瀬戸口宗兵衛の計らいと消えた吹雪
「とにかく相手の真意を確かめなけりゃ話は進まねえ」と遊郭の海老屋に乗り込もうとする瀬戸口宗兵衛を引き止め、寺坂源九郎は自ら遊郭の海老屋に足を運んでいた。
海老屋に入り番頭と思われる男に「吹雪」の名前を告げると、少し待たされて吹雪の持ち部屋に通された。
ふすまを開けると女が一人「吹雪でございます、本日は御用にあずかりありがとういたします」と両手を付いてお辞儀をして来た。
「そなたが吹雪殿ですか」寺坂源九郎の問いかけに吹雪が顔を上げると寺坂源九郎は吹雪を凝視した。
「あの、どうかなされましたか」
「これはとんだ無礼を、その緊張致しまして、この様な所は初めてでしてな」
「さようですか、私も緊張しております、でも優しそうな方でよかった」吹雪は袖で口元を隠し目を細めた。
すぐにお膳が運ばれて来た。
寺坂源九郎は吹雪にお酌をしてもらい色々と他愛ない話をしながらそれとなく探りを入れたりしたが、そのうち口数が少なくなりとうとう黙りこくってしまった。
「あの、私がお気に召しませんでしたか」と吹雪が不安げに問いかけて来た。
「これはすまぬ、つい考え事をしてしまった」と寺坂源九郎は盃の酒を飲みほすと、また黙ってしまった。
吹雪は寺坂源九郎の様子に少し止まどいはしたが、お酌をしながら仲の良い遊女の話や他の客から聞いた他愛のない話を寺坂源九郎に聞かせてくれた。
そのうち寺坂源九郎の口が緩み笑みがこぼれた。
それを見た吹雪は立ち上がるとふすまを開いた。
布団が敷いてあり「それではそろそろ」と吹雪は身振りで寺坂源九郎を寝床に誘った。
「いや、それには及びません」と寺坂源九郎は膝を正した。
そして「失礼をお詫び致します、私は寺坂喜三郎の父親で寺坂源九朗と申します」と身分を明かした。
吹雪は瞠目したが「知らぬこととはいえご無礼を致しました」と両手をつき頭を下げた。
寺坂源九郎は吹雪に率直に問いかけた「喜三郎はあなたを妻に迎えたいと言っております、あなたは喜三郎と夫婦に成りたいと思っておられるのですか、今日はそれを確かめにまいったのです」
吹雪はゆっくりと顔を上げ「喜三郎様のお父様でしたのですね、お会いできてうれしく思います」嬉しげに微笑んだ。
だがその微笑みはすぐに消えた。
吹雪は寝床を見ながら「ご心配をおかけして申し訳ありません、私はこのような女ですので喜三郎様へ嫁ぐことは出来ません、喜三郎様にはお父様からそうお伝え下さい」と言った。
潔い吹雪の言葉に「かまわないのですか」と寺坂源九郎は念を押した。
「喜三郎様から親一人子一人と聞いておりましたが、お顔が見れて本当に嬉しく思います、喜三郎様の為にもいつまでもお元気でいらして下さい」
そう言うと吹雪は再び目を細め微笑み、そして両手を付いて頭を下げた、その時「吹雪の瞳から流れた一筋の涙」を寺坂源九郎は見逃さなかった。
そして、吹雪は再び顔を上げることはなく、寺坂源九郎は静かに吹雪の持ち部屋をあとにした。
寺坂源九郎はとぼとぼと吹雪の持ち部屋から出てきた、本来なら客が帰る時には相手をした遊女が見送りに付いてくるのだが源九郎は一人であった。
店の者が「なにか粗相があったのでしょうか」と心配して聞いてきた。
寺坂源九郎は「実は私はあっちの方がもう役に立たんのだが、吹雪殿の話をきいて吹雪殿ならと思ってきてみたがやはりいかんかった」そう(出まかせを)呟いた。
