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 別に調子に乗っていたわけではなかった。

 それでも、どこか自分は浮かれていたのだとミハエルは自覚する。

 この一ヶ月と数日。ほんのわずかな時間ではあったが、彼女と一緒に過ごすことで自分は近づけたと思っていた。実際、会話は増え、剣術やダンスの稽古などを一緒にする程にまで至った。それは確かな進歩であったと思っていた。

 しかし、それがただの勘違いだと今、理解する。


「あまり驚いていないようだが」

「……いえ」


 そんな言葉をかけたれたのはミハエルの固い顔のおかげだろう。もしも彼が感情をすぐ顔に出す人間だったとすれば、とてもじゃないが人前に出せないはずだ。

 マリーには既に好きな男がいた……その可能性は考えられたはずだ。それを今の今まで頭の隅にも浮かんでこなかったのはミハエルのミス。いや、その可能性を無意識的に考えないようにしていたせいだろう。何故か。簡単だ。マリーに好いた男がいるなどということはミハエルにとって一番嫌な現実だからだ。

 フリードのようにマリーの事が好きな人間がいる、というとは大違いだ。マリー自身が想っている男がいる。それはつまりどれだけ彼女の事を想ったとしても、どれだけ彼女に好意を向けたとしても、意味がないと言われているようなものなのだから。

 当然だ。既に心に決めた男がいるとして、自分のような人間がその間に割った入る資格などあるだろうか。そして、入れたとしても自分の方に好意を向けさせるような真似がミハエルにできるだろうか。

 答えは明白。

 否、だ。


「何故、ですか」

「何故とは?」

「どうしてマリー殿と自分を結婚させようと考えたのですか。マリー殿には既に好きな御仁がおられるのでしょう?」


 それは何の不思議もない質問。

 そんなミハエルの言葉にゼルドはふむ、と呟きながら答える。


「ミハエル君。君も貴族、それも四大貴族の長を務める人間だ。ならば、貴族というが自分で決めた者同士で結婚できないのはよく知っているはずだ」

「それは……わかります」


 そうだ。それは理解できる。ミハエルとてこの結婚が決まる前から言っていたではないか。

 貴族として生まれたからには政略結婚になる可能性はとうの昔に覚悟ができていた、と。つまりはそういうことだ。貴族の結婚とはそのほとんどが政略的、金銭的な関係を孕んでいる。傍目からみればそれは間違いと思う者もいるだろう。しかし、それが貴族に生まれた人間の責任の一端でもある。ミハエルはそう考えていた。

 だから自分がそうなることは致し方ないし、覚悟もできている。

 けれど……その責任に他人を巻き込むようなことは望んでいない。


「あれもそこのところは理解している……と思っていたのだがね。どうやら私の見当違いだったようだ。騎士学校という特異な場所に送り込んでしまったのが原因なのかもしれないな。貴族社会とは一風変わった空気に触れたせいであれは余計な考えを持つようになってしまった」


