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道端の砂利のせいか、小刻みに揺れる馬車の中はあまりくつろげるものではなかった。
そんな中でもミハエルは真剣な表情で馬車の外を眺めている。まるで馬車の揺れなど気にもしていない。
……いや、正確に言うのならばそんなことにすら気が回らない状況だ、ということか。
「どうしたんですか旦那。まるで戦場にでも行くような目付きして」
「実質同じようなものだ。これから行くところはある意味で戦場並みの緊張感を持っていかなければならないからな」
また大げさな、と呟くアルヴィンの言葉は今のミハエルには届かなかった。
彼らが向かっているのは四大貴族の一つ、トワネット家の王都にある屋敷。そん目的は婚約者であるマリーの父親に会うため。的確に言えば、父親に呼ばれたために行くのだが。
ちなみにアルヴィンがここにいるのは警護のためである。彼は諜報活動も仕事としているが、ミハエルの身辺警護も彼の役割の一つなのだ。
緊張しっぱなしの主にアルヴィンが言う。
「っつか、マリー嬢の親父さんとは何度も会ってるんでしょう? 今更そんな構えてどうすんですか」
「確かに会ったことはあるが、それは同じ四大貴族の当主として、だ。今回は状況が違う」
昨夜、ミハエルは色々とマリーには言ったが、やはりいざとなると落ち着かなくなっていた。
今までは四大貴族の当主同士として年齢の差はあれど同じ立場にいた。しかし今日は娘の婚約者として父親に会いに行くわけであり、どちらの方が上なのか、言うまでもない。しかも年齢的な問題もある。いくら相手側が提案してきたからと言って、十以上も年上の男と娘を結婚させることを快く思っている親がいるだろうか。いや、現在の貴族社会では普通なことだが、それでも複雑な気持ちを抱くのが自然だ。もしかすれば心の内ではこちら側に敵意を持っている可能性も有りうる。
無限に湧いて出てくる不安を抱くミハエルを他所にアルヴィンはふと呟いた。
「にしてもゼルド・R・トワネットっすか……俺、あの人苦手なんすよねぇ。潔癖症っつうかなんつうか。良くも悪くも貴族様って感じで。それに例の噂もありますし」
「噂……ああ、許嫁に逃げられた、というやつか」
本来、貴族とは小さき頃に許嫁が決められているものだ。無論、ミハエルのような例外は存在するが、ゼルドにはちゃんとした許嫁がいたらしい。
らしい、というのも実は現在のゼルドの妻、つまりはマリーの母親は彼が幼き頃より決められていた女性ではない、と言われている。というのも、結婚を間近にした時期に唐突にゼルドの前から許嫁が逃げたからだそうだ。
「許嫁にはずっと昔から好きな男がいたらしくて、結婚間近の夜にトワネット家の屋敷に忍びこんでその許嫁を攫ったって話なんですけどね。いやはや何ともロマンチックなことで」
「それは単なる噂だろう? もう二十年以上も前の事だ。どうせ何かのきっかけで婚約を解消したとかそういう結末だろうよ。そもそも、あのゼルド殿がそんな貴族としての格を落とされるような真似をされて黙っているわけがない」
噂というのは尾ひれがつくのが常である。婚約を解消した、となっただけで許嫁を他の男に攫われた、などという突飛な話になるのがそのいい例だ。そもそもにして、四大貴族の当主、その許嫁が攫われたとなればそれだけで大事件になるのは必至。しかしミハエルにはそんなことがあったなどという話は聞いたことがない。いくら二十年以上前のことであったとしても、そんなことがあれば流石に知っているはずだ。
「でも、実際に許嫁ではない人と結婚をしたってのは本当のことっすよ。なんなら、そこら辺の調査、してきましょうか」
「やめておけ。これから長い付き合いになる方なのだぞ」
「だからこそっすよ。今までは同じ四大貴族の長同士だったのが、父親と息子って関係になるんです。色々と調べて安全を確保するのは当然でしょ」
「だからと言って始めから相手を疑うような真似はあまり好まん。必要なことではないだろうしな。余計な詮索をするのはよろしくないことはお前もわかっているだろう」
「あーあー、出たよ、いつもの悪い癖が。旦那は人を疑うってことをしないんですから」
「しないのではない。先程も言ったが、好まんだけだ」
