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遊郭の遊女吹雪と六ツ門の一品屋

 寺坂喜三郎が吹雪と知り合ったのは弥太郎と出会う、丁度3年前である。


寺坂喜三郎は仕事柄ときおり取引先に接待をうけていたが、たまにはと取引先の主人に連れられて来たのが遊郭の海老屋であった。

このときに、たまたま喜三郎の相手をしてくれたのが「遊女の吹雪」であった。

 

 うぶな寺坂喜三郎が面白いのか吹雪は色々と楽しげに世話を焼いてくれた。

気が合うと言うか肌が合うと言うか寺坂喜三郎は一気に吹雪にのめり込んでしまった。

しかし下級武士の寺坂喜三郎にとって頻繁に遊郭を訪れる金などはない。

かと言って取引先のご主人に遊郭をおねだりする事も出来ず、わずかな小遣いや内職をやりくりし、ひと月に1度ほど吹雪のもとに通っていた。


また、遊女ではなく一人の女として心くばりをしてくれる寺坂喜三郎は、何時しか吹雪にとても特別な人となっていた。

吹雪は寺坂喜三郎が会いに来てくれる日を待ち望み、寺坂喜三郎の顔を見ると遊女である自分の身の上を忘れ体の芯が厚くなるのを感じていた。


 その日、寺坂喜三郎がひと月ぶりに吹雪に会いに来ていた。

二人は心のままに求めあったが、夜が更け寺坂喜三郎が帰り支度を始めると吹雪は裁縫箱から小判を一枚取り出し「喜三郎様これで近いうちにまたお越しください」と寺坂喜三郎に差し出した。


「何を馬鹿な、これはあなたの大切なお金です、頂く訳には行きません」寺坂喜三郎が受け取るのを拒むと「でないと、またひと月あなたに会えないではないですか」吹雪の目からポロポロと涙がこぼれた。

「大丈夫です、必ず近いうちに会いに来ますから」寺坂喜三郎は吹雪を抱きしめ慰めた。


吹雪は寺坂喜三郎の胸に顔を埋めながら「わたくしの事をお加代と呼んで下さい、お加代が本当の名前です、喜三郎様には源氏名でなく本当の名前で呼んでもらいたいのです」


吹雪の言葉に寺坂喜三郎の心に何かが沸き上がった。


「吹雪殿、いやお加代殿、私は今すぐにでも貴女を連れ帰りたい、だが私には貴女を見受けするだけの甲斐性が無いのです、年季明けまでこらえて下さい、そして年季が明けたら是非私の妻に成って下さい」と吹雪に結婚を申し込んだ。

(この日以来、寺坂喜三郎は吹雪の事をお加代と呼のであるが話しがややこしく成るので吹雪に統一します)


だが吹雪は「年季明けまでまだ3年もあるのですよ、それに私の様な女が喜三郎様の家に入るわけにはまいりません」と結婚を拒んだ。

「なら私は家も侍も捨てます、必ず貴女を迎えにきます」と吹雪を抱きしめる寺坂喜三郎の腕に力が入り、二人は再び互いを求めあった。



 東の空が白み始めた、寺坂喜三郎はすでに遊郭の海老屋を後にしていた。

持ち部屋の窓辺に座り吹雪は下弦の月を眺めながら寺坂喜三郎と喜三郎の家族の事を考えていた。


「私の様な女が喜三郎様の妻に相応しいはずがない、いっそのこと妾に成れと言って下されば喜んでお受けするのに」

「でも」吹雪は震える手で胸を押さえた。

「喜三郎様の妻になりたい」だれにも聞こえぬ小さな声でつぶやいた。



  ◇ ◇ ◇



 寺坂喜三郎が吹雪に結婚を申し込んでから3年の月日が流れた。


その日、寺坂家の当主であり寺坂喜三郎の父親である寺坂源九郎は顔色を変えて激怒していた。


「たわけた事を言うで無い、遊女を妻にするなど気でも狂ったか」

あの日から3年たった今も寺坂喜三郎の思いは揺るがなかった、そして寺坂喜三郎は吹雪を妻に向える事を父に打ち明けたのである。


「そこを何とか許して頂けないでしょうか」寺坂喜三郎は両手を付いて父に許しを求めた。

しかし「誰が許すか」と取り付く島もない。

しかも「どうしてもその女と夫婦に成りたければこの家を出ていけ、感動する」と寺坂源九郎は言い放った。

すると、待ってましたとばかりに寺坂喜三郎は深々と頭を下げ「父上、長い間お世話になりました。いついつまでもお変わりなくお達者で」その言葉を残し平然と立ち去ろうとした。


