1:ハロウィーンなんて知らない
二泊三日の出張から家に帰ると、郵便受けにポスターカラーの散りばめられたチラシがはさまっていた。
タイトルは「宝馬町ミッドナイト・ハロウィーン!」。町で催されるお祭りの知らせだった。
俺は某IT系企業で営業を担当している、二十代そこそこのサラリーマン。仕事の関係で九月から宝馬町にこしてきた。
宝馬町は地方の市街地からややはなれたところにある、山間の小さな町だ。町より村といったほうが近いかもしれない。
俺が住んでいる住宅地から一歩外に出れば、そこには田園風景が広がっている。とおりすがりの近所の人はみんなあいさつしてくるし、町に一つしかない商店は夜六時半閉店で日曜日にはやっていない。コンビニは市街地までいかないとない。
犬を飼っている家が多く、散歩するといつも吠えられる。農家をしている近所のおばあちゃんからたまに作物をもらう。自転車に乗る中高生はみんなヘルメットをかぶっている。
そんなところに田舎っぷりを感じていたが、こういう生活はきらいじゃない。それまで都会に住んでいた俺にとっては、とてもしずかでのんびりした、心安らげる場所に思えた。
そんな田舎なのに、ハロウィーンイベントをやるというギャップに、俺は失礼ながら少しだけ口元がゆるんだ。
「こんな小さな町でもハロウィーンやるんだな」
なんとなく感心してチラシのイベント内容に目をやると、「あなたの家に、同じ町内の人が仮装してやってきます。『トリック・オア・トリート!』といわれたら、家にあるお菓子をあげてください♪ みんなでハロウィーンの夜を楽しみましょう!」とある。
イベント会場を設けるんじゃなくて、直接家にくるのか。本格的だな。いつやるんだ、と思ってチラシの下の方をみると、十月三十一日の土曜日。今日だ。
ハロウィーンって十月三十一日だったっけ。自分自身、ハロウィーンにあまり関心がなかったためか、日付を忘れていた。ってか、もう夜の七時だし。
チラシはもっと以前に届いていたのかもしれないが、あいにく出張にいっていたので今の今まで気づかなかった。だれかきたらどうするか。お菓子を買いに行こうにも、この町唯一の商店はすでに閉まっている。いまからコンビニまでいくのも億劫だ。
――まあ、きたらきたときだ。家にも少し残っているお菓子的なものがあったと思うし。そう思い、俺は自宅である一軒家に入った。
一軒家といってももちろん借家で、不動産屋から掘り出し物件として格安で借りることができたものだ。
「大家さんがすごくいい人で、もう減価償却が終わってるから敷金礼金なし、家賃も格安でいいよっていってくれてるんですよ」
そういわれ、なされるがままここに決まった。でも不満はなかった。ひとり暮らしなので広すぎるが、狭いよりはいい。駅に近く、営業先までたいして時間もかからない。それなりに満足した状態で、俺はこの町での新生活を送っていたのだった。
さて、出張でくたびれたし、晩飯は簡単にすませよう。そう思っていたら、不意に玄関のチャイムが鳴った。
こんな時間に来客の予定はない。ってことは――
きた。さっそくか。
俺はいま入ってきたばかりの玄関に再び戻り、扉を押しあけた。
「トリック・オア・トリート~! タケルくん、やっほー」
そこには、どこかの社交場にでも出向くようなドレス風の黒い衣装をまとい、右手にもったカボチャのランタンをこれみよがしにつきだしてくる女性の姿があった。
大家さんだった。
「タケルくん、いま帰ってきたの? 今日ね~、じつはハロウィーンイベントなのよ~」
「え、ええ。ついさっきチラシみて――てか、なにやってるんすか大家さん」
大家さん、といってもまだ三十代そこそこ(だと思う)の人。もともとこの家は大家さんの祖母が所有していたが、数年前に亡くなったので自分が管理するようになったらしい。
