終:その後の生活
「こんにちは、リエねえさん♪ 今日もいい天気ですね~!」
紅葉の深まる、十一月の後半。
山間にあるこの宝馬町にも、本格的な寒さがやってきた。それとともに、山の木々は赤や黄色に色づきはじめている。都会ではなかなかみられない美しい風景をみつめていた俺は、とつぜん後ろから明るい声で呼びかけられた。
ふり返ると、そこには赤いセーターにチェックのスカートという普段着姿のご当地アイドル・らんたんがいた。
「こんにちは、らんたん。今日も元気そうね」
「はーい! らんたん、それだけがとりえですから~♪」
「それ『だけ』っていうことないでしょ……。あ、そういえば昨日のライブはどうだった?」
「それはもう大盛況でしたよ~! みんなランタンのためにワイワイ超会議に集まってくれて、会場、超満員でしたから♪」
「そうなの? よかったわね。でもがんばりすぎて風邪ひかないようにね」
「大丈夫ですよ~! らんたん、インフルエンザとか一回もかかったことないですし☆ あ、リエねえさんも次のライブ、きてくださいよ~♪ らんたん、全力でリエねえさんをにゃんにゃんしますから!」
「はいはい、次はきっと行くわ」
言いながら、俺は自分がすんなりと女言葉を使っていることに、違和感を感じなくなってきていた。
ハロウィーンのあと、俺はリエさん――大家さんとして、この町でなにごともなかったかのように暮らしていた。
大家さんの体になってしまってから数日間は、大変だった。
家に自分の姿を探すも、どこにもみつからない。家にあるものはそのままなのに、なぜか俺の体だけが大家さんになっていたのだった。
大家さんの家にもいってみた。中にはだれもいなかったが、リビングのテーブルに一枚だけ、書置きが残されていた。
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タケルくんへ
これを読んでいるということは、君はお菓子がなくなってイタズラされて、
私の体になっているんだと思う。
さぞ混乱しているでしょう。でも大丈夫。私も最初はそうだったから。
元の体に戻るには、今回と同じ条件がそろえばいいはずよ。
タケルくんならきっとできる! 信じてるわ! グッドラック!!
大家より
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「グッドラックっていわれても……」
頭の整理がつかないながらも、この文面から読み取れたことがいくつかあった。
まず、大家さんは「ハロウィーンでお菓子がなくなってイタズラされると、俺が大家さんの体になることを知っていた」ということ。
前の大家さんは全てを知った上で、俺に接してきていたのだ。
次におそらく「大家さんも元々は別の人間で、俺が大家さんになったことで、自分は元の体に戻った」ということ。
もしかしたら、大家さんも元は男性だったのかもしれない。そしていまは、俺の知らない全く別の人間として元の生活を送っている、のではないか。
そして最後に「元の体に戻るには、来年のハロウィーンまでに俺の住んでいた家にだれかを住まわせ、お菓子がなくなるまで町の人に『トリック・オア・トリート』をさせること」だ。
つまり、少なくともこれから一年ものあいだ、俺は大家さんとしてこの町で暮らさなければならない――。
生活には困らなかった。大家さんは他にもいくつか物件をもっていて、その家賃収入だけで食べていけたからだ。
それでも経歴くらい知らないと不都合だと思い、家の中にある物をあらいざらい探してみた。だが、大家さんの過去を記したもの――アルバムや写真など――は一切みつからなかった。
わかったのは、大家さんがこの町の人たちから「リエさん」と呼ばれていることだけだった。
もちろん、すぐに元の体に戻れる方法も探した。
だが、肝心の「イタズラ」の内容がわからない。俺はいったい何をされ、こんな状態になったのか。
俺はあのときの三人の子どもを探した。だが不思議なことに、どこを探しても、だれに訊いても、そんな子どもはみつからなかった。
あの日――ハロウィーンにお菓子をもらいにきた、らんたんや他の人は簡単にみつけられたのに、あの子どもたちだけがみつからない――。
それからひと月近く。