「どっちにしろ同じようなもんですよ。まっ、旦那がするなっていうんならしませんよ。後からごちゃごちゃと説教をくらうのはゴメンですからね」
などと言いつつも不平不満をぶつぶつと呟くアルヴィン。けれど、やはりミハエルは先程の彼の提案は許容したくはないものだった。
相手を疑うことが悪だとは思わない。そうやってかからなければ知りえないこともある、と彼は理解している。必要な情報はどんな手段を使ってでも知り得ることも重要な時もあるのだ。
だが、だからと言ってなんでもかんでも調べるような真似は彼の性格が許さない。ましてやそれが婚約者の父親ともなれば。
とはいうものの、だ。
先程の話はミハエルには関係のないことだからこそ、という前提がある。
実際のところミハエル自身に関わることならば彼はどんな相手にも疑いを持って挑む。
例えば、今回の結婚の真相について、など。
「……、」
無言で窓の外を見続ける彼は、いつものように真剣であった。
*
トワネット家の屋敷についたミハエルは一人、客間に案内された。補足を加えるのならばアルヴィンの姿はない。どこかに隠れているのか、はたまた外でのんびりとしているのか。恐らく気配を消しているだろう彼を探すことはミハエルにはできない。しかし、それが彼のいつもの護衛スタイルだ。
「しかし、流石はトワネット家……というべきか」
ミハエルの屋敷に比べ、少々……というかかなり豪華な装飾品が並べられている。給仕に出された紅茶のカップもミハエルの知る超がつく程の高級品だった。
トワネット家は四大貴族の中でも尤も財力を持っているとされている。というのも、トワネット家が所有する領地の『ロート』は紅玉石の採掘が盛んなのだ。紅玉石はこの国にとっては金銀と同等の価値とされているため、その値は必然的に高いわけである。
四大貴族として地位は同じであっても財力がこうまで違うと思い知らされると、少々落ち込んでしまうのはミハエルのせいではないだろう。
と、その時である。
「お待たせしてしまい、申し訳ない」
低い、けれども全く耳障りのしない声音が扉が開いたと同時にミハエルの耳に入ってきた。そこにいたのは五十代前半の男。髭を生やし、赤い服装で身を包んだ見た目からして貴族と言わんばかりな雰囲気を醸し出していた。
彼こそがゼルド・R・トワネット。四大貴族の長の一人であり、マリーの父親である。
「いえ、時間よりも先に来てしまったのはこちらの方ですし気になさらないで欲しい。それよりも、今日はどういった用件で私をお呼びになったのでしょうか」
単刀直入に聞くミハエル。
そんな彼の言葉にゼルドは表情を崩さず答える。
「いきなりだな。ここはもっと世間話をしながら自然と話を振る、というのが定石ではないかね」
「私はそういうことに不向きなもので」
「向き不向きは関係ない。君は自分では向いていないからと言って仕事を放棄するような真似をするのかね?」
「いいえ。そんなことは……」
「ならばそういう発言は控えたまえ」
辛辣な言葉にミハエルは何も言い返せなかった。
というか、その前にゼルドが続けて口を開く。
「……とは言うものの、今回に限って言えば今の発言は効率的だ。仕事ならば論外ではるが、私情で回りくどいやり方をするつもりはない」
それは褒めているのか。それともフォローしているのか。
分からないことは多いが、しかし今ので一つ理解したことがある。
「つまり、今回私が一人で呼び出されたのは私情である、と?」
「察しが早くて助かる。何を隠そう、今日君に来てもらったのは娘についてだ」
出てきた言葉はあまりにも普通なものだった。
娘、つまりマリーについて。
考えてみれば何もおかしな話ではない。婚約者とはいえ、赤の他人である男に自分の娘を一ヶ月以上もの間預けていたのだ。その様子が気になるのは当然と言えば当然だ。
「あれが何か粗相などをしてはいないだろうか」
「はい。マリー殿はしっかりとしたご令嬢です。逆にこちらが助けられることが多いほどです」
「ほう、あれが……」
「立派な方ですよ。私にはもったいないくらい」
それは本心からの言葉だった。
マリーと過ごしたこの一ヶ月以上の時間。それはミハエルにとってはとても大切なものであり、かけがえのないものだ。彼女を助けることもあったが、逆に励ましの言葉をもらったことも何度もあった。
