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何故フリード・ディケンスをダンスの講師に選んだのか。
その問いに対し、アルヴィン・フッドローの答えは以下の通りである。
「なんでも何も、あの人ダンスが上手いことで有名なんですよ。見た目と雰囲気はああですけど、ダンスに関しては貴族の中でもずば抜けてるって話です。旦那やマリー嬢とも面識はあるし、見知らぬそこら辺の講師を雇うよりもよっぽどやりやすいとは思いますがね」
その道理は合っている。
しかし何故だろうか。ミハエルにはそれだけが理由であるとはどうしても思えなかった。
「あっ、別に他の意味とかはないんで。旦那とマリー嬢の間にあの人を入れたら面白そうだなぁとか、何か起こるかなぁとか、そんなことは一切考えてないんで、はい」
……その言葉に奇妙な悪戯心を感じたのはミハエルだけではなかった。
次の日、アルヴィンはボロ雑巾の状態になって庭で発見された。虫の息ではあったが、一応は生きている。
誰の犯行なのか……大体は予想がつくがミハエルも思うところがあったので敢えて追求しない。
別に。
「あの男がどうしてあんな状態になったか? さぁ、何か余計なことでもして女性の怒りでも買ったのではないでしょうか。まぁそんなことを主様が気にする必要はありませんよ」
「そうです旦那様。気にしてはいけませんよ?」
などと女性陣に言われたからではない。決してない。
特にその時のマリーが笑っているにも拘らず目が据わっていたなどということも断じてない!
などという誰に対してだが分からない言い訳を思い浮かべてから既に二日。ミハエルとマリーは屋敷にあるダンスホールでフリードの手の音に合わせながら踊りの練習をしていた。
下手とは言え、彼らも貴族だ。ダンスの基礎的なものは理解している。が、理解できているからと言って、それを体に馴染ませるのはまた別の話だ。
「うっ……」
「ご、ごめんさない!」
「だ、大丈夫だ。何ともない」
足を踏まれながらも耐え忍ぶミハエル。しかしそれが限界であることは顔に出ていた。
小柄なマリーに足を踏まれたところで普段の彼ならば何気ない顔で平気で答えるだろう。だが、この数日で何十回も同じところを踏まれ続けるとなると話は別だ。
そもそも二人の身長差はおおよそ三十……下手をすれば約四十はあるかもしれない。そんな男女が一緒に踊るということ自体が難しいのだ。しかもその二人共がダンスが苦手であるとなれば難易度がさらに上がる。
「そろそろ休憩にしましょう」
「いや、フリード殿。私は本当に大丈夫だ。今日はまだ四回しか踏まれていない」
別にマリーを責めているわけではなく素の言葉なのだろう。しかしそれが逆にマリーには心苦しかったのだろうか。申し訳なさそうな顔をしている。
「休むことも大切なことですぞ、ミハエル殿。まだ日はあるのです。焦らずゆっくりいきましょう」
「……それもそうか」
納得するミハエル。確かにこのまま続けるのは自分の身勝手であり、それにマリーを付き合わせてしまう形になる。焦っていたせいか、そんなことにも気づかない自分に少々腹を立てている隣でマリーが二人に対し、言う。
「それじゃあ、私はちょっと外の空気を吸ってきますね」
その言葉だけを言い残すとマリーはダンスホールから出て行った。彼女が居なくなった後を見えるようにフリードはドアを見つけ自嘲する。
「どうやらまた嫌われてしまったようです」
「いや、あれはそういう類のものではないと思うのだが……」
嫌われている、というフリードの認識にミハエルは疑問を覚える。確かにマリーはこの数日フリードを避けている節があるが、それは嫌われているというよりかは……。
「単に顔が合わせづらい、というだけなんじゃあないか」
それしかミハエルには思いつかない。
自分を賭けて決闘をした相手の想いを知り、しかし正面から断った。その事実が彼女の中にある種の罪悪感を覚えさせているのだろう。しかもその相手は罵倒してくるどころか、逆にすっきりした顔で立ち去っていったのだから尚更である。
