第二話 喪失
現が目を覚ました時、視界は白一色に染められていた。
ぼーっとしているうちにその白色の中に模様が浮かんでくる。模様というよりは区切りのようなものであった。
だんだんと模様以外のものも現の目に見えてくる。カーテンや小さめの棚、いやまあそれだけであるが。
とにかく、殺風景な部屋の中で自分は寝かされているのだ、と現は自覚した。
ただ実感がない。生きているという実感が、ない。湧かない。
同時に現はそれとは全く逆のことを思った。
どうして、生きているのか、と。
目覚めた目覚めたばかりの頭で考えようとするが、動かない。
空腹感はないが、きっとそういうことだった。
「おはよう。えー……高色、現君、だったかな。いや、いい。答えなくていい。それは知っているからだ。私が知りたいことは他にあるのだが……」
突然部屋に部屋に入ってきたスーツ姿の男は名乗りもせず、早口でまくし立てる。
僅かではあるが、息切れが聞こえる。
少し遠い所から移動してきたのだろう、そして、予定が詰まっていてまだ次にやることがあるのであろうことが推測できた。
戸惑っている現を少し見て、男は言葉を続ける。
「どうやら今は無理そうだ。落ち着いたらまた伺うことにするよ。何かあれば近くにあるボタンを押してくれ。係の者が来る」
要件は伝えた、というふうに、男はそそくさと部屋から出ていこうとする。
だが、自動ドアが人を探知して開いた直後、立ち止まり、そして振り返って、言った。
「ああ、念のために言っておくが、『賀澤』と名乗る男には近付くな。以上だ」
それだけ言って男が去る。
扉は機械音をたてながらひとりでに閉まった。
──何だったんだろうか、今のは
そう思ったのは、男がいなくなって部屋に一人残されてからであった。
次にその部屋に人が入ってきたのは、翌日のことだった。
「おはようございます、高色現さん」
高い声は女性のもので、昨日の男とは別の人だ。昨日の男がスーツを着ていたのに対し、その女性は白衣を着ている、という点も違いを際立たせている。
その女性は何かに気付いたように、
「だめじゃないですか。昨日も何も食べていませんでしたし。それに、こんな美味しそうな料理、滅多に食べられませんよ」
現が元気のない声で返す。
「いいんです。お腹、減ってませんから……」
しかし、女性の方も簡単には引き下がらない。
「そうはいきません。あなたに食事をとっていただくのも室長の命令ですから。
かくなる上は……」
と言って、現からして手前にあった箸を手に取り、皿の上にある魚を切ったかと思うと、そのまま現の口元までもってきた。
「ほら、口を開けてください。食欲が無いというのなら、無理にでも食べさせてあげます」
突然の行動に現は戸惑ってしまう。
いきなり部屋に初対面の女の子が入ってきたかと思うと、ご飯を食べさせる、などと言って本当にそうしてきたのだ。
これがおかしい、ということは現の目にも明らかだった。
「いや、いいですから! 自分で食べますから!」
そう言うと、その女性は満足そうな顔をしてそばにある椅子へと腰掛けた。
満足そうな顔、といっても、それはあくまで現にはそのように見えた、というだけだ。
さっきからこの女性は、いや見た目的には女の子は、話している言葉とは裏腹に、全くの無表情なのである。発せられる声には感情の起伏が感じられない。
それが現には、先程までの行動も相まって気味悪く思えた。
「なんなんですか、あなたは。誰なんですか」
それで、少し言い方が強くなってしまった。
そしてその言葉に彼女の顔が少し歪んだような気がした。
それは何故だったのか現には分からない。
それともただの勘違いだったのかもしれないが、彼女は変わらない顔で続けた。
「すみません、申し遅れましたね。私、本日からあなたのお世話係を任されました、小守です。小守 小百合。年は18です。あなたは確か今年で20、でしたよね? なので、言葉は崩してもらっても構いませんよ。以後よろしくお願いします」
小守と名乗るその女の子は現の質問に淡々と答える。
「世話、係……?」
「はい、そうです。それはそうと、予定もあることですし、早く料理に手をつけてください。それとも、やはり私がお口まで運びましょうか?」
「はあ……分かったよ」
世話係のこと、この女の子のこと、昨日の男のこと、そして、皆がどうなったか、ということ。
聞きたいことは山ほどあったが、また同じことを繰り返しそうだったので、とりあえず料理を食べることにした。
何も食べていなかったのもあって、それは少し、美味しく感じた。
「こちらが第4研究室です」
朝食を食べたあと、現はこの施設の中を案内されていた。
──信じられない
既に4つの研究所をまわり、思うことは多々あったが、何よりの感想はそれだった。
自分たちの戦っていた敵が、多くの仲間を殺してしてきた敵と見なすべき生物が、今、目の前で研究されている。
いやそもそも、アルターを生け捕りにするなんてこと自体、考えられなかった。戦って、生きて帰ることが出来るかすら怪しい相手だ。
それなのに……
第1研究室ではアルターの解剖が。第2研究室ではその分析を。第3研究室ではいろいろなものに変化させて、その記録を。第4研究室ではあろうことか、アルターの成長を助長し、その進化の研究をしているという。
これで、混乱するなという方が無理な話だ。
「大丈夫ですか、高色さん?」
彼女は相も変わらず無表情で聞いてくる。
現にはそれに答える余裕はない。
だがこの先で、これまでとは比べ物にならないほどの衝撃を受けることになる。
──一生に一度あるかないかの体験をした
あるいは自分もこの光景を見さえしなければそう言っていただろう。
話でしか聞いたことがない、何かを媒体としてしか見たことがない。いや、そもそも、見たことも聞いたこともないかもしれない。
そんなものが、世の中にはあるのだ。
人生で一度あるかないか。
ゆえに、それを二回も経験するとは誰も思わない。
でも、今目の前にあるものは、確かにそう思えることだったはずで。
もう二度と、見ることがないと思っていた。
そう思うことすらなかった。
自分の中で、どこかでそれを、その存在を忘れようとしていた。
きっとそれでも、体は覚えていた。
直接植え付けられた記憶では拭いようがない。
憎らしいと、自分の大切なものが奪われて、殺してやりたいと、そう思うことすら、今の僕には叶わない。
それほどまでに強大で。
それほどまでに怖くて。
今すぐにでも逃げ出したくなっていた。
「な……で……」
「高色さん?」
「……で、なんで、こいつが……」
振り絞ってなんとか言葉にするも、それが限界だった。
第4研究室を案内された後、さらにもう1階層降りたところに、第5研究室はあった。
1から4の研究室と比べ、雰囲気が明らかに違う第5研究室に、嫌な予感を感じていた。
そしてその予感は当たる。
足を踏み入れた瞬間から、体の奥から何かが湧き上がってくる。
それは間違っても期待などのものではなく、恐怖の類のものであった。
人型アルターがいた。
ガラス1枚隔てた先にいて、人型アルターを研究している。
どうやって捕獲したのか。
いくら皆が入隊したての新兵だったとしても、風越さんが言っていたようにそれなりに強かったはず。なのに、そんな皆が為す術無くやられていったのだ。それを殺すのも信じられないのに、ましてや生け捕りなんて考えられない。
いやそれともまさか、
──育てた……!?