本当に、自分には過ぎた女性だ、と何度思ったことか。
「では、君はあれとうまくいっている、と思っても構わないかな」
「うまくいっているかどうかと問われれば難しいです。何分、私は女性とお付き合いをしたことがないものですから……ただ」
「ただ?」
「今はマリー殿とは良い関係になっていると思っています」
それが恋人関係ではないが、とは付け加えなかったが。
だが、言った言葉は真実だ。最初はまともに話せもしなかったが、今では毎日のように会話をしている。それは剣の稽古やダンスの練習というやらなければならないことがあるから、と言ってしまえばそうかもしれない。が、それでも会話が増え、彼女と接することが多くなったのは事実だ。
「あの……こちらからもいくつか聞いてもよろしいでしょうか」
「ああ、いいとも」
「何故、今日は私を一人で? マリー殿……お嬢さんのことを聞きたいのであれば、直接本人に確かめた方が早いのでは?」
その言葉にゼルドは目を瞑った。
「……確かに。その通りだ。だが、あれは少々私を苦手としているところがあるのでな。ちゃんとした答えが返ってくるとは思えなかった」
「苦手、ですか」
「まぁ、本音が返ってくるかどうかは君にしても同様のことが言えるがな。しかしそれでも私は君と一対一で話す必要があると思ったのだ。一人の父親として、な」
その瞬間、ミハエルは見据えられたような視線を送られた。
今、自分は量られているのだと理解する。娘の夫としてふさわしいかどうか。それを見極めるためにゼルドはミハエルを一人で呼んだのだ。
それはいい。理解できる。父親ならば当然の決断だろう。
しかし、だからこそ、分からないこともある。
そして、ミハエルはそれを問わなければならない。
「……分かりました。では、もう一つ聞かせてください。何故、お嬢さんを私と結婚させようとしているのか、ということを」
瞬間、ゼルドの目付きが鋭くなる。
しかし、ミハエルはそれに臆することなく目を合わせ続けた。
「……何か、不満があるのかね」
「いいえ。先程も言ったように私にとってマリー殿はもったいないくらい、良い女性です。そして同時に大切にしていくという覚悟も持っています。しかし……いえ、だからこそ、私は知らなければならないと思うのです。あなた方が何を隠しているのかを」
ミハエルがマリーの一目惚れしたのは紛れもない事実であり、それを否定するつもりはさらさらない。
それ故に、彼は知っておきたいのだ。この結婚に何があるのかを。
政略結婚である以上、何らかの策謀が働くのは当然だ。だが、それを当の本人が知らないなどというのはあまりにもふざけている。
だから知らなければならない。
知った上で、背負った上で、ミハエルはマリーという少女を妻に迎え入れたいのだ。
「……あれは、何か言っていただろうか?」
「いえ何も。彼女には聞いていませんし、聞かされていません」
「だろうな。あれもそれくらいの配慮はできる、というわけか……」
一人つぶやくゼルドからミハエルは視線を逸らさない。
彼は立ち上がると窓の方へと向かい、外の風景を見ながらミハエルに言う。
「どうしても、知りたい、というのだな?」
「はい」
迷いなく言い放った返事にゼルドは息を吐いた。
それは呆れ……というよりも同情が混ざったように思えたのはミハエルの気のせいだろうか。
「……まぁいいだろう。どうせその内分かってしまうことだろうからな。ここら辺が潮時か」
などと言いつつ、ゼルドは振り向く。
その表情は強ばっており、怒りが感じ取られた。しかし、それは不思議とミハエルに向かったものではないとすぐに理解できる。
何か、嫌な予感がする。
そういった昨夜のマリーの言葉が何故かミハエルの脳裏に遮った。それはまるで、今からそれが言い渡されるかのような、そんな気分。
何だ……奇妙な不安に襲われながらもしかし彼はようやく真実を知る。
「では言おう。あれ―――マリーには……君の他に心に決めた男がいるのだ」
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それはほんの小さな、そして些細な事実。
けれど、しかし、だけれども。
ミハエル・B・ブラッドにとってはとても大きく、そして重い真実だった。