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 ゼルドの屋敷に行ってから数日。ミハエルはいつも通りの生活を送くろうとしていた。

 領主としての仕事をし、その合間にマリーと共にフリードの指導の下、ダンスの練習。そしてさらに合間がある時には剣の稽古。今まで通りの日々、そして今まで通りの日常。

 けれど、送ろうとしていた、という言葉から分かるように、いつも通りというのは表面上の話。ミハエルの心の内にあるのはある種の罪悪感である。

 真実を知ってしまった今となっては以前のように何も気にせず毎日を送る、などということはできない。少しでも幸せを感じてしまえば、それがマリーの犠牲の上で成り立っていることを思い知らされてしまう。それがどうしようもなく彼の心を抉った。

 いや、そもそもにして疑問に思うことがある。

 彼女が向ける笑顔は真実なのだろうか、と。今まで見せてきたのが全て偽りであり、心の内では憎悪の炎をもやしていたのではないか? もしくは哀しみをぐっと堪えていたのではないか?

 自らの恋を邪魔し、そして愛する人から遠ざけた人間。それに対してどうして普通に接することができようか。

 自分は知らなかった、自分の意思ではない……そんな言い訳など通用するはずがない。どんな御託を並べたところでミハエルが原因でマリーが不幸になったのは明白だ。

 こんな男に彼女を幸せにする資格などない。

 そんな言葉を何度も繰り返しながらも、しかして現実は刻々と、そして着実に結婚式まで近づいていたのだった。


 *


「マリー様と話をして下さい」


 それは唐突な一言だった。

 現在の時刻は夜。フリードは既に帰宅しており、ミハエルは自室で資料に目を通していた。内容は結婚式の参列者の名前。さらに結婚式の流れだ。

 今、彼の自室にいるのはミハエル以外に二人。クロエとアルヴィンだけである。

 クエロの申し出にミハエルは少々驚きながら口を開いた。


「どうした、いきなり……」

「どうしたもこうしたもありません。最近の主様は様子がおかしいのは傍から見ても明らか。いつも通りのやり取りをしながらもどこかマリー様を避けているではありませんか」

「避けてなど……いない」


 などと言うものの、しかしその言葉に覇気はない。図星であることを否定する気力は今のミハエルには無かった。


「まぁ、大方の原因はそこにいるゴミから大体聞きました」

「……アルヴィン」

「いや~すみませんね。けど、誰にも言うなとは言われてませんでしたから。それに……こいつ、教えろ教えろってしつこくて。しまいには槍で串刺し寸前にされて仕方なく、です」


 両手を上げならが申し開きをする青年に、はぁ、とため息を吐くミハエル。そんな彼にクロエは無表情のまま続けて言う。


「そんなにショックでしたか? マリー様が既に他の方が好きである、ということが」

「……いや、ショックというより、申し訳がないと思った」

「申し訳ない、ですか」

「私が原因で彼女は好きでもない男と結婚するハメになったのだ。私さえいなければ、彼女は例の異世界の少年と一緒に騎士学校に通っていたはずだ」

「それはどうでしょうか。仮に主様がいなかったとしても、それでマリー様の結婚話が無くなったとは考えられません。もしそのような状況であったとしても、相手が主様ではなく他の誰かになっていただけだと思われますが」

「それでも……それでもだ。今、実際に彼女を不幸にしたのは紛れもなくこの私だ」


 もしもの話など今はどうでもいい。問題は今、現在、誰のせいか、ということだ。

 確かに突き詰めていけば今回の大元の原因はゼルドの強引なやり口が発端となっている。しかし、だとしてもミハエル・B・ブラッドという男が何の責任もない、と問われればそれは否だ。


「……マリー様は主様の様子がおかしいことにお気づきです」


 クロエは淡々と事実を述べる。そしてミハエルの感想はやはりか、というものであった。自分の様子が以前とは違うことなど、自分自身が良く知っているのだ。それでも無理やり前のような雰囲気を取り戻そうとしていたのだが、それが逆効果だったのだろう。マリーには筒抜けだったらしい。


「はっきりとは理解していないでしょう。しかし……恐らくですが、主様が何かを知ってしまった、ということだけはわかっていると思われます」

「そうか……」

「父上であるゼルド様の屋敷から戻ってきてから主様の様子が変であることが大きな要因でしょう。何を言われたのか、それも大体想像がついているかと。しかし……それを聞く勇気がない。故に聞くに聞けない状態が続いている、というところです」


 聞くに聞けない……確かにその通りだ。彼女の立場を考えてみれば聞けるわけがない。


「だから私から話をしろ、と?」

「主様、最近マリー様と会話する時、ご自身が早く切り上げようとしていること、自覚しておりますか?」

「……、」


 知らなかった。

 けれどどこか納得ができる内容だった。マリーと一緒にいる時間は今のミハエルにとっては罪悪感に苛まれる時間でもある。そこから早く逃げようとするために無意識的に取った行動なのだろう。だが、そんなことをしてしまっては返って相手を不安にさせてしまうのは明白だ。


