第十四話 黒間の過去Ⅴ
「一体、どうなっ、てるの?」
しばらく走ったあと、息をきらしながら和也に聞いた。少しでもあれから離れようと、和也からは恐怖と焦りが伝わってきた。
「アルターだよ、お前も、ニュースで見たことくらい、あるだろ」
和也も一緒に走ったからなのかどこか苦しそうだ。いや、その前から走っていたからなのかむしろ和也の方が僕よりも辛そうだった。
「え、でもあれって一昨年に波照間島で見つかったばかりじゃ……」
「だが、断言出来る。お前がさっき触ろうとしてたあれ、あれもアルターだよ」
「ていうか、だとしても、なんで逃げてんの?」
何も知らない僕の質問に、少し間を置いたあと和也は何かを決意したような真剣な面持ちで言った。
「実はさっきお前待ってた時に俺、こうなっちゃったんだわ」
そう言うと和也は上着をめくって腹を見せてきた。胴体の3分の1は跡形もなく無くなっていて腸も飛び出している。その腸は破れ、中から血が吹き出していた。はっきり言ってなぜ生きているのか説明出来ないほどに。
「ど、どうしたのそのお腹」
「食われたんだよ、アルターに。地面からなんか出てきたと思ったら、いきなり食ってくるんだもんなぁ、やられたよ」
「よく……そんなので動け、うぷっ」
和也が服をめくったままにしておいたためにその腹の惨状に耐えられないで、たまらず胃の中に少し残っていたものまでも地面へと戻してしまった。
「悪い悪い。でも、吐くこと無いだろ?酷いな」
「これ見たら誰でもこうなるよ。痛く、ないの?」
「ああ、なんだか不思議と痛くないんだ」
「和也、それは良くない状態だね、すぐに救急車を……」
和也が僕の肩をつかんで静止し、首を横に振る。
「お前、この周りの音が聞こえない訳じゃないだろう?」
次第にそれまで聞こえない振りをしていた声が徐々に耳に入ってきた。そこかしこに鳴り響く悲鳴、叫び声。それらは疑いたくなるような現実を突きつけてくる。振り返って後ろを見ると、走ってきた道に引いてあった赤い絨毯が、どこかで夢だと思っていたかった和也の怪我さえも現実だということを僕に知らしめた。
「でも、それじゃあ和也は...…」
「いいんだよ俺は。それより早く彩音んとこ行くぞ。お前、あいつを守りたいんだろ? だったらもうこの町は危険だ。彩音を連れてどこか遠くへ避難するんだ」
「和也...…
分かったよ。でも、一悶着ついたらすぐに病院に行ってもらうからね。
鈴葉はこの時間ならまだ水泳部が終わったばかりで学校にいるはず……和也、急げる!?」
「ああ。、なんとか、な!」
そう言ってすぐさま僕と和也は走り出した。
怪我の程度からして和也が既に助かりそうにないことを充分に分かっていながら。
学校へのルートを走っていると、どこもアルターによって家の外壁を壊され瓦礫で道が塞がっていたり、巨大なスライムのようなものになっているアルター自身に道を塞がれたりしていた。
それでも、一刻も早く鈴葉の元へという一心で道を塞いでいた障害を越え、アルターのいた道は遠回りして、それでも鈴葉を助けたい一心で他のことは何も考えず走り抜け、学校に着いた。
それなのに、
「どうして、こんなにアルターが集中してるんだ!」
学校の正門はアルターの群れが出来上がっていた。その様子はまるで軍隊アリが餌に群がっているみたいだった。
「くそっ、仕方無い。遠回りだけど、裏門に行くしか...…」
和也に違うルートを提案しようとした。
しかしそう言った和也の方を見た瞬間、まだほんの少しだけ残されていた、和也が助かる可能性が完全に消えたことを理解して、僕は絶句し、声を失った。
「和也、
それ」
僕の視線に合わせて、和也も徐々に視線を下へとずらしていく。それが自分の腹部へと達した時に和也は自覚した。
「は、はは。なんだろな、これ」
