第十六話 瑛斗の過去Ⅱ
俺はいつも、車椅子の明凛のために明凛の学校に寄って一緒に帰ることにしていた。俺達の学校は割と近く、特に苦に感じることは何もなかった。
だから俺は今、明凛の学校にいた。
帰宅を始めた生徒たちははじめ、違う制服を着ていた俺を不審な目で見ていたが今はもう慣れたのか気にする様子もない。今でも時折刺さる女子達の視線を除けば、だが。
そんな放課後の様子を見ながら、1つ思うことがあった。
今日、いつもより明凛が出てくるのが遅いな。
そう思いながらかれこれ三十分経っていた。
急かすのは好きではないのだが何か不安だし、待っているのだから明凛の友達に状況確認するくらいはいいだろう。そう思っていつも明凛と話している友達を2人ほど見かけたので声をかけた。
「ねえ、君たち、今日明凛いつもより遅いんだけど何か知らないかな?」
その女の子たちは瑛斗に話しかけられた直後は嬉しそうな反応を示したが、質問の内容がおかしかったのか、不思議そうに言った。
「? 明凛ならとっくに帰りましたけど?」
「え……? じゃあどっか寄ってくとか、なんか言ってなかった?」
車椅子でどこに行けるわけでもないのだが。
この周辺で明凛が行きそうな所なんて分からない。そもそも明凛がどこかへ行くなんて想像もできない。いつも家にいるからだ。
でも、そうだよな。車椅子だからいって、外に出ないわけじゃない。もっと明凛のこと見とくべきだったかな……
その2人は困っている瑛斗を見て、こそこそと話し合った後、
「私達が言ったってこと、秘密ですからね」
と言い、話し始めた。
「実は明凛、クラスの中でも質の悪い奴らからいじめにあってて。私たちはしてないですよ?
でも、どんなにやられても、明凛いつも笑顔だから、そいつらも腹立ったみたいで。今日そいつらが殺気立ってたからもしかして……」
「……ッ! 分かった、ありがとう!」
衝撃の事実を耳にして、瑛斗は腹を立てると同時に焦りを感じていた。
もしそうだとしたら一体どこへ行ったんだろうか。
全速力で下校している生徒たちの間を駆け抜けていった。
気が付けば日が落ちかけていた。散々いろんな場所を駆け回った後たどり着いたのは雑草生い茂る川原だった。
「明凛、どこだ明凛!」
叫び続けたせいか声が掠れ気味なのが自分でも分かる。
「おーい、あか……ッ!」
俺は明凛を呼ぶ声を止めた。橋の下の見えにくい場所に、6、7人の学生が輪を作り、その中心にいる1人と言い争っているのが小さく見えたからだ。しかしそこにいるのはまさに明凛ではないか。
リーダー格の生徒が何か命令したようで、その学生の内の一人が明凛の車椅子の取手を持ち、明凛ごと川の方へ押していく。そして川へ落ちるか落ないかという場所でその歩みを止めた。
何をするつもりなんだ?
俺は走る足を少し遅め、目を細めた。
すると次の瞬間、明凛が必死で何かを訴えているにも関わらずその学生は持っている取手をパッと手放し、必然的に車椅子は川へと落ちた。岸にいる学生達から笑い声が起こる。
俺の頭は真っ白になり、ただがむしゃらにその場へと走った。
「おい、あれ佐々の兄貴じゃね?」「おい、皆、逃げるぞ」
俺は声が掠れているのを忘れ、大声を発しながら走っていった。そのせいか生徒達は一瞬で気付き、四散した。
そんなことには目もくれず、川へと落とされた明凛の元へと走っていき、すぐに川からすくい上げた。
幸い明凛は、服こそびしょ濡れだったが体はなんともなかった。
その様子を見て安心して、思わず明凛を抱きしめてしまった。
「どうしたの? お兄ちゃん」
「……」
首を傾げながら聞いてきた明凛の質問に無言を返す。
「ありがとう、お兄ちゃん。助けてくれて」
明凛はいつもどおりの笑顔で助けてもらったお礼を言う。
「なあ明凛...…なんでお前、今笑ってるんだ?」
瑛斗のその質問にも明凛は笑顔のまま答える。
「辛いときや悲しい時こそ笑いなさい」
「?」
「昔、もう死んじゃったお母さんが言ってくれた言葉なの」
「そう…なのか……」
「うん! 笑ってるとね、どんなに嫌なことがあってもいつかは絶対に幸せになれるんだって!」
「そうか。だから、いつも笑顔なんだな」
「そう。だからね、今回のことも……」
今回ってことは今までもあったんだな、こんなことや、もしかするとそれ以上のことが。きっと、俺達と会う前にも。他人よりもそういう機会が多いだろう明凛はその度にこうして自分の気持ちを塞ぎ込んで、無理して笑ってたのか。
そう思うと明凛をさらに強く抱きしめないわけにはいかなかった。
「もう、痛いよ、お兄ちゃん」
「それってさ」
「ん?」
「泣いちゃいけないってことじゃないんじゃないか? こういう時はさ、泣いてもいいと思うぞ」