「まあ何と申しますか・・・」返答に困った店の者に寺坂源九郎は「だが心根の優しい良い娘で有った、今度来るときには何か土産を持ってきたい、吹雪殿の好みを教えて下さらぬか」と問いかけた。
寺坂源九郎の言葉に安堵した店の者は親切に受け答えをしてくれ、結果として源九郎は吹雪の生い立ちや遊女と成った経緯などいろいろと聞き出すことに成功したのであった。
寺坂源九朗は遊郭の海老屋を出るとその足で六ツ門の一品屋に向かった。
のれんをくぐり瀬戸口宗兵衛を見つけると「いつぞやの話進めてくれ」そう一言いうと断りも無しに二階に上がり込んでしまった。
「腹を決めたか」瀬戸口宗兵衛がつぶやくとお菊が怪訝な顔で二階に目を向けた。
「お前さん良いんですか」お菊も宗兵衛から喜三郎と吹雪の話は聞いている。
「ああ良いんだ、あいつは今日、腹を決めに行って来たんだ」
寺坂源九朗が二階に上がり込んで程なくしてから瀬戸口宗兵衛がお盆を持って上がってきた。
冷酒とだし巻き玉子が乗っていた。
寺坂源九朗はだし巻き玉子見ると「お菊さんか」とつぶやいた。
お菊とお春は姉妹なのであるから味付けが似ていて当然なのだが、寺坂源九朗に言わせると「これだけはどちらが作ったか見分けが付かぬ」らしい。
寺坂源九朗はだし巻き玉子をほおばりながら「お前の言うとおりじゃった」と自ら口を開いた。
瀬戸口宗兵衛は何のことか分からなかったが取り合えず「そうか」と相づちを打った。
しかし寺坂源九朗から次の言葉は出て来ない。
しびれを切らした瀬戸口宗兵衛が「で、どのような娘なんだ」と問いただした。
「遊郭に売られたくらいじゃからな、苦労をしてきた様じゃが少しもすれておらぬ優しい娘じゃった」
寺坂源九朗はだし巻き玉子をもう一口ほおばり、もごもごと「あの娘、ワシが喜三郎の父親だと身分を明かしたら目を細めて笑いよった、本当に嬉しそうにな」
寺坂源九朗は一つ深呼吸をすると「あの様な娘が幸せに成れるかと言うときに邪魔は出来ぬよ」とつぶやいた。
「そうか、では」と瀬戸口宗兵衛が詰め寄った。
寺坂源九朗は顔を上げて一度頷き、そして「こうなると、あの娘が嫁に来る日が楽しみに思えて来たわい」と笑った。
瀬戸口宗兵衛は「そうか、それは良かった」そう言うとかた膝を立て振り向き階段の下に向かって「お菊、酒と肴をじゃんじゃん持って来い、一番良い奴からだ」と叫んだ。
「この店は酒も肴も一品のみ、上も下もあるかい」と寺坂源九郎はつぶやいた。
◇ ◇ ◇
昼時を過ぎると一品屋は一旦のれんを仕舞う。
遅い昼飯と夜の準備のためだ。
寺坂喜三郎はその事を心得ていて用事がある時は決まってその時間に訪ねてくる。
「母上お久しぶりです」
瀬戸口宗兵衛に呼ばれて久しぶりに寺坂喜三郎は一品屋を訪れた。
「あら、喜三郎ちゃんご飯まだでしょう」お菊は早々に寺坂喜三郎の世話を焼き始めた。
瀬戸口宗兵衛の三番目の娘のお桂が奥から出てきて寺坂喜三郎の右横にドカリと腰を下ろした。
そして視線を合わせようとせぬ喜三郎の顔をのぞきこみながら「どんな人」「としはいくつ」「綺麗な人」と口早に吹雪の事を聞いてきた。
喜三郎はさらに視線を逃がし、お茶を濁すような返答をしていたがお盆をもったお菊が左側に回り込んできた。
お菊は笑顔で喜三郎の前に料理を並べると、ドカリと喜三郎の左横に腰をおろした。
