第十五話 瑛斗の過去Ⅰ
黒間の話を聞いた春士達四人の間で沈黙が流れる。
はっきり言って衝撃だった。
なるほど、道理でアルターを前にすると人が変わるわけだ、とそう思った。
皆が黙っている中、はじめに沈黙を破ったのは瑛斗だった。
「でも、そっから5年、か? どうやって生きてきたんだ?」
黒間は思ったよりあっさりと答えた。
「それが、あんまり覚えてないんだよ。気を失って次に目が覚めたら、コンビニかどこかで食べ物を調達したのか分からないけど、お腹も満たされていて、不思議なことに見渡す限り周囲1kmはアルターもいなかったからね。そんな感じだったから九州を過ぎたのは割と最近なんだよ」
瑛斗がまた質問する。瑛斗以外は皆黙っているままだった。
だが瑛斗は、
「……お前はそれでいいのか?」
「え? 何が?」
「飯を食べるのも、アルターを殺すのも全て無意識で、気がついたら終わってて。それじゃあ最後には、お前にはなにも無くなってしまうんじゃないか?」
淡然として黒間は答える。まるでそのことが当然のことであるかのように。
「だってそれ以外に僕がやりたいことも出来ることもないからね。それに、それだけでアルターを殺せるのなら僕は満足だよ」
その質問に対して瑛斗は何も言えなかった。
そしてそれを最後に会話は止まった。
食堂には残された数人の夕食を食べる音が静かに反響するだけだった。
話はその次の日の朝に戻る。
春士と同じように、黒間の話を聞いた四人は気分を切り替えることができず訓練もまるで手についていなかった。体力付け含む基礎訓練では風越に、もっと集中しろ、と注意され、弾入れではミスを連発し装填の流れすらスムーズに行えない場面も見られた。
そんな様子で1日を過ごし、その日の夜、皆が寝静まった時のことだった。
誰かの話し声で目が覚めた春士は起きて、その声が聞こえる方へと耳を傾けていった。
その声はちょうど春士達の部屋からドア越しに聞こえていた。
「……」
「……」
ドアの向こうから聞こえた声の種類で2人いるということは分かったが一体誰が何を話しているのかまではよく聞こえない。春士はドアに耳を当て、より注意深く二人の会話に聞き耳を立てた。
「……でな、やっぱり俺お前に言っておきたいことがあるんだよ」
(この声は……瑛斗か。声質からしてもう一人は黒間だろう。しかし、こんな夜更けに何の用だ?)
「昨日のお前の話を聞いて1日考えた結果だ。
春士、聞いてるんだろ? お前もついでに聞いてくれ」
完璧と思っていた盗み聞きは実はばれており、一瞬焦ったがすぐさま外面を取り繕った。
「どうやらバレてたみたいだな。ならその言葉に甘えさせてもらうとしよう」
春士はドアを開け瑛斗と黒間の前に姿を現し言った。
「それで、話って何だ」
「それは昨日の黒間と似たような話だ」
「ふむ、てことは昔のことか?」
「ああ。黒間の話を聞いた時、俺は不公平だと思ってな、俺も言っておこうと思ったんだ。それに、何より俺はある言葉で救われたことを、言いたくて。まあ本人が聞くつもりないなら別だけどな」
「……いや、聞くよ」
その言葉を聞いて安心したように頷き、瑛斗は話し始めた。
「そうか...…
俺には昔、夢があったんだ。
今はもう叶うことのない夢だが。
今の俺を見ていたら想像出来ないだろうな。
医者の1人息子だったせいかは知らないが、周囲と感覚がずれててな、小学校も中学校もクラスに馴染めないでいたんだ。
俺に妹が出来たのはそんな中学生のときだった──
「おい瑛斗、この子、明日からお前の妹だから」
いつも突然な父がいつにもまして突拍子もないことを言い出した。
「は!? どゆこと!?」
情けないがこれ以外に言う言葉が見つからない。冗談かと疑いたくなる父の言葉に、いつもはそんなに声を張らない俺もつい大きな声を出してしまった。
「いや、だからさ、この子明日から妹...…」
「じゃなくて、なんで妹になったっつー経緯だよ」
急に黒髪の、自分より1、2歳年下な可愛い女の子を妹にするとかいう訳の分からないことに対して説明を求める位の権利はあるだろう。
「それはだな、俺がたまにボランティアで孤児の面倒見てるの知ってるよな?そんである時ふと義務感みたいなものが芽生えたんだよ。この子を育てないと、っていうな。もとからすごくいい子だったんで引き取ってもいいかなとは思ってたんだわ。女の子の兄妹欲しいって言ってたよな?」
「いやいや、だとしても突然過ぎんだろ」
「まあまあ。もう決まったことだからさっさと腹くくって早く慣れることだな」
「はあ...…」
自分より協調性のない父親にほどほど呆れながら仕方ない、と言ってため息をついた。半ば強引に自分を納得させた。
「ほら自己紹介しなさい」
明日から妹になるらしい子が少し前に出る。
その子は車椅子に乗っていた。
「明凛って言います。明日からよろしくね、お兄ちゃん!」
車椅子の仕様状どうしても目上げられるようになってしまう。
なるほどな、親父が気に入るわけだ。
元気よく挨拶をしたその子の笑顔に押されてしまって、それ以上俺は何も言うつもりはなかった。
「ん? いや待て。なんで明日からなんだ?」
瑛斗は薄々感じていた疑問を口に出す。
「お前、それは手続きとか色々あるからだよ。一緒に暮らすのは今日からだけどな」
