16
クロエが彼らを見つけてしまったのは偶然だった
自らの主に忠告のようなものを言ったはいいものの、やはり出過ぎた真似をしてしまったのではないか、と後悔しながら少し頭を冷やそうと思い、夜風に当たろうとしていただけである。
本来ならば衛兵の仕事ではあるが、しかし見つけてしまったものは仕方がない。
クロエの言葉に四人は警戒心を持った顔付きで睨んでくる。
(……少々殺気を込めすぎましたか)
最初、クロエは彼らのことをミハエル、またはマリーの命を狙ってきたどこぞの刺客かと思ったがために殺気を放ったのだが、しかし見たところ彼らはどうみても子供だ。いや、子供を装った殺し屋、という線が無くはないが、それにしてはあまりにもズボラな見つかり方である。本物ならばもっと上手く立ち回るはずだ。
結論。彼らは刺客ではない。もし刺客だとしてもクロエの殺気を浴びたくらいで体が固まってしまう程の三流ということになる。
「もう一度問います。あなた方は何者ですか?」
「そういうあんたは誰なんだ」
と逆に問いかけてくる少年。
質問に質問で返すのはどうなんだ……などと思うクロエであったが、しかし名前を問う場合自分から名乗る、というのも一理ある。
とりあえず、クロエは一礼して自らの名前を口にする。
「申し遅れました。私はクロエ。この屋敷の主、ミハエル・B・ブラッドに仕える給仕です」
「給仕……メイドさんか」
いや、確かにその通りなのだが、わざわざ言い換える必要があったのだろうか。
そんな疑問を思い浮かべていると、桃色の髪の少女が言う。
「アンタここのメイドなのよね。だったらアイツはどこにいるか教えなさいよ!?」
その命令口調に少々苛立ちを覚えるのはクロエが短気だから、というわけではないだろう。
「生憎ですが、私は名前も名乗らないあなた方に命令される謂われはありません。というか、あいつ、とはどなたのことでしょう? 申し訳ありませんが、ここにあなた方のような野蛮で無粋な方はおりませんが?」
「はぁ!! 誰が野蛮ですって!!」
その言い方が既に野蛮なのですが。
しかしそんなことを言ったところで目の前の桃色少女は聞く耳を持たないだろう。そんな気がする。
このままでは埓が明かない状況下で、今度は知的な少女が口を開いた。
「まぁまぁティナさん落ち着いて……ここにマリー・R・トワネットさんがいらっしゃると聞いています」
「……すみませんが、貴女は?」
「わたくしはセイラ・ガラハッド……いえ、セイラ・P・ライザードです」
その名前にクロエは心当たりがあった。
ライザードとは王家の者に与えられる名前。そしてその中でセイラと名前がつく少女は一人しかいない。
セイラ・P・ライザード。この国の第三王女だ。
何を馬鹿げたことを、と思いたかったがしかしよく見ると彼女の髪は銀髪。王家の者は皆銀髪であることはクロエも知っていた。
「これは失礼を。王家の方とは存じ上げず、無礼をお許し下さい」
「いえ、それは構いません。それより、ここにマリーさんがいると聞いてわたくし達はやってきたのですが、それは確かですね?」
「はい。確かにマリー様はこの屋敷におられます」
ここで嘘をついたとこで意味はない。
クロエが正直に話すと、再びピンク少女――ティナが口を開いた。
「やっぱり……ヤマト!!」
「ああ。ここで正解だったってわけだ」
合点がいった、と言わんばかりな表情を浮かべる黒髪の少年、ヤマト。珍しい名前だ。外国の人間か? 確かにこの国の人間には似つかわしくない風貌ではあるが……。
と、そこでクロエはヤマトという名前に聞き覚えがあるのを思い出し、そして確信する。
ヤマト・キサラギ。半年前、王宮が秘密裏に召喚した異世界人の少年。そして、マリーが未だ想っている人間だ。
ヤマトはクロエに向かって言う。
「クロエさん……だったか。俺達はマリーの友達なんだ」
「ああ、やはりそうでしたか。お名前から察するにそうではないかとは思っていました」