目鼻立ちの整ったきれいな顔立ちで、スタイルもいい。肩のあたりで切りそろえられた、やや茶の混じる髪がよく似合っている。どちらかというと、清楚でおしとやかな見た目だ。
でも実際にはとにかくなれなれしい人で、顔をあわせるたび「あれ? 彼女、まだできてないの?」ではじまる長い立ち話をふっかけてきては「じゃあいまから飲みにいこう!」といつもお酒に誘われる。
どちらかというと女性というより男らしい性格のほうが前面に出ているためか、いまだに独身で、本人いわく彼氏もここ最近いないらしい。だまっていれば声をかける男もいると思うけど、話し始めたときのギャップに男性のほうがショックを受けるのかもしれない。
そんな大家さんが、なにやら仮装した姿で俺の目の前に立っている。
「なにって、ハロウィーンといえば『トリック・オア・トリート』でしょ? ほらほら、早くお菓子をくれないとおねえさん、タケルくんにイタズラしちゃうぞぉ~」
「いい歳してなにやってるんすか……。だいたい、家にお菓子をもらいにくるって、小さい子のやるイベントでしょ」
「だいじょうぶだいじょうぶ! 体は大人でも心は永遠に十二歳だから」
どういう理屈だ……。
「まあ、タケルくんはこの町にきたばかりだからちょっと戸惑うかもしれないけど、これから何人かこの家にくると思うから、ちゃんとみんなにお菓子をあげてね」
「はぁ……。やっぱくるんすか」
「あたりまえでしょ? タケルくんもこの町の一員なんだから。あ、そうそう。みんなには『ここにくればイケメンに会えるから』って宣伝しておいたから。せっかくだし、好みのコがきたらひっかけちゃえば?」
そういう余計なおせっかいはほんとやめてほしい……。
「ま、そういうわけだから。あと、お菓子を切らしたら、イタズラされちゃうから気をつけてね」
「イタズラ?」
「そう。それはもうおそろしいイタズラがタケルくんを待っているんだから」
「どんなイタズラなんですか……ってか俺、今日出張から帰ってきたばかりだから、お菓子の用意なんてしてないし」
「そうなの? ――じゃあ、わざとイタズラされてみるのも、いいんじゃないかな」
「どういう意味ですかそれ……」
「ねーねー、そんなことより早く、おねえさんにもお菓子くれないかなぁ」
「はいはい。あたりめでいいですか」
「あたりめぇ? そんなのしかないの?」
「きらいですか」
「もちろん好き!」
子どものように両手をにぎりしめて全力の笑顔をみせる大家さんに、俺はもう苦笑するしかなかった。
大家さんは無類のビール好きで、平日の夜はもちろん、休日は昼間からビールを飲んでそのへんをうろついている。もしかしたらいまも、家で一杯ひっかけてから仮装してきているのかもしれない。
「あんまりビールばかり飲んでると、体に悪いんじゃないですか」
「いいの。だってお酒飲まないとやってらんないんだから」
「どんだけストレスたまってるんすか……」
俺はいったん中に戻り、リビングの隅においていたあたりめの袋をもってくると、大家さんは奪うように俺の手からつかみとり、右腕のひじからさげていた小さなバッグに満足そうに入れた。
「トリック・オア・トリート~!」
「あたりめはもうないですよ……」
「あ、ううん。いまのは『おつまみくれてありがと~』の意味ね」
もう正式な意味無視してるし……。ってかお菓子じゃなくておつまみになってるし……。
俺の思いをよそに、大家さんは手をふりながら帰ろうとする。
「じゃあね~。あ、来年はタケルくんも仮装して私といっしょに町中を回ってみる~? 私は大歓迎よ~」
「いえ、俺は……。ってか大家さんのそれ、なんの仮装なんですか」
「これ? 吸血鬼に決まってるでしょぉ。くくくっ、おまえの若さも吸いとってやろうか!」
「遠慮します」
そう、このときは――
なんだかさわがしい夜になりそうだな。そのくらいにしか、考えていなかった。