ここまでの研究室を見るにありえないことではない。
でも、だとしたら、そうだとしたら、ここの研究室にいる人達は一体何をするつもりなのだろうか。
「どうしました高色さん? 大丈夫ですか? 顔色、わるいですよ」
「え、い、いや。なんでも、ないよ……」
「そうですか、では次に」
「その前に、一旦休みたいんだけどいいかな。できれば外の空気が吸えるところだと……」
「……分かりました。こちらへどうぞ」
案内された先にはエレベーターがあった。
どれだけエレベーターで上がっただろうか。扉が開くまでに少しの時間を要したように思える。それこそ、この建物の最上階まで登るくらいに。
しかし、扉が開いてみると案外解放的で、清々しく、普段なら大きく深呼吸でもしてみたい気分になっていただろう。
が、今は体を伸ばそうとすら思えない。
とにかく気持ちが重たかった。
なんで人型アルターを研究してるんだ? 今何が起きてる? 人型アルターだけじゃない。普通のアルターを研究してることも、とても正気とは思えない…… これだけの大規模な研究施設、それも秘密裏に、防衛省の地下でだなんて。個人の思惑で出来ることじゃない。大きな企業、団体……もしかしたら国が……?
いや、こんなこと考えるのも結局はただの気晴らしかもしれない……
ただ現実から目をそらすための。
「高色、さん……?」
小百合が無表情、無感情さながら心配するような声をかける。
「あ、ああ。小守さん」
「あの……辛い、ですか?」
「あはは……やっぱり分かる?」
「まあ……そんな顔していれば、誰にだって分かると思いますが」
「おかしいよね、こうなることも覚悟しとかなくちゃいけなかったのに、いざなってみるとこうだよ。僕は、僕には気持ちの準備が足りてなくて、きっと心のどこかで、皆生きて帰れると思ってたんだ。僕じゃなくて、僕以外の誰かなら、すぐに立ち直ったりしてたのかな…… まあ、表情のない君に言っても仕方ないかもしれないけどね」
「ッ!! そんなこと」
小百合が現の言葉に異を唱えようとしたその時──
「おーおー、こんなとこにいたのか」
低く、芯の通った声が屋上に響いた。
それは昨日忙しそうにしていた男のものとも違う。
「誰……ですか?」
なにやら困惑している(ように見える)小百合をよそに、現はその男に問う。
だがそんなものは聞こえていないかのように続ける。
「探したんだぞ、お前。個室があるって聞こえたからそこ行ってみるといないしよお。まあちょっと付き合えや」
いつの間に移動したのか、既に現の目の前にいた男が、現の肩をポンと叩く。
しかし現はそれを跳ね除けて言った。
「だから、誰なんですか?」
屋上に涼しい風が吹く。
しばしの沈黙のあと、男は口角を上げ、
「が、はっ……!」
思い切り現の鳩尾に拳を沈めた。
それは現の意識を一瞬で奪うのに事足りていて、現は膝から地面に崩れ落ちた。
「高色さ──」
「おう、嬢ちゃん。悪いが、静かにしといてくれよ。ちゃんと後で返すから。それまではこいつの部屋で待っててくれよな」
男は倒れる現をひょいと担ぎ上げ、どこかへ行こうとする。
「ま、待ってください。その、そんなに、酷いことをしないで……ください……」
「どうした、こいつのことがそんなに心配か? 心配するな。死にはしないさ、多分な」
男はエレベーターの扉の横にある、下向きの矢印が描かれたボタンを押す。
それは存外、早く到着した。
「あ、あの。結局あなたは誰……なんですか?」
小百合が恐る恐る、無機質な声で訪ねる。
その顔にはなおも焦りや恐怖はない。
男はエレベーターに乗り込むと懐から何かを取り出し、小百合の方へと放った。
「……自分達の上司の名前くらい、覚えてるもんだぜ」
閉まりゆく扉の内側で、男は不敵な笑みを浮かべた。
完全に閉まったのを確認したあと、小百合は手元に投げられたものに目を向ける。
それはネームプレートのようなもので、自分も、この研究室にいる者ならば誰しもが持っているものと同じものだった。
『賀澤 雄三
階級:少将』
それには確かにこう書かれていた。
1か月1投稿は甘え←