「まて何処へ行く、わしは許しはしとらんぞ」と寺坂源九郎が去り行く喜三郎を引き留めた。

「勘当された身の上ですので、家から出ていきます」と寺坂喜三郎。

寺坂源九郎は言葉を失った。


「勘当してくださいましたので心置きなく吹雪を妻に出来ます」そう言った寺坂喜三郎の顔は晴れ晴れとしていた。

「父上、いついつまでもお変わりなく、お達者で」別れの言葉を繰り返すとふたたび寺坂喜三郎はその場を後にしようとした。

「まて喜三郎」寺坂源九郎は喜三郎の襟をつかみ「落ち着け喜三郎」と息を詰まらせた。


寺坂源九郎は一つ大きなため息をつくと「弱ったのう」と呟いた。



◇ ◇ ◇



 笹原城の城下町に入る関所の一つに「六ツ門」と呼ばれる関所があった。

交通の要所ではあるが「朝早くから夜遅くまで大八車に走り回られてはうるさくてたまらん」と門の近くの人々の強い要望で朝夕の六ツ時(午前6時と午後6時)に開閉されることから「六ツ門」と呼ばれていた。


この六ツ門の大通りから一つ入り込んだ路地にこじんまりとした飯屋があった。

店に看板は無く、紫色ののれんの前に「料理は日替わり一品のみ」と書かれた板がぶら下げてあった。


 寺坂源九郎はこの飯屋の二階に上がり込み昼間から酒を飲んでいた。

向かい合って相手をしているのは店の主人の瀬戸口宗兵衛である。


 瀬戸口宗兵衛は勝手は武士であり寺坂源九郎の同僚であったが上役とウマが会わず、とうとう上役を殴り倒し「お前の下で働く位いなら侍など辞めた方がましだ」と言い放って、本当に武士を辞めてしまった男である。


瀬戸口宗兵衛は母方の実家が大きな料亭であったのでそこに転がり込み包丁さばきを覚えた。

なかなか筋が良く、祖父はのれんわけをしてやるつもりで居たが「それには及びません」とこの飯屋を開いたのだ。


瀬戸口宗兵衛は朝から大鍋に季節の野菜や魚を煮込み、昼は定食として出し、夜は酒の肴として出し、また小売りも行っていた。

店の料理は日替わり一品であったが一流の料亭と肩を並べるほどの味を安い値で出しているのであるから昼も夜も客足は絶えない。

何時しか町の人から「六ツ門の一品屋」と呼ばれるように成っていた。


 寺坂源九郎は芋の煮込みをほおばり、茶碗についだ冷酒を一気に飲み干した。

「よい酒じゃ、芋も上手に煮てあるのう」

瀬戸口宗兵衛は酒をすすりながらが上目遣いに寺坂源九郎を見た。

「で、何があった?」

「何故そう思う」

「貴様が俺の料理をほめる時はそんな時だけよ」

「さすが宗兵衛」と寺坂源九郎は手酌で茶碗に酒をつぎ足しながら息子の寺坂喜三郎の事を打ち明けた。

瀬戸口宗兵衛は一言「好きにさせれば良かろう」と事もなげに答えた。

「なにをバカな、相手は遊女だぞ」

「好きで遊女に成ったわけでも無かろうに」

「それはそうだろうが・・・」

「人の目など気にするな、身分だの家柄だのそんな物のために好いた女と夫婦に成れぬなど、バカバカしい話だ」


寺坂源九郎はまじまじと瀬戸口宗兵衛の顔を見て「そうであったな、これは相談相手を間違えた」とため息を付いた。


瀬戸口宗兵衛は寺坂源九郎の茶碗に酒をつぎ足しながら「とにもかくにも一度その吹雪とか言う遊女に会ってみる必要があるな、むこうは本気でなく喜三郎は遊ばれているだけかもしれん」と慰めた。

