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短編置き場

恋敵は十歳年上の家庭教師でした。しかも私も憧れているので太刀打ちできません

作者: SUN3
掲載日:2026/05/29



十四歳の初夏、レイチェル・エヴァンスは学園の裏庭にある池のほとりで、幼馴染のロダン・ヴァルフォールへ告白した。


「ロダン、あなたのことが好きなの。私と、お付き合いしてください」


震える声だった。それでもレイチェルは、逃げることなくロダンを真っ直ぐ見つめていた。胸の前でぎゅっと握った両手が、小刻みに震えている。


断られるかもしれない。困らせてしまうかもしれない。けれど、それでも伝えたかった。ずっと好きだったから。


ロダンはそんなレイチェルを見つめ返し、ごくりと喉を鳴らした。何かを飲み込むように一度唇を結び、それから苦しそうに目を伏せる。


「……すまない」


その一言だけで、レイチェルには分かってしまった。


「僕は、エリー先生のことが好きなんだ。ずっと前から」


静かな声だったが、迷いはなかった。初恋を語る声だった。


少し間を置いて、ロダンはもう一度小さく言った。


「ごめん」


初夏の風が池の水面を揺らしていく。レイチェル・エヴァンスの初恋は、その日、静かに振られた。


◇◇◇


レイチェルの家のロビーでは、姉のクラリスを中心に、ロダンの妹リュシエンヌと弟ノエル、幼馴染のベアトリスが落ち着かない様子で待っていた。


やがて馬車が到着し、レイチェルがゆっくりと降りてくる。その目が赤く腫れているのを見た瞬間、全員が結果を察した。クラリスはロビーから飛び出し、玄関先まで駆け寄ると、そのままレイチェルを抱きしめた。


「レイチェル、よく頑張ったわ」


その優しい声を聞いた途端、張り詰めていたものが切れたように、レイチェルの目からまた涙が溢れる。


「ロダンは……エリー先生が好きだって。だから、ごめんって……」


掠れた声でそう言うと、クラリスは静かに頷いた。


「ええ、わかったわ」


それ以上は何も聞かなかった。


一行はそのまま応接室へ移動する。重たい空気の中、最初に口を開いたのはリュシエンヌだった。彼女は不機嫌そうに紅茶のカップをソーサーへ戻し、わざと音を立てる。


「エリー先生には恋人がいるのに、まだ諦めていなかったなんて!」


十三歳らしい率直な怒りだった。


クラリスは泣き続けるレイチェルの背中を優しく撫でながら、落ち着いた声で言う。


「まあ、ロダンがエリー先生を好きなのは昔から分かっていたことじゃない。仕方ないわよ」


するとベアトリスものんびりとした口調で続けた。


「でも、エリー先生ってアーネストさんと結婚の話も出ているでしょう? アーネストさん、立派な騎士様だし。さすがにロダンでも太刀打ちできないと思っていたのだけど。まだ未練があったのねえ」


ベアトリスに悪気はない。ただ思ったことをそのまま口にしているだけだ。


ノエルはそんな会話を黙って聞いていた。椅子の上でズボンをきゅっと握りしめ、小さな顔を歪めている。レイチェルが泣いているのを見るのがつらいのだろう。大きな目が今にも泣き出しそうに潤んでいた。