「でも、お母さんが、笑えって……強くありなさいって……」
明凛は動揺しているのか、声が震える。
「家族の前でくらい、俺の前でくらい泣いたっていいだろ。今まで辛かったろ。でも、もう我慢する必要もない、強くある必要もないんだよ。安心しろ。俺が明凛を守ってやるから……!」
「……ッ! あれ、なんか涙が。
お兄、ちゃ……」
明凛が自分よりも大きな体の中に頭を埋め、塞ぎ込んでいたものを全て吐き出すように泣いている間、明凛もまた、俺を強く抱きしめ返していた。
しばらく明凛が泣いたあと、泣き止むまで俺は胸を貸していた。車椅子を川からすくい上げ、明凛を乗せて帰る頃にはすっかり日が暮れていた。
「ごめんねお兄ちゃん。服、濡れちゃって。」
瑛斗は川の水でズボンが濡れ、明凛の涙で制服のYシャツが濡れていた。
「別にいいさ、これくらい。そんなことより、明凛は大丈夫か? 寒くないか?」
「うん、私は大丈夫! でも、ちょっと眠い、かも……帰るまで寝てもいい?」
「ああ、おやすみ」
泣きつかれたのかさっきから眠たそうにしていたし、何より妹が初めて甘えてきたんだ、応えてやらないわけがない。それに、寝るってことは完全に信用してくれてるってことだからな。むしろ喜ばしいことだ。
すぐに寝てしまった明凛の顔を暗闇の中で見据えながら、帰路をたどっていった。
家につくと、父が既に帰っていたようで電気がついていて明るかった。
車椅子を家の前に置き、明凛を背負って玄関を開ける。
「ただいまー」
「おう、おかえりー……ってその格好、どうしたんだお前ら」
「それは後で説明するからとりあえず明凛を風呂に入れさせよう。ほら、明凛、家についたぞ」
「んあ……
あ、本当だ。ありがとうお兄ちゃん」
「明凛、先に風呂に入ってきなさい。そのままでは風邪を引いてしまう」
「はーい」
そして俺は風呂場まで明凛を運んだあと親父が待っているリビングへと向かった。
「それで、どうしたんだ」
机の反対側にどっしりと構えた親父から当然の質問が飛んでくる。
「あまり言いたくはないというか俺の口から言っていいものなのか……」
こういうのは本人からすると言って欲しくないことだろうし、俺が言うことでもないだろう。
「どういうことだ?」
「私、いじめられてたの」
「!?」
開いたドアの前で明凛は座っていた。明凛が通ってきた廊下は少し湿っているようだったので、おそらく足を引きずりながらここまできたことが伺がえる。
「明凛...風呂入ったんじゃ」
「どうせこんな話してると思ってたんだ。お兄ちゃん優しいからきっと何も言わないんだろうなと思ったんで言いにきたよ」
明凛は地べたに座ったまま話す。
「なるほどな、そういうことか。お前たちが濡れているのも、あとは大体察しがつく。明凛、転校したいならさせてやるが、どうする?」
「ううん、私転校しないよ。今転校したら負けるみたいで嫌だもん。明日、自分でなんとかしてみる」
明凛が目に力を込めて言う。
「そうか。明凛は強いな。でもまたこんなことがあったらどうする?」
父が声を太くして聞いてくる。態度には出さないものの内心思うことがあったのだろう。
「それは……」
そんな親父の問いに明凛は顔を曇らせた。確かに、今回のことは俺が助けに来られたからいいものの、明凛一人ではどうしようもできないことだった。一人の力で、まして車椅子に乗っている明凛に出来ることなど限られている。でも、そんな明凛が勇気を出して言っているのだ。兄である俺が助けてやらないわけもないだろう。
困っている明凛のかわりに俺は口を開いた。
「俺が明凛を守るよ」
その言葉に明凛だけでなく、親父も驚いた顔をしていた。
「お前、そりゃ中学の間は学校が近いからいいけどな、高校はどうするつもりだ?」
「同じ学校に行けばいい話だろ」
「それは確かに安心出来るが、なあ?」
「そうだよ、悪いよお兄ちゃん」
「違うよ明凛。俺がそうしたいんだ」
「……お前、ちゃんと意味分かって言ってんだろうな?」
「ああ、俺の時間が減るとか言いたいんだろ? でも俺別にいいんだ。親父がいて、明凛がいて、皆で笑ってる。そんな時間が何よりも楽しいから。だから明凛には笑っていて欲しい。嫌な思いは絶対にさせたくないんだ」
普段なら言わないような言葉も何故か今はすらすらと出てくる。
「はあ……ちゃんと覚悟はあるんだな? じゃあ、俺の目が届かないときは瑛斗、お前に明凛を任せるぞ?」
「ああ、任せろ。明凛も大船に乗ったつもりでな」
「ふふ、分かってるよ。よろしくお願いします、お兄
ちゃん」
こうして、無事明凛の今後が話し合って決まった。その後の食事の時、今日も談笑する声が家の中に響くのだった。
もう更新は大体週一ペースですね