 その見解は隔たっている、と思うもののミハエルは何も言わずに続きを聞く。


「好きな人間と結婚をする……そんな馬鹿げた風潮を間に受けてしまったせいだろうか。あれは同じ騎士学校に通う生徒に恋をしてしまった、という報告を受けた」


 馬鹿げた風潮、とゼルドは言った。

 本来結婚とは、男女の結びつきとは好きな者同士で行われるのが通常だ。当たり前だ。それを馬鹿げたと言い張る男の言葉はやはりどこか違うと感じてしまう。

 けれど、それを完全に否定できないのが貴族社会というものなのだ。


「しかもその相手というのがまた厄介な存在でな。身分の低い貴族や一般の庶民の方がまだマシだと思えてしまう」


 今並べたら者達もゼルドからしてみれば認めがたい存在のはず。しかし彼はそれらの方がまだマシ、とはっきりと断言した。

 では、マリーの相手とは一体どんな人物なのか。


「実は、あれが想いを寄せているという男、いや少年は……異世界の人間なのだよ」


 異世界の人間。

 その単語、言葉をミハエルは知っていた。


「『ヤマト・キサラギ』……君も聞いたことがあるはずだ。彼について色々と調べていたのだろう?」

「ええ……しかし、何故それを?」

「ゲイル殿から聞いたのだ。私も異世界人が召喚されたという噂については興味があったのでね。しかし、まさかその張本人が娘の想い人だったと知った時は驚いたがね」


 それはそうだ。ミハエルにしても驚きを隠せないのだから。

 しかし、それでようやくゼルドが何を考えているのかが理解できた。

 その確認をするかのように、ゼルドは口を開いた。


「貴族の娘は貴族の人間と結婚しなければならない。それが貴族でもない、ましてやこの世界の人間でもない者に想いを寄せるなどあってはならないことだ」

「だからマリー殿とヤマト・キサラギをこれ以上親密にさせないようにするために、今回の結婚話を持ち出した、というわけですか」

「そういうことになる」


 ゼルドの話の内容は分かった。

 貴族の立場から言えば、確かに彼の言っていることに間違いはない。どこの馬の骨とも分からない人間と貴族が結婚をするなど不可能に近いことだ。仮に結婚できたとしても、その後に待っているのは茨の道。他の貴族達からの罵倒や嘲笑は絶対的と言っていいほど避けられない。いや、それ以前にこのゼルドという男を納得させなければならないわけで、そこが一番難関とも言えるだろう。

 ゼルドからしてみればトワネット家の看板を背負っている身だ。そう安安と認めるわけにはいかない。

 だから理解はできる。できるが……。


「あれは幻想をみていたのだよ。叶わぬ夢を。そしてその幻を追ったところで待っているのはただの苦痛だ。親として、そして当主としてやるべきことはそんな夢からいち早く覚ましてやることだけだ」

「そしてその道具として私が選ばれた」

「道具、という言葉を自分に使うものではない。ただ……結果的にそうなったのは事実だ。否定はしない。気分を害したのならば謝罪しよう」


 淡々と述べるゼルド。彼が取った結論はつまりこうだ。

 異世界人を好きな娘の恋を諦めさせるためにミハエルと結婚させようとしている、と。結婚させてしまえばマリーも諦める他はない。

 とてもシンプル。そして何とも分かり易い。これ以上ないと言わんばかりの答えではないか。

 何よりもこの話はミハエルにとっては何のデメリットもない、ということだ。早急な結婚を強いられるものの、自分はマリーに惚れている。そして、このまま行けばその恋は成就されるのだ。ゼルドもそれを望んでいるし、ミハエルの祖父であるゲイルも同じだ。誰も反対する者はいない。地位も家も出自も。ミハエル・B・ブラッドならばそれらを全て兼ね備えているのだから。

 何の問題もない。

 何の障害もない。

 ただ、ある一点を除けば、だが。


「……最後に一つ、よろしいですか。マリー殿は今回の件、納得しているのでしょうか」

「ああ無論だとも。納得させたからこそ、あれは今、君のところにいるんだ」


 瞬間、理解する。ああ、やはりそうか、と。

 マリー殿は納得したのではない。無理やりさせられたのだ。

 当たり前だ。想い人がいるというのに他の好きでもない男に嫁げと言われれば誰だって納得するわけがない。しかし、彼女も貴族の娘だ。それを断れる程の力などもっていないだろうし、それが無意味であることも充分に理解している。