しばらくして、レイチェルはようやく涙を落ち着かせ、小さく息を吐く。


「私が悪いの。エリー先生の結婚話を聞いて、もうロダンも区切りがついているのかもしれないって、勝手に思い込んで……自分の気持ちをぶつけただけだったから」


自嘲するように笑ってから、俯いたまま続けた。


「もっとちゃんと、ロダンのことを知ってから告白するべきだったわ」


その言葉に、クラリスは呆れたように肩をすくめる。


「ロダンと私達なんて、母親同士が親友だから、生まれた時から一緒に育ったようなものじゃない。これ以上知るなんて無理よ」


そして少しだけ表情を和らげた。


「初恋は実らないって言うでしょう? レイチェルも、これでちゃんと区切りをつけて、次の恋へ向かえばいいのよ」


「まだ、すぐには、無理」


その時、ノエルは何かを決心した顔をしていた。


◇◇◇


ノエルとリュシエンヌは、重たい空気を引きずったままヴァルフォール家へ帰り着いた。当然、屋敷には長男のロダンがいる。


玄関で出迎えた使用人へ最低限の挨拶だけすると、リュシエンヌは不機嫌そうにスカートを翻し、そのまま自室へ引き上げてしまった。


一方のノエルは、その場に立ち尽くしていたロダンをじっと見上げる。普段なら真っ先に駆け寄るはずなのに、今日は違った。小さな顔に、子供なりの強い決意が浮かんでいる。


「ロダン兄様。話があるんだけど」


ロダンは末っ子のノエルに甘かった。だからこそ、その真剣な声色に少し驚きながらも、しゃがんで視線を合わせる。


「なんだ、ノエル」


するとノエルは唇をぎゅっと結び、それから一気に言葉を吐き出した。


「なんでレイチェル姉様を泣かせたんだよ!」


ロダンが目を見開く。


「兄様は、人の気持ちが分かってない! 兄様のバカ!」


それだけ叫ぶと、ノエルはくるりと背を向け、そのまま廊下を駆けて行った。小さな足音が遠ざかっていく。


ロダンは呆気に取られたまま、その場に立ち尽くしていた。


レイチェルが泣いた。


その事実を、今になって初めて実感したのだ。


あの時、レイチェルは震えていた。声も掠れていた。それでも真っ直ぐ自分を見て、「好きだ」と言ってくれた。


ロダンは深く息を吐き、額を押さえる。


自分には、あんな勇気はない。


好きな相手に気持ちを伝え、目の前で断られるかもしれない恐怖に耐えるなんて、自分には到底できそうになかった。


それなのにレイチェルは、逃げなかった。


そこまで考えて、胸の奥が妙にざわつく。


だが同時に、エリーにはアーネストがいる。二人が互いを大切に想っていることも知っていた。だからこそ、自分の恋は叶わないのだと理解している。


どうすれば、この気持ちに区切りをつけられるのだろう。


その夜、ロダンはなかなか眠ることができなかった。夜が更けるにつれ思考も深く沈み、気づけば窓の外が白み始めていた。


◇◇◇


数日後、ロダンは王都の騎士団詰所を訪れていた。


アーネストが夜勤明けの日中に休憩へ入ることを、以前エリーから聞いたことがあったのだ。


詰所の廊下で待っていると、やがて騎士服姿のアーネストが姿を現した。長時間勤務の疲れはあるはずなのに、その立ち姿は変わらず真っ直ぐで、ロダンは思わず背筋を伸ばす。


「アーネストさん。仕事明けのところ、すみません」


アーネストは少し驚いたように目を瞬かせ、それから穏やかに笑った。


「いや、構わないよ。エリーが家庭教師をしている、ロダン君だね。よく話は聞いている。歴史が好きで、教えがいがある子だって」


その言葉に胸が痛む。ロダンは一度深呼吸をしてから、真正面からアーネストを見た。


「僕は、エリー先生のことが好きです」


真っ直ぐ告げると、アーネストはわずかに目を見開いた。


ロダンは続ける。


「でも、僕じゃ先生を幸せにできません。だから、アーネストさん」


そこで一瞬だけ声が震えたが、それでも最後まで言い切った。


「エリー先生をお願いします。必ず、幸せにしてください」


アーネストはしばらく黙っていた。やがて真面目な顔になり、ゆっくりと頷く。


「……分かった。約束する。エリーを大切にして、幸せにするよ」


その返事を聞いた瞬間、ロダンは胸の奥に張り付いていたものが、少しだけ軽くなるのを感じた。


「よろしくお願いします。お疲れのところ、お邪魔しました」


頭を下げて立ち去ろうとするロダンの背を、アーネストは静かに見送る。