「別に異世界人の少年のことについてでなくても構いません。些細な世間話でもいいのです。以前のように自然体で話をしてください」

「はは……それはまた、無理難題だな」

「無茶を言っているのはわかっています。けれど、このままではいけないことも、主様ご自身理解しているでしょう?」


 正論を言われ、ミハエルは何も言い返せさない。そして、どこか納得している自分がいたことに気がついた。


「色々と出しゃばった事を言ってしまい、申し訳ありません」


 と謝罪の意味を込めながら頭を下げるクロエ。

 そしてその後「それでは明後日の式の準備もありますので、私はこれで」と言いながらミハエルの自室から出て行く。

 黒髪の給仕が出て行った扉が閉まったのを確認すると今まで黙っていた青年が口を開いた。


「あーあ。ホント色々言われましたね、旦那」

「ああ……流石に堪えたな。まさか、マリー殿にまで悟られているとは」

「最近の旦那、余裕が無かったっすからねぇ……正直、誰の目から見ても違和感はありましたよ」

「……、」


 自嘲するミハエル。

 自分の調子が悪いのは分かってはいたが、まさかそこまでだったとは。


「ま、そんな旦那やマリー嬢を見て一番落ち着いていなかったのはクロエなんすけどね」

「クロエが?」

「あの旦那大好きっ子がオタクの異変に鈍感なわけないでしょ。けど、原因が分かったところで誰を責めるわけにもいかないから、今回あんなことを言い出したんでしょうが」


 今回の話は悪人が誰か、という簡単なものではない。もし明確な悪が存在すれば、どれだけ楽だっただろうか。

 誰かを責めるわけにもいかず、結果的にモヤモヤしているのは当人達だけではない、ということだ。


「……すまないな。お前達にも迷惑をかけて」

「全くほんとですよ……と、言いたいところっすけど、今回それは言いっこなしだ。この結婚はオタクが無理強いしたわけじゃあない。あのジジイと潔癖症な貴族様が勝手に進めたことだ。んでもってそれをオタクやマリー嬢が断れないってことは学のない俺にも分かってますよ」


 結局のところ、それなのだ。

 ミハエルにもこの結婚が無理やりであることは分かっているし、それが本来良くないことも自覚している。本来結婚とは好きな者同士でやるべきたとも思っている。それが幸せに繋がるのだから。本当ならばマリーは自分ではなく、異世界の少年と付き合うのが何よりのハッピーエンドなのだ。

 けれど、それが分かっていても、理解していても、それができないのが貴族として生まれたミハエルという男の宿命だ。

 以前、ミハエルはマリーに言った。自分はフリードのようにはなれない、と。彼のように一人の女性のために何もかもを捨てて剣を振るうことはできないのだ。貴族として領主として当主として、それは決してしてはならないこと。ブラッド家を継ぐと決めた時に誓ったことなのだ。それが正しいとその時は確信していた。しかし、今になってその誓いがどれだけミハエルの選択肢を潰しているのかを今、噛み締めて実感している。


「結局、私は家に縛られたただの貴族でしかない、ということか……」


 別に貴族であることを後悔しているわけではない。むしろ貴族であることは誇りに思っているし、そのための責任から逃れようなどとは考えていない。

 けれど、だ。

 こういう瞬間、どうしても自分が今いる場所を窮屈と感じてしまうのは何故だろうか。


「そんで、そのただの貴族さんはこのままでいいんですかい?」


 飛んできたのは慰めの言葉ではなく、質問だった。


「世の中には時間が解決してくれることってのはありますよ? けど、今、旦那はここでぐずぐず悩んでいるよりもマリー嬢と腹割って話し合う方がよっぽどいいと、俺は思いますけどね」

「アルヴィン……」

「旦那は何かしら溜め込む癖があるからいけない。んなこと続けてたらいつかブッ倒れちまう。そうなっちまえば、まーたあの黒髪メイドが喧しくなるんでね。そうなる前に頼みますよ」


 飄々とした態度はやはりいつもの彼と言うべきか。

 しかし、言っていることは事実だ。このまま何もせずにただ時間が解決してくれることを待つというのは、ミハエルにとってもあまりよくないものだと思える。

 話せば何かが変わる、などという保証はどこにもない。いや、むしろ悪化する可能性の方が高いだろう。

 しかし、だ。

 それでもミハエルは思う。マリーと真っ向から話そうと。


「分かった……今からマリー殿のところへ行くとするよ」

「あいよ。んじゃ、俺はお邪魔だろうからそこら変ぶらついてますよ」


 そう言ってアルヴィンもまた部屋から出ていこうとする。

 そんな彼をミハエルは呼び止めた。


「ああ、アルヴィン」

「何ですかい」

「心配をかけてすまない……クロエにも同じことを伝えといてくれ」

「了解」


 振り返らず右手を上げながら答えるその姿は部下にはあるまじき姿。

 けれどミハエルは自分にとってかけがえのない部下を持ったのだと誇りに思っていた。


 *


 コンコン。


「どうぞ」

「失礼する」


 返事がしたと同時にそんなことを言いながら部屋と入るミハエル。そこはあまり目立ったモノがおいておらず、強いて言うならば本が多い場所だった。

 部屋に入ってくるのがミハエルとは思ってもみなかったのだろう。既にベットに入っていたマリーは目を丸くさせていた。当然である。何せ今日に至るまでミハエルが一人でマリーの部屋へとやってきたことは一度もなかったのだから。


