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 夜。

 フリードが帰った後もミハエルとマリーはダンスホールで二人っきりの状態で練習を続けていた。二人のダンスはこの数日でそれなりに上達はした。しかし、やはりそれなりという言葉がついてしまうためにどうしてもぎこちないものになってしまう。

 それを克服するためにもフリードが帰った後もこうして練習をしているわけだ。

 そして二人で踊り始めて十二回目。


「マリー殿……」

「ええ、やりましたわ旦那様……」


 二人は何やら達成感溢れる顔付きになっていた。


「ようやく、一度も足を踏まれずに踊れた!!」

「ようやく、一度も足を踏まずに踊れましたわ!!」


 ……それが普通なのだが。

 などという言葉はどこからも聞こえてこない。いつもならミハエルがそういう指摘を言うのだが、今回は立場が逆である。

 しかし彼らの言うことも無理はない。何せこの数日とうもの踊るたびに一度は必ず足を踏んでおり、ミハエルはそれなりの痛みを伴っていた。それがようやく成功したとなれば喜ぶのは仕方のないことなのかもしれない。

 無論、未だ改善しなければならない点は多い。足を踏まないと言ってだから上手く踊れているわけではないのだから。踊りのテンポ、ターン、タイミング。一応はできるが、できるだけ自然な形に直していく必要があるだろう。

 それでも、だ。

 彼らにとってみれば大きな前進であることには変わらない。


「……すみません。こんな遅くまで付き合って頂いて」


 申し訳なさそうな表情をするマリー。このダンスの特訓は彼女が言い出したことである。仕事終わりに誘ったことを気にしているのだろう。

 そんな彼女に対し、ミハエルは微笑しながら言う。


「いえ。明日、私は外出しますから。その分の練習はしなければなりますまい」


 その一言にマリーは少々驚いていた。正確に言うのならミハエルの顔をみながら、だ。

 何かおかしなことでも言ったのだろうか。そんなことを言いたげな視線を向ける彼にマリーはようやく気づいた。


「あっ、いえ、その……珍しいな、と思いまして」

「珍しい? 何がだろうか」

「旦那様が自然と笑ったことに、ですわ。以前でしたら笑顔を向けるなんてことはなさいませんでしたのに」


 言われた事実はミハエルにとっては初耳だった。しかし考えてみればそうだったのかもしれない。彼がマリーの前で笑ったことが一度でもあっただろうか。いや、あったにはあったはずだ。しかしそれはぎこちないものだったと覚えてもいないが断言できる。何故なら以前の彼ならばマリーと顔を合わせただけで緊張していたのだから。

 今はもう何も問題ない……わけはなく、二人っきりのこの状況に動揺している。それでも以前のように会話が全くない、ということは無くなった。そして、一番の変化は今、彼女が言ってくれたことである。


「笑って……いたのか……」


 口に手を当てるミハエル。

 別に笑うことが苦痛であるわけではない。ただ苦手であるだけだ。幼いころからどうにも怖いと評されるこの顔付きは直すことができなかった。いや、する必要性を感じなかったのだ。人と話すのに笑顔は重要だが、それをしなくてもミハエルは今まで何とかしてきた。むしろ、笑顔がなくても何とかする方法を身につけてきたのだ。その結果だろうか。女性に話しかけられる、などということはまず無く、逆に話しかけたところで怖がられるのが目に見えていた。