ロダンは、エリー本人へ告白するつもりはなかった。恋人のいる相手を困らせたくなかったし、自分の想いをぶつけることで、今の穏やかな関係を壊したくもなかった。


けれど、誰にも言わずに終わらせることもできなかった。


だからこそ彼は、エリーを一番大切に想っている相手へ、自分の初恋を託したのだった。


◇◇◇


告白を終えてからというもの、ロダンはどこか気が抜けたようになっていた。


もちろん、勉学に手を抜いたわけではない。学園の授業にも真面目に出席していたし、エリーの講義も以前と変わらず熱心に受けている。むしろ、周囲から見ればいつも通りだった。


けれど、一人になると胸の奥にぽっかり穴が空いたような感覚があった。


そして気づけば、レイチェルのことを思い出してしまう。


『ロダン、あなたのことが好きなの。私と、お付き合いしてください』


震える声だった。それでもレイチェルは逃げなかった。胸の前でぎゅっと握った両手を小さく震わせながら、それでも真っ直ぐロダンを見つめていた。


ロダンは深く息を吐く。


自分は結局、エリー本人には告白できなかった。


アーネストに想いを打ち明けるだけでも、あれほど緊張したのだ。心臓はうるさいほど鳴っていたし、途中で逃げ出したくもなった。


それなのにレイチェルは、自分へ真正面から気持ちを伝えてきた。


断られるかもしれないと分かっていながら。


そう考えるたび、胸の奥が妙にざわつく。


――すごいな。


素直にそう思った。


同時に、どうしてあんな風に真っ直ぐ想いを伝えられたのだろうとも考えてしまう。


ロダンは自覚していなかったが、既にかなりレイチェルを意識し始めていた。


そんなロダンを心配したのは、ノエルだった。


兄がぼんやりしている時間が増えたことに気づいていたし、一人で考え込んでいることも分かっていた。そこでノエルは、男の幼馴染達へ手紙を書いて助けを求めたのである。


呼ばれたのは、ベアトリスの兄であるヘンリーとエドワードだった。


十七歳のヘンリーは、子爵家の嫡男として領地経営を実地で学んでおり、多忙な日々を送っている。一方、十六歳のエドワードも、クラリスとの婚約が決まっており、入婿として伯爵家を継ぐため勉学に追われていた。


そんな二人だったが、ノエルからの「兄様が変なんだ」という必死な手紙を受け取り、時間を作ってヴァルフォール家へやって来たのだった。


応接室で紅茶を飲みながら、まずヘンリーが穏やかに口を開く。


「ロダン、元気がないんだって? どうしたんだい?」


ロダンは曖昧に唸る。


「うーん……」


するとエドワードが半ば呆れたように笑った。


「エリー先生と何かあったに決まってるだろ。どうせ振られたんだ」


その言葉にロダンは小さく首を振る。


「いや、アーネストさんに、エリー先生が好きだって告白した」


「は?」


ヘンリーから間の抜けた声が漏れた。


エドワードもさすがに表情を引き締める。


「……本人じゃなくて?」


「うん。アーネストさんに、先生を幸せにしてくださいって頼んできた。自分勝手だけど、どうしても気持ちに区切りをつけたかったから」


エドワードは呆れ半分、感心半分といった顔になる。


「まあ、エリー先生本人に言わなかったのは褒めてやるよ。……いや、アーネストさんも困っただろうけど」


「すごく真面目に聞いてくれた」


ロダンがそう言うと、ヘンリーはしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。


「よくやったと思うよ。勇気がいることだっただろう?」


ロダンは少しだけ目を伏せる。


「……怖かった」


その言葉に、ヘンリーは優しく笑った。


「なら尚更だ。ちゃんと前に進もうとしたんだろう? すぐには無理でも、少しずつ前を向けばいい」


「ありがとう」


ロダンは小さく息を吐いてから、隣に座っていたノエルを見る。


「ノエルも心配かけたな。二人を呼んでくれたの、お前だろう?」


突然話を振られたノエルは、びくりと肩を跳ねさせたあと、勢いよくロダンへ抱きついた。


「兄様ぁ……」


半泣きの声だった。


ロダンは困ったように笑いながら、弟の頭をゆっくり撫でた。


◇◇◇


学園の夏休みが明けた頃、エリーの結婚の日取りが正式に発表された。


礼節の授業の終わり際、エリーが少し照れたように笑いながら「この度、婚約者との結婚日が決まりました」と報告すると、教室は一瞬静まり返ったあと、すぐに祝福の声で溢れる。