和也は笑っていた。まるで絶望に対し、もはや笑うしかない、といった具合に。
和也の腹部はねっとりと動く禍々しい尖った物が貫いていた。それはわずかにつないでいた和也の命を刈り取るのに十分だった。
「和也...…」
「聞いてくれ唐月。菅生和也の最後の言葉だ」
「おい、どういうことだよ! 最後なんて…言うなよ……」
そうは言うものの腹部の惨劇が、そこから滴り落ちる血流が、もはや死は免れないということを主張していた。
「唐月。俺はお前と出会えて本当に良かった。2年とはいえ、短い人生経験とはいえ、お前ほど気の合うやつはこれからもいないと思えるほどに、な」
和也の顔は顔に影を帯び始めた
やめてよ……そんな、本当に分かってしまう。理解してしまう。受け止めなければならない。和也の死を。一番の、親友の死を。
「趣味もやっぱり似るもんだよなぁ。お前には黙ってたけど、俺も彩音のこと、好きだったんだぜ?」
知ってたよ。毎日一緒にいたんだから
「あぁ、一回は俺も彩音に告白しとくんだったわ」
和也の目から次第に涙がこぼれる。
僕もそれにつられて、いやそれよりも先に泣き出してしまった。
「おいおい、泣くなよ。こういう時は笑顔でっていう相場が決まってるだろ?」
「そう、だけど……」
和也は無理をして笑顔をつくっているのがわかる。
僕も頑張って笑顔を作ろうとする、
けど出来ない、出来るわけないよ。和也ぁ。
「なんやかんや言って短かったけど、お前と過ごせて楽しい2年間だった……彩音は絶対に助けろよな。じゃあな、唐月」
「かずっ──」
泣き顔を見せるわけにはいかないと俯いていた唐月が、次に頭をあげて和也を見たとき、そこにはもう親友の頭部はなく全身はアルターたちに貪られ、食われていた。
「はぁ、はぁ、鈴葉ぁ」
悲しみと恐怖で、震える足を無理やり奮い起こし、ただ走っていた。
これ以上誰も失いたくない!
何がなんでも鈴葉だけは守る!
その決意を胸に全速力で走っていた。
途中小さなアルターがいても無視し、速さで振り切った。
そしてなんとか裏門をくぐり抜け、プールの入口にまで着いた。
「鈴葉!」
鍵のかかった入口を蹴り破り、中へ入る。
そこはもうアルターの巣窟のようで、多くの水泳部員は既にアルターの餌となっていた。その光景はまさに地獄を顕現させたかのような、そんな印象を与える。
「鈴葉!!」
不安覚えながらも、もう一度彼女の名前を呼んだ。
「……」
しかし返事はない。
まさか、もう……
認めたくないものの、もしやと。諦め、心が崩れそうになったその時だった。
「唐月!」
聞きなれた幼馴染みの声が少し向こうから聞こえてくる。どうやら上手く隠れてやり過ごしていたようだ。
だが、地獄のような光景を目の当たりにして、鈴葉の足は震え、立つことすら出来そうになかった。
ホラー映画でさえ苦手な鈴葉にとって目の前の光景は現実と認識することすら難しかった。
「よかった鈴葉! 早くこっち来て!」
この気持ちが安堵なのか焦りなのかはもう分からない。ただ、今はなんとか大丈夫だが、なにせこの地獄絵図だ。すぐにもアルターが鈴葉を狙い、殺してしまうかもしれない。早くこの場を逃げよう、その気持ちの方が強く自分でもわかるほど焦っていた
「ちょっと、待って、腰が砕けちゃって」
「早く!」
唐月に急かされた鈴葉がよろよろとしながらなんとかして立ち上がる。
「ん……いけ、そう。」
「早く!」
「ッ!!!」
鈴葉が地面を蹴りあげる。その初速は水泳部で鍛えているだけあり、とても速かった。
「唐月!」
全速力で走ってきた鈴葉のスピードを止めようとした瞬間だった。
「え...?」
しかし次の瞬間僕の腕の中にいるはずの鈴葉はそこにはおらず、代わりに生暖かく深紅に染まった液体が指と指の間から流れ落ちていった。
と同時に顔に血飛沫が吹き付ける。
これ、なんの血だ?