「なら話が早い。悪いが俺達をマリーのところまで案内してくれないか」
「お断りします」
即答。その返事にヤマトは驚いたように目を丸くさせていた。
驚いたのはクロエの方だ。いきなり何を言い出すんだ、この少年は。頭でも打ったのだろうか? といつもなら即座に挑発しているものの、今は我慢である。
「どうして……!?」
「どうして? それはこちらの台詞です。勝手に入り込んできた何故あなた方をマリー様のところに案内しなければならないのですか?」
クロエの言葉は通りに適っていた。
「屋敷に忍び込んだことについては謝ります……でも、俺達はどうしてもマリーに会って話をしなきゃならないんです!!」
「ならば正規の方法で訪問すればよろしいのでは?」
「それができたら苦労しないわよ!! こっちはあいつの実家で散々門前払いくらったんだから!! どうせこっちでもまともに会えないことくらい分かってんのよ!!」
「……、」
何を言っているのだろうか、この娘は。
彼らが騎士学校でのマリーの友達であり仲間なのは分かった。そして話の内容から察するにマリーの事が心配になった彼らはマリーの実家に言って門前払いをくらったのだろう。マリーの父親、ゼルドが徹底的な貴族主義の持ち主なのはクロエも知っている。あの男なら彼らとまともに話す、などということはしないはずだ。
それに対して怒りを感じるのも分かる。やるせないのも理解できる。
だが、だ。
それがミハエルの屋敷に不法侵入していい、という理由にはならない。
クロエはティナの話を無視し、替わりに尋ねる。
「話、とは?」
「この間違った結婚をあいつが本当に望んでいるかってことを、です」
その一言にクロエの何かがひっかかった。
「……間違った結婚、ですか」
「だって、そうでしょ。相手は三十を過ぎたおっさん。そんな奴にあいつが喜んで嫁ぎにいくとは到底思えない……」
「それは貴方の主観的予想、という話ではないでしょうか。どこにそんな証拠があります?」
「俺には分かるんです。半年っていう短い時間だったけど、俺には分かる。あいつが……こんなこと、望んでいないってことが」
滅茶苦茶な言動だ。彼は自分が今、何を言っているのか自覚しているのだろうか。
要約するとこうである。『マリーがこんな結婚望んでいるわけがない。だって俺にはそれが分かるんだから』……まとめてみただけでもあまりに幼稚で馬鹿げた言い分だ。クロエにはそんな彼があまり気に入らなかった。
けれどそれが好きだ、という人間もいるのだろう。ここにいる三人の少女、それから……マリーも彼の無鉄砲に感情で走るところに惚れたに違いない。
それは別に構わない。誰が誰を好きになるか、などというのは個人の自由。クロエがどうこう言う資格はないし、つもりもない。
けれど何故だろうか……マリーがこの少年が好きである、という事実が妙にクロエの心をざわめきたてるのは。
「では聞きますが、マリー様がこの結婚を望んでいない、と言われた場合貴方はどうするおつもりで」
「マリーをここから連れ出します」
そんな馬鹿げた発言を目の前の少年は何のためらいもなく答えた。
沈黙するクロエにヤマトは畳み掛けるように言い放つ。
「だってそうでしょ……知らない相手に無理やり結婚させられる……そんなこと、許されるはずがないじゃないですか!!」
「そうなのですか?」
「え……?」
その問いかけはヤマトにとってあまりに予想外だったのだろう。ぽかん、と口を開ける彼に構わずクロエは続きを言う。
「確かに人が愛し合って結婚する。それは素晴らしいことです。否定はしません。ですが、貴族という社会ではそれが難しいというのも事実です。許嫁を決められ、想っていた相手とは結婚できない。そういう話は少なくありません」
「だから、それがおかしいんじゃないですか!! そんな結婚の仕方したって、誰も幸せにはなれない……!!」
「そんなこと、誰が決めたのですか?」
これまた飛んできた斜め上の言葉にヤマトは呆気にとられていた。