「おめでとうございます!」


「アーネスト様とですよね?」


「素敵!」


女子生徒達は口々に盛り上がり、男子達もどこか気恥ずかしそうに拍手をしていた。


そんな中、レイチェルは静かに拍手をしながら、胸の奥が少しだけ苦しくなるのを感じていた。


ロダンの初恋が、本当に終わる。


そう実感してしまったのだ。


けれど不思議なことに、レイチェルはエリーを嫌いになれなかった。


むしろ、ますます尊敬してしまう。


エリーは職業婦人として自立しており、ロダン達の家庭教師を務めるほど歴史に詳しい。さらに学園では礼節の非常勤講師までしている。知識も教養もあり、それでいて堅苦しくない。


恋愛小説を読んで泣いてしまうような可愛らしい一面があることも、レイチェルは知っていた。


だからこそ嫌いになれない。


恋敵である以前に、憧れの女性だった。


その日以来、レイチェルは少しだけ髪型を変えた。エリーがよくしている編み込みを真似してみたり、香水も落ち着いた花の香りへ変えてみたりする。


もちろん、ロダンを意識していないわけではない。


けれど、それだけでもなかった。


放課後、鏡の前で髪を整えていたレイチェルへ、クラリスが少し呆れた顔で声をかける。


「自分を変えてまで好きになってもらおうとするのは、長続きしないわよ?」


レイチェルは鏡越しに姉を見ながら、小さく笑った。


「私もエリー先生が好きなの。ロダンだけが理由じゃないわ」


そう言ってから、少し恥ずかしそうに続ける。


「恋愛小説で泣いちゃうところなんて、私と同じで親近感があるし。仕事もできて、美人で、かっこよくて……憧れちゃうんだもの」


クラリスはその言葉を聞き、ふっと息を吐いた。


「……それならいいけど」


それ以上は何も言わなかった。


レイチェルがまだロダンを諦めきれていないことくらい、姉としてよく分かっていたからだ。


◇◇◇


一方で、ロダンはエリーの結婚を心の底から祝福できていた。


礼節の授業の後、エリーへ「おめでとうございます」と声をかけた時も、その言葉に嘘はなかった。


幸せになってほしい。


本当にそう思えたのだ。


もちろん、少し寂しさがないわけではない。けれど、それ以上に、初恋の相手が大切な人と幸せになることを嬉しく思えた。


そして今、ロダンの心を大きく占めているのは、もうエリーではなかった。


レイチェルだった。


気づけば、何度も思い出してしまう。


震える声。


真っ直ぐな瞳。


断られるかもしれないと分かっていながら、それでも逃げずに「好き」と言ってくれた姿。


ロダンは机に頬杖をつきながら、小さく息を吐く。


告白を断っておいて、今さら何を考えているんだ。


自分でもそう思う。


けれど、どうしても諦めきれなかった。


結局ロダンは、一人で悩み続けることに耐えられず、ヘンリーとエドワード、そしてノエルへ声をかけた。


放課後、ヴァルフォール家の応接室に集まった面々を前にしても、ロダンはなかなか切り出せない。


そんな空気を破ったのはエドワードだった。


「先に言っとくけど、まだエリー先生が忘れられないとかなら殴るからな」


冗談めかした口調だったが、半分は本気なのだろう。


ロダンは慌てて首を振った。


「違うんだ」


その声は思った以上に真剣だったらしく、エドワードも少し表情を改める。


ロダンはゆっくりと言葉を続けた。


「夏休み前に、レイチェルに告白された。その時はまだエリー先生が好きだったから断ったんだ」


そこまで言うと、ロダンは視線を落とす。


「でも、それからずっとレイチェルが気になってる。特に、アーネストさんに告白して区切りをつけてからは、レイチェルのことばかり考えてしまうんだ」