どうなっているのか理解できないでいると、未だ空中に静止している鈴葉が声を発した。
「ごめん、ね、唐月。せっかく助けに来て、くれたのに。でも、私唐月が助けに来て、くれて嬉しかったよ」
鈴葉の顔は和也と同じような笑顔だった。
鈴葉の腹部も和也と同じようにアルターの触手が突き刺さっていた。
「ねえ、嘘だよね?鈴葉」
「聞いて。今朝……言いたかった、こと」
「鈴葉、そんなこと言わなくても今僕が助けるから」
必死で鈴葉を助けようともがいた。深くまで突き刺さったアルターの足だか触手だかは一向に抜けてくれる気配もない。
「ずっと喧嘩ばっかりだった、けど。唐月……私ね?」
それでも鈴葉は笑顔のまま続ける。
「話ならいつでも聞いてあげるよ。そうだ! 今朝あげたパスの遊園地にでも連れてってよ。どこかでおいしい昼ごはんでも食べながら聞くからさ!」
間もなく訪れようとしている現実から目を逸らすように舌をまくし立てた。そんな言葉を聞いてか聞かずか、なお鈴葉は喋ろうとする。
「ずっと、ずっと昔から、唐月のこと……」
しかしそういった鈴葉の声もかすれ、もう限界だった。
「やめて! 言っちゃだめだそんなこと!」
和也みたいに、いなくなっちゃいそうで……
唐月?
声になるかならないか程の大きさで僕の名前を読んで、鈴葉は僕の頭をそっと抱き寄せた。
「……」
鈴葉は最後の力を振り絞って、ボソボソと唐月の耳元で囁いた。そして、今までで一番の笑顔を見せ、
次の瞬間、空高く舞い上げられ、そのまま、アルターの巣窟へと投げ入れられた。
「鈴...葉...?」
昔からどんな時も一緒にいてそばにいてくれて
「鈴葉」
そんな鈴葉が昔からずっと好きだった。
「鈴葉ぁ」
もっと色んなことがしたかった。
遊んで、デートして、普通に過ごして。まだまだ、ずっと一緒にいたかったのに。
でもきっと誰よりもそう願っていた彼女は
もういなくなったのだ。
「鈴葉あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!
うわあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
目から大量の涙が溢れ出す。
泣いた。
泣きに泣いて泣き崩れた。
親友の和也を失い、ずっと思いを隠していた幼馴染みも目の前で失った。
ごめん和也。約束、守れずに。
ごめん鈴葉。こんなことなら今日無理してでも行くべきだったよ。
彼らとの思い出や後悔や悲しみがごちゃ混ぜになり、唐月の心を掻き乱す。
さっきまで普段通りだったじゃないか。
明日も学校で楽しく過ごすつもりだった。
放課後は鈴葉や和也と遊ぶつもりだった。
勉強もして、ずっと楽しく過ごすつもりだった。
そしていつかは、皆幸せになるはずだった。
でももう何もかもが出来なくなってしまった。
友達と遊ぶことも、日常を普通に過ごすことも、
鈴葉と、付き合うことも思いも伝えることも!
何でだ、何でこうなった。
あいつらだ。
あいつらがいきなり来たからだ。
殺す!
殺す!!
殺す!!!!
和也や鈴葉をこんな目に合わせたこいつらを生かしておけない。
殺すまで、終わらない。
唐月はその目的のために動くため、半ば強制的に心を閉ざした。
気がつくと、日はのぼり、朝日が差していた。
唐月の手には鈴葉がいつもつけていた髪留めが巻いてある。
唐月がふと足元を見ると、表札が見えたので手に取った。バラバラで、もはや原型も分からなかったがそれが自分の家のものだということだけは分かった。と同時に自分の親にはもう会えなくなったということも理解した。足元には見るも無惨な両親の死体が横たわっていたからだ。
枯れたはずの涙を搾り出すように、また泣いた。
半径1km圏内に積み上げられた全壊した家とアルターの死骸の中で、1人泣く唐月の姿が、そこにはあった。
しばらく更新が止まるかもしれませんが、あしからず