極めつけはマリーが先日、フリードに対して言った最後の言葉。
『私は……マリー・R・トワネットは、貴方に想われたことを……誇りに思います』
あんなことを言った手前、気まづい、というのが本音だろう。
「本来ならば私はここに来るべき人間ではないのでしょう。決闘、などと聞こえは良いものの、結局のところ私は貴方に殴り込みをかけ、そして負けた。だというのに性懲りもなく目の前に現れるのは彼女にとってもあまり好ましくない状況でしょう」
一方的な想いを寄せてきていた相手がようやく居なくなったと思ったら、再びやってきた。
そんなことになれば誰だって気まづくはなるし、正直な話不安にもなるだろう。
けれど。
「……フリード殿。私は前にもいったはずだ。我々の未来を共に見てほしい、と……そんな悲しいことを言わないで頂きたい」
それがミハエルの正直な気持ちである。
マリーには悪いが、フリードはミハエルにとって同じ女性を好きになったある種の同士であり友だと思っているのだから。
「ハハハッ。これはまた嬉しいことを言ってくれますなぁ。未来を共に見て欲しい、ですか……だから私の処分についても手を回してくださったのですか?」
「……余計なお世話、だったかな?」
「とんでもない。おかげで私は家に残ることができた。感謝ことすれ、憎悪することなど以ての外というものです……とは言うものの正直な話、自分が情けないとは思いましたがね」
微笑するそれが自嘲か、あるいは単なる冗談か。
それを確認することなく、ミハエルは話題を変える。
「フリード殿。言い忘れていたことがあるのだが……明日、私は諸用で外に出るため踊りの練習ができない。すまないが、明日はマリー殿と二人でやってくれないか?」
「マリー殿と二人で、ですか……それは構いませんが、ミハエル殿はよろしいので?」
「と、言うと?」
「婚約者を他の男に預ける、というのは危険ではないか、ということです」
ああ、とフリードの言葉に納得しながらもミハエルは自信を持った表情で答える。
「心配はしていない。貴方だからこそ、私は彼女を預けるのだ」
その瞬間、フリードは呆然としていた。 あまりに堂々と言われた言葉が信じられない、と言わんばかりの表情である。
全くこの人は……と心の中で呟きながら彼は笑いながら両手を上げた。いつものように大仰しい立ち振る舞いで彼は言う。
「分かりました。このフリード、貴方の信頼に応えるよう全力を尽くしましょう。貴方が帰ってくるまでに貴方よりも彼女の踊りを上達させてみせますよ」
「そうか。では、私もうかうかしていられないな」
「そうですね……ところで、明日はどちらに向かわれるのですか?」
「……、」
その質問でミハエルの顔色が悪くなる。何かまずいことでも聞いたのか、と思ったフリードだったが次に出てきた彼の言葉で納得した。
「その……マリー殿のお父上から家に来てくれと手紙が来てな。何でも一対一で話がしたい、とのことだ」
それはまた……ご愁傷様である。
いや、結婚相手の親、特に父親に会いに行くのは当然のことであり、男としての義務だ。それを乗り越えることも夫となる者の使命として考えるできだろう。
しかし、だ。
だとしても、だ。
こればかりはやはり緊張せずにはいられない。
と、そこへ。
「すみません。遅くなりました」
ミハエルの緊張の原因であるマリーがダンスホールへと帰ってきた。
その時点で休憩は終了。これからまたダンスの特訓が始まる直前、フリードは一言。
「ミハエル殿……その、頑張ってください。応援しておりますぞ」
「ああ……生きて帰って来れるよう最善を尽くす」
どこか遠くを見つめるミハエルの姿はとてつもなく黄昏ていたのだった。
……本当に大丈夫だろうか。
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