「なるほどな。なんか普通の理由だったわ」
「じゃ、まあそういうことだから仲良くやってくれ」
「はぁー、分かったよ。よろしくな明凛ちゃん」
「明凛でいいよお兄ちゃん」
この明凛という少女とは今日初めて会ったばかりのはずなのに、兄と呼ばれるのは不思議と嫌な感じはしなかった。
明凛が家に来て数週間が経った。
元々母親が他界していて、男2人だったので食事時も特に会話など無かったのだが明凛が来てからというもの雰囲気がガラッと変わり、食事時に関わらず家の中は賑やかになっていた。
ちなみに明凛は車椅子に乗っているため全般的に料理等家事が出来ないので担当を瑛斗と瑛斗の父とで決めることとなった。
料理担当はどちらがするか、という家族会議をした結果、明凛が俺を指名してきて親父がそれに便乗した。初め俺は前と同じようにインスタントですませようと言っていたのだが結局了承することになったのは、明凛に体に悪い、美味しくない、華がない、と様々な理由を挙げられ、何よりの決め手は、明凛が顔の前に両手を合わせ、目を瞑り、「お願い!お兄ちゃん!」と懇願するように言ってきた、ということがあったからだ。
俺が断れないのを知ってか知らずか渋々と承諾したのを見て、明凛はいつもの溢れんばかりの笑顔を見せた。
そういうことで、料理を始めてから大分日が経っていた。
「流石お兄ちゃん、また成長したんじゃない?」
そんなある日の夕食時、明凛が少し上目線気味に言ってきた。
「確かにな、こいつは美味い」
「そこまでじゃねーだろ」
あまりに周りが褒めてくるので、否定しつつも内心少し照れ臭かった。
「いやいや〜、お兄ちゃん本当に上手いよ! 料理美味しいから幸せ~」
「よかったなー瑛斗。もう料理人にでもなったらどうだ?」
「嫌だね。料理人とか興味ねーし」
このような、前では考えられなかった会話も今では日常茶飯な事となっていた。
この料理という新しい特技は学校でも発揮されることとなる。それはたまにある調理実習の時のことだった。その日は簡単にオムライスを作ろう、という内容の授業だったのだが、明凛が好きな食べ物なのでよく作っていた俺にとって、それは今更習うほどのことではなく、むしろ自分の十八番といってもいい料理だった。
調理が始まってすぐに慣れた手つきであっという間に完成させてしまった。自分で言うのもなんだがそのオムライスは有名な料理チェーン店と比べても、勝るとも劣らない完成度だったと思う。
それを見たクラスメイトたちは次々と賞賛の言葉を送ってきた。
「すげぇ!なんでこんなにふわふわにできるんだ?」「佐々君って料理出来たんだ。良く見たら顔もいいしもしかすると...…」「佐々のことあんま知らなかったけどこんな特技があったとは」
特別に作った気などないのだがここまで褒められると自分の特技の1つに数えてもいいかもしれない、とすっかりその気になってしまった。
この出来事は小さな出来事ではあるがこれをきっかけに俺を取り囲む環境が変わることとなる。 どことなく疎外感を覚えていた俺にとってクラスメイトに注目されるというのは新鮮な体験だった。
初めは乗り気ではなかったものの、料理することを勧めてくれた明凛に少しは感謝してもいいかな、と思った。
またしばらく経った頃には俺の生活習慣はすっかり変わっていた。
「じゃ友達と遊んでくるわ、行ってきます!」
帰ってくると、すぐに家を出て遊びに行くようになっていた。
「行ってらっしゃーい」
元気良く出かけていく俺を明凛は快く送り出してくれた。
「…...最近瑛斗変わったな。何か知らないか明凛?」
「知らなーい」
返事をした明凛は嬉しそうに笑う。
そんな親父と明凛の会話が聞こえた。
近頃は近場の公園で同級生たちとサッカーをすることが多くなっていた。
「おいパスいったぞー」「決めろ佐々!」
元々運動神経は高かった方なので、初めこそ人数合わせのデイフェンダーをやっていたのだがすぐにその身体能力が認められて、今やフォアードを担当しサッカーをするグループのエースのような存在になった。
仲間からの声援を受けて、目の前のボールを思いきり蹴り、相手のゴールへと打ち放った。ネットに食い込んだボールが地に落ちるより前に歓声が湧いた。
その後も活躍する場面は多々あったがそれは省略させてもらおう。試合は味方のチームが見事勝利した。
「やったな! 流石佐々だな!」「ハットトリック決めるとかサッカー部かよ!」
新しく出来た友人達との交流も早々に、俺は今日の夕飯を作るべく帰っていった。
また、学校の体育の時間に男子サッカーをしている時にグラウンドに飛び交う女子の声援が日に日に大きくなっていった。それがほとんど俺に向けられたものだということに気付いたのは少し経ってからだったのだが。
たまに手を振り返す度にその声はさらに大きくなり、それよりも点を決めた時がピークだったのは言うまでもない。
仲間にからかわれながらも終始試合のペースを握ってサッカーをするのは気持ちがよかった。
その日の放課後、帰ろうとした時、どこで試合を見ていたのかサッカー部の主将から声が掛かった。次の大会試合の助っ人をしてくれとのことだ。俺は、俺で良ければ、とこれを快く了承して帰り始めた。
簡単ですよね、オムライス。