 それが普通。それが自然。仏頂面であることが当たり前なのだと思っていた。

 そんな自分が自然に笑ったなどと驚くなという方が無理である。


「これは単なる私見ですが、旦那様は笑っていた方が素敵だと思いますわ」

「そう……だろうか。そう言ってもらえるのはありがたいんだが……」

「分かってます。別にいつも笑顔で、なんてことは言いません。旦那様がそういうのが苦手なのは知っていますから」

「な、何故そのことを……」

「一ヶ月以上も一緒にいればそれなりに相手のことが分かるものです。特に旦那様は分かり易い方ですから」


 そうなのだろうか……と思ってはみるものの実際に知られてしまっているのだから何も言えない。


「時々でいいのです。普段無表情な男性が見せる笑みは女性にとって魅力的なものですから。そうすれば旦那様ももっと大勢の女性に好意を寄せられるかもしれません」

「……こんなことを言うのも何だがな、マリー殿。我々はもうすぐ結婚するのだが」

「あら、ご存知ありませんか? 自分の旦那様が他の大勢の女性に好意を寄せられるのは嫉妬してしまうと同時に結構鼻が高い、という格言があるのですよ?」

「そんな格言は始めて聞いたな」


 恐らく、というか絶対マリーが勝手に作った言葉だ。

 だが、今のやりとりで重要なことはそこではない。そんな他愛のない話をミハエルとマリーがしている、という点である。

 いつからだろうか。自分が彼女とこんな風に話し合うことができたのは。以前はもっとぎこちなく、それこそ赤の他人同士……いや、今もまさにそれ同然ではあるが……そんな関係でしかなかったのに。

 しかしそんなミハエルの疑問をばっさりと斬るかのようにマリーは別の話題を持ち出した。


「……旦那様は明日、父上に会うのですよね」

「ああ……正直な話、かなり緊張していて胃の調子が悪いが……まぁいつものことだ。なんでもない。しかし、それがどうかしたのだろうか」

「いえ、その……やはり私も共に行った方が良いのではないかと」


 普通に考えてみれば婚約者同士が揃って親族に挨拶にいくべきだ。特にそれが新婦の両親ならば尚更である。

 だが、それができない理由があった。


「マリー殿。私は貴方のお父上から一対一で話したいと言われたんだ。それを無碍にする覚悟は今の私にはない」

「しかし……」

「大丈夫だ。お父上のゼルド殿には四大貴族の当主として何度も会ったことがある。一応ではあるが、どんな人間なのか、理解はしているつもりだ」


 ゼルド・R・トワネット。マリーの父親にしてミハエルと同じ四大貴族の当主。気品溢れる男であり、何よりも貴族としての正しい振る舞いを内外に対して徹底している。言うならば、ミハエル以上の頑固者、というべきだろう。

 そして今回の結婚話について中核と担っており、言い出した張本人だとミハエルは聞いていた。

 ミハエルの祖父ゲイルが言うようにこの話がトワネット家からの申し出ならばその長たるゼルドがミハエルに対し、何かよからぬことを企んでいるとは考えづらい。

 しかし、だ。だからと言って何もしてこない、ということもないだろう。わざわざ一対一の形を望んでいるのだ。何かあるに違いないと思うのは不思議な話ではない。

 それでもミハエルはゼルドに会わなければならない。

 何故ならば。


「それに私も男だ。婚約者のお父上に会いに行くくらいの覚悟を持ってなくてどうします」


 結局のところ、そういう話だ。

 結婚相手の父親に会いにいくのが恐ろしいと感じるのは世の常だ。それは一種の関門であり、試練でもある。それを乗り越えられない奴に女性を妻に迎え入れる資格などあるはずがない。

 恐らくではあるが、ミハエルはゼルドに試されているのだろう。ならば、それに立ち向かわなければならないだろう。

 貴族や当主という以前に、一人の男として。


「……はぁ。分かりましたわ。もう何も言いません。しかし何やら嫌な予感が致しますわ」

「奇遇だな。私もだ」

「それでも行くのですね」

「ええ。知っているでしょう? 私が頑固な人間だということは」

「無論承知していますわ。ですからそんな頑固者がいない間に私はもっとダンスを上達させておきます。旦那様が帰ってくるまでにはきっと旦那様よりうまくなっていますわ」


 言われてミハエルはフリードが昼間に同じような言葉を言われたことを思い出す。


「それは困りますね……ならば一つ提案があるのですが」


 提案? と首を傾げる少女にミハエルは右手を差し出し、一礼する。


「最後にもう一度だけ、踊っては頂けませんか?」


 予想もしていなかったのだろう。マリーはキョトンと言わんばかりの顔になりつつも、しかして微笑しながら答えた。


「はい。喜んで」


 手を取り、少女と男は再び無音の中でダンスを踊る。

 未だぎこちないそれは、しかし妙に楽しそう感じたのは気のせいなのではない、と不器用な男は心の中で呟いたのだった。

 ……ちなみに。

 この後、調子に乗って踊っていたマリーが再びミハエルの足を踏んだかどうかは、言うまでもないことだろう。

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