうか。
戦争が起きるかもしれない。そんな中で王宮では改革派や保守派などといた派閥争いが行われていたという事実。そして改革派が行ったのは異世界人に頼るといた愚策。これだけ見てもこの国にいかに馬鹿げた者達が上にいるのかを再認識させられる。
「……それで? 件の異世界人はどうなった」
「そのまま異世界に戻った……というオチなら良かったんですけどね」
書類を指差すアルヴィンに急かされるように紙を捲るミハエル。するとある一文が目に入った途端、その指先も止まった。
「騎士学校……?」
「どうやらその異世界人、騎士学校に入学したらしんですよ。本人の承諾ありなのか、半ば強引だったのかはわかりかねないっすけど」
「そうか……それで? その異世界人の身元、というか名前等は分かったのか?」
「ええ。誰かさんのおかげで実際の顔を見る前に戻らされましたが、一応名前だけは何とか。まぁ、本名か偽名かは不明ですが」
嫌味を含んだ一言。
そして一拍置いて彼は再び口を開く。
「その異世界人の名前はヤマト・キサラギっていうらしいですよ」