喜三郎は二人のおなごに挟まれ逃げる事も出来ぬ。
お菊は神妙な顔で「喜三郎ちゃん吹雪さんてどんな人」「としはいくつ」「綺麗な人」とお桂と同じことを聞いてきた。
「吹雪さんて言うの、でもお母ちゃん、私が今話をしているんだから」とお桂。
「話は私がちゃんと聞きます、お前は黙ってなさい」とお菊はお桂を叱り付けたが「何言ってるのお母ちゃんたちには話せない事もあるでしょう、喜三郎は昔から私にだけは何でも話してくれたのよ」とお桂も負けはしない。
寺坂喜三郎は「そんな事は無いのだが」と心で思いはしたが当然口には出さぬ。
寺坂喜三郎は二人に挟まれ、親子喧嘩の合間に飛んでくる質問に、しばらくしどろもどろに受け答えをしていたがたまりかねて厨房にいる瀬戸口宗兵衛に視線を送った(伯父上、助けて下さい)
笑いながら宗兵衛が厨房から出てきた。
「二人ともいい加減にしろ、それじゃあ喜三郎が飯も食えねぇだろう」
「俺たちも飯にしようや、喜三郎も一人じゃ食べずらいだろうしな」
喜三郎は安堵した、そしてやっと箸に手を伸ばした。
寺坂喜三郎が食事を終え、一心地ついたのを見計らって宗兵衛が話を切り出した。
「喜三郎、吹雪さんとやらの年季が明けたらすぐ此処に連れてこい、分かったな」
◇ ◇ ◇
寺坂喜三郎は息を切らして吹雪のもとに向かっていた。
瀬戸口宗兵衛の計らいを吹雪に伝えるためである。
瀬戸口宗兵衛の計らいとは
「良いか喜三郎、吹雪さんの年季が明けたら、すぐに肥後国(今の熊本県)に連れていけ、吹雪さんを秀秋の養女にするのだ」
秀秋とは瀬戸口宗兵衛の従兄弟、喜三郎の従兄弟伯父にあたる加藤秀秋の事である、若いころ悪さの度が過ぎて親に勘当され瀬戸口宗兵衛の家に一年ほど居候していたのだが、今では勘当も解け肥後国熊本藩四代藩主である細川 宣紀の家臣として立派に加藤家を切り盛りしていた。
「秀秋殿ですかお懐かしい」女ばかりの瀬戸口宗兵衛の家で玩具にされていた寺坂喜三郎は加藤秀秋を兄のように慕っていた。
「吹雪さんを秀秋の養女にし、一年ほど花嫁修業をさせる、そしてほとぼりが冷めた所で肥後国の武家の娘として晴れてお前が娶る」「どうだ悪く有るまい」である。
もちろん寺坂喜三郎に異論はない。
「話は付けてある、秀秋にも源九郎にもだ」「お前の足なら秀秋の家まで5日ほどで行けるだろうが、女の足もあるし急ぐ必要もねえ、途中に良い温泉がいくらでもあるから二人でゆっくり秀秋の家へ向かえば良い」
瀬戸口宗兵衛の話が終わらないうちに「伯父上失礼します、吹雪に知らせてきます」寺坂喜三郎は店を飛び出だした。
「まて喜三郎」瀬戸口宗兵衛は寺坂喜三郎を引き留めると、お菊とお桂に見えぬ様に小判を一枚手渡した「ゆっくりして来な」そう言って寺坂喜三郎の背中をひっぱたいた。
寺坂喜三郎は顔を歪ませながら宗兵衛に頭を下げると吹雪のもとに走った。
時折流れてくる涙を着物の袖で拭きながら遊郭の海老屋に飛び込み「吹雪を呼んでください」と叫ぶと、奥から顔見知りの手代が現れ寺坂喜三郎を見据えた。
この手代は皆に「裕さん」と呼ばれている若い手代であるが遊女にも客にも信用が厚く、寺坂喜三郎とも親しかった。
この裕さんの口から信じられない言葉が放たれた
「寺坂様、吹雪姉さんは見受けされました」