「政略結婚では誰も幸せにはならない……なるほど。では、貴方はそういった結婚をした人たちは全員、不幸である、とそういいたいわけですね?」
「それは……」
「貴方が言っていることはそういうことなのですよ? そして、敢えて私的見解を述べさせていただけるのなら、それこそが間違いである、と私は思います」
無表情であるはずのクロエの心に宿っていたのは熱い心。
ああ、そうだとも。そんな誰が決めたか分からない言い分など知るものか。
確かに無理やり、という点は本人の意思を無視している行いだ。褒められたものではない。だが、そんな政略結婚の中でも恋は生まれるのだ。相手を好きになり、振り向いて欲しいがために努力し、慣れないことをして失敗したり、それでも諦めない。
そういう人間をクロエは知っているのだから。
「人の愛、人の恋というものは人それぞれです。それを否定することも肯定することも貴方にも私にもありません。幸せか不幸せか、それは本人達の問題です。部外者が立ち入る隙などないんですよ」
ミハエルとマリー。あの二人がこれから幸せになるのか、それとも不幸せになるのか。未来視を持っていないクロエには分からない。
少なくともクロエから見てこの一ヶ月と数日という日常の中、彼らが不幸であったとは到底思えないのだ。
しかしそんなものを見ていない目の前の少年はミハエルとマリーが一緒になることは不幸だという。
それがクロエには腹が立って仕方がなかった。
「お帰り下さい。そうすれば今回の件、私は見なかったことに致しましょう」
「はぁ!? そんなことできるわけないでしょ!!」
「ええ、そうです。ここまで来ているのですから。何もせずに帰ることなどできません」
「……、」
クロエの最後通告にしかして誰も耳を貸さない。
そして、それはもちろん、目の前の少年にも。
「そういうわけです。俺達はマリーに会いに行きます」
「……お帰りを。さもなければ力ずくでお止めしなければなりません。ああ、言っておきますが、王族の方が相手だとしても私は手を抜きませんので。そういうものが通用しないところにあなた方はいる。その自覚はありますか?」
「それはこっちのセリフです。四対一。数で有利っていうのはあんまり好きじゃないが、そういうことを言ってる場合じゃあないからな。邪魔するんなら手加減はしませんよ」
などと余裕の発言をするヤマト。どうやら彼は自分達が敗けることなど万が一にも有り得ないと考えているらしい。なるほど、確かに四対一、しかも全員が騎士学校の生徒である。それなりに剣や実力に自信があるのだろう。
けれど、それがクロエに勝てることには繋がらない。
正直な話、マリーの友人達である彼らを傷つけたくはない、という気持ちはある。だが、何故だろうか。今、彼ら……特にヤマトをマリーに会わせてはならないと直感が言っている。
数日前からのミハエルの異変。それに気づいたマリー。ただでさえギクシャクしているというのに、ヤマトという劇薬を投入してしまえばどうなるか分からない。
そしてクロエはいつものようにどこからか出したか分からない槍を二本、両手に構えた。同時に四人もまた各々の武器を手に取る。
そして、両者が相対しようとした時である。
「おーおー、こりゃあ凄ぇな」
唐突に第三者の声が介入してきた。
四人にとってそれは見知らぬ者だったのだろうが、しかしクロエにとっては違う。それはよく知る忌々しい青年のものだとすぐに理解できた。
「今時の騎士学校っていうのは騎士道とやらを学んだりしないものなのかねぇ。まぁ、オタクらが騎士道とやらを知ってるかどうか、なんてことはこの際どうでもいい。だがな……」
全員が声がする方へと振り向く。
そしてその瞬間、やはりというべき言葉がクロエの頭を過ぎる。
「大勢で女一人をリンチしようとしてんだ……テメェがブッ飛ばれる覚悟はできてるよな?」
青年―――――アルヴィン・フッドローがいつものような飄々とした雰囲気を脱ぎ去り、殺気を漂わせながらそこに立っていたのだった。