ヘンリーもエドワードも、茶化さずに黙って話を聞いていた。


「……でも、一度断ったのに、今さら自分から告白していいのか分からない」


その言葉に、最初に反応したのはヘンリーだった。


彼は腕を組みながら、真面目な顔で頷く。


「待て。それはかなりデリケートな問題だ」


ロダンが不安そうに顔を上げる。


「レイチェルがまだお前を好きならいい。でも、もし気持ちを切り替えて別の相手に興味が移っていたら、お前はただの迷惑な男になる」


「うっ……」


痛いところを突かれて、ロダンは呻いた。


するとエドワードも真剣な顔になる。


「だから、こういう時こそ根回しが大事なんだよ。断られる可能性が高い状態で突っ込むと、本当に気まずくなるぞ」


さすが既に婚約者持ちなだけあり、妙に現実的だった。


「クラリスに、それとなくレイチェルの好きな相手を聞いてみる」


「僕もリュシエンヌ姉様に聞いてきます!」


ノエルまで妙に真剣な顔で頷く。


ヘンリーも苦笑しながら肩をすくめた。


「じゃあ、私はベアトリスに探りを入れてみよう。妹同士の会話なら、何か分かるかもしれない」


三人が当たり前のように協力体制へ入っていくのを見て、ロダンはぽかんとしていた。


やがて、じわじわと胸の奥が温かくなる。


「……ありがとう」


自然とそんな言葉が漏れた。


「みんなに相談して、よかった」


◇◇◇


エドワードは、クラリスとのデートの帰り道で、それとなく話を切り出すことにした。


夕暮れの石畳を並んで歩きながら、何気ない口調を装って尋ねる。


「最近、レイチェルはどうだ? 元気にしてるか?」


するとクラリスは、じろりと婚約者を見上げた。


「何? 恋人とのデート中に、妹とはいえ他の女の子の名前を出されると、ちょっと嫉妬しちゃうかもしれないのだけど?」


「いやいや、違う違う」


エドワードは慌てて両手を振る。


「レイチェルに恋人がいるのか、聞いてほしいって頼まれてね」


クラリスはそこでようやく事情を察したらしく、呆れたように小さく笑った。


「いないわよ。まだ失恋中」


その声には少しだけ姉らしい心配が混じっていた。


「早く立ち直ってくれるといいのだけど」


エドワードは胸を撫で下ろす。


「……そうか」


そして小さく頷いた。


「じゃあ、そっとしておくように言っておくよ」


その表情を見たクラリスは、何となく全てを察しながらも、それ以上は追及しなかった。


◇◇◇


一方ノエルは、リュシエンヌへ一直線だった。


廊下で姉を見つけた瞬間、迷いなく駆け寄る。


「リュシエンヌ姉様!」


「なあに?」


「レイチェルお姉様は、まだロダン兄様を好きでしょうか!?」


あまりにも直球だった。


リュシエンヌは目を丸くする。


「ちょ、ちょっと、急に何?」


ノエルはしゅんと肩を落とした。


「やっぱり嫌いになっちゃったんですね……。あんなに泣いてたから……」


今にも泣きそうな顔をする弟を見て、リュシエンヌは慌てて抱き寄せる。


「違うわよ。女の子の恋心は繊細なの。もっと気を遣ってあげなさい」


「じゃあ、まだ好きかもしれないんですか?」


「そういうのは、ずけずけ聞いちゃ駄目なの。今度、私がそれとなく聞いてあげるから」


そして少しだけ真面目な顔になる。


「だからノエルは、絶対に直接聞いちゃ駄目よ?」


「はい!」


ノエルは元気よく頷いた。


「ありがとうございます、リュシエンヌ姉様!」


その素直さに、リュシエンヌは思わず苦笑する。


◇◇◇


ヘンリーは、ベアトリス相手にどう切り出すべきか真剣に悩んでいた。


思春期真っ最中の妹は、最近やたらと勘が鋭い。下手な聞き方をすれば、即座に警戒されるだろう。