「そんなバカな」寺坂喜三郎は血相をかえ吹雪の持ち部屋に走りふすまを開いたがそこに吹雪の姿は無かった。
その部屋はもぬけの殻であった。
遊郭の主人や手代の裕さんに事の成り行きを聞こうにも「他のお客様の事はお話できません」の一点張りでらちが明かない、そうこうしているうちに「他のお客様の迷惑になります」と店を追い出されてしまった。
寺坂喜三郎は途方にくれ、店の前を何度も行ったり来たりしていると「寺坂様、吹雪ちゃんを許してあげて」客引きの格子越しに一人の遊女が声をかけてきた。
その遊女を見た寺坂喜三郎はくるりと向き直り再び店の中に入っていった。
ちょうど居合わせた先ほどの手代の裕さんが「あの寺坂様まだ何か」困ったように聞いて来た。
それに対し寺坂喜三郎は何事もなかったように「吹雪が居ないのなら仕方ない、代わりに鈴葉をたのむ」そう言ってずかずかと店に上がり込んだ。
手代の裕さんは一旦は寺坂喜三郎を止めようとしたが、チラリと奥を見て小さくうなずくと「かしこ参りました」寺坂喜三郎を鈴葉の持ち部屋に案内してくれた。
「かたじけない」寺坂喜三郎は小声で礼を言った。
吹雪と鈴葉が親しかった事を当然手代の裕さんは知っている。
もちろん寺坂喜三郎と吹雪の間柄も心得ていた、それゆえ寺坂喜三郎の事を気の毒に思い鈴葉と合わせてくれたのである。
鈴葉の持ち部屋に通されると程なくして襖が開いた。
のぞき込む用に鈴葉が顔を出した「吹雪ちゃんに叱られちゃう」そう言って舌を出した。
鈴葉と言葉を交わした事はあまり無かったが、吹雪を介して二人は見知っていた。
この店で吹雪と一番仲が良かった鈴葉なら何か知っていると寺坂喜三郎は当たりをつけたのである。
◇ ◇ ◇
鈴葉の話によれば、吹雪は再び売られたのだ。
何でも、吹雪の年季がもうすぐ明けることを知っている父親が年季を伸ばすことを条件に海老屋に金の無心にきたらしいのだ。
だが御政道で遊女の年季は長くとも十年間、年齢は二十七歳までと決められている。
ただでさえ幕府に良く思われていない遊郭であるから法に背けばどのような処罰をうけるかわからない。
遊女に頼まれたなじみの客が番所に垂れ込むかもしれないし、良からぬ奴らに知られれば脅しをかけてくるかもしれないのだ。
海老屋は事情を説明して父親を追い返そうとしたが、そのとき父親の口から出た言葉が「ならば吹雪の妹を買ってくれ」である。
とんでもない話である、吹雪は妹や弟達のために身売りをしたのだ、それでは元も子もない。
それも断られると父親は「ここで買ってくれぬのなら他の店に買ってもらう」そう言って海老屋を飛び出そうとした。
吹雪は父親に抱きつき「辞めてください」と泣いてたのんでもみ合いになった。
その時そこにたまたま居合わせ、見かねたお客の「大阪屋辰吾郎」と言う人が吹雪を父親から買い取ったというのだ。
年季明けを前にして吹雪はやむなく見受けを承諾したと言う。
「吹雪は今どこに」
寺坂喜三郎の問いかけに鈴葉は黙って首を振った。
六ツ門が閉じられ町に静寂が帰って来た。
日は傾き一品屋がにぎわい瀬戸口家の人々はせわしなく働いていた。
「宗兵衛」常連客の一人がのれんの下から瀬戸口宗兵衛を手招きした。
瀬戸口宗兵衛が表に出てみると寺坂喜三郎が立ちすくんでいた。
「喜三郎どうした」宗兵衛が声をかけると「吹雪はもう居ませんでした」寺坂喜三郎はそう答えるとその場に崩れ落ちた。