女性として過ごす生活に、最初はなかなかなじめなかった。
化粧のしかたや髪の整え方がわからず、ネットで調べながら鏡の前で何度も試行錯誤した。
町の人から「リエさん、ちょっと性格変わった?」と言われるたび、心の中で冷や汗をかきながら必死にふるまいを修正した。前の大家さんのように豪快な性格にはなれないけど、できるだけ近づくように。
そしてようやく最近、大家さんとしての生活に慣れてきたところだ。
「それじゃあ、リエねえさん。にゃんにゃん♪」
両手で猫の手をつくりながらお決まりのあいさつをするらんたん。
「はいはい。にゃんにゃん」と気のない感じで応じると、らんたんは不満そうに口をふくらませた。
「もうー、リエねえさん。前はちゃんとノリノリでやってくれたのにぃ~」
「あ、ああ、そうだっけ、ごめんごめん……。はい、にゃんにゃん♪」
「わー☆ リエねえさん、ありがと~♪」
満足げに、らんたんが走り去っていく。あいかわらず、テンション全開の子だ。
さて、家に戻ろうと思ったところで視界に入ったのは、歩いてくる中学生男子。
「あっ、あねさん、ちーっす」
「ちーっす」
ハロウィーンのときに、謎のゾンビコントを披露した二人組だ。なぜか大家さんは以前から「あねさん」と呼ばれていたらしい。
「あねさん、今度また爆笑コント、みてくださいよ」
「すっげーいいのができたんで。爆笑必死っすよ」
自分で爆笑なんて言うから無駄にハードルが上がるのだと思うんだが。
新作コントのアピールをして去る二人を見届けていると、ポケットに入れていたスマートフォンから着信音が聞こえた。LINEだ。
画面を操作してみると、[リエさん、こんにちは(^^)]というメッセージが届いていた。通りを探すと、いた。黒ずくめの服を着て、紫色の眼鏡をかけた女の子。
少しだけこちらに視線を向けていたので、俺は小さく笑みをみせる。すぐに彼女は、はずかしそうにうつむきながらとことこと歩いていってしまった。
[リエさん、いきなり笑いかけないでください(>-<) ドキッとしましたぁ]
あいかわらず見た目とネット上のテンションが違う子だなぁ……。
感心していると、「おっ、リエちゃん。今日もイケイケやな!」と横から急に呼ばれた。
ふり向くと、そこにいたのはスイーツ好きのフランケンシュタイン男。
「こんなきれいやのになんで彼氏ができんかなあ。うちの社員で有望株、紹介したろか?」
最初は完全にヤ○ザの人だと思っていたが、話を聞くと小さな建設会社を経営している社長だとわかってちょっとホッとした。
俺はその社長の提案を丁重にお断りすると、「なんやあ、もったいない。あ、これ、買ってきたんで食べや」と、唐突にスイーツをくれた。どうやらオレンジゼリーらしい。最近では見た目よりいい人だとわかり、さらにホッとしている。
それにしても。
「まさかこんなことになるなんてなぁ……」
家に戻ってソファに座り込んだ俺は、このひと月でもはや口癖になってしまった言葉をまたつぶやいた。
働かなくてもいい今の生活は正直言って楽だ。男の身では知り得ない女の生活を知ることができて、面白いと思える部分もある。
でも、自分が何者なのかわからずに、周囲の目を気にしながら過ごすというのはなんとも居心地が悪い。
早く元の体に戻りたい。でも来年のハロウィーンまで待つ以外に、元に戻る方法がわからない。
だいたい、お菓子がなくなって女性の姿に変えられるというのは、呪いなのか。魔法なのか。
あの三人の子どもたちは、いったいなんだったんだろうか。魔法使いか、それとも悪魔か。
そもそも、リエさんとはだれなんだろう。オリジナルの人格はどこにいったんだ。
いつからこのサイクルは始まったんだろう。俺以外に、町でこのことを知っている人はいるんだろうか。
元の俺は行方不明扱いになっているだろう。両親や勤務先の人たち、心配しているだろうな。
ああそうだ。俺の住んでいた家、早く入居者募集かけないと――。
さまざまなことが頭をよぎり、通り過ぎていく。
考えれば考えるほど、思考は出口のない深みにはまり、気が変になりそうだ。
もう昼間から酒でも飲まないと、やってられない。
俺は冷蔵庫からビールをとり出し、テーブルのカゴに入っていたあたりめの袋をひらいた。
ハロウィーンの日、俺が大家さんにあげたあたりめだった。