だからこそ、応接間で二人きりになった瞬間を狙い、できる限り自然を装って口を開く。


「ベアトリス、学園で恋人はできたのかな?」


するとベアトリスは露骨に嫌そうな顔をした。


「ヘンリー兄様。去年のゴタゴタで恋愛って面倒だなって思ってしまったの。もうしばらく一人でいたいわ」


「……ああ、確かにあれは大変だった」


ヘンリーも苦笑する。


「あの件、僕が間に入っても、しばらく付きまとわれていたしね」


「でしょう?」


そこでヘンリーは、さりげなく方向を変えた。


「それなら、レイチェルも恋人は作らない感じかい?」


ベアトリスの目がじっと兄を見る。


「……どうしてレイチェルの話になるの?」


「いや、ちょっと君達の恋愛事情に興味が湧いただけだよ」


「そう」


ベアトリスは紅茶を一口飲んでから、きっぱり言った。


「探られるのって、あんまり気分良くないわ」


その一言で、ヘンリーは完全に敗北を悟った。


「……すまない」


どうやら、ベアトリス経由の情報収集は諦めた方が良さそうだった。


◇◇◇


数日後、クラリスはいつもの顔ぶれでお茶会を開いた。


集まったのは妹のレイチェル、幼馴染のリュシエンヌとベアトリス。気心の知れた、いつもの女子会だった。


紅茶が配られ、一息ついたところで、クラリスがリュシエンヌへ声をかける。


「今日はノエルが一緒じゃないのね。あの子、おとなしいし、連れて来ても気にしないのに」


するとリュシエンヌは、どこか気まずそうに視線を逸らした。


「今日はちょっと事情があって……」


その瞬間、ベアトリスが「あっ」と声を上げる。


「レイチェルの恋バナをするから?」


「えっ、なんで分かったの!?」


リュシエンヌが本気で驚く。


ベアトリスは呆れたように肩をすくめた。


「うちの兄が、ものすごく不自然な聞き方でレイチェルの恋愛事情を探ってきたのよ。クラリスも何か心当たりない?」


「エドワードに、レイチェルに恋人がいるか聞かれたわ」


その答えに、ベアトリスは「やっぱり」と頷いた。


「その三人の共通の知り合いって言ったら、一人しかいないじゃない」


レイチェルは話についていけず、きょとんとしている。


「え……?」


ベアトリスはそんな彼女を見ながら、わざとゆっくり言った。


「今さらだけど、ロダンがレイチェルを気にしてるんじゃない?」


レイチェルの顔が一瞬で真っ赤になる。


「えっ!? そ、そんな……!」


しどろもどろになりながら、必死に言葉を探す。


「わ、私、まだロダンのこと……その……だから、もし別の人なら、お気持ちには応えられないというか……」


「だからロダンでしょうって言ってるの」


ベアトリスは呆れたようにため息をついた。


「でも私は、一回振っておいて今さらって感じ、しかも、エリー先生の結婚話を聞いてからって言うのが、普通に引っぱたきたいわよ」


その言葉に、クラリスが静かに首を振る。


「ロダンはそんな軽い子じゃないわ。あの子、真面目だもの」


ベアトリスも少し考え込んでから、小さく肩をすくめた。


「……まあ、それはそうね。そんな無神経なタイプじゃなかったわ」


そして真剣な顔になる。


「でも、レイチェルからもう一回告白するのは絶対反対」


「同感だわ」


クラリスも頷く。


リュシエンヌはいたたまれなさそうに、小さく頭を下げた。


「なんだか、うちの兄がごめんなさい……」


「まだ全部推測でしょう?」


クラリスはレイチェルを見つめる。


「だから、あまり期待しすぎないこと。分かった?」


「……う、うん」


レイチェルは胸の前でカップを握りしめながら、小さく頷いた。


けれどその胸は、少しだけ苦しくて、少しだけ温かかった。