 ああ、つまり、つまり、だ。

 ミハエルがいたせいで、彼女、マリー・R・トワネットは自らの恋路を邪魔され、そしてその幕を下ろされた、というわけだ。

 その事実が、その真実が。

 ミハエルにとって、何よりも辛い現実だった。


「……、」


 誰にも気づかれないまま拳を握り締める彼の背中はしかしていつも以上に寂しくみえた。


 *


 それは帰りの馬車での会話。


「お前は……知っていたのか」


 ゼルドの屋敷から出てずっと沈黙を保ってきたミハエルはアルヴィンにそんな質問を投げかけた。しかし、その視線は彼には向いておらず、馬車の外を眺めている。


「ええ、まぁ」

「……そうか」


 端的な一言にアルヴィンは何やら戸惑いを隠せずにいた。


「そうかって……それだけ? もっとこう、何か言う事はないんですか? 何で黙ってたのかーっ、とか騙してやがったのかーっ、とか……」

「そんなことを私が言うとでも? だったらそう想われたことが心外だな」


 微笑するミハエルだが、その笑みには気力がない。

 分かっている。自分も子供ではないのだ。アルヴィンや祖父が何も教えなかったのは彼を気遣ってのこと。自分が惚れている少女には既に好きな男がいる、なんてことが分かってしまえばミハエルが悩んでしまうと思われたのだろう。

 そして、それはドンピシャであたっているのだから、文句などつけられるわけがない。


「……何とも愚かな男だな、私は。周りに気を使って貰いながらもそれに気づかず、あまつさえ惚れた女性を不幸にしているとは……」


 情けない。本当に情けない。

 一目惚れだの、どうやったらこ好きになってもらえるかだの、そんなものなど端から意味がない。そんなことをしたろこでマリーの心が自分に向くわけがないのだから。これが既に好きな人が他にいる、という状態ならばまだマシだっただろう。しかし、悪いことにマリーにとってミハエルは自分を想い人から話した存在であり、原因であり、何よりも恨むべき対象だ。

 そんな人間をどうしたら好きになるというのだろうか。

 こんな時、そんな些細な事を気にしないような性格ならば悩まずに済んだのかもしれない。知るかどうでもいい、と切って捨てれればどれだけ楽だろうか。苦しむ必要もない、とただ目の前にある幸せを噛み締められれば良かったのだが。

 それができないのが、ミハエルという男なのだ。


「マリー殿は……私を恨んでいるだろうな」

「旦那……」


 自嘲する主にアルヴィンはかける言葉が見当たらなかった。

 そのまま馬車は無言のまま進み、あっという間にミハエルの屋敷へと到着する。時刻は既に夜になっており、空には無数の星が出ていた。雲一つない夜空は何とも美しいものであったが、しかし今のミハエルの心とは真逆に感じられた。

 そして、屋敷の中へ入ると。


「お帰りなさいませ、旦那様」


 いつものような笑顔でマリーが出迎えてくれた。

 そう……いつものような笑顔で。

 その奥にある真意をミハエルは聞くことなく、答える。


「ああ……ただいま」


 こちらもまた変わりない返事をしたのだが、しかしどうしてだろうか。マリーはムッとした表情でミハエルに尋ねる。


「旦那様……何かありましたか?」


 鋭いその一言にミハエルは動揺するも、悟られないように聞き返す。


「何故、そう思うんだ?」

「いえ……少し旦那様の様子がおかしいと思いまして……その、何か父上に言われたのですか?」

「……ああ、まぁ。そんなところだ。貴族としての在り方について少々説教されてしまってな」

「まぁ、そんな……申し訳ありません。父がご迷惑を……」

「いや、そんな……謝らないで下さい。むしろ謝るのは……」

「?」


 ボソリと呟いた一言はマリーには届かなかったのだろう。

 首を傾げる彼女に「なんでもありません」と言いつつ、話題を振る。


「そう言えば、フリード殿はもうお帰りになったのか?」

「はい、つい先程ですが。あっ、そうそう、聞いてください。私、フリード様と踊っても一度も足を踏まないようになったんですの!」

「そうか。それは良かった」

 

 実に楽しそうに、そして嬉しそうに話すマリー。その笑みは無垢そのものであり、本物であるとミハエルは感じていた。

 そして、それ故に思う。

 それ以上、自分にその笑顔を向けないでくれ、と。

 自分にはそんな資格はない。彼女を不幸にし、ここに縛り付けているのは自分。自分さえいなければ、彼女は今も騎士学校で想い人の傍にいられたのかもしれないのに。

 けれどもそんなミハエルの心の声は届くことはない。

 その後も今日あった出来事を話し続けるマリー。

 笑顔という刃に心を抉られる痛みは、ミハエルが負ったどんな傷よりも深かった。

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