「遊ばれているなら良いが、そうで無かった時が問題でな、あいつは大事な一人息子、そして跡取り息子じゃ、なんとかせねばお春に顔向けが出来ぬ」


「お春」とは寺坂源九郎の妻であり寺坂喜三郎の母であるが喜三郎が小さい時に病没していた。

お春が病没した時の源九郎の悲しみようは尋常ではなく「喜三郎を道連れにして後を追うのではないか」と、瀬戸口宗兵衛はたいそう心配した。


「よし、一つ俺が喜三郎に話を聞いてみよう」と瀬戸口宗兵衛は言った。

「そうしてくれるか、こんな時はワシよりお前だからな」

「うむ、俺は喜三郎の親代わりだからな」と瀬戸口宗兵衛。

「ワシはまだ生きとるわい」と寺坂源九郎。

さらに瀬戸口宗兵衛は「なに、いざとなったら侍などやめてしまってその女とこの店を継げばよい、そうだそれも良いな」などと言い出した。


そこに瀬戸口宗兵衛の三姉妹の末娘「お桂」がお盆にとっくりと小鉢を乗せて部屋に入ってきた。


瀬戸口宗兵衛はお桂に向って「お前、喜三郎をどう思う、誘惑せぬか俺はゆるすぞ」とバカな事を言い出した。

お桂は冷ややかに瀬戸口宗兵衛をちらりと横目でみたが、すぐに寺坂源九郎の顔を覗き込み「叔父様何か心配事ですか」と聞いてきた。

「なに案ずる事はない」と造り笑いする寺坂源九郎に、「でもね叔父様、うちのお父ちゃんに相談するぐらいなら野良猫にでも相談した方がましですよ」と、真顔で言った。

「うむ、今ワシもそれを実感したところじゃわい」と寺坂源九郎もまた真顔で答えた。


 日が傾き店が混み始める時間となった。

寺坂源九郎は店が混み始める前に決まって店を出る、厨房を覗くと瀬戸口宗兵衛の女房のお菊と娘のお桂がせわしなく働いていた。

「世話に成った」のれんを潜りながら厨房に声をかけると瀬戸口宗兵衛の女房のお菊が見送りに出て来た。

「源九郎様、今日は何か面白い話でもされたのですか、うちの旦那がえらく上機嫌で」と笑顔で話しかけてきた。

寺坂源九郎はそれには答えず「お菊さん宗兵衛と所帯を持って幸せかい」と聞き返した。

 

 実は瀬戸口宗兵衛は上役が嫌いなだけで武士を辞めた訳では無いのだ。

本当の理由は「お菊」であった。


 瀬戸口宗兵衛とお菊は恋仲であったがお菊に縁談が持ち上がり、お菊の父親は瀬戸口宗兵衛より縁談話に乗り気であった。

それ故にお菊の父親にお菊と夫婦に成ることを反対された瀬戸口宗兵衛は、半ば計画的に上役を殴り倒した事を、後に寺坂源九郎だけに告げていた。

上役はとんだとばっちりである。


 そして、瀬戸口宗兵衛は「家督は彦三郎(弟)に譲る」と書置きを残し、お菊を連れ駆け落ち同然で肥前にある母方の実家の料亭に逃げ込んだのであった。

この時に瀬戸口宗兵衛と親交が深かった寺坂源九郎が殴られた上役をなだめたり、両家との間に立ち色々と力を尽くしたのである。


この時の働きと人柄を見初められ「ぜひ娘の婿に」と寺坂源九郎が嫁にもらったのがお菊の妹の「お春」であった。

したがって寺坂源九朗と瀬戸口宗兵衛は義理の兄弟でもあるのだ。


「お春」亡き後、幼い寺坂喜三郎は何かにつけて瀬戸口宗兵衛宅に預けられる事が多かったが、瀬戸口夫妻には息子が出来なかった故に寺坂喜三郎はたいそう可愛がられた。

瀬戸口宗兵衛は面白がって寺坂喜三郎に自分らの事をお父ちゃんお母ちゃんと呼ばせていたが、寺坂喜三郎が成長するにつれいつしか伯父上と呼ばれるようになった。

しかしお菊の事は今でも「母上」と呼んでいるのである。


 寺坂源九郎の問いに「おかげさまで」とお菊は笑顔で答えた。

「それは良かった」と寺坂源九郎は複雑な笑顔で六ツ門の一品屋を後にした。

しばらく歩くと寺坂源九郎は足を止め「喜三郎の奴め、まさか先に宗兵衛に相談し、入れ知恵をされたのではあるまいな」と後ろを振り返った。

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