女子会の恋話は、まだまだ終わりそうになかった。


◇◇◇


ロダンの元へ、立て続けに手紙が届いた。


最初はヘンリーからだった。


『ベアトリス経由の情報収集は失敗した。妹という生き物は、思春期になると兄へ厳しい』


真面目な文面なのに、どこか疲労感が滲み出ていて、ロダンは少しだけ笑ってしまう。


続いて届いたのはエドワードからの手紙だった。


『レイチェルに恋人はいない。まだ失恋中らしい』


その一文を読んだ瞬間、ロダンの胸が強く跳ねた。


まだ、自分を好きでいてくれるかもしれない。


その可能性だけで、どうしようもなく嬉しかった。


そして、その日の午後。


最後にやって来たのはノエルだった。


勢いよく部屋へ飛び込んできたかと思うと、満面の笑みで叫ぶ。


「リュシエンヌ姉様が、ロダン兄様が告白したら可能性あるって言ってました! 兄様、頑張って!」


あまりにも豪速球だった。


ロダンは頭を抱える。


まず、ノエルへ「デリカシー」というものを教えなければならないかもしれない。


◇◇◇


それから一週間後。


ロダンは、学園の裏庭にある池のそばへレイチェルを呼び出していた。


自分が彼女を振った場所だった。


もっと他に場所はなかったのか、とロダン自身も思う。けれど、人目につかず、二人で落ち着いて話せる場所を考えると、どうしてもここしか浮かばなかった。


せめてもう少し、ロマンチックな場所を選べばよかった。


そんな後悔をしながら、ロダンは池の水面を見つめる。


心臓がうるさい。


手のひらにはじっとり汗が滲んでいた。


やがて、小さな足音が近づいてくる。


顔を上げると、レイチェルが一人でこちらへ歩いてきていた。


その姿を見ただけで、胸が苦しくなる。


レイチェルもまた、頬を赤く染め、どこか落ち着かない様子だった。視線が何度も揺れ、明らかに緊張している。


自分と同じだ。


そう思った瞬間、不思議と少しだけ勇気が出た。


ロダンは息を吸い込む。


「レイチェル、来てくれてありがとう」


声が少し掠れた。


レイチェルは小さく頷きながら、「うん」と返事をする。


沈黙が落ちる。


逃げるな、とロダンは自分へ言い聞かせた。


レイチェルは、あの日ちゃんと伝えてくれたのだから。


なら、自分も逃げたくない。


ロダンは真っ直ぐレイチェルを見る。


「レイチェル。君のことが好きなんだ」


喉が震えた。


それでも最後まで言い切る。


「僕と、付き合ってくれないか」


レイチェルの目が大きく見開かれる。


信じられないものを見るような顔だった。


やがて、その瞳がゆっくり潤み、彼女は小さな声で答える。


「……はい」


それだけで、ロダンの胸の奥が熱くなった。


「ありがとう」


思わず笑みが零れる。


そしてロダンは、少し申し訳なさそうに目を伏せた。


「この前は断って、ごめん」


するとレイチェルは、少しだけ困ったように笑う。


「……許してあげる」


それから照れくさそうに続けた。


「私も、エリー先生に憧れてるから」


二人は手を繋いで校舎へ向かった。


初夏に振られた池のほとりで、秋にはじめて、二人は同じ気持ちで並んで歩き出した。

数ある作品の中から本作をお選びいただき、最後までお読みくださりありがとうございました。貴重なお時間に感謝いたします。


ブックマークやリアクション、星⭐︎評価をもらえると、はげみになります。


すみません、好きなキャラ名だけ感想に書いてもらえると嬉しいです。


ノエルが人気出ると友達に言われて気になったので。

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