「だ、旦那様!? こんな時間に一体……まさか……」

「いや、そんな青ざめた顔をしなくても。別によからぬことをしに来たわけではない。ただ、マリー殿と話をしたいと思ってな」

「話、ですか?」


 キョトンと言わんばかりな表情を浮かべるマリー。無理もない。こんな時間に話をしたい、などと言って女性の部屋に来る輩など不思議がられても仕方ないだろう。それこそ、よからぬことを考えてここに来たという誤解が解けただけでも良しとするべきだ。


「すみません、今すぐ着替えますので……」

「いや、そのままで結構……座っても宜しいか?」


 はい、という了承を得たミハエルは椅子をベットの近くまで寄せ、そのまま席についた。

 そして……。

 ………。

 ………。

 ………。

 無言の時間が流れた。

 いや、別に自分がここへ何をしにきたのかを忘れたわけでは決してない。クロエやアルヴィンにあれだけ言われたのだから。

 しかし、いざ会話をしようにも何を切り出せばいいのかが分からない。というのも元々ミハエルが女性との接し方に問題があるのはこの一ヶ月で直ったわけではないのだ。ただマリーとは良い友人的な関係になりつつあったがために会話が成り立っていたわけで、そのマリーとギクシャクしている状況下で喋れと言われても困るのは自然な話である。

 である、のだがそれでいいというわけにはいかないというのが現実だ。

 さてどうしたものか、と奇妙な汗をかきつつも考えるミハエルにマリーから質問が飛んだ。


「旦那様。父上とどのような話をされたのか、聞いてもよろしいですか?」

「……、」


 それは彼女にとって一番聞きづらいもの。

 けれどマリーはそれを敢えて尋ねてきた。

 無言を貫き通すミハエルに彼女は続けて訊く。


「ヤマト様のこと、ですね」


 チクリ、とミハエルの心に何かが刺さった。

 それが何なのか、考える間もなく、マリーは手を左右に振りながら言う。


「き、気にしないでください。旦那様が悩むようなことではありませんわ。あの方のことはきっぱり、それはもうきっぱりと諦めましたから」

「マリー殿……」

「大体、無理な話だったんです。貴族である私が貴族じゃない、それも異世界の人間と恋仲になれるなんてことが、有り得るわけが無かったんです。それを忘れていた私が馬鹿だった。それだけの話です」


 彼女の浮かべる笑みが作り物であることなど、一目で理解できた。

 きっぱりと諦めた? 

 では何故その手は毛布をぎゅっと握りしめているのか。

 では何故その小さな体が小刻みに震えているのか。

 では何故……その瞳は今にも涙を流しそうなのか。

 諦めたのではない。彼女は諦めさせられたのだ。それが見抜けない程、ミハエルも馬鹿ではない。だからこそ、彼はこんなにも悩んでいるのだから。

 

「……すまない」

「旦那様……?」

「私が貴女を傷つけてしまった……私がいたせいで貴女を不幸にしてしまった。本当に申し訳ない」

「傷つけたなんてそんな……。私は別に何とも、思って……」

「それは嘘だ。貴女はまだヤマト・キサラギのことを想っているのだろう?」


 その一言にマリーは思いっきり首を横に振る。頑としてそれを認めたくない、という心根の現れだ。


「そんなことありませんっ。私はもう、本当に……」

「もういい。もういいんだ……貴女が彼のことを諦めきれずにいる。違うか?」

「違います!」

「違わない。何故なら貴女は――――――」


 と、その時である。

 屋敷の外から轟音と共に数名の悲鳴が聞こえてきた。


「何だ……?」


 突然の出来事に先程までの熱が冷めたような口調で言うミハエル。

 そして、それは彼だけでは無かった。


「どう、したのでしょうか……」

「分からない……少し様子を見てくる」

「あっ、旦那様……!?」


 呼び止められるもミハエルは止まらず部屋を出た。

 本来ならばマリーの安全を考えてミハエルが残るべきなのだろう。

 しかし、この時のミハエルは何故だか急いで向かわなければならないような気がしたのだ。そう、それは虫の知らせ、とも言うべきもの。


(嫌な予感がする……)


 巨躯の男は自らの予感が外れていることを願いながら廊下を駆けた。

 奇しくもその願いが叶わず、予感が的中